嫌われ者の王子様がわたしと契約結婚する理由
曽根原ツタ
序章 物語の始まりは突然に
第1話 事実は小説よりも奇なり
物語のような出来事は現実にもあるのだろうか。
例えば、義家族に虐められていた女の子が、とびきり素敵な王子様に見初められたり。
例えば、何の力もなかった少年が、真の才能に目覚め魔王を倒して世界を救ったり。
人気恋愛小説家ウェンディ・エイミスは、非現実的な体験への憧れを文章に綴ることが生きがいだった。
仮に現実世界に特別な出会いや恋、成功物語あったとしても、自分みたいな平凡な人間は経験することはないのだろう。――そう思っていた。このときまでは。
「ウェンディ! お前との婚約をこの場で破棄する! お前のようなつまらない女には愛想が尽きた!」
「へ?」
婚約者ロナウドの声が、夜会のホールに響き渡る。オーケストラはワルツの演奏を止め、ワルツに耳を傾けていた人々も、何事かとこちらを振り返った。
彼の腰には、美しい見た目の令嬢がくっついている。ロナウドに腕に手を絡ませていて、かなり親密そうな様子。
政略結婚を予定していた婚約者の彼から、大勢の人の前で婚約破棄を宣言されたウェンディは、衝撃でぴしゃりと固まった。
(えっ、ちょ……ちょっと何!? どういうこと!?)
頭の中に疑問符ばかりが浮かんでくる。するとロナウドはこう続けた。彼の隣にいるルリアは、成り上がり男爵家の娘であるウェンディは足元にも及ばないような高貴な令嬢なのだと。そして、彼女は『運命の人』だと説明される。
(運命の人……)
まるで悲劇の主人公のように酔いしれながら語る彼。夜会の参集者たちは、呆れ混じりの半眼を彼に向けた。
ご丁寧に説明されずとも知っている。ルリアは侯爵家のお嬢様で、騎士家系のロナウドは、彼女の護衛騎士に任命された。これが一年前の話で、そのときはウェンディも名誉なことだと喜んだ。けれど、侯爵家での勤めが長くなるにつれて、ルリアのことを語る表情が明らかに変わっていった。
なんとなく、彼女に対して恋心を抱いていることは察していたが、ルリアの方も満更ではないらしい。そして、ロナウドの主張は、運命の恋を見つけたから、邪魔者のウェンディとは別れたい、とのことだった。
これだけ大掛かりな婚約破棄を突きつけたのは、ウェンディの逃げ場をなくして承諾させるためなのだろう。
「俺はずっとお前のことが嫌いだった。部屋に閉じこもってくだらん妄想ばかりしやがって! それ以外になんの取り柄もないのか!?」
「…………」
くだらん妄想とは、ウェンディの創作活動のことを言っているのだろう。
「その点、ルリア様は違う。裁縫に音楽、乗馬、絵画にダンス。あらゆる素養を身につけておられる上に、美しく聡明であらせられる」
「では……ロナウド様はそのお方を愛していらっしゃるのですね」
「ああ、心から愛している! だからお前みたいな痛い女とはこれきりにさせてもらうからな! いいな!」
ウェンディは俯き、沈黙した。周囲の人たちも、こちらに同情的な眼差しを送っている。ウェンディはロナウドの心を繋ぎ止めることはできなかっただけで、公然の場で恥をかかされるような悪いことは何もしていないから。『運命の人』を見つけたという論理の通らない理由で責められ、恥ずかしくて顔を上げられなくなるのも無理はないだろう。――普通なら。
しかし、ウェンディはなんだか様子が違った。
「……ください」
「なんだ? 聞こえないな。言い訳があるならはっきりと言え」
「その話、詳しく聞かせてくださいっ!!!」
「――は?」
落ち込むどころか、むしろ瞳をきらきらと輝かせて顔を上げたウェンディ。彼女の興奮したら様子に、当事者であるロナウドやルリア以外に、周囲の人々たちでさえも困惑している。
ウェンディは懐から手帳とペンを取り出し、身を乗り出すようにして2人に迫る。
「運命の人だと確信したのはいつ? どこで何をしているとき!? 会った瞬間はどんな感覚だった? 運命の人と出会うときに雷が落ちたような感覚がするって本当なの!? それとも一目惚れじゃなく徐々にお互い惹かれていったのかしら。婚約者がいる立場で他の人を愛することに葛藤や抵抗は全くなかったの? ああ、一体どういう流れでこの公開婚約破棄に踏み切ったのかも気になるわ。告白したのはどっち? それはどんなシチュエーション? 一番胸がときめいた瞬間とかもぜひ知りたいのだけれど…………っ!」
「お、おう……。分かったから一旦落ち着け!」
ロナウドは先ほどまでの威勢をなくし、すっかりどん引きしていて。隣に立っているルリアは、目を血走らせて常軌を逸したウェンディの様子に戸惑い、ロナウドを見上げながら「この人はいつもこんな感じなの?」と小声で耳打ちしている。
(今まで断罪とか婚約破棄ネタは色々書いてきたけど……まさか自分が経験することになるなんて)
ウェンディはこほんと咳払いする。そして、にこりと柔らかく微笑んだ。
「……とにかく、事情は理解しました。私も運命で結ばれた人たちの邪魔をするなんて野暮なことはしません。婚約破棄の申し出を受け入れます」
「そ、そうか。助かる」
露骨に安心した様子を見せるロナウド。
しかし、彼が油断した直後、ウェンディは愛想笑いを消して代わりに額にくっきりと怒筋を浮べ、手帳をぐしゃっと握り潰した。ヒールで一歩踏み出し、ロナウドの口の中にそれを押し込んだ。
「んん"ん"@☆#&*%▲$+¥◎!?」
目を皿のように見開き、口内に紙を咥えたまま一歩二歩と後退る彼。追い打ちをかけるように眉間のすぐ前に人差し指を突き立てて、声を張り上げる。
「――絶対、あんたたちのことは小説のネタにしてやるんだから! そこのとこ、覚えておきなさいよ! この人でなしが!」
「「……………」」
ロナウドのことだけではなく、ルリアの方にも顔を近づけて「あんたも覚悟しておけよ?」と言わんばかりに威圧する。ウェンディにきつく睨みつけられた2人は、圧倒されて言葉を失っている。彼らはこのとき悟った。『普段は大人しい人を怒らせたら一番怖い』――と。
(本当最低! 自分の幸せのことしか考えられないような男、こっちから願い下げよ)
ウェンディとの数年間を簡単に踏みにじり、家同士で結ばれた契約を自分の都合で反故にした上、自分は何も悪くないのだと開き直ってウェンディの方を責めるなんて。しかも、こんなに大勢の人の前で。
言いたいことを言って満足し、少し上げていた踵を床に着ける。そして、何事もなかったかのように作り笑いを浮かべた。
「皆様、大変お騒がせしました。どうぞ夜会の続きをお楽しみくださいませ。――では、ごきげんよう」
美しいカーテシーを披露して颯爽と広間を去っていくウェンディ。
『部屋に引き篭って妄想ばかりしている痛い女』として捨てられた彼女だが、婚約破棄でのはっきりした物言いが清々しいと、家庭問題に悩む夫人たちからの評判がうなぎ登り。ウェンディの小説はますます売れるようになる。
そして、この公開婚約破棄騒動を機に、ウェンディは憧れていた『物語のような出来事』を次々と引き寄せていくことになる――。
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