第3章 坊主頭は欲望を募らせる

3.1 お前がスケベなのが悪い

 グロリアが編入してから半月足らず。

 一波乱巻き起こり、先が思いやられた初日が夢幻のように、グロリアはすっかりクラスに溶け込み、大人しく過ごしている……とは、お世辞にもいいがたい。無闇矢鱈に目立たないでくれ、と蒼一が心配するくらいに八面六臂の大活躍である。

 彼らが通うのは県でも指折りの進学校。高校一年でも授業のレベルは高いのだが、グロリアは苦もなくついてゆく。独学で日本語を勉強したとしても理解度が高すぎるのだが、日本語能力試験の最上位資格N1をちらつかされては、誰も何もいえなかった。それすらグロリア・ヴァイオレットという留学生をでっち上げる小道具なのだろうと察した蒼一は一人、ひたすら知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。

 そもそも、グロリアしおんにとってはの高校生活である上、かつて国内では最難関として知られる某名門私立大の文学部英文科に籍を置いていた身でもある。息子を筆頭とする同級生たちが頭を悩ます宿題を鼻歌交じりに解くなんて朝飯前だ。そんな彼女のもとには、今日も「勉強を教えてくれ」とか、「一緒に勉強しよう」とかいう――美少女と一緒に過ごしたい、という下心が見え隠れした――申し出が届くのだが、魔法少女の本業に支障がないようにと、なんやかんや理由をつけ、全部断っている。

 そうはいうものの、学業の成績で見ればグロリア以上に優秀な生徒も多数いる。勉強はやって当たり前、それ以上の上積みも問われる環境なのだが、彼女は余すところなく、学業以外でも才を発揮してみせた。

 体育の授業で行われたクラス対抗のバスケットボールの試合、かつての肉体を取り戻して体育館に立ったグロリアは、格の違いをみせつける。

 ゲームの入りは、やや抑え気味のペースだった。チームメイトと相手、両方の技量と特性を観察しながらも、自分がどれだけ動けるか確かめるように、走り、跳ぶ。端々で光るプレーはみせても、恵まれた体格からすると少し物足りなかった。

 でも、大人しくしていたのは前半終了間際まで。反撃の狼煙とばかりに彼女が叩き込んだダンクシュートに女子生徒たちが黄色い声援をあげ、それが巡り巡ってサッカーの試合の合間に休憩していた男子生徒たちの呼び水となる。


「あれか、例の転校生って?」

「バァカ、留学生だよ。ハーフだって聞いたぜ」

「だからいろいろでけぇのか、納得。しっかしよく跳ぶよな。お前よりたけぇんじゃねぇの?」

「……いうな、気にしてんだから」


 口々に好きなことをいいあう男子生徒たちの片隅に、グロリアの熱狂的な信者である荒城と、いざとなったときに彼を止める役を期待された蒼一の姿もあった。


「おいおいマジかよ、嘘だろ、女子でダンクやっちまうわけ……? 身長タッパと最高到達点だけで決められるようなシュートじゃねーだろーよ……」


 荒城がグロリアを見つめる眼差しは、いつもと違う熱を帯びていた。一世一代の求愛をぶった切られてなお諦めず、三日と空けずにグロリアに愛の告白をしては、その度に丁寧かつ明確な断りの文句をぶつけられている彼だが、このときだけは珍しく、色香に曇っていなかった。


「そういうもんなのか?」

「間違いなくちゃんとした指導を受けてる。フォームみりゃわかんだろ」


 荒城の家は地域密着型のスポーツ用品店。自身も手伝いで接客するため、日頃から試合結果速報や動画で勉強しているとのことで、知識は確かだ。身体能力は高かれど野球以外のスポーツに不慣れな蒼一への解説役としてはうってつけである。


「見ろよ、本職のバスケ部が手も足も出ねーぜ。いいぞ、グロリアちゃーん!」


 蒼一は何も答えず、グロリアの背を眼で追うばかりだ。

 運動はそこまで苦手じゃなかった、と母からきいたことはあるけれど、まさかここまでとは予想していなかった。緩急も切り返しも自由自在のドリブルでディフェンスを切り崩して自ら得点を決めたかと思えば、一転してコートを隅から隅まで俯瞰ふかんしているとしか思えない精度でパスを出し、味方のチャンスを演出する。挙句の果てには、上背の高さと跳躍力に物をいわせてあらゆるリバウンドに顔を出してくる。運動の得意な生徒やバスケ部員で陣営を固めた相手チームのみならず、試合をみる皆さえもグロリア一人に翻弄されていた。


「二人とも、試合に戻らなくていいんですか?」

「いーんだよ。こんなプレー見逃せって方が無理な相談だぜ。なあ蒼一?」

「そういうことにしとくか。藤乃井もおつかれ、かっこよかったぜ」

「委員長、いい動きしてたじゃん。窓辺で本読んでるほうが好きなイメージあっからさ、ちっと意外」


 つい先程交代をすませ、蒼一と荒城に声をかけてきた紗夜は、想定外のねぎらいに少し頬を染める。

 後頭部のやや高い位置で長い黒髪をくくり、上下長袖のジャージをしっかり着込んだ彼女の出で立ちは少々野暮ったく、あまり運動ができそうには見えない。だが、いざコートに立つと、なかなかいい仕事をする。細身で上背にも欠けるからコンタクトプレーでは不利だし、跳躍力も並で空中戦に向かない自分をよく理解しているのだろう。ひたすら空きスペースに駆け込んでパスの中継点となる、あるいは一歩退いた外からショットを狙う役に徹していた。


「もし外しちゃっても、だいたいグロリアさんが跳んでくれてますから。思い切って撃てるんです」

「それにしたって、決定率高けーような気がしたけどな。委員長、もしかして経験者?」

「小学校のとき、ミニバスをちょっとだけ」

「へー。他にはなんかやってたん?」

「同じ時期に野球とか剣道もやってたんですけど、それっきりです」

「剣道はなんかわかる気がするけど、野球ってのは意外だ。なぁ蒼一ちゃん?」


 荒城が向けた水を無視した蒼一の視線の先で、グロリアは長い腕を伸ばし、リングに嫌われたはずの仲間のシュートを得点に変えていた。


「びっくりしちゃいますよね、あの高さ。これで何本目だろう?」

「タッパとガタイだけで試合ゲームやってる感じもねーんだよ。パスを貰うのも、スクリーンの位置取りも、素人臭さが全然ねーの」

「赤い髪の男の子が出てくるマンガで覚えた、っていってましたよ?」

「ジョーダンきついぜ!」


 引き合いに出された名作は、年代としてはいささかふるめである。そういったところから綻びが出やしないか心配ではあるけれど、蒼一は言わぬが仏の態度を貫いた。


「あの調子だと、他のスポーツも結構なお点前だったりしそうだよな」

「蒼一ちゃんに同意だね。海外の学生スポーツって、季節ごとに競技を変えるからな」

「荒城くん、よくご存知ですね」

「でもさ、プレーも圧巻だけど、アレだよな、あっちも超高校級だよな」

「あっち、とは?」

「体操服に包まれた乳とかケツとか太ももとか」


 蒼一のそばにいた紗夜が「なんで余計なこときいちゃったんだろ」とばかりに口をつぐんでそっぽを向いたのと、荒城の顔面に突き刺ささらんばかりの勢いでボールが飛んできたのはほぼ同時だった。


「ずいぶん盛大なパスミスじゃねーの、雪村ユッキー?」

「ちょっと不埒な気配を感じたせいで、手元が狂ってしまいましたの。ごめんあそばせ」


 間一髪のところで狙撃を止められた日奈は、獲物を仕留めそこねた悔しさ丸出しのままゲームに戻ってゆく。


「なんつー仕打ちじゃ」

「お前がスケベなのが悪い」

「同感です……」

「そこまでいうことねーだろーよ」


 己の欲望に忠実になりすぎたことを棚に上げて文句をこぼす荒城は、肩こそ落としてはいるけれど顔のニヤつきは治まっていない。蒼一たちの辛辣しんらつな評を受けても、反省の色はなさそうだ。

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