乳房星(たらちねぼし)−1・0

佐伯達男

第1話・風のララバイ

【いぬのおまわりさん】

時は、1981年7月29日の昼過ぎであった。


(ミーンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミンミーン〜ブロロロ…ピヨ、ピヨピヨ…カッコー、カッコー、カッコー…)


この日は、ものすごくむし暑い日であった。


場所は、今治市中心部のドンドビ交差点にて…


歩行者用の信号が青になったと同時に、信号待ちをしていたおおぜいの歩行者たちがスクランブル交差点を渡りだした。


私・コリントイワマツヨシタカグラマシーは、ショルダーバッグを持ってスクランブル交差点を渡ったあと、すぐ近くにある今治大丸(デパート)へ向かった。


暑い…


昼前の天気予報で西日本を中心に最高気温が35度以上になると報じられていたんだ…


…………


大急ぎで、デパートの中に入らなきゃ…


ところ変わって、今治大丸の一階の売場フロアにて…


ショルダーバッグを持っている私は、歩いてエスカレーターへ向かっていた。


この時であった。


「ビエーン!!」


一階の売場フロアに小学生の男の子の泣き声が響いた。


泣き声を聞いた私は、大急ぎで現場へ向かった。


ところ変わって、下りのエスカレーター付近にあるブティックの前にて…


「ビエーン!!ビエーン!!ビエーン!!」


泣いている男の子は、黄色のリュックサックを背負った状態で座り込んでいた。


泣いている男の子は何年生だったか分からないけど、背が小さめでデニムの短パンと半そでのシャツを着ていた。


リュックサックを背負っている…と言うことは、この子は遠方から今治ここまで一人で来たのか?


…………


たいへんだ!!


大急ぎで保護しなきゃ…


私は、大急ぎで男の子を助けに行った。


私は、泣いている男の子に声をかけた。


「坊や、どうしたの?」

「えーんえーん…おうちに帰りたいよぅ~」

「おうちに帰りたい?」

「えーんえーん、ママがいるおうちに帰りたいよぅ〜」

「坊や、この近くに警察署があるから一緒に行こうね。」

「うん…」

「すみません!!今から泣いている男の子を警察署へ連れていきます!!すみません!!」


私は、周りに男の子を警察署につれていくことを伝えたあと男の子を連れて店内から出た。


急がなきゃ…


急がなきゃ…


急がなきゃ…


私の気持ちは、ひどくあせっていた。


またところ変わって、今治警察署の生活安全課セイアンの部屋にて…


私は、泣いていた男の子を連れてここへやって来た。


私は、周りにいた職員たちに対して大丸の一階で泣いていた男の子を保護したあとここへ連れてきたことを伝えたあと、男の子を職員たちに引き渡した。


その後、私は警察署から出ようとした。


だが、職員たちに『待ってくれ〜』と言われて引き止められた。


私は、ものすごく困った表情で言うた。


「ちょっと、なんで止めるのですか〜」


私を止めた職員たちのひとりがものすごく困った表情で言うた。


「あの…しばらくの間ここにいてください…」


私は、怒った声で職員に言うた。


「なんで私がここにいなきゃいかんのですか!?」


職員は、口ごもった声で私に言うた。


「ですから、しばらくの間ここにいてください〜」

「おまわりさん!!私は男の子を保護したあとここにお連れしただけですよ!!」

「わかってますよぅ〜…ですが、しばらくの間ここにいてください〜」

「おまわりさん!!」

「なんでおますか?」

「私は、ゼンイで人助けをしたのですよ!!」

「わかってますよぅ〜」

「それなら私をここから出してください!!」

「わかってますよぅ〜…ですが、このままで終わらせることができないのです…」

「それはだれが言うたのですか!?」

「だれだっていいでしょ〜」

「コラ!!」

「ヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ〜…そんなに怒らないでください…あの…その…」

「私がなんでここにいなきゃいかんのですか!?」

「ですから、男の子の親御さんに顔をあわせてほしいから…」

「コラ!!」

「ヒィィィィィィィィィィィィィィィ〜…」

「結局はカネもらえと言いたいのだろ!!」

「そうですよ…」

「オレはカネ目当てで人助けをしたわけではないのですよ!!」

「わかってますよぅ~…でも、少しくらいはもらった方が…」

「ふざけるな!!」

「ヒィィィィィィィィィ〜」


私と職員は、このあともヨレヨレになるまで大ゲンカをした。


その日の夜のことであった。


私は、警察署内にある留置場で寝泊まりするハメになった。


ああ…


とんだ災難に遭った…


部屋の片すみに座っている私は、そうつぶやいた。


この時私は、自分が生まれた時のことを思い出した。


あれは、1947年9月21日の午後1時過ぎであった。


場所は、越智郡玉川町の鈍川温泉郷にぶかわおんせんにて…


事件は、温泉街からうんと離れた場所にある料亭で発生した。


この付近で、1時間に100ミリに相当するし烈な雨が降っていた。


事件は、料亭内の大広間で発生した。


料亭の大宴会場では、結婚披露宴が執りおこなわれる予定であった。


この時、チンピラたち50人が大宴会場に乱入した。


宴会場は、シュラバと化した。


ことの発端ほったんは、新郎さんの大叔父おおおじチンピラのひとりを刃物でりつけて殺したことであった。


そのまた原因は、新郎さんの大叔父おおおじは、2日ほど前に50人のチンピラたちと花札ふだをしていた時にイカサマしたことであった。


新郎さんの大叔父おおおじに殺されたチンピラは、大叔父おおおじに対して『イカサマしやがったな!!』と言いがかりをつけた。


ブチ切れた大叔父おおおじは、刃物でチンピラを刺し殺した…


…という事であった。


50人のチンピラたちは、殺された仲間のカタキちをするために料亭ここへなだれ込んだ。


(ズドーン!!ズドーン!!ギャーッ!!)


大宴会場に、銃声と親族たちのけたたましい悲鳴が響いた。


そんな中であった。


純白の文金高島田はなよめいしょう姿の花嫁さんが100人の子守女さんたちにまもられながら料亭から脱出した。


花嫁さんは、言うまでもなく私の産みのママである。


「大丈夫!!もう少しで車にたどり着くわよ。」

「大丈夫よ。」


子守女さんたちは、身重のママにやさしく声をかけながら車に向かって歩いた。


ママは、100人の子守女さんたちと一緒に現場から300メートル先に停車している白のワゴン車へ向かった。


私・イワマツは、ママの胎内なかにいた。


「時間がないわよ!!急いで!!」


ワゴン車に乗っている女性は、花嫁姿のママをまもっている子守女さんたちに呼びかけた。


子守女さんに呼びかけた女性は、私の育てのマァマ(パク・ジナ〜当時26歳・母子保護施設のスタッフさん)であった。


文金高島田はなよめ姿のママは、子守女さんたちと一緒にワゴン車に乗り込んだ。


子守女さんたち100は、前後に待機している複数のワゴン車に分乗した。


「大丈夫?」

「くすんくすんくすん…」


文金高島田はなよめ姿のママは、車に乗り込んだあとマァマに抱きついてくすんくすんくすんと泣いた。


(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!)


その時であった。


ものすごくおそろしい地鳴りが遠くから響いた。


うんと遠くで、土石流が発生したようだ。


じきここも大量の土砂に埋もれてしまう…


急げ!!


時間がない!!


この時、ママとマァマたちが乗っているワゴン車の前に停車していた黒のニッサンパッカードの後ろの席の窓がひらいた。


窓の中から、焼きソバヘアで黒のサングラスをかけている男が顔を出した。


男は、南予の喜多郡の薬問屋『溝端屋』の番頭ばんとはん・竹宮豊国であった。


番頭ばんとはんは、まだ車に乗っていない子守女さんに対して『早くしろ!!』と怒鳴りつけた。


ママとマァマたちが乗っているワゴン車の前後に停車している20台のワゴン車に子守女さんたち全員が乗り込んだ。


その後、合計22台の車両くるま事件現場げんばから一斉に出発した。


車22台は、鈍川温泉郷にぶかわおんせんから出発したあと国道317号線〜県道北条玉川線を通って風早町(今の松山市)へ抜けた。


その後、国道196号線を通って松山市中心部へ向かった。


一行は、夜8時過ぎにドナ姐はんが営んでいる置屋に到着した。


ドナねえはんと合流した一行は、それからすぐに出発した。


(ボーッ、ボーッ…)


一行は、翌日の深夜2時頃に三津浜港を出発した防予汽船のフェリーに乗って旅に出た。


それから2時間半後に、一行が乗っているフェリーが柳井港に到着した。


その後、車に乗りかえて国鉄下松駅へ向かった。


(ピーッ、ゴトンゴトンゴトン…)


明け方6時過ぎ、一行は国鉄下松駅から汽車を乗り継いで横浜駅へ向かった。


(ボーッ…)


その翌日、一行は横浜港から特大旅客船に乗って大海原を渡った。


船は、日本を出国してから4日目にアメリカ西海岸のシアトルの港に到着した。


アメリカ太平洋時間の9月30日午前9時頃であった。


シアトルに到着した一行は、チャーター機に乗ってアメリカ東海岸のボストンの空港へ向かった。


ボストンに到着したのは、その翌日の朝9時頃であった。


それから100分後に、一行はボストンの空港からヴォンヴァルディア機に乗り継いでカナダ・プリンスエドワード島へ向かった。


一行が乗っているヴォンヴァルディア機は正午過ぎにプリンスエドワード島のシャーロットタウン空港に到着した。


それからまた30分後に一行はマイクロバスに乗ってフレンチリバーにある広大な土地に向かった。


昼1時半頃であった。


一行が乗っているマイクロバスがフレンチリバーにある広大な土地に到着した。


広大な土地には、緑の切妻屋根の家がぽつんと建っていた。


マイクロバスから降りた一行は、緑の切妻屋根の家に入った。


家の中は、かわいい家具類などがならんでいた。


一行は、実母の出産に備えてこの家に移り住んだ。


その翌日であった。


ところ変わって、キャベンディッシュ教会のチャペルにて…


一行は、チャペル内でケントさんルイザさん夫妻と合流した。


このあと、一行は実母の胎内なかにいる私が生まれてくる時に備えて諸々の手続きを始めた。


10月15日に諸々の手続きが完了した。


これにより、私の本籍地はカナダ・プリンスエドワード島のフレンチリバーとなった。


時は流れて…11月10日のことであった。


またところ変わって、内モウコ自治区東部にある国境の町・マンシュウリに到着した。


マンシュウリは、中国とモンゴルとソヴィエトの三つと国境を接している人口17万人の都市まち


19世紀まではのどかな遊牧地であった…


20世紀初頭に鉄道が開通したのを機に、国際貿易都市・中ソ間の交通の要所として発展した。


(ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ピーッ…)


駅の構内に、ソヴィエトから運ばれてきた物資を積んだ貨物列車がゆっくりと通過した。


市街地には、たくさんの高層ビルが建ち並んでいた。


ところ変わって、東世紀大街にある大型病院にて…


大型病院には、私の実父のコリンチャンスイワマツキザエモンセヴァスチャンが入院していた。


病室には、セヴァスチャンじいさんと番頭ばんとはんと番頭ばんとはんが雇った付き人軍団の男たち50人が待機している。


番頭ばんとはんは、セヴァスチャンじいさんと密談をしていた。


竹宮たけみや…」

「へえ。」

「例のアレは大丈夫か?」

「はっ…例のアレは、フレンチリバーにいるケントさんご夫妻にすべて託しやした…じいさんのユイゴン通りに、イワマツの財産書に記載されている全財産は、きょうこさんの胎内なかにいる息子・コリントイワマツヨシタカグラマシーに行き渡るように手はずを整えやした。」

「ホーデ、ホーデ…」

「それでは、例の公正証書遺言ユイゴンジョウは、読み上げても構いませんか?」

「ああ…そうしてくれ…大急ぎで手はずを整えてくれ。」

「へえ。」


番頭ばんとはんとセヴァスチャンじいさんの密談は、約40分間に渡ってつづいた。


時は、私が生まれてくる2日前の1947年11月28日頃であった。


ところ変わって、カナダ・プリンスエドワード島のキャベンディッシュにあるゲストハウス内にあるレストランにて…


レストランの座席に、大きなからだを抱えている実母とマァマたちと大番頭おおばんとはんと事務長じむちょうはんと宮出さんとケントさん夫妻が座っていた。


午後1時頃に、番頭ばんとはんがレストランに入った。


番頭ばんとはんは、大番頭おおばんとはんたちに会議を始めることを伝えた。


「たいへんながらくお待たせしやした。」

「ほな、ぼちぼち始めまひょか?」


大番頭おおばんとはんは、事務長じむちょうはんに『例のアレを…』と伝えた。


例のアレとは、公正証書こうせいしょうしょに書き換えたセヴァスチャンじいさんの遺言ゆいごんである。


セヴァスチャンじいさんが書いた遺言書ゆいごんしょを全部破棄した上でイワマツの全財産すべてを実母の胎内なかにいる私に所有権を早期に移すことが訣定けっていしたので、公正証書遺言ユイゴンジョウの中身を公表することにした。


公表したあとイワマツグループとイワマツ家の財産を実母の胎内なかにいる私にジョウトされることになっているけど、より厳しい条件がついていた。


私自身がより厳しい条件を全部クリアするまでの間は、イワマツグループとイワマツ家の財産一式は大番頭おおばんとはんたち連帯後見人の預かりとなる。


事務長はんは、実母の近くにいる施設のスタッフさんたち5人に対してこう言うた。


「すまんけど、きょうこのパンティを脱がしてくれるか?」


施設のスタッフさんたちは、なにも言わずに実母が着ていたマタニティショーツを脱がした。


その後、施設のスタッフさんたちは事務長はんに赤ちゃんが生まれてくる部分を向けた。


胎内なかにいる私に対して、事務長はんはより厳しいメッセージを送ろうとしていた。


事務長じむちょうはんが公正証書こうせいしょうしょが入っている封筒をはさみでゆっくりと開封したあと、中身を取り出した。


その後、事務長じむちょうはんは実母のちつに向けて書面に記載されている文書を読み始めた。


まず、事務長じむちょうはんは、本籍地をフレンチリバーに移したいきさつを伝えた。


「まず最初に、コリントイワマツヨシタカグラマシーの本籍地をフレンチリバーに移したいきさつについて申し上げる…実の父親ときょうこは、1947年1月に両方の戸籍抄本こせきしょうほん愛媛県周桑郡壬生川町えひめけんしゅうそうぐんにゅうがわちょう(今の西条市)の役場に移したあと、婚姻届を提出した…保証人は、町内で暮らしているセヴァスチャンじいさん(実父)の知人夫婦である…夫婦は模範的もはんてきで社会的信頼があつい方なのでの保証人と認定した…これにより、コリントイワマツヨシタカグラマシーの出生届はここ(キャベンディッシュ)の役場で提出できるようになった…よって、コリントイワマツヨシタカグラマシーの出生地ならびに本籍地はカナダ・プリンスエドワード島・キャベンディッシュ・フレンチリバー…である!!」


長い前置きを述べた事務長はんは、このあとイワマツの全財産すべてを実母の胎内なかにいる私に所有権を全部移すことと生まれて来たあとの人生設計ライフプランについて読み上げた。


「ひとつ…イワマツグループとイワマツ家の財産書に記載されている全財産すべてを、コリントイワマツヨシタカグラマシーに名義変更する…ただし、そのためにはより厳しい条件をすべてクリアすること…なお、正式な所有権を得るまでの間は連帯立会人れんたいたちあいにんのもとで預かりとする…所有権の効力が生じる条件を説明する…ひとつ、満18歳の誕生日を迎える1965年11月30日午前0時に仮の所有権が生じるが引き続き連帯立会人れんたいたちあいにんの預かりとする…ひとつ…正式な所有権を保有するためには法的な諸手続きを完了させること…ひとつ…公正証書遺言ユイゴンジョウにしるした人生設計ライフプランニング通りの生き方をおくること…である…なお、コリントイワマツヨシタカグラマシーに不測の事態が発生した場合は、イワマツの全財産すべては再び連帯立会人のもとで預かりとする…また、不測の事態が発生したによりプロジェクトがすべて停止した場合…連帯立会人れんたいたちあいにんはイワマツの独立と安全を死守する義務を全うすること…」


ひと間隔あけて、事務長じむちょうはんは強い口調で私の人生設計ライフプランを発表した。


私の人生設計ライフプランはより過酷な内容がしるされていた。


事務長じむちょうはんは、実母の胎内なかにいる私に対して、より厳しい条件を突きつけた。


「つづいて、コリントイワマツヨシタカグラマシーの人生設計ライフプランを発表する…心して聞くがよい…ひとつ・『教育』…コリントイワマツヨシタカグラマシーは、日本の国の小学校・中学校・全日制の高等学校へ通うことを厳禁げんきんとする!!」


事務長じむちょうはんは、実母の胎内なかにいる私に『日本の小学校・中学校・(公立私立問わずに)全日制ぜんにちせいの高等学校ヘ行くな!!』と厳命げんめいした。


それを聞いた施設の女性スタッフさんふたりが、おどろいた声で言うた。


「えー、そんなー!!」

「あんまりだわ!!」


事務長じむちょうはんは女性スタッフさんふたりに対して『静かにせえ!!』と怒鳴りつけたあと、理由を説明した。


「理由はある…学校は楽しい時間を過ごす場所ではない!!…行事ごとがたくさんある、土曜日半休バンドン、夏休み冬休み春休み…休みがたくさんあるからと言う…全くけしからん!!…休みと友だちの家に遊びに行くことしか知らないヤカラどもがいる小学校・中学校・全日制高校コーコーに行ったら…コリントイワマツヨシタカグラマシーは100パーセントダメになる!!…大学も大学だ…サークル・合コン・合宿などが目的で大学に行くやつらばかりがいるからますますけしからん!!…そんな大学に行ったら、コリントイワマツヨシタカグラマシーは100パーセントダメになる!!…よって…日本の学校へ行くことは厳禁げんきんだ!!…同い年の子どもたちと楽しい時間を過ごすことは厳禁げんきんだ!!」


事務長じむちょうはんは、ケンカ越しの口調で言うた。


女性スタッフさんふたりは、事務長じむちょうはんに対して異議いぎを唱えた。


異議いぎあり!!」

「うちも異議いぎあり!!」


事務長じむちょうはんの端にいた大番頭おおばんとはんが女性スタッフさんふたりを怒鳴りつけた。


「あんさんら!!だまって聞きなはれ!!」

「なんでジジイが横から入って来るのよ!!」

「そうよそうよ!!」

「やめなさい!!…すみませんでした…」


この時、マァマが大番頭おおばんとはんに対してペコペコと頭を下げてわびたあと女性スタッフさんふたりを必死になだめた。


このあと、事務長じむちょうはんは私の『教育』に関する事項をすべて読みあげた。


つづいて、『恋愛・結婚』に関する事項が発表された。


「つづいて、『恋愛・結婚』の項目について読み上げる…コリントイワマツヨシタカグラマシーは、日本の国で『恋愛』『お見合い』『結婚』をすることを厳禁げんきんとする…たとえ相手の女性が幼なじみであっても、『恋愛結婚』は一切認めない!!…コリントイワマツヨシタカグラマシーの恋愛は厳禁げんきん!!…とする!!」


事務長じむちょうはんは、よりし烈な言葉で実母の胎内なかにいる私に『恋愛厳禁れんあいげんきん!!』とボロクソに言うた。


それを聞いた女性スタッフさんふたりが、また事務長じむちょうはんに対して異議いぎを唱えた。


「なんやねん一体もう!!」

「そうよ!!撤回してよ!!」

「やめなさい!!」


マァマは、必死になって女性スタッフさんふたりをなだめた。


事務長じむちょうはんは、その間に書面に記載されている項目をすべて読み上げた。


約6枚に渡ってつづられた書面を事務長じむちょうはんが読み上げたあと、イワマツの全財産すべてを私に生前贈与をするために必要な手続きを取る作業に入った。


それから30分後に、法的な手続きを取る作業が完了した。


これをもって、セヴァスチャンじいさんが書いた遺言書は完全に破棄された。


同時に、私の人生設計ライフプランを変更することができなくなった。


人生設計ライフプランを変更したい場合は、大番頭おおばんとはんたちのグループ全員の賛成が必要である。


私は…


自分の生き方を主張できなくなった…


人生選ぶ権利を…


すべてハクダツされた。


そして…


1947年11月30日…


「オギャー、オギャー、オギャー、オギャー、オギャー、オギャー、オギャー…」


私・コリントイワマツヨシタカグラマシーは、プリンスエドワード島のフレンチリバーの広大な土地の中にある切妻屋根の家で多民族多国籍の男性としてこの世に生まれた。


日本人の名前であるけど、日本国籍がない…


同時に、私はセヴァスチャンじいさんと大番頭おおばんとはんたちがめた通りの人生を生きることになった。

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