第12話 泣き虫ミリエット

 アルマナがパペチュエリー公爵領へ出立してから一週間後。連絡支援員ルーターのヴィリディアーナから、ミリエットへ緊急の呼び出しの手紙が届いた。


「『霊圏視』の魔女クルアヴィン女伯爵ウルリカから、『魔女集会カヴン』を通じて協力要請が来ているわ。今回は国家機密に関する案件で、例外的にまだ王都へ上っていないあなたにも手助けしてほしいの。できるかぎり速やかに王都へ向かってちょうだい。諸々の手配はこちらでしておくから、心配しないで。王都に着いたらまずヴォクサレナ伯爵邸我が家へ」


 協力の内容こそ不明だが、簡潔に要件を伝えてくる手紙の文章から、どうやらあちらは切迫した事情であることが窺える。ミリエットは目処がついていた先の事件の後始末を父ブライス伯爵へ任せ、単身エスティナ王国王都へ上ることとなった。


 アルマナの向かったパペチュエリー公爵領とは真逆の方角へ、王都はブライス伯爵領から北へ数日ほどかかるが、街道が整備されているため移動の負担は格段に少ない。さして時間もかからず到着するだろうが、問題は到着してからだ。


(緊急の案件……私の『過去視』が必要なことが? アルマナからはそんな話は聞いていないけど、魔女同士の関わることだと予見しきれないのかしら。ちょっと不安ね)


 『過去視』と違い、『未来視』で『視』える未来は絶対というわけではない。アルマナやミリエット自身が違う行動を取れば、如何様にでも変えられるからだ。もしくは、未来の出来事に重要な役目を果たす人物の行動がいちじるしく異なれば、当然だが違う未来になる。


 ひるがえって、未来と違って過去はすでに起きたことであり、もう人の手では変えられないためすべて確定した事柄だ。それゆえに、『過去視』で『視』たものは確定した事実であり、ミリエットの異能は正確無比であるという信頼がある。伯爵領の司法関係者から有り難がられたのはそうした理由からだ。


 何となく不安を覚えつつも、ミリエットはヴィリディアーナが派遣してきた馬車に乗って、一路王都を目指す。






 昼頃に王都に着き、即座にヴォクサレナ伯爵邸に向かい、そのままの足で王城へ。


 ミリエットは慌ただしくヴィリディアーナに連れられて、ただただ広い王城の廊下を歩く。どこもかしこも天井が高く、格調高い調度品にフレスコ画、シャンデリア、どこまでも続く赤絨毯。エスティナ王国の財政は問題ないと言わんばかりの贅沢品ばかりだ。


 その王城の一室に案内され、ミリエットは驚く。


 部屋の奥、カーテンで仕切られた小さなスペースに、誰かが座っている。さらに部屋の右手にもカーテンがあり、数名が待機しているようだった。


 一体全体これはどんな状況なのか、ミリエットが把握しようとする前に、ヴィリディアーナが部屋の奥のカーテンを指して、こう言った。


「ミリエット、あの人物の名前を当てられる?」


 異能を使っていい、という言葉がなくとも、ミリエットはすでに『過去視』を使っていた。


 そこに人がいることさえ分かれば、『過去視』は適用される。その人物は——。


「『視』たかぎり、セリアン様、ですよね?」


 部屋にいる人々がざわめく。カーテン越しの人物など、性別も年齢も何もかも分からないのに、なぜ名前を当てられるのか。


 そんなこと、『過去視』でカーテン越しの人物が生まれてすぐのころの過去を見て、両親が名付ける瞬間を捉えたからだ。対象の人物の記憶だけでなく、過去のその時点の状況をまるで神の視点から俯瞰するごとく、ミリエットの『過去視』は見通せるほど強力になっていた。


 それゆえに、ミリエットはヴィリディアーナの次の質問にも答えられる。


「フルネームは分かる?」

「ええと、セリアン・パクスウェル・テレジェナ・イ・ベラスティール……と名付けられたようですが」


 またしても、部屋がざわついた。今来たばかりの事情に明るくないミリエットにさえ当然のように答えられて、それは確定したのだろう。


 ヴィリディアーナが、部屋の右手のカーテンへと声をかける。


「とのことです、ウルリカ様」

「うむ。誰がいるかも分からぬ状態で『過去視』の魔女がそうだとしたならば、それは正しいのだろう。カーテンを開け」


 重苦しく固い女性の声に従い、すべてのカーテンが開かれる。


 部屋の奥、ミリエットの正面にいたのは、十二歳ほどの少年だった。簡素なシャツとズボン、貴族の子弟にしては素っ気ない。濃紺の髪は少し伸びていて、くっきりとした藍色の目は一目見て将来に期待を持たせる力強さを持っている。


 片や、部屋の右手には、ソファに男装の麗人が座っていた。髪を短く切りそろえ、凛々しさは中年に差し掛かってもなお衰えない、『霊圏視』の魔女クルアヴィン女伯爵ウルリカはそんな女性だ。


 ミリエットがセリアンと『視』た少年がウルリカへ、怖気付くことなく訴える。


「これで分かったでしょう。間違いなく、私はベラスティール侯の遺児です」

「まあ、三人の魔女がそうだとしたならば、認めてもよいだろう。陛下にはそう報告しておく、追って沙汰を待て」

「ええ、分かりました」


 セリアン少年は立ち上がり、大股で部屋から出ていく。その後ろを、従者と思しき男性が追いかけていった。


 ふう、とひとつため息を吐いて、ウルリカはミリエットへ向き直る。


「大儀であったな、ミリエット。あの子はベラスティール侯爵家唯一の男児、次期侯爵となるべく呼ばれたのだが、少々来歴が特殊でね」

「それは、ベラスティール侯爵夫人が駆け落ちをしたから?」


 ミリエットにとってはついさっき『過去視』で見た光景だったが、ウルリカが眉をひそめたことでどうやらタブーだったらしいことが判明する。


「ごほん、わきまえなさい、ミリエット」

「申し訳ございません、つい」

「とにかく、そういう事情であの子が本当にベラスティール侯の遺児であるかを確かめなければならなかった。しかし、これであの子はやっとベラスティール侯爵家を継げるだろう。次は継母と継子を追い出すことから始めなければならないがね」


 なるほど、ミリエットはようやく得心がいった。


 大貴族であるベラスティール侯爵家のお家騒動、それを治めるため、セリアン少年の素性を秘密裡に確かめるためにミリエットは呼ばれた。


 それよりも——ミリエットは部屋を退出すると、急いでセリアン少年を追いかける。通りすがりの兵士や使用人に尋ね歩きながら、まだ城内にいたセリアンにやっとの思いで追いついた。


「セリアン様」


 従者に何かを命じて待っていいただろう少年が、ミリエットの呼びかけに気付く。


 ミリエットよりもまだまだ背の低い少年は、振り返って首を傾げる。


「何だ、さっきの魔女か」

「ミリエットと申します。何か、お力になれることはないかと思い、まかり越しました」


 肩で息をしながら、ミリエットは頭を下げる。


 セリアン少年は、いぶかしげに突然現れた魔女を横目で見る。


「なぜ私にそんなことを? あなたには関係ないだろう」

「いえ、その……何となく?」

「そんなどうでもいい理由で他家の事情に首を突っ込むなど、貴族令嬢としてあるまじき行いだと分からないのか?」

「いいえ、ですが、それよりも大事なことがございますから」

「大事なこと? それは何だ?」


 セリアン少年と喋りながら、ミリエットは『過去視』を使っていた。必死に頭を巡らせ、『過去視』で得たすべての情報を高速処理し、その結果、ある結論に辿り着く。


(間違いない。すんなり『過去視』ができるということは前世の私と強い縁がある、でも前世の記憶がということは……この子が、お腹の中にいた子だわ)


 セリアン少年が——前世の糸魚川静の子、名前さえ付けられずに死んでしまった我が子だと、ミリエットは確信した。


 ならば、ミリエットが取る行動は一つだけだ。


「私は『過去視』の魔女です。あなたの過去はすべて『視』ました、その上であなたの助けになりたいと思ったのです。それ以上は申し上げられません」

「なぜ?」

「信じていただけないだろうからです。そして、魔女の禁忌にも触れることだからです」

「そんな言い訳で近づくことを許すとでも? ベラスティール侯爵家が、どれほどエスティナ王国で重要な地位にあるか、知ってのことか?」

「地位とか何とか、そんなことは本当にどうでもよろしいのです!」


 思わず、ミリエットは感情が昂ぶって叫んでしまう。


 会いたかった前世の我が子を前に、どうしても母親としての記憶と感情が心を揺さぶる。冷静でいられなくなり、ついには涙さえも浮かんできた。


 どう言えば信じてもらえるだろうか。今まで『過去視』の魔女として、その言葉はほぼ無条件に信じられてきた。しかし、目の前のセリアン少年を納得させることは、その材料があったとしても出せないのだ。何一つ、物的な証拠のないことだからであり、あくまでミリエット側が執着しているだけなのだから。


 顔がくしゃくしゃになるほど泣く令嬢を前に、セリアン少年は憎まれ口を叩きながらも弱る。


「泣くな、ああもう、いきなり来て泣き出すなんて、はしたない」


 何事かと戻ってきた従者がハンカチをミリエットへ差し出し、それでもまだミリエットの涙は止まらない。


 何もかもを吐き出してしまえれば楽になるが、それができないだけに、ミリエットは何を言えばいいのか分からない。ご機嫌伺いの言葉さえも思いつかない。


 ついには、セリアン少年のほうが折れた。


「分かった、降参だ。好きなようにしてくれ、私だって味方が一人でも増えれば有り難い」


 自分のハンカチでミリエットの鼻を拭きながら、セリアン少年はやれやれと世話を焼く。どうやらこの少年、お人好しなのかもしれない。ミリエットは鼻を啜りながら、そう思った。


 ひと段落して、ミリエットは赤みの残る目と鼻のまま、こう宣言した。


「では、ベラスティール侯爵家に居座る継母と継子の方々を、一掃してまいりますね!」


 セリアン様は日が暮れてからベラスティール侯爵家のお屋敷に来てください、と言い残し、ミリエットは走り去った。


 やることが決まれば、あとは進むだけである。



☆★☆★☆★☆★☆★



 ミリエットは、先の事件解決のためエスティナ王国各地の警察関係者、司法関係者に幅広いコネクションを築いていた。それは『過去視』があるからこそ十四歳の少女にできたことであり、おそらく彼女はこれから先エスティナ王国の犯罪を解決するための切り札として活躍していくだろうことが約束されている。


 ゆえに、初めて足を踏み入れた王都においてでさえも、ミリエットの力は存分に発揮された。



☆★☆★☆★☆★☆★



 日が暮れて、少しだけ涼しい風が王都の通りに吹き込む時刻となった。


 セリアンは言われたとおり、日が暮れてから自宅であるベラスティール侯爵邸に戻った。


 今は亡き父、ベラスティール侯はセリアンの母に逃げられてから失意の中にあり、そこに付け込んで子爵家の出戻り娘が子連れで居座り、我が物顔でベラスティール侯爵夫人のように振る舞っていた。もちろん、父ベラスティール侯とセリアンの母との婚姻関係が失われたわけではないのだが、事実婚とばかりに屋敷を占領している継母と継子たちをどうすべきか、とセリアンは頭を悩ませていた。


 無事ベラスティール侯の後継者と認められても、今のセリアンに力があるわけではない。母を亡くして父の元に帰ってきたら、その父は亡くなっていて見知らぬ他人が義理の家族のように振る舞っていた、なんてことを解決する力が十二歳の少年にあるほうがおかしいのだ。


 継母が関係を清算する代わりに財産を寄越せと言われるか、それともセリアンに相続権はないと訴えてくるか、何にせよ頭の痛い問題だった。


 ところが、である。


 セリアンがベラスティール侯爵邸に入ると、出迎えたのは笑顔のミリエットだった。他には、数人の使用人とメイド以外、エントランスには誰もいない。


「おかえりなさいませ、セリアン様」

「え? ど、どうしてあなたがここに」

「ベラスティール侯爵家には、あなたが一人いれば問題ありません。すべて、お引き取り願いました。こちら、関連の契約書となっておりますので、のちほど目を通しておいてください」


 そう言ってミリエットは書類の紙束をセリアンの手に渡した。


 確かに、それらは印鑑やサイン、書式から公的な効力を持つ書類であることが一目瞭然だ。しかし、なぜミリエットがそれを持っているのか。セリアンが説明を要求する前に、ミリエットのほうが先んじて事情を要約する。


「前ベラスティール侯爵と後妻、連れ子らの家族関係は法律上成立しておりませんでしたので、その点を突いて少々の金銭と引き換えに立ち退きを。そちらについていくと申し出た使用人も同じく、また後日素性を洗い出してご覧にいれますわ」


 にっこりとしながらも、ミリエットの手管は恐ろしく素早く、また周到だった。


 目下セリアンの最初の敵を、たった数時間で排除してみせたその手腕は、呆気に取られるばかりだ。おまけに、出ていった使用人の素性を洗い出すなど、その他の尾を引きかねない問題にも対処しようとしている。


 まさしく、開いた口が塞がらない。もはや、セリアンはぐうの音も出なかった。


「ええと、私は今日はこれで。他の雑務は、新しく執事を雇われたほうがよろしいかと。メイドもですね、手配はヴォクサレナ伯爵夫人に頼んでおきます。一両日ほど不便を強いてしまいますが、もしよろしければ私が責任を持って身の回りのお世話をいたしますので」


 ふるふる、と頭を振ったあと、セリアンは一歩踏み込み、ミリエットの両肩を掴んだ。


「すごいな、あなたは」

「そうでしょうか」

「ああ! 心強い味方を得た! 助かる!」


 それは本心からの言葉で、セリアンは喜びのあまりミリエットへ心情を吐露した。ここまで尽くしてくれた相手に、自分の立ち位置を教えないのはアンフェアだと思ったからだ。


「実は、母の遺言でベラスティール侯爵家を維持してほしいと頼まれていたんだ。父には申し訳ないことをしたから、と……義母に散々いじめられ、使用人に手引きしてもらって逃げ出した母は、駆け落ちだ何だと騒がれて、ここに帰って来られなくなった。母に抱かれて幼い私も一緒に、だから」


 その次の言葉を口にする前に、セリアンはミリエットの号泣中の顔を見てしまい、慌てふためいた。


「うわ、泣くな! そんなに泣くことじゃないだろう!」

「だってぇ……悲しくて、悲しくてぇ……!」

「と、とにかく、ありがとう。できれば、これからも助けてもらえると、嬉しい。きっと恩返しはするから」


 セリアンに背中をさすられ、湿気ったハンカチで涙と鼻水を拭いながら、ミリエットは頑張って返事をする。


「はい! お任せを!」


 こうして、新たなベラスティール侯には、婚約者が現れたとの噂が流れるようになった。


 『過去視』の魔女ブライス伯爵家令嬢ミリエットが少年侯爵の後ろ盾になったらしい、その上ヴォクサレナ伯爵夫人も応援しているとか。


 ミリエットはそれ以降、ブライス伯爵家に戻ることなく、甲斐甲斐しくセリアンの秘書として働くことになった。取り調べや犯罪捜査でつちかった舌鋒ぜっぽうとコネクション、手札の多さからセリアンを陰に日向に支え、ベラスティール侯爵家は往年の栄光を取り戻していく。

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