90.嫉妬の瞬間 ②

 依織は二人の関係に疑問を抱き、忍び足で10メートルの距離を取り、二人を追っていた。


 二人は中庭の回廊を通り抜け、教室棟の裏手に出た。さらに白い石のタイルが並ぶ歩道を歩き、緩やかな斜面を上がっていくと、視界が広がる高台に辿り着いた。そこには天然の石で作られたベンチが点在し、ペルシオンの訓練場を見渡すことができた。その広さは公式のサッカー場一面ほどで、観客席として使える下向きの階段もあった。訓練場は何もない平地で、遠くには人工の池があり、天然の水泳プールとしてよく使われているようだ。


 ペルシオンの絶景の一つであるこの高台に到着すると、リーゼロティは小木の植物が植えてあり、木陰を作るベンチの空席に腰を掛けた。


 そのベンチはもう一人しか座れないスペースがあり、座れば二人は見つめ合う形になる。トオルにはクロディス以外の女性とこんなに密着して座るのは初めてで、血の繋がっていない女性とこんなに近い距離感を取ることに躊躇していた。

居ても立っても居られないリーゼロティは顔をやや仰ぎ、軽くポンポンと空いているスペースを叩き、トオルを誘った。


「トオル様、立って話すのは疲れるでしょう?どうぞ、空いている席に座ってください」


「うん、すまん」


 トオルは断らずに腰を掛けた。濃い花のような香水の匂いが鼻をかすめる。彼女に顔を向けると、彼女の顔が非常に近くに見える。それを意識したトオルは体が硬直し、自分の膝を見つめていた。


 トオルはリーゼロティのことを聞くために、しばらく何も考えずに頭を空白にし、自分の思いを後に置いていた。


 しかし、元々内気なリーゼロティは念話のスキルを頼りに、相手の気持ちを読み取り、相手の心情を感じて対応を調整していた。思いを完全に真っ白にさせたトオルに対して、リーゼロッティは自分の思いを伝えられず、何も話せないまま意識が交わらない時間が長く続くと、リーゼロティは首肩を縮め、顔が真っ赤になり、頭が爆発しそうになった。


(……感情の色が全くない灰色になるなんて、彼はただ私のことを聞きたいだけなの?……こんな意識を触るのは初めて、なんて生真面目な人……)


彼女の思念をはっきりと感じ取ったトオルは顔を背け、手指で頬を掻きながら、この話しづらい雰囲気を解消する方法を考えた。


トオルはクロディスの教えを思い出す。


(女の子と意識を交わすときに、空気が淀んでいる場合は、彼女の意識が何らかの理由で話しづらいからなの。そんな時にはトオルの意識でリードしてあげましょう。話題を聞きながら、気分が流れたら、相手の気分も気楽になるよ)


――うーん、とりあえず、何か話題を作らないと。


トオルは勇気を絞って声を掛ける。


「リーゼロティさん」


「は、はい、何でしょうか?」


トオルは彼女を真っ直ぐに見ず、胸元を彼女にやや向けて、遠くのベンチを見ながら話しかける。


「昨日渡した指令回紋マンダキューを書き直した錬晶球はうまく使えていますか?」


「あっ、はい、とても使いやすくなりました。反応が遅延することもなく、思い通りにすぐに変化し、源気グラムクラカの過剰反応によるクロルの焼却問題も解消されました」


「それはよかった。核の焼却の切り替え整備はポイントがかかるよね?」


「はい、それでよく助けてくれました。ありがとうございました。その代わりにトオル様に相応しいポイントを送りました。ご確認になさったんでしょうか?」


「あ、いや、それが忘れてた。ちょっと確認する」


 トオルは自分のマスタプロデタスを取り出し、ポイント表示の画面を見た。EPポイントに300,000ポイントが増えているのを見て、目を丸くした。トオルにはこんな数字を一回で納入されたのは生涯に初めた。あまり多すぎて体がぶるぶる震えている。


「あ、あの、リーゼロティさん、こんな多額なポイントをもらっていいのか?」


「何か間違いがありましたでしょうか?」


「いえ、どこからこんな多いポイントを貸せたのかわからないけど、僕にこんな多いポイントをもらって生活に支障がなれないのか?」


(ああ、それは気にしないでください。それは入学する前に、私が貸せたポイントです。財産をちゃんと管理しているので、生活に支障はありません)


「そうだったのか、元アトランス界の住民のポイントは入学前に持っていたポイントをそのまま使えるのか……」


リーゼロティはトオルの混乱した思いを感じ取り、気にして尋ねる。


(結構戸惑いましたね。トオル様にご都合があわないでしょうか?)


「ぼくはアトランス人の金銭感覚がよくわからないんだけど、こんな大したこともないことでこんな多額のポイントをもらうのはもったいないかなと思って」


(そう思ってはいけません。トオル様は素晴らしいスキルを持っていますよ。普通、錬晶球の核が焼却された整備には高くでも300ポイントかかります。もし、毎日使う錬晶球の頻度を1ヶ月に計算すると1,000回くらいです。だから、このポイントを送ったのです)


そう言うと、リーゼロティはまた言い過ぎたことに気づき、また頬を抱えた。


(あうう、私はまたトオル様に失礼なことを言いました……)


しばらく頭を冷やしたリーゼロティは謝った。


(申し訳ありません……トオル様は本当に凄いスキルを活かしているのに、私は地味に言いました)


(いや、それはぼくには過大評価だ。100ポイントくらいもらえば十分だ)


――本当に、ポイントをもらいたいと思わなかった。


 トオルにとって、指令回紋の書き直し作業は、0から書くのではなく、重要な部分のタグと数値を改ざんするだけであり、既に描き上げた文章の一部を消しゴムで消し、鉛筆で修正するようなもので、実際には大きな作業ではなかった。また、同じクラスのクラスメイトにサービスを提供するのは無償だと思っていた。なので、今はリーゼロッティの気前の良さに驚いていた。


(多分、トオル様はみんながポイントの使い方をわからないみたいですね。請求方がはっきりポイントを言わない場合は、依頼方が思った消費基準に任せることになります。私は機元や指令回紋のことがさっぱりわからないので、トオル様が私の悩みを解決したその価値をポイントでお返しするのが相応しいと思います)


リーゼロティの意識を感じ取り、理解した。


――それは、はっきり請求したいポイントを言ってないぼくのミスか……僕は無償で言うべきか……


(ありがとう、リーゼロティさんのポイントは、もっと大切に使えば良いのに……)


(お謙遜な方ですね。これは私の気持ちなので、トオル様は胸を張って私のポイントを受け取ってください)


――なんて気前の良い人だ。入学前にこんなに沢山ポイントを儲けたのは、まさか、何処かの豪族出身の令嬢ではないよな?


「褒める意味で、リーゼロティさんは気前な良い人ね」


トオルの顔を見つめるリーゼロティは目を細めて微笑んだ。


「多く稼いだそれは、私の自力で貸せましたよ」


リーゼロティは訓練場に目を向け、遠くの空を見て言った。


「ハルオーズ人の国に生まれた私は、例えミラティス人の血筋が半分を恵まれでも、フェトアンフェラスト連邦に生きるのは、生家とは関係なく、私の自力で生きてきました」


 トオルはリーゼロティの思念を感じ取り、その感情は相当な苦労をかけたものであると察した。彼女が詳しい思い出を語ることはなかったが、トオルは彼女の生活がどんなものであったかを知ることはできなかった。しかし、自分がアース界で叔父の家を離れて一人で暮らしていた高校生活を振り返り、自力でやってきた彼の感情はリーゼロッティに共感できるものであった。


「何もかも全部自力で生きてきた人は凄いと思います」


「でも、嫌な人事もあり、苦労な日々も過ごしましたが、恩人の方々に助けられたお陰で、他のハルオーズ人ハーフよりも幸せに恵まれたかもしれません」


「そうなんだ」


トオルはリーゼロティの思念に触れ、不意に温かい気持ちを感じた。トオルがこんな気持ちを感じるのは初めてであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る