第45話 アンナおばさんとアン王女


 自宅に戻ったが、姉はすっかり魂が抜けたような状態でいた。父や母が彼女を慰めようと色々と話しかけているが、ほとんど反応せずに椅子に座ったきりだった。


 僕の心の中で何かが引っかかっている。そう、何かが。


 僕はブラッドフォード家に来てからアン王女に会ったことはない。この2年間はほぼ自宅に放って置かれた状態だったからだ。ブラッドフォード家の恥ということで、華やかな場所には出してもらっていなかったので、この前の晩餐会が僕の社交デビューだったのだ。


 どこかで…… 何かが引っかかっていた。記憶の奥底に。


 そうだ。僕は思い出した。


 僕が庶民として生活していた頃、お世話になっていた一人の女性の姿がアン王女と記憶の中で一致した。


 アンナおばさん。


 僕が庶民として生活していた頃、彼女は慈善活動で僕らの街で活動していた。


 数人の身分の高そうなご婦人たちのリーダー格として働いていたが、薄汚れたローブをまとい、一番貧しそうな身なりをしていた。誰とも分け隔てなく話をして、貧しい子供達に文字を教えたり、身寄りのない老人たちの世話などをしていた。


 僕も勉強を教えてもらい、その時、とても可愛がってもらったことを覚えている。彼女の慈愛に満ちた表情や身なりからは、とても今のアン王女とは結びつかなかったのだ。


 アン王女は、アンナおばさんだったのか?


 そんなことがあり得るのだろうか。仮にも王国トップの人間が貧しい身なりになって献身的に慈善活動をするなんて……


 そして、もう一つ引っかかっていたことがある。もちろん、スープの件だ。


「姉さん、聞きたいことがあるんだけど」


 姉はぼんやりとして目でこちらを見た。


「もしかしたら、スープは試練のたびに出されていたんじゃないんですか?」


「スープ。ああ、そうよ。最初は農家の人の生活が貧しいので、そんなものしか出せなかったのかと思っていたけど。商人の家でも出たし、それに、なぜか王宮でも仕事の後に出されたわ。何か嫌がらせみたいだったから、最後は口もつけなかった」


「何かわかったのか?」と父が聞いた。


「ええ、あれはおそらく、終戦記念日にどの家でも食べるスープです」


「終戦日に。ああ、あれか。うちでも食べるじゃないか」


「ええっ、全然違うわよ。出されたスープは薄い塩味の野菜クズしか入っていないやつよ」


「そうです。それが本来、終戦記念日に食べるべきスープなんです。おそらく、戦争で庶民たちが飢餓で苦しんだことを忘れないようにという想いがこもったものです。僕もこの2年間は食べてなかったので忘れていたんですが」


「そんなことで、こんな目にあわなければならなかったのか?」


 父は憤った声を出した。


「大戦中、庶民の間では餓死者が続出しました。平時と変わらない生活をしようとして、貴族たちが無理な徴収をしていたせいだと言われています。本来、貴族こそがその過ちを忘れないようにしなければならなかったはずなのに」


 おそらく、庶民の味方であるアン王女は、大戦後の反省を強く貴族たちに求めていたのだ。だから、その自覚がないものを王太子妃に選ぶわけにはいかなかったのだろう。彼女にとってはささいなことではなかったのだ。


 そして、アンナおばさんがアン王女だというのも間違いないだろう。彼女は慈善活動をしないではおれなかったのだろう。自分が魔王軍と戦ったことで庶民たちを苦しめてしまった、罪滅ぼしのために。


 皆は黙ってしまった。もう終わったことなのだ。これ以上何か言っても仕方がない。姉は母に連れられて寝室へと消えていった。父も物憂げな顔をして書斎へと戻っていった。誰もが次にいうべき言葉を見失ってしまっていた。


 ◇


 自室に戻ると、猫のポピーがクッションの上ですやすやと眠っていた。僕はポピーを起こさないように、静かに歩いて寝床に潜り込んだ。


「僕はやるべきことを全てやったと言えるのだろうか?」


 自分に問う。


 窓から月明かりが入り込み、風はもう秋の香りを運んでいた。


 だいぶ昔の話だ。一庶民である僕の顔など、アン王女は覚えていないだろう。こんな夜中に会いにいってもおそらく門前払いどころか監獄に連れて行かれるのがオチだ。


 だが、このまま、朝を迎えたら、王宮から正式な通達が来る。そして姉は修道院送りになる。そこからは一生出られないだろう。アン王女の様子からは、後から撤回できる可能性も絶望的だった。


 ”破滅フラグ”は王立学校に行ってからのものではなかったのか。僕や姉は事前に動きすぎたのだろうか


 だが……


 僕は姉に救われ、そして、今では何不自由ない暮らしができている。誰も僕をいじめる人はいない。周囲の人からは少しづつ受け入れられもしてきた。


 僕は立ち上がると、猫のポピーの寝顔を眺めた。ふわふわした毛先が月明かりでキラキラと光っていた。僕は彼女の頭をそっと撫でた。ピクリと動いたが、また彼女は静かに寝入ってしまった。


「行ってくるよ」


 僕は一言そう呟くと、部屋を出ていった。


 ————————————

 現在、カクヨムコン9に参加中です😊

 評価⭐️やフォローしていただけると大変ありがたいです。


 よろしくお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る