ミッタンがいた
ミッタンが「伝説」をつくった事件がある。
五年二組の教室は講堂の二階にあり、校庭からコンクリートの外階段でつながっている。
一学期が始まってすぐの昼休み。ミッタンはこの階段で、あるチャレンジを見事にやってのけた。
給食パンのコンテナを持って階段の一番上に立ったミッタンは、
「ミタニ隊員、いってまいりまーす」
と敬礼をしてコンテナに乗り込み、そして一気に階段をすべり落ちた。
ガタガタと音を立ててコンテナが加速し、ミッタンの丸めた背中が小さくなっていく。
「オーッ!」という声があがる。
ボクたちが食い入るように見守る中、コンテナは真ん中の踊り場で一度小さくはねた後、着地した校庭の地面で大きくバウンドし、五メートルほど先まですべってやっと止まった。
「ウオーッ!」
一段と大きな歓声が上がった。
立ち上がったミッタンはボクたちの方を見上げ、お尻をさすりながら最高の笑顔で敬礼ポーズをした。
ボクたちはその勇気を称えて、「伝説の階段ジェットコースター」と名づけた。
学年主任のイマニシに校長室へ連れて行かれたミッタンは、「へへ」と笑いながら、そうじの時間に教室に帰って来た。
ボクたちは手拍子と「デ・ン・セツ!」のかけ声で迎えた。
そのミッタンが転校することになった。
ミッタンはお母さんと高校生のお姉さんとの三人暮らし。
お父さんがいない理由は聞いたことがなく、町外れの団地に住んでいた。
急に決まった引っ越しの理由もミッタンは言わなかったので、みんなも聞かなかった。
電車で一時間ほど離れた町に越すらしい。
お姉さんとイシダさんちの納屋に忍びこんで、ボヤさわぎを起こしたことがあった。
交番に連れて行かれてみっちり怒られたらしい。
その時の話を聞いてもくわしくは話さず、ただ「へへ」と笑っていた。
転校の話をした日、「最後に何やりたい?」と、誰かが聞いた。
ミッタンは「考えてくる」と答えた。
ミッタンは先日も授業中、ニシモト先生に向かって「ねえちゃん」 と呼びかけ、クラスが大爆笑になった。
「あっまちがった」と頭をかきながら恥ずかしそうにしていた。
これまでにも、給食のカレー三杯と牛乳三本を飲んでお腹が痛くなって保健室に運ばれたり、走り幅跳びで体操着のお尻が見事に割けて、グンゼのパンツが丸出しになったり、そんなところがミッタンの人気者たるゆえんだった。
ミッタンはどんなに遊びに夢中になっても、必ず五時には家に帰る。
お母さんは昼と夜の仕事をかけ持ちしていて帰りが遅い。
お姉さんがスーパーのアルバイト帰りに惣菜を買って、七時過ぎに帰って来る。
それまでにご飯を炊いて、味噌汁を作っておくのがミッタンの役割だ。
「オアゲ、トウフ、ワカメの三種類作れる。次はサツマイモをマスターする」
そう言って「へへ」と笑った。
お姉さんと、となりんちのサチって女の子と三人で晩ごはんを食べるらしい。
となりの家との関係は知らないし、ミッタンも「ひとりでかわいそうだから」としか言わない。
転校することを発表してから一度だけ、「サチが心配」って言った。
ミッタンの「最後にしたいこと」は「みんなといつも通りにすごす」だった。
最後の登校日も、先生が六時限目の体育の時間をお別れ会に変更した以外は、朝から普段通りに過ぎていった。
お別れ会では男子の何人かがそれぞれ持ちよった「宝もの」をミッタンに渡した。
テルはランボルギーニのミニカーを、ヒロは貝の化石を、アッキはギターのピックを、ボクは怪獣カードを。
みんなで書いた寄せ書きと、女子たちが手作りした紙のブーケを贈った。
ミッタンがお別れのあいさつをしようと前に立ったが、すぐにしゃくり上げるように泣き出した。
これまで警察やイマニシに、どれだけ叱られても泣かなかったミッタンが、今わんわん泣いている。
なかなか言葉にならず、やっと聞き取れたのは「二組だいすき」だった。
「伝説は語りつぐぞ!」と誰かが言うと、「パンツ丸出し事件もな!」の声が続き、クラス中に笑い声と鼻をすする音が交差した。
最後にミッタンが「遠足行きたかった。みんな、さよなら!」と叫んだ時、お腹に力が入ったのか、「ブーッ」という大きな音が教室にひびいた。
テルが「くっせー」と言い、みんな腹を抱えて泣いた。
ミッタンは最後の最後まで、ボクたちのミッタンだった。
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