第6話
言うだけでなく自ら記者に掴みかかろうとしてきた加波上の手をすり抜け、記者らしき男は飄々と入り口付近にまで辿り着く。
「そんなに激昂するってことは、噂は本当ですかねえ。こいつはいい記事になりそうだ」
「名誉棄損だ、訴えてやる!」
「おお、怖い。ではここいらで失礼します。大変参考になりました。ありがとうございましたーっと」
記者が去った後も加波上の怒りは収まらないらしく、『警備の責任者を呼べ!』と喚いている。
(不法侵入を見逃したのでもなければ、うちの責任じゃないけどな)
そしておそらくだが、記者は正規の手段で会場入りできているだろう。会社のインタビューをしたいとでも言えば、簡単に招待状を手にできそうな気配がある。
(それはそれとして)
加波上の言いがかりよりも、理人には気がかりなことがあった。
今まさに、香澄と秋庭は記者が喜びそうな話をしているところだ。人目に付くところではないはずだが、だからこそ、行き会う偶然がないとは言えない。
(面白おかしく書き立てられたくないのは、こっちも同じだ)
エプロンを外しつつ、理人は奥の、本当のホテル従業員――依頼主へと声をかける。
「すみません。少し席を外します」
「分かりました。よろしくお願いします」
記者の態度にトラブルを予感したか、従業員は切実な声と共に了承してくれた。
理人はうなずき、記者の後を追う。
(確か、こっちに……)
背中が消えたのは出口への順路の方向だった。
(うろうろせずに、真っ直ぐ帰ってくれてればそれでもいいんだが……)
という理人の希望は、あっさり潰えた。いくらもしないうちに記者の姿が見えたからである。
だがホテルを探索しようという気配ではない。会場から然程離れていない順路に留まっているということは、帰る社員を捕まえて話を聞くつもりだろう。
それは社員たちにも迷惑となる。パーティーの安全を請け負った身としても放置できない。
「お出口はあちらですよ」
「うわっと」
相手から声を掛けられることは想定していなかったか、スマートフォンの画面を見ていた記者は驚きの声を上げた。
「ええっと、貴方は……」
「このホテルに雇われている者です」
嘘は言っていない。
「なんだ、ホテルの人ですか」
記者は明らかにがっかりした。やはりカナミガミ製薬の社員を待ち構えているのだ。
「どうやらお客様の招待状は無効になったようですので、どうぞお引き取り下さい」
「そう言わずに。少しだけお願いしますよ。迷惑は掛けませんから」
「分かっていらっしゃるからそう仰っているのですよね? 留まられることがすでに迷惑です。お引き取り下さい」
そもそも、迷惑だと感じていなければ声をかけて追い払うような真似をするはずがない。
「――分かった、分かりましたよ。お邪魔しました」
ここで延々理人に捕まっていたら、むしろ機を逃すと判断したようだ。記者は素早く計算を巡らせて立ち去ることを選ぶ。
(この様子じゃあ、どうせホテル前で待ち伏せるんだろうが)
今度はホテル入り口を護る警備員に任せるしかあるまい。
(とにかく、香澄さんと秋庭さんの話を聞かれるのは防げた、と思っていいだろう)
ただ、記者が加波上を怒らせた質問の内容自体は気になる。
(深浦清治さんがしようとしている告発と同じ内容なのか? ……全く違う中身でも驚かないが)
気にはなるが、まずは人命。清治の安全が第一だ。彼が無事に戻ってくれば、必然的に判明する話でもある。
理人が会場へと戻ろうとすると、その隣を足早に歩き去っていく男性とすれ違った。秋庭だ。
「――」
秋庭はどうやら、理人の存在さえ意識の外だ。表情を硬く強張らせ、会場へと戻って行く。
(少なくとも、上手くはいかなかったみたいだな)
そして香澄の読み通り、無関係でもないのだろう。
(強引な手に出る必要があるのかもしれない)
秋庭が清治の失踪に関わっている証拠さえ掴めれば、法に則って事態を動かすことができる。
急ぐ必要はあった。分かっていて手遅れになることほど、取り返しのつかない失敗はないのだから。
加波上を怒らせた記者によって少しの騒動が起こったものの、それ以外はつつがなくパーティーの安全は守られたと言ってよかった。
ナイツオブラウンドは仕事を完遂したのだ。しかし。
「まったくもう、ふざけてます!」
宣言通り翌日ディアレストを訪れた比奈は普段の一・五倍甘くした紅茶を飲みつつ、苛立ちを隠さずにそう言った。
「何があったんですか?」
「カナミガミ製薬の社長が、トラブルがあったんだからその分値引きしろって言ってきたらしいんです」
「それは酷い」
完全な言いがかりだ。
騒ぎが起きたと言えばそうだが、それがナイツオブラウンドの落ち度とは言えないだろう。
不審者の侵入を見逃したわけではない。記者は正規の招待客だった。
「勿論、先方の主張は跳ね返すのですよね?」
「当然です。ナイツオブラウンドは理不尽には屈しません」
鼻息も荒く比奈は断言する。正直に言って、理人はほっとした。
降りかかる理不尽に膝を突かねばならないのは、とても悔しいことだからだ。
「それはそうと、深浦様の方の成果も芳しくなかったようですが」
「あ、もう聞かれてたんですね」
「いえ。昨日秋庭さんと擦れ違ったときの様子から推測しただけです」
もし香澄との話に問題がなかったのなら、あのように圧迫感に苦しむ表情などしていまい。
「知らない、そのうち帰ってくるだろうと言うばかりだったようですよ。あ、あと深浦様には黙って待っていなさいって」
「それは、怪しいですね」
「すっごく怪しいです。鵜呑みにする人はいないんじゃないでしょうか」
疑っている香澄はますますだろう。
「黙って待っていて、お兄さんは帰ってくるんでしょうか。本当に」
秋庭がどんな気持ちでその言葉を口にしたかが気にかかる。
擦れ違ったときの表情からしても、彼が何の呵責も感じていない、という訳ではなさそうだが。
(真に香澄さんの身を案じての言葉なのか。もしくは体よくあしらうための文句に過ぎないのか)
できれば前者であってほしい、と思う。
「では、ともあれ香澄さんの護衛は継続ですね」
「そうなると思います」
比奈はこくりとうなずいて同意した。
秋庭の本心は窺い知れないが、もし彼が香澄の行動を邪魔に感じていた場合、最悪のことさえ起りえる。
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