第20話
比奈は心から素直に心配してくれたが、家に帰るまでも帰ってからも、ついでに出社の道行きにも、危険なことは何もなかった。
(いっそ、比奈さんの心配通り襲ってくれればそこから……。いや、やっぱり困るな。俺じゃあ死にそうだ)
浮かんだ考えを即座に否定する。それで真相を暴いたとしても、無念でしかない。おそらく比奈をはじめとして、ナイツオブラウンドの皆もそう思ってくれるだろう。
翌日出社してディアレストの開店準備を進める理人のスマートフォンに、不意に着信が入った。
「っと」
時間の余裕はある。作業の手を止めて椅子に座り、スマートフォンを操作する。
「はい、香久山です」
『あっ、み、深浦――香澄ですっ』
「はい。おはようございます」
まだ午前中なので、ぎりぎりおはようございますでも通じるだろう。
人によってはすでにこんにちはの時間帯だが。
本来、緊急を要する事態が生じたのなら、香澄が連絡を取るのは騎士の誰かにするべきだ。おそらく担当している一人である櫻あたりが妥当なのだろうが、うるさくは言うまい。
関りが多い理人が気安いのもあるだろうし、先日された告白からくる気持ちも影響しているかもしれない。
『お、おはよう。えっと、それで――ああ、ごめん。掛けたのわたしなのに』
頭の中で文章を組み立てる前にかけてしまったらしい。余程慌てていたのか。それを差し引いても、香澄らしいと言えるかもしれないが。
「大丈夫です。どうされましたか?」
『どうって程じゃないみたいなんだけど、お兄ちゃんから連絡があって。相談したいからディアレストに行ってもいいかって聞くように頼まれたの』
一息ついた香澄から、改めて理由が伝えられる。
「私の方は問題ありません。清治さんや秋庭さんの身の回りは大丈夫ですか? よろしければお迎えに上がりますが」
『えっと……ごめん、掛け直すっ』
「お待ちしております」
自分たちの身を危ぶむ話は出ていなかったらしい。
出なかったということは大丈夫ともいえるかもしれないが、確認をするために香澄は一度通話を切った。
(自分のことなら話し忘れたってわけもないだろうから、然程脅威を感じていないか――遠慮しているかのどちらかだろう)
香澄が聞く答えがどうであれ、騎士の誰かについて行ってもらった方がいいかもしれない。
何事も起こらなければそれでいいのだ。しかし何もせずに座して待っていては、緊急事態が起こったときに手遅れとなる。そちらの方が余程取り返しがつかない。
ややあって、再度香澄から連絡がきた。
『ごめん、わたし。――お兄ちゃんたちは大丈夫だって言ってるけど……』
「承知しました。ですが万が一があるかもしれません。退社に合わせてお迎えに上がりましょう」
『うん。そう伝えておく』
理人の答えに、香澄はほっとした空気を流した。
いかに本人たちが大丈夫だと言おうと、安心できない状況である。端で見ている香澄とて心配で堪らないだろう。
『それだけ。じゃあ、また後で。わたしも一緒にお邪魔するから』
「はい。どうぞ、お気を付けて」
『うん。ありがと』
ディアレストがそろそろ開店を迎えることを、香澄も察しているようだった。用件を伝え終えると早々に通話を切る。
(心穏やかじゃないだろうな)
清治が勤めを終えて合流するまでは、まだ大分時間がある。その間不穏な連絡の中身がわからないまま、一人で抱えていなくてはならないのだ。
(清治さんたちもそうだが。久遠寺さんにも今香澄さんの所に行けないかどうか、相談してみるか)
話せる誰かがいるだけで、気も少しは紛れるだろう。
閉店前に警備部に連絡を取り、香澄の件を相談して人員を手配してもらう。
ナイツオブラウンドは万が一のために備えて動くことを厭わない。すぐに承諾してもらえた。
そうして残る準備を終えて、ディアレストを開く。間もなく、時間を見計らって訪れた騎士たちでちらほらと席が埋まっていく。
彼らに飲食を提供し、適度に雑談に応じながら、理人の胸中には若干の焦りが生じていた。
(比奈さんが来ない……)
割と珍しいことではあるが、比奈とて毎日ディアレストに来るわけではない。
少しの物足りなさ、寂しさを感じつつ、いつもであれば然程気にしなかっただろう。
ただ、来店しない理由に心当たりがあるとなれば話は別だ。
理人自身、比奈の顔を見るのに気まずい思いはある。だがそれよりも、不安の方が大きい。
(俺の応対って、そんなにも軽薄に見えるのか……)
真剣に考え直した方がいいのかもしれない。
「どうしたどうしたー? 仕事中にお前がそんな顔するなんて珍しい」
普段は大体比奈が座るカウンター席の中央にいる真示から、からかいと心配の混ざった声がかけられた。
「悪い、私事だ。気にしないでくれ」
「相談にでも乗ろうか?」
「いいって。大したことじゃない」
「いやいや。職場での人間関係は大きなことだろ」
「!?」
考え込んでいたのが表に出たのだとしても、真示の指摘は的確過ぎた。ぎょっとして理人が目を見開き真示を見ると、彼は困ったような微苦笑を浮かべだ。
「今朝、木嶋と擦れ違ったからさ。お前と似たような悩み方だったから、これは同じ一件かなと」
「……比奈さんが」
「ケンカって感じでもなさそうだけど。大丈夫か?」
「大丈夫……だと思う」
「そっか」
悩みの種を見抜かれて尚、助けを求めなかった理人に真示も軽い調子でうなずいた。
手が必要とされていない問題に、首を突っ込んでくるような性質ではない。理人がここで話を終わらせれば、真示は応じてくれるだろう。
真示は人の心の機微に聡い。そう思い至ったとき、彼に相談をしてみるのは悪くない気がした。
「そっちはともかく。なあ、俺の応対ってやっぱり軽薄なのか?」
「いや? 軽薄だとは思わないけど、どう……あぁ!」
質問している途中で、理人の問いの本質に気が付いたらしい。続きを飲み込み、代わりに納得した声を上げる。
「誰に対しても人当たりいいのはそうだよな。一緒にいて快いと感じる人は多いんじゃないか?」
「そう努めようともしてるから、居心地がいいって印象を持ってもらえるのは嬉しい。けど……」
「それ以上をお前に望むのは、ま、向こうの都合かね。俺が見てる限り、お前の対応に人による差はないし」
「当たり前だ」
人によって望む距離は違うから、それに合わせた差はある。だがどちらであっても目的は同じだ。
ディアレストでの一時を、心安らかに過ごしてほしいという願いであり、目標。
「気にしなくていいんじゃないか。お前に心当たりがなければ」
「……」
続けられた真示の物言いには含みがあった。
比奈に対してだけは、別の意図を理人が織り交ぜていることを真示は気付いているのだ。
「お前には通じるのにな」
「そりゃお前、俺は他人事だからな。でも当人にとっては迷いどころだろう。俺だって、当人になったらきっと迷う」
「……そうか」
こうして直接指摘して、本心を聞き出せるのは他人ゆえ。
「あんまり卑怯なことしてやるなよ」
「気を付けるよ」
好意を得たい、意識をしてほしいという部分は、充分に叶ったと言っていいだろう。
(だったら、『次』か)
「つってもそれは向こうも一緒だし。まー、そんなに気にしなくていいんじゃないか。タイミングとかだってあるだろうしさ」
「考えてみるよ」
「そうしろそうしろ」
何が変わったわけでもない。当然、解決の糸口さえもない。
それでも間違いなく、理人の心は話す前よりも楽になっていた。
(やっぱりもう少し、時間が欲しい)
せめて素の自分で話せるようになるぐらいには。
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