第2章 仲間になりたそうにあちらを
第9話 社交界デビュー
勇者パーティーの末席を汚す者として、悪戦苦闘の日々がスタートした。
ボクの体感時間はネズミのように加速している。何気ない一日が、まるでマッチの燃え尽きるように、あっという間に終わっていくのだ。
欲望の街では、帝王と呼ばれていた。
ナンバーワンの稼ぎ頭。
当然、めちゃくちゃ忙しい。
ただし、欲望まみれの日々は、意外にも刺激の乏しい単調な一日の繰り返しだった。数え切れない客を相手にして来たものの、ほとんど顔も名前も憶えていない。ベルトコンベアで流れて来るパーツを、ひたすら同じように組み立てる工場みたいに、ボクはただ、有象無象の客たちにスキル『エロ触手』を使用するだけで生きて来られた。
それはたぶん、頭を使わない生き方。
昨日と今日の区別がつかない。明日が来ても、明後日が来ても、何も変化なんて無いだろうエンドレスな日々である。退屈と憂鬱、ため息に朝が始まり、夜はいつまでも長い。
だから、欲望の街で暮らしていたこの数年間、ボクの内面で流れる時間は大変ゆったりしたものだった。悪く云えば、ドロリと濁るぐらいに。まるで、放置されているため池みたいなものだ。
そんな風に、かつての日々には永遠を感じていた。
しかし、現在は違う。
前述の通り、とにかく一日が早い。ウンウンと考え込んでいると、いつの間にか次の日を迎えている。
なぜかと云えば理由は単純で、勇者パーティーとしての日々は変化に富んでいる。ルーチンワークの繰り返しみたいな日常とは、完全におさらば。良くも悪くも、毎日のように新しいチャレンジが待ち受けている。
とはいえ、勇者パーティーの一員として八面六臂の大活躍で仕事をバンバン片付けて、エリートなキャリアっぽく充実感に満ちているぜ……なんて、痛々しい誇大妄想をここで披露つもりはない。
ボクは、ギリギリがんばっている。
崖っぷちで、踏みとどまっている。
そもそも、戦闘要員ではないのだから。
できることは、タカが知れている。
例えるならば、試用期間中であり、与えられる仕事は雑用程度のものだけど、経験不足、知識不足のボクは、何事にもあっぷあっぷしているというだけなのだ。
勇者パーティーの活躍と云われて、大衆がイメージするのは、やはり最前線で魔物の群れと死闘を繰り広げているような光景だろう。それは、決して間違っているわけではない。勇者の仕事として、並大抵の騎士や兵士、冒険者では太刀打ちできない魔物を討伐することは、とても重要なことである。
ただし、朝から晩まで戦い続けているかと問われれば、まったくそんな事はないのだ。
むしろ、魔物との戦いが予定されている日は稀である。
勇者パーティーの活動の大半を占めるのは、イメージとかけ離れた退屈なもの。英雄譚で語られる華々しい大活躍は、とりわけ目立つパートを切り取っているに過ぎないのだ。
ボクは、そんな当たり前にも今さら気付かされた。ふわふわ宙に浮いていた足が、そんなに甘くないよと地面に引きずり降ろされたような気持ち。ああ、恥ずかしいね。
地味で地道な活動に、東奔西走の日々。
スケジュールの大半を埋め尽くすのは、大陸全土を行き来しての表敬訪問や会談である。要は、お偉いさんとのおしゃべり。それらは、単なるご機嫌取りで終わることもあれば、継続的な支援の約束を取り付けたり、敵対国家間の仲を取り持ったりする。
女勇者曰く、人類を仲良しにする大切なお仕事。
子供時代のボクが夢に思い描いていたヒーローは、まるで賛美されること、喝采されることが仕事のようだった。何をするかよりも、何を手にするのか、そればかりを想像していたのは、やっぱり子供だったなぁと恥ずかしくなる。
勇者パーティーとして行動していればチヤホヤされるのは間違いない。ボクも、これまで名前も知らなかった要人たちと、頻繁に顔を合わせるようになった。パーティーの一員というだけで、貴族みたいなもてなしを受ける。
まるで、自分が偉くなったように錯覚する。
ただ、これは金銭や地位よりも不確かなものだろう。目に見えず、手で触れられず、まるで一夜の快楽のように、過ぎ去った後には何も残らないものだって、ボクはすぐに気づいてしまった。
相手も、馬鹿じゃない。
勇者パーティーという肩書きだけでなく、ボクという一個人を値踏みされることも、もちろんある。田舎の村の出身で、夜の街で仕事していた経験しかないボクは、教養も何もなく、ボロを出さないように精一杯である。いつも、右往左往している。当然、それなりの人間にはボクの底の浅さは見抜かれているだろう。
ため息。
何はともあれ、戦闘以外の仕事がたくさんある勇者パーティーなので、非戦闘要員のボクにも、やれることは幾らでもあるわけだ。
大陸のあちこちを行き来するから、それだけ複雑な旅程を組まなければいけないので、これが一番大変である。訪問相手の事前リサーチも必要で、話し合うべき内容も予習は必須だ。パーティーの活動費は潤沢であるものの、無駄遣いできる程ではない。
事務仕事はすべて、ボクが引き受けている。帳簿の管理は、法律を勉強しながら何とか片付けていた。隙あらば高価な酒を経費で買って来ようとする女アーチャーには、まったく気が抜けない。
バタバタ、バタバタ、と――。
赤子の成長みたいに、月日はサッと駆け抜ける。
ようやくこの日常に慣れたかと思えるようになった頃には、季節がひとつ変わろうとしていた。ボクが、勇者パーティーとして旅立ってから、数ヶ月が経ったある日のことである。
新しいミッション。
はじめてのおつかい、みたいなものか。女勇者から、そろそろ手伝ってほしいと直接頼み込まれた。ボクが苦手とする分野だと、彼女もわかっているのだ。これまでも、あれこれ理由を付けて回避して来た仕事なので。
本日の夜、お偉いさんの多数出席する政治的なパーティーに参加を求められた。
……えー。
嫌、である。
基本的にそのような場には、十歳のお子様である女賢者は欠席である。上流階級ばかりの社交界が苦手(大衆酒場は大好き)という女アーチャーも、女賢者を一人にするのは可哀想だからという云い訳を便利に使って毎度辞退してしまう。
ボクは、どうか?
気品がない。
教養がない。
見た目も良くない。
上流階級とは無縁である。
コミュニケーション能力、あまりに低い。
社交場に参加するためのレベル、ステータスに達していないだろう。ボクはそう思って来た。だから、これまでも参加を求められることは幾度かあったけれど、強めの意思表示で断ってきた。
いよいよ、年貢の納め時か。
役立たずなヤツが、さらに意欲まで失えば、パーティーメンバーから見放されても文句は云えない。できることなんてタカが知れているボクだから、与えられる仕事には全力を尽くさなければいけないのだ。
失敗が見えていても、無様だろうとも。
悲壮な決意を固めつつ、それでもイヤイヤな表情を隠せないまま、ボクは女勇者にイエスと返答した。
「本当に助かるよ。私とモンクの二人だけでは、たくさん話しかけられると、なかなか対応仕切れないことも多いからね。二人よりも三人! がんばって乗り切ろう!」
こうして、社交界に参戦させられる哀れなボク。
ドレスアップした女勇者と女モンクに挟まれて、両手をそれぞれと組まされている。この隊列だと、ボクが二人よりも、頭ひとつ背が低いことがバレバレでチョー嫌なんですが……。顔面レベルやスタイル、ポージング、気品などに至っては、まったく足元にも及んでいない。
「うふふ、似合っているわよ」
女モンクが笑うのを堪えている。
普段、エロ触手で悪戯することへの意趣返しか。
ボクは、絶望的な気分になっていた。フワフワのフリフリの衣装をこれまた嫌だと云うのに着せられて、会場入りの前から足元はフラフラである。
よろけて階段で転びそうになったら、女勇者に華麗に抱き上げられた。
「大丈夫? ほら、私の手を取って」
……うー、悔しい。
本日の女勇者は、タキシードスタイルが超カッコいい。男装の麗人の正しいサンプルって感じの風貌である。オーラがキラキラしているのは、勇者が聖属性である影響なのだろうか(本性を知っているボクからすれば、性属性って感じだけど……)。その背後には耽美な薔薇まで咲き乱れているようだった。
思わずトキメキに似た何かを感じてしまいそうで困る。女勇者に胸がトクンと鳴るなんて……心を穢されるようだ。末代までの恥である。
ちっぽけなプライドが許さない。
ボクは思わず、全力で自分の頬を打った。
「え、えッー! 痛そう、顔が腫れるよ!」
「慣れない靴で、ご迷惑をかけました。自我を取り戻すため、仕方なく……」
「どちらかと云えば、いきなり正気を失ったように見えたけれど?」
「ベッドの上でのあなたに比べれば、これでもまだボクの方が正気ですよ」
この女勇者は目に毒だ。
夜会の間はできるだけ離れていようと思ったものの、残念ながら、社交界デビューは身内のことを気にしていられるほど甘いものではなかった。次から次へと挨拶にやって来る都市の長やギルドマスター、部族長などなど……。
大陸全土に広がる人類圏において、あちらさんとこちらさんの文化や風習は当然まったく異なるわけで、あらゆる民草が一枚岩になるなんて奇跡は絶対に起こらない。
絶対に起こらない奇跡を、しかし、起こせてしまうのが勇者という存在である。
勇者が正しいと云えば、それは正しいものとなる。普通の人々は、それぐらい勇者を絶対的に信仰している。
そのため、あらゆる集団が、あらゆる組織が、どうにか女勇者を味方に付けたくて必死なのだ。彼女が自分たちに肩入れしてくれれば、それはもう大衆を丸ごと味方にできるも同然なのだから。
剣と魔法がものを云う、魔物を相手取る戦場とは異なり、ここは言葉と駆け引きによる鉄火場だった。
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