第10話 公子プラシド
アルマナは、初めてブライス伯爵領から出て隣領パペチュエリー公爵領へと入った。
散々自領で暴れ回った
とはいえ、ブライス伯爵もミリエットも後始末で忙しく、手が空いているアルマナ一人でパペチュエリー公爵の招待に応じるしかなかった。
それに——もう一人、アルマナへ招待状を送った人物がいる。
そこまで熱心に誘われては、アルマナ一人でも直接行って歓待を受けるのがマナーというものだ。馬車で三日ほどかけて、アルマナは東の隣領パペチュエリー公爵領へと向かった。
パペチュエリー公爵領はエスティナ王国東の要衝であり、鉄鉱石採掘で有名な鉱山を多数擁する。比較的山がちな土地だが、その分避暑地も発展していて多くの貴族が夏の別荘地を置いており、パペチュエリー公爵は毎年やってくる貴族たちのネットワークを自領にいながらにして掌握していた。
エスティナ王国有数の大工業都市であるパペチュエリー公爵領都ファクデフェルは、大河と石と鉄の街だった。アルマナは馬車の窓から景色を眺め、その発展具合に驚く。
大河上流から大型船で次々と木材が輸入され、領都ファクデフェルでは鉄鉱石を鉄に加工し、大河下流にあるエスティナ王国王都や他の工業都市へと輸出する。おおよそエスティナ王国で使用される鉄の半分以上はこのパペチュエリー公爵領内で作られており、エスティナ王国の第二の心臓とも言えるほど商業的に成功を収めている。武器も建材も金属加工品も、パペチュエリー公爵領産の鉄がなければ作れない、と言っていいほど重要な土地だった。
街道は馬車が十輌近くすれ違えるほど広く、輸送路として縦横無尽に舗装されている。白い石造りの建物はどれも荘厳なクラシックスタイルの建築様式を採用していて、昔からこの土地が栄えてきた証となっていた。鉱山まで運河が拓かれ、鉄鉱石を燃やす木材の運搬船が遡上し、真新しい大量の鉄を積んだ幅広の大型船が鎖で区切られた運河の専用のレーンをゆっくりと下る。領都のすぐ近くにも露天掘りの鉱山があり、観光地として栄えているようだ。
領都ファクデフェル中心部にある、パペチュエリー公爵の居城であるアスィエル城は、山を一つ丸ごと要塞とし、領都ファクデフェルの城壁の中にさらに堅固な城壁がそびえている。元々東の国境を守る城として設計されただけあり、軍事都市としての機能を今も失っていない。
とはいえ、アルマナからすれば、西洋のお城のイメージと随分違っている。
(何かこう、貴族のお城っていうより要塞……庭園もなさそうだし、山の麓から山頂まで歩かないといけないのかしら、これ。そう思うと、ちょっとげんなりするなぁ)
パペチュエリー公爵領にいると、平坦な土地の多いブライス伯爵領と異なり、足腰が強くなりそうである。アルマナは、父ブライス伯爵とミリエットがパペチュエリー公爵領行きにあまり乗り気ではなかった理由が少しだけ分かってしまったのだった。
とりあえず、アルマナを乗せた馬車は一路アスィエル城へ。まずはパペチュエリー公爵と面会しなくてはならない。
ガタゴトと坂道に揺れながら、アスィエル城正門の車寄せに馬車が止まると、正装の儀仗兵隊が並び歓迎のラッパが吹き鳴らされた。いきなりの大音量に驚くアルマナは、開かれた扉から差し出された白い手袋をした手を、まじまじ見つめる。
顔を上げてみれば、その手の主は金縁の詰襟姿の青年だった。いや、まだあどけなさが残る顔立ちは、アルマナとそう年齢が違いそうにない。それに、ふわっとした癖毛の金髪は飴色に近く、
微笑む青年は、差し出した手を一度引っ込め、胸に当てる。
「初めまして、アルマナ嬢。僕はプラシドと申します。現パペチュエリー公爵バジェルネイトが嫡子であり、このたび公爵より仰せつかり、あなたの歓迎会を主催する者です。どうぞ、お見知りおきを」
慇懃に頭を下げ、プラシドはもう一度、アルマナへと手を伸ばした。
しかし、アルマナはまだ手を伸ばさない。不思議に思ったプラシドが声をかけようとすると——アルマナは虫の鳴くような声で、こうつぶやいていた。
「
アルマナは、すぐに我に返った。少し頭を振って、気を取り直してプラシドの差し出した手を取る。
「ごめんなさい、私はブライス伯爵家のアルマナです。お招きにあずかり参上いたしました、このたびはよろしくお願いいたしますね」
「え、ええ。さあ、中に入りましょう。長旅でお疲れでしょうから、まずはゆっくりなさってください」
「ご厚情、痛み入りますわ」
一歩一歩、確かめながら馬車を降りるアルマナを、プラシドは注意深く見守る。
遠巻きにそれを眺めていた兵たちは、思わずざわめく。
「これは……公子にお似合いの、美しいご令嬢だな」
「しかも魔女で将来が約束されているとなれば、公爵閣下もまあ、そのつもりでお呼びしたんだろうな」
「ああ、だろうな。是非とも公子の婚約者に、ということか。それはいい」
誰もがプラシドと並ぶ紫のドレス姿のアルマナを見て、「うちの公子にお似合いだ」と喜ぶ。
先日の事件の礼に招待する、というのは口実で、実際のところは魔女であり大事な公子と釣り合うだけの令嬢と親しくなりたい、というところがパペチュエリー公爵の本当の目的だろうことは、一目瞭然だった。
プラシドとアルマナ、二人が揃って仲良く談笑し、城内へと入っていく様子は、瞬く間に領都ファクデフェル中の話題に上った。
だが、アルマナにとってはそれはどうでもいい。
そんなことよりも、今目の前にいる青年は——アルマナの前世の息子、令詩が転生した人間なのだから。
先に死んでしまったせいで最後まで世話することができず、あの残忍な父親と不倫相手のもとに残してしまった後悔。そして五歳で亡くなってしまった息子への深い憐憫と、今度こそ幸せにするという固い決意。
プラシドに前世の記憶などなかったとしても、前世のことなど何一つ彼が知らなくても、アルマナは無条件に彼を守り、幸せにするとすでに決めている。
そのために、アルマナは存分に『未来視』を使って、彼のためになる未来を模索した結果、とある魔女との話し合いへ出向くことになる。
アスィエル城の長い螺旋廊下を歩き、プラシドの案内で向かった先の客間に入れば、それは始まると知っている。
「どうぞ、こちらが滞在中応接間として使用していただく客間の一つとなります。この部屋から先はすべて自由に使ってください、それから……あっ」
プラシドは、客間のソファに座る先客に気付いた。
長い白髪を後頭部にまとめ上げ、ルビーの髪飾りをしたベルベットドレスの老女が、足を組んで座っていたのだ。
「遅かったわね、プラシド。それに、魔女アルマナ」
しわがれた声だが、重圧感がある。
老女は二人を見て、わずかに目を細めた。
「ご挨拶が遅れたわ。私は魔女ラティーナ。『炎熱視』のパドレ女大公ラティーナ、と言ったほうが分かりやすいかしらね」
そこの公子プラシドの大叔母よ、とラティーナは付け加える。
すかさず、アルマナは一歩進み出て、ドレスの裾をつまんでゆっくりと一礼した。
「初めまして、ラティーナ様。少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
困惑するプラシドと違って、まるですべてが分かっているようにラティーナは頷く。
「ええ、よくってよ。そのために来たのだから」
ラティーナは赤い瞳でプラシドに目配せし、退室を促した。
それは気遣いであり、本来高貴な身分であるラティーナにとってはする必要のないものだが、相手が魔女であれば話は別だということだろう。
同じ魔女であるアルマナを、魔女ラティーナは歓迎し、わざわざ出向いてまで話をしにきた。
パペチュエリー公爵との面会の前に、とんでもない大物との会談に臨む羽目になったアルマナは、プラシドを笑顔で見送り、ラティーナの前の席に着いた。
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