第6話 旅立ち
何が起きたのか、すぐ目の前で起きているはずの出来事を飲み込めないまま、戦いは終了していた。
「……いや、強すぎるでしょうが」
ボクは呆れて、独りつぶやく。
女勇者が鞘付きの剣を横薙ぎするたび、男たちが数人まとめて吹き飛んだ。女モンクは襲い掛かってくる男たちを紙一重で避けると、すれ違いざまに首筋などに触れる。そうすると、男たちは時間差でバタバタと倒れていった。女アーチャーに関しては、そもそも何処にいるかもわからない。姿は見えないけれど、あちこちで手足を射抜かれた者たちの悲鳴が上がっている。
「私の出番はまったくありませんね」
ちょっと残念そうに、女賢者。
手持ち無沙汰でぼんやりしていないように見えて、ボクの周りには光の盾みたいなものが何枚も浮かんでいた。気が付かない内に、防御の魔法が張り巡らされていたらしい。他のメンバーに蹴散らされて、ボクと女賢者に迫ってくる敵が一人もいなかったのでわからないけれど、攻撃されても安全な状態なのだろう。
完璧なる勝利。
敵はすべて、気を失うか、痛みにうめきながら倒れ伏している。
ただし、勇者パーティーはそれを喜ぶ様子もなかった。全員、まるで何事も無かったかのような表情。群衆の中を談笑しながら歩いていたら、誰かにぶつかってしまい、会話が途切れてから数秒後、「ごめんごめん、それで何の話だっけ?」と元通りになるみたいに。大した事ではない。何も起きなかったに等しい。明日にはもう忘れているような出来事だろうって、彼女たちは全員が本気でそう感じているみたいだった。
ボクはまだ、動けない。
これが、日常。
日々の何でもない一コマに過ぎないと、静かに物語る彼女たちの背中を見つめている内、ボクはこんな理解できない集団について行こうとしているのかと、くらくら眩暈がして来た。
相手も、決して弱いわけではないのだ。末端の構成員たちとは云え、欲望の街を裏側から支配する大組織である。暴力という手段が日常化している彼らは、下手な冒険者よりも戦闘に慣れている。しかし、どうやらその程度では、勇者パーティーのレベルからすると、一般人とも大して変わりないようだ。
「こんな展開になること、予想していたの?」
女モンクはそう問いかけながら険しい表情になる。
女勇者はそれに対し、苦笑しながら答えていた。
「ごめん。でも、いつもの事だからね。どうか許して欲しい」
「あんたも、厄介な性格よね……。はあ、どこでもトラブルばかり」
ボクは、このトラブルを予想していなかったわけではない。
勇者パーティーの仲間になって街を出て行くことには、明確なリスクがあった。だから、荷物は最小限で家を出たし、無駄な遠回りをするなどして尾行にも気を付けた。女勇者たちとの待ち合わせ場所も、それだから人の少ない店を選んだ。
15歳で独りぼっちになってから、街の外に出て行こうと考えたことは一度もなかった。
この街だけが、ボクの生きられる場所だった。
初めて――。
手を、差し伸べられた。
初めてだから予想できなかったなんて、云い訳するのは、たぶん情けない事だろうさ。
運が良ければ、面倒なことは何も起きないんじゃないかと思っていた。逃げ出そうとしていることに気付かれないかも知れない。気付かれたとしても、見過ごされるかも知れない。わざわざ人手を割いて邪魔をするほど、ボクには大した価値が無かったなんてオチに期待して――ああ、まったく。実際はこんな争いを引き起こしてしまう始末である。
ボクはようやく立ち上がり、勇者パーティーの面々、それぞれに声をかけた。
「すみませんでした」
無関係な面倒事に巻き込んでしまった。
ボクは心の底から悔いて、謝罪する。
女勇者は、こんな風に返して来た。
「私は誓ったよ。君を守ると」
ボクは、首を横に振る。
見方によっては、ボクが勇者パーティーの力を利用したようなものだ。力の差は歴然としたもので、彼女らには何も危険なことではなかったかも知れない。それでも、戦闘である。ボクのため、他人を傷つけさせた。こうなる可能性も頭の中にあったはずなのに、事前に何も告げないままで、いざ窮地に陥ったならば、自分はビクビクと震えるばかりで何もできない。
まったくの他人に、問題の解決を丸投げしたわけだ。
心底、情けない。
申しわけなさも入り混じり、ボクはしばらく顔を伏せていた。
「……おや?」
不意に、女アーチャー。
その一言を受けて、女勇者が注意を呼びかけた。
「みんな、警戒して。まだ来るよ」
ボクが顔を上げると同時に、酒場の入口が蹴り飛ばされていた。
まさか、増援だろうか……?
敵の人数がどれだけ増えた所で、勇者パーティーの実力を目の当たりにした今では、恐れるものは何もないように思えた。ボクは感情が底に沈んだままの状態で、静かに様子をうかがっていた。勇者パーティーに何もかも任せてしまうことに、思うところは多々あるけれど、だからと云ってボクにできる事は何もないのだ。
せめて、大人しくしているのが正解だろう。
そう思っていたのに、予想外の人物が登場したことでズキンと胸が痛み出した。
衝動的に、一歩、前に踏み出してしまう。
「……ボス!」
目付きの悪い男が、一人だけ。
彼は、全滅させられた部下たちを見渡して、盛大に舌打ちしていた。
「やったのは、お前らか?」
「そうだとしたら、どうする?」
殺気と、携えていた刀が、同時に抜き放たれる。
女勇者はそれでも、余裕の表情で、堂々と立ちふさがった。
最後方から成り行きを見守っていたボクは、思わず二人の間に割り込んで行く。
「お願い、待ってください! ボス、どうしてここに?」
「ああ、お前……そんな所に隠れていたのか」
ボクを見つめるのは、濁った瞳。
懐かしくも、相変わらずの、人でなしの目付きだ。
組織のボス。若くして、成り上がった男。こんな風に直接会うのは、何年振りだろうか。
生真面目な事務員と云われても通りそうな風貌なのに、小さな丸眼鏡の奥には、虎のように凶悪な三白眼。眉間にしわを寄せている表情がデフォルトで、実際、いつも何かにぶち切れている。欲望の街でも手が付けられない武闘派として知られる組織。その長としては、本当にぴったりな性格をしている。ようやく頂点に上り詰めたと、いつの日か、酔って嬉しそうに聞かされた時は、収まるべきところに収まったと感心したぐらいだ。
女勇者に止められるのを無視して、ボクは、真正面まで歩み寄った。
しばらく見つめて、考えて、他愛ない言葉を吐いてしまう。
「少し、痩せましたか?」
「お前は、もっと生意気になったようだな」
「ボクは何も変わっていませんよ」
「いいや、可愛げがさらに無くなった」
「違います。だって、あなたは何も許してくれなかった」
「……この街を出て行くつもりか?」
「はい」
ハッキリと、迷いなく答えてやった瞬間――。
刀が、まっすぐ、ボクの頭上に振り下ろされた。
素人目にも、一切の躊躇がない攻撃だとわかった。
ボクでは避けられない。そもそも、避ける意思がなくて――。
「殺すぐらいならば、逃がしてやれば良いだろう?」
ボスの一撃は目の前で止まっていた。
女勇者の剣が受け止めていた。
「こいつは、俺のモノだ。他人のモノになるぐらいならば、ここで殺す」
「ふざけたことを……。仲間は、誰のモノでも無いぞ」
ボスと女勇者が叫び合う。
ただし、力の差はハッキリしている。
女勇者が剣を振り抜くと、ボスは一気に遠くまで吹き飛ばされた。酒場の床をゴロゴロと転がったボスに対して、女勇者はゆっくり近づいて行くと、手を踏み付け、そのまま短刀を蹴り飛ばした。ボスはそれでも懐から別の武器を抜こうとしたが、それも間髪入れず、女勇者の剣が弾き飛ばしてしまう。武装解除が完了する。
勝負あり。
ボスは諦めたように、全身の力を抜いて床に倒れた。
「さあ、ここにもう用はない。行こうか」
戦意喪失を確認すると、女勇者は身支度を整えながら、パーティーの仲間たちに声をかけた。酒場の外に伏兵が待ち構えていないか、先行して確認する意味もあるのだろうが、そのまま一人だけで出て行ってしまう。
「ほら、アーチャーさん。行きましょう。馬車を準備しないといけません」
「待ってくれ。せめて一瓶だけでも、旅の道中にはこれが必要で……」
女アーチャーは散らかった店内で酒瓶を物色していたらしい。……ドサクサに紛れての火事場泥棒ではないだろうか。正義と平和の勇者パーティーとして、その行動は大丈夫なのか? 幸いにして未遂で終わったらしく、女賢者に引っ張られながら、ズルズルと店の外に出て行った。
ボクは旅行鞄を持ち上げる。
酒場の入口に向けて、一歩を踏み出した。
「……」
……ほんの気まぐれから、途中で、倒れているボスに近寄った。
大の字に倒れたまま、珍しく、覇気も無くぼんやりしているボスを見下ろす。
「無様ですね」
「うるせぇよ」
「本気で、殺そうとしましたね」
「当たり前だろ。お前も、わかっていたはずだ」
「ボクは、避けませんでした」
「……避けられなかったの、間違いだろ」
最後に話しかけてみたものの、仲良く笑い合える話題なんてひとつも残っていないことに気付いた。
ボクは15歳でハズレスキルを手に入れて、家族も友達も失い、故郷からも逃げ出し、右も左もわからないまま欲望の街に足を踏み入れた。手持ちの金なんてあっさり尽きてしまい、浮浪児みたいになりかけていたボクは、タチの悪いグループに引っ掛けられて、さらに深いドロ沼に沈み込む寸前だった。そんなピンチを、たまたま気まぐれで助けてくれたのがボスだった。
当時は、ボスではなく、野心あふれる下っ端に過ぎなかったけれど。
一ヶ月ぐらい、ボロボロのアパートの片隅に居着かせてもらっての共同生活。スキル『エロ触手』をどんな風に使えば良いのか、いっしょに考えてくれたのはボスだった。あまりに酷いスキルの内容から、ボクは神託の日以来、スキルを一度も使ってみることなく過ごしていたけれど、ボスは「バカか。見せてみろ」と云って、それから「金になりそうだ」と褒めてくれた。
働ける店を紹介してくれた。
時々、様子を見に来てくれた。
稼いだ金額の半分ぐらいがボスに流れていくことは、まあ、そういうものと納得していたので別に良い。ボクが大歓楽街の帝王として成功すれば、その立場を利用して、ボスもまた組織の頂点まで上り詰めていった。それも良いさ。
とはいえ、ここらが幕引きなんだろう。
欲望の街で、ボクにはこれ以上の物語は存在しない。
ボスは違う。きっと、もっと高いところを目指している。
「さようなら」
「……飼い犬に逃げられるのは最悪だ」
ボスは最後に吐き捨てた。
「消えちまえ。二度と、俺の前に顔を出すな」
「ありがとうございます。お元気で……」
「……ああ」
ボクは外に出た。
敵がさらに待ち構えているなんてドンデン返しもなく、女勇者が一人で手持ち無沙汰に待っていた。「アーチャーと賢者が、馬車の準備で先に行っている。用事が済んだならば、追いかけよう」と説明されている間に、酒場から女モンクも出て来る。そう云えば、仲間として認められないまま、ドタバタとした流れで出発することになっているけれど、それは良いのかな……。
「あんた……」
女モンクが、ボクに声を掛けて来る。
「旅の荷物で、それは少ないんじゃないの?」
彼女は相変わらずの厳しい表情で、手提鞄を指差した。
「どうせ、こんな騒動になることを心配して荷物を減らしたんでしょうけれど……。問題は片付いたわけだし、もう気にしなくても大丈夫なんじゃない? 街の外に向かう前に、あんたの家に立ち寄っても良いわよ。荷造りは、そこの勇者が手伝ってくれるだろうし……」
「モンクも手伝ってくれるよね、もちろん」
女勇者が笑って云えば、女モンクはイライラしたように「あ、あたしは別に……っ!」と叫んだ。
提案をありがたく受け入れ、二人を伴って家に戻る。数年間の暮らしで、他人を招き入れるなんて初めてということに道中で気付いた。普通の手提鞄ひとつだった荷物が、三つに増える。重たい鞄でも軽々と持ってしまう二人の助けを借りつつ、街の外に向かって歩いて行く。
何も、これ以上のトラブルは起きなかった。
街の出入口で待機中の馬車にたどり着けば、女賢者が笑顔で出迎えてくれる。女アーチャーと云えば、幌馬車の中で酒瓶を抱き締めながら幸せそうな顔で爆睡していた。見た目には美少女なので、酷い有様である。実年齢が514歳ということを考慮した場合でも、それはそれで年甲斐が無いので、酷い有様である。いつもの光景なのか、誰も気にした様子はなかった。馬車が動き出せば、当然のようにガタゴト揺れるけれど、やっぱり女アーチャーは目覚めない。
ボクも、早めに慣れるべきだろう。
出発してから一時間も経つ頃には、街が遠くに見える丘の上まで行き着いていた。
幌馬車の後ろから顔を出せば、欲望の街の全景が見渡せる。
スキルを手に入れた15歳から、大人になるまで、青春時代をすべて放り捨てた土地である。ボクが今日、捨て去る土地。欲望は止めどなく、訪れる人間は後を絶たず、事実として、先ほどから街に向かう馬車とは何度もすれ違っていた。あれだけ大きな街なのに、いつでも人が溢れている。だから、人の価値は低い。誰もかれも、幻みたいで、気が付いた時には消え去っている。
街からいなくなった者が、果たして、生きているのか死んでいるのか、そんな事すら気にされない。くたびれた女が一人いなくなれば、世間知らずの女がまた一人やって来るだけだった。ネオン輝く大通りから路地裏の隅に至るまで、どこもかしこも無慈悲で、無関心で、無感動で、そんな感じだから、無価値な人間にはとても居心地の良い街だった。
改めて、さようなら。
ボクは、勇者パーティーの仲間として旅に出る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます