第92話

放課後、空のクラスを覗いてみようと思い、廊下を歩いていたら担任がすれ違いざまに話しかけてきた。

何でも、文化祭当日に教室を飾り付ける材料が化学準備室に置いてあるとのこと。去年か一昨年余った物を使ってしまいたいと化学の先生に頼まれたらしく、「藤田さん、取りに行ってくれる?」と。偶然遭遇してしまった以上避けられないので心の中で文句を言いながらも引き受けた。


「ねぇ、あそこはどうする?」

「やっぱ大きく絵を描いた方が可愛くない?」


一人で化学準備室を目指して歩いていると通りすがりの生徒たちは楽しそうに会話を弾ませていた。イベントは皆好きなのだ。当日はもちろん楽しいが準備の段階も楽しい。キラキラ輝いている他クラスの子たちを見ると、自分たちのクラスは異色なのではと思う。


きっと滝さんもそっち側の人間だろう。


空が無駄に褒めるからどうしても気になってしまう。

悪い人ではなさそうだがそこは問題ではない。空が「嫌いではない」と言ったのだ、好きと言っているようなものだ。今まで滝さんのようなタイプの子はたくさんいたはずなのに、どうして滝さんだけ。他の子と何が違うのかさっぱり分からない。どこにでもいるじゃないか。


悶々と考えながら歩いていたからか、思ったよりも早く準備室に到着した。

ノックをしてみるが返事はない。勝手に入るのもどうかと思ったが担任が「鍵がかかってなかったら入ってもいい」と軽く言っていたのでその言葉通り、勝手に入らせてもらう。


「失礼します」


扉を開けると、化学準備室が意外と狭いことが分かった。そういえばここは第二化学室か。第一の方が大きいし、私たちがよく使用するのも第一の方だ。


段ボールがいくつか床に置いてあったり、整理整頓ができているとはお世辞にも言えない。

物に当たらないように目当てのものを探し、奥へ奥へ入っていくと、人がいた。目が合った。


「あれ」


最初に声を出したのは私ではなかった。



「藤田さんだ、どうしたの?」


何故ここにいるんだ、滝さん。


上の方にある段ボールを取ろうとしていたところらしく、両手を伸ばし、踵を上げていた。


「文化祭に使う飾りを探しに来たんだけど」

「あぁ、じゃあわたしと一緒だ!藤田さんはどんな飾りを探してるの?」


段ボールを取って床に置いた滝さんは首を傾げた。

滝さんが取った箱の中には折り紙が入っていた。室内と同じく、箱の中も整理整頓ができていない。無造作に入れてある紙から視線を逸らす。


「飾れる物なら何でもいいからって言われて」

「そうなんだ、じゃあ折り紙とか持っていく?他にも綿とかあるよ。さっきからずっと探してるんだけど、化学に使うものと飾りの物がごっちゃになってて….」


そう言われると、あちこちに段ボールがある。はみ出ている物からして飾りが入っている箱が、化学で使う教科書が入った箱に挟まれている。やはり整理整頓ができていない。


「まだ綿と折り紙しか探せてないから、よかったら一緒に探さない?」

「分かった。滝さんは何を探してるの?」


協力関係ができたので私は近くにあった引き出しや段ボールを漁る。


「わたしは風船が欲しくて来たんだよ。でもなかなか無くて」


きっと教室では空が仕切って頑張っているのだろう。何故委員の方が裏でごそごそやっているんだ。そんな疑問を口にするわけでもなく、手と目を動かして必要な材料を探す。


「藤田さんと二人きりって初めてだね」

「話すのは三回目だね」

「あ、本当だ」


二人きりが初めてなのは当然のことで、何故それを嬉しそうに言うのか理解しがたい。


「わたしも空くんと一緒にいることは少なくないけど、藤田さんと喋ったことはなかったから、話せて嬉しいな」


思考を読んだかのように笑顔でそう言われ、どきりとした。

しかしながらその内容は、純粋ではない私の頭で「わたしも空くんと一緒にいることが多いんだ、一緒にいる女はお前だけではない」と変換された。つまり喧嘩を売られたと解釈した。


「間接的にしか藤田さんのこと知らなかったから、今日こうやって会話できたのが本当に嬉しい」


喧嘩を売られたんだよね、違うのかな。

邪のない笑みで嬉しいと連呼されるとさすがに自信がなくなった。

顔で笑って心で憎んで、とかそういうパターンの女は多いし滝さんもそういう子だとさっきの言葉を聞いて思ったのだが、違うのか。


眉間にしわが寄るのを自覚しながら、滝さんの表情を観察する。

にこにこと楽しそうにしている姿を見て、むくむくと純粋な私が起き上がる。


まさか、本当に私と会話できて嬉しいと思っているのか。

さっきのあの言葉に他意はなかったというのか。喧嘩を売られたと思ったのは勘違いだったというのか。


いつの間にか作業する手を止め、滝さんを見つめていた。


「藤田さん、見すぎだよ」


穴があくほど凝視していると、指摘されてしまった。

その顔はどう見ても、普通の優しそうな女の子だった。

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