◆4-3
その翌日、朝になってハルナさんは慌ただしく動いていた。
「遅刻しちゃう!」
後になってわかったことだけれど、ハルナさんは寝起きが悪い。目は開いているのに、ベッドに転がってぼーっとしている時間が長い。だから、朝はいつもこんな感じだったらしい。
また、ミルクをくれた。それから、柔らかくてべちゃっとした美味しいものもくれた。
それらを食べながら、忙しいハルナさんを眺める。
みゅぅ?
何をそんなに慌てているんだって、サンゴは不思議だった。どうやら、仕事というところに行くらしいことをハルナさんが言った。
――いや、仕事は場所じゃなくてだね。ごめん、いいんだ。続けて。
「ごめんね、ちょっと出かけてくるけど、いい子で待っててね」
みゅぅ。
ここにいろって言うの? 私は外へ行きたいのに。
不満を口にしても、大慌てのハルナさんは聞いていない。戸を抜けて、外からガチャガチャと音を立てて去っていった。
ご飯をくれたヒト。優しく撫でてくれるし、いいヒトだと思う。怖くない人間もいるんだって初めて知った。
でも、こんなところに閉じ込めていくなんてひどい。
サンゴはみゅぅ、と抗議の声を立てて、それからタオルを敷いてある駕籠から抜け出したそうだ。
フン、フン、フン、とあちこちの匂いを嗅ぎながら探検する。小さなサンゴには、ハルナさんの部屋がとんでもなく広く感じたんだって。
カーペットを抜けると、廊下は板だったから、爪がカチカチ当たってよく滑った。あっちに行ったり、こっちに行ったり、サンゴは忙しくしていた。そうして、どこまで進んだ頃だっただろうか、ふわふわとした山にぶつかった。
前足でフミフミすると、ふんわり気持ちよさそうだった。思いきって飛び乗る。ふわふわの山は、サンゴの小さい体を受け止めてくれた。
山は大きくて、しばらくフミフミしていたら、段々と深みにはまって抜けられなくなってしまった。
あれ? どうしよう……。
どっちから入ってきたんだっけ?
――あの時は焦ったって?
そのまま、疲れて寝てしまったサンゴだったけれど、サンゴ以上に焦ったのは、帰宅したハルナさんの方だった。
「いない!」
ハルナさんの大声にびっくりしてサンゴは起きたそうだ。でも、まだ眠たくて、もう一度寝てもいいかなと思っていると、ハルナさんの立てる物音がうるさくなった。
「おーい、チビちゃん、どこっ?」
チビって、私のこと? 失礼な呼び方ね。
気に入らなくて、返事をしてあげなかったそうだ。今になってみると、子供っぽくて恥ずかしいって?
すると、ハルナさんはふかふかの山に埋もれていたサンゴを見つけたそうだ。
「いたっ!」
心底ほっとした顔をするから、サンゴはちょっと悪かったかなと思った。
「こんなところに。洗濯物に紛れ込むなんて、そのまま洗濯しちゃうからね!」
このふかふかの山は『洗濯物』というらしい。寝床に丁度いいのに。
ハルナさんはよく、『スマホ』なるものを触っていた。平べったくて光る、小さいものだ。
それを指でつついては溜息をつく。
「う~ん、あなたの飼い主に相応しいのは誰かなぁ。可愛がってくれるのはもちろんのことなんだけど、絶対に幸せになってほしいから、失敗できないもん」
う~ん、とまた唸っている。
その平べったいスマホに何を期待しているのか知らないけれど。
みゅぅ。
そんな平べったいのばっかり撫でてないで、私のことも撫でてよ。
ハルナさんの手が、サンゴは大好きだった。撫でるのがとても上手だから。
サンゴが擦り寄ると、ハルナさんは膝の上に載せてナデナデしてくれたそうだ。やっぱり、とても気持ちがよかった。
◆
サンゴがハルナさんに拾われて三日。
朝はいつも急いで出ていくハルナさんが、今日はぐっすり寝ていた。いつもけたたましい音を立てる『目覚まし』なるものも鳴らない。
それから、ハルナさんは仕事に出かけていかなかった。なんでだろうと思いながらも、サンゴはちょっと嬉しかったそうだ。
――それは、お休みの日だったんだよ。仕事に行かなくていい日っていうのが必ずあるんだ。
ハルナさんは、ゆっくりした朝というか、昼にサンゴにミルクをくれながらため息をついた。
「ねぇ、あなたがうちに来て三日経つの。それって、情が移るには十分な時間だって知ってる?」
何が言いたいのかわからなかったので、答えずにミルクを飲んでいた。すると、ハルナさんはまたため息をついた。
「飼い主、探すの嫌になっちゃった。このままじゃ駄目かなぁ? あたし、一人暮らしだし、仕事に行ってる間、寂しい思いさせちゃうから、あたしよりももっと幸せにしてくれる飼い主さんはいるんだろうけど……」
つまりハルナさんは、うちの子にならないかって言っているんだって、うっすらわかったそうだ。
みゅぅ。
いいよって答えた。
ハルナさんのことは好きだから、もうちょっと一緒にいたいって。
その思いが伝わったのか、ハルナさんは飼い主探しをやめた。そうだとわかったのは、この時になって初めて名前をつけたからだ。
「名前をつけると情が湧いて離れられなくなるから、あなたには名前をつけなかったけど、もういいよね? あなたはうちの子だから、あたしが名前をつけるね!」
生まれてからまだそれほど経っていない子猫には、名前の重要性なんてわからない。ぼんやりしていたサンゴを眺めまわし、ハルナさんはブツブツとつぶやいていたって。
「真っ白だから、シロ。ミルク? 毛並みから取るなんて安直よね? もっと、何かないかなぁ……」
うんうんと唸っているハルナをよそに、サンゴは毛づくろいを始めた。なんだか長引きそうだって思ったそうだ。
すると、ハルナさんはそんなサンゴを食い入るように見つめ、そして言った。
「肉球……」
それ、名前?
そう思ったけれど、違った。ハルナさんはサンゴの手を見て、そして大きくうなずいた。
「あなたの肉球、それから耳も、お鼻も、綺麗なピンクよね。とっても綺麗なコーラルピンク……じゃあ、サンゴってどう? 女の子だし、似合うと思う!」
その時から、母猫とはぐれたチビ猫は『ハルナの飼い猫のサンゴ』になった。
みゅう!
ハルナさんがつけてくれた名前が、サンゴは嬉しかったとのことだ。
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