恋愛探偵~匿名ラブレターの謎~
渡橋銀杏
出題
「どうしようかなあ、これ」
西日がきつくなる夕方、図書室は既にオレンジ色に染まりきっている。その光に照らされた深緑色をした辞書の本棚は古くなって汚いはずなのに、それすらも味に見える。本来なら飲食禁止の場所であるはずだが、いろいろな力を使って現在はボクと目の前に座る小伏紫苑。
この二人かつ誰にも見られない状況ならチョコレートとか飴ならいいと言われている。図書室にはボクと紫苑しかいなく、まさに二人っきりなのだった。
壺の形をした瓶に入った丸いチョコレートを口に放り込むと、すぐさま口の中に幸せが広がる。これがないと、なんにも考えられない。
中毒とはこんなことを言うんだろうと思う。
そんな幸福を噛みしめながらぼんやりと紫苑の顔を眺めている僕と違って、小伏紫苑は悩んでいた。それも、かなり深刻に。真面目だから、なんでも考えすぎてしまうのは紫苑の良いところでもあり、ダメな所でもある。
「チョコ、食べないの?」
「……食べる」
ボクが手渡したチョコレートを一個、口にほおばりつつ紫苑は返事をする。その眉間には深いしわが刻まれていた。
目を閉じて、うんうんと体のどこから出てきたのかもわからない声を漏らしながら腕を組んでひたすら紫苑は考えている。その西洋人形かと見間違うほどに白い肌、眼鏡をかける位置を間違えないようにとはっきりと通った鼻筋。もう少しで眼鏡のレンズに届くんじゃないかと思うほどにピンと伸びたまつ毛は、そのうえでミニチュアでも作れそうなほどだ。
美人は何をしていても絵になるというけれども、丸い眼鏡をした美人ならやっぱり何かを考えている姿勢がぴったりだ。自分とは真反対で嫌になるほど可愛い。
「あー、もうわかんない」
ついには考えることに飽きたのか、紫苑は大声でそう言うと椅子から立ち上がってぐーっと伸びをした。その拍子に短いスカートがふわりと持ち上がり、白い太ももがむき出しになる。本人は気がついていないのだろうけれども、目の前でそんなことをされるとこっちが困る。いや、勝手に見ているこちらにも責任があるけれども。
「まあ、犯人を絞るだけなら難しくないはず。実際に、八坂さんは候補者をとりあえず三人、名前付きで挙げてくれたんでしょ。詳しくは知らないけど」
そう言いながら視線を落とす先には、一通の手紙が置かれている。
えらく丁寧に書かれた文字と、色合いも明るい封筒。どう見ても悩みの種にはなりそうにもないんだけれども、残念ながら宛名のところに名前が書かれていない。
ここがまず一つ目の謎であり最大のポイント。この手紙の差出人はいったい誰かということだった。そしてこの手紙、その受取人がボクか紫苑であれば自分で言うのも悲しくなるけど異性の友達なんてそんなにいないから絞り込みは難しくない。
ただ、残念なことにその受取人というのが学年でも一番人気だと言われる八坂幸恵さんだった。学級委員長で、バトミントン部のエース。友達も多いのに、彼氏の噂は聞いたこともないなんていうまさに理想の美少女。そして、当たり前のように紫苑とも仲が良い。まあ、それが原因で紫苑が差出人を探すことを依頼されて、今こうして二人で膝を突き合わせて頭を悩ませてはいるんだけれども。
「確かに幸恵は三人くらい名前を挙げてくれたけど、あんなに可愛いんだから誰から好意をもたれてもおかしくないけどね」
ボクは紫苑のほうが可愛いとは思っているけれども、隣にあんな人がいれば自分の可愛さに気が付かなくても不思議ではない。それはおいておいて、つまりは八坂さんに告白したいやつなんていくらでもいるということだった。
ただ、この手紙がいたずらなどではなく本当に八坂さんに対して出されたものだというのが第二のポイント。高校生にもなってくだらない嘘のラブレターなんてことは考えられないし、差出人には申し訳ないけれども推理をするうえでボクと紫苑は中身を見せてもらった感想は、しっかりと心が籠っていた。
これが、問題をややこしくしている。
文章が上手いわけではないけれども、丁寧に自分の気持ちを伝えたいという気持ちが文面に溢れていた。これが恋じゃないなら、ほとんどのものを信じられなくなる。
だからこそ、名前を書かなかった理由はわからないけどそれに何かあるなら解き明かしてきちんと八坂さんに思いが伝わるようにはしてあげたい。
「ただこのご時勢にラブレターをしかも男子が出すというのも変な話ではあるかな」
このソーシャルネットワークが発展した現在において、告白というのはいわゆるメッセージというのも普通になってきた。人によってはそりゃ体育館の裏に呼び出してみたいなのもあるらしいけれども、ボクも紫苑も経験はしたことがない。ただ、ラブレターを貰ったことがある人なんて少なくともボクの人生では聞いたことがない。
「そもそも、男子でラブレターをだすっていうのはボクも聞いたことはないね。たぶん、女子が男子に送るほうが多いんじゃないかな」
「まあ、確かに。ただ、幸恵が思い当たる三人とももちろん男子だし、ラブレターを出すような女々しさも持ってないから不思議なの」
ボクは三人のことを良く知らないけれども、サッカー部の大橋君。ラグビー部の塚本君。バスケ部の蔵本君。みんな、女子からの人気が高いイケメンスポーツマンたちだ。乙女ゲームみたいな話ではあるんだけれども、差出人の捜索を依頼されたボクと紫苑は、傍からポップコーンを食べながら笑っているだけではすまない。
そこで、紫苑は何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
この動作、見慣れたけれども可愛い。
「本来は別の机にいれるべきだったのを間違えて幸恵の机に入れた可能性は?」
そうなると、例えば隣の席に座る男子に渡すつもりのラブレターということならイメージがわきやすい。どうしてもボクには、スポーツマンでイケメン、女子からの人気も高い彼らが文房具屋さんで可愛らしいレターセットを購入しているところがイメージできなかった。もちろんこれは憶測であって、推理の前提を歪めるような証拠があるわけではないけれども。
「まあ、その可能性もあるってことだね。実際に、八坂さんの名前は告白の文章には出てきていないしね」
さすがに恋文の中に相手の名前を書くのは恥ずかしいのだろうか、さすがにそれはボクの邪推だろうか。
「とりあえず、三人に話を聞いてみるしかないか」
紫苑は溜息をついて立ち上がる。ちょうど壺は空っぽになっていたからボクはそれをカバンにそっとしまい、今日のところは図書室を後にした。今日はもう遅いし、それぞれの部活はまだ終わる様子もない。空は夜の色に変わりつつあって、紫苑をあんまり夜中に外にはいさせたくはなかったからこのまま二人で帰ることにした。
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