第二章 推しが炎上する2

玄奘が通う大学は俺の家から二駅だった。おれの自慢のバイク、スズキのRG250Γで送っていこうとしたが、後部座面に座らせエンジンを吹かした時点で「もう振り落とされそうです」と玄奘が涙目になったのであきらめた。


 推しがおれの背にしがみついてくれる絶好の機会を失ったが、目を潤ませた玄奘は非常に可愛かったのでよしとする。


 昼休みにはまだ早い時間だったが、大学の学食はざわざわと活気づいていた。


 玉竜と名乗った玄奘の友人は、小柄で生意気そうな瞳を持った男だった。

Vtuber konzenのV技術と配信作業を一手に引き受けているらしい。


 配信中に「どうしよう、玉竜」と玄奘に頼みにされていた野郎だな、とおれは値踏みしながらじろじろと観察する。一体、玄奘とはどういう関係なんだ。


「玄奘、この見るからにガラの悪そうな人は誰?」


 玄奘の正面に座った玉竜は甘ったるそうなパフェを前に、腕組みをして言った。


「私を推してくれている悟空だよ。昨夜、ストーカーから助けてもらったんだ」


 取り持つように玄奘が間に入るが、玉竜は嫌味っぽく顎を反らした。


「ふぅん、見るからに暴力的で喧嘩強そうだもんね」


 喧嘩を売られればこちらも買うのに躊躇はない。


「オメーは見るからに意地が悪そうだな」


 玄奘がおれの肩を抑えて、玉竜に落ち着いた声で言う。


「玉竜、この方はいつも応援してくれてるsaruさんだよ。いつもランキングにも載ってるアカウント名だから知ってるだろう?大事にしなきゃ」


 そしておれに振り向く。


「悟空、玉竜は私の大事な相棒なんです。仲良くしてください。」


 推しから頼まれれば嫌とは言えない。が、玄奘に相棒扱いされている玉竜のことが癪にさわるおれは黙って生ぬるい水をすすった。


「玉竜の方はストーカー被害はない?」


「僕の家は玄奘の下宿と違って警備万全だし」


 そっか、そうだねと玄奘は頷いて、彼は海運会社社長の息子で豪邸住まいなんですとおれに説明する。


「お坊ちゃんなのか、道理で偉そうなわけだ」


 鼻っ柱が強い玉竜は胸を張った。


「実質、偉いからね」


「のわりに、通ってる大学から察するにあまり頭は良くないみてえだな」


「その悪口、玄奘にも刺さってるけどいいわけ?」


 玄奘は涼しい顔で緑茶を飲んでいる。怒ってはいないようだが、おれは慌てて付け足す。


「玄奘が賢いことをおれはよく知ってる。経典の解釈や文献研究も熱心にやってるし、仏教に詳しくないおれが聞いてもわかりやすい。頭が良くねえとそんなことできねえよ」


「はいはい、筋金入りのkonzenオタクってことだね。いつもスパチャありがとうございまーす」


 玉竜の語尾を伸ばした言い方に腹が立って拳を握った。


「お前に投げ銭してるわけじゃねえ。おれは玄奘だけを推してる」


「konzenは玄奘が動作と声を、僕が配信を担当してるわけだから、二人の共同作業なわけ。僕がいないとkonzenは存在できないんだからね」


 つくづくむかつく野郎だ。なんで玄奘はこんな奴と仲が良いんだ。


「二人とも喧嘩しないでください。今日の配信は悟空にも手伝ってもらいますから」


「ついていっていいんですか」


「私の傍を離れないでいてくれるのでしょう?」 


 尾を振る犬のようにおれは何度もコクコク頷いた。






 構内でも周囲に警戒していたが、怪しい気配はなかった。となると、ストーカーは大学関係者ではないようだ。


 玄奘によれば、大学でも玄奘がkonzenだと知っているのは玉竜だけだという。友達は少ないらしい。渋すぎる読経Vtuberが大学生に受けるとはとても思えないし、konzenオタクは年齢層が若干高めであることは否めない。


 玄奘と玉竜が講義を受けている間、おれは空き教室で悟浄に連絡を取った。


「ストーカーの目星はついたか」


 悟浄が電話を取った瞬間、本題に入る。


「昨夜の男が今まで玄奘の周りにいたことはないし、それと思わしきSNSのアカウントも見当たらない。昨夜が初めてのストーキングと考えて良さそうだ」


「殴った時の抵抗も弱かったし、諦めが早かったから、ストーカー本人が玄奘に執着してるわけじゃないのかもな。黒幕がいる可能性も考えた方がいい」


「個人的な執着ではなく、組織的なストーカーということであれば、その動機は何と考える」


「まだ情報が足りなすぎてわからねえ。言うのはなんだがそれほど売れているわけでもねえし、konzenを潰してさほどメリットがあるとも思えないがな」


「そういえば、拙者、悟空のバイト先の防犯ビデオを改めて確認したところ、数日前の映像に妙な大男が映っていた。悟空のバイト時間よりも少し前に来店した大男が大量に三角パックのコーヒー牛乳を買い占めていた。それで玄奘が買えずにコンビニで数時間待つことになったのだ」


 また謎が増えた。


 突然三角パックのコーヒー牛乳が人気になったとも思えない。konzenが配信でそのコーヒー牛乳が好きだと話したこともないはずだ。


「今まであのコーヒー牛乳が売り切れたことはないからな。おかしいとは思っていたんだが」


「ストーカーに関係あるだろうか」


「ないかもな。まだわからねえ」


 ぼそぼそとスマホ相手に喋るおれを、学生たちは放っておいてくれる。大学には通ったことはないが、案外居心地が良いものかもしれないと思った。






 おれは玄奘と玉竜と共に配信場所にしている配清寺に向かった。玉竜はVtuber活動を親に隠しているので機材を家には置けず困っていたところを、仏教の良さを広めるためという目的であるならとこの寺が協力を申し出てくれたらしい。


 冬は日が暮れるのが早い。まだ夕方とは思えない寒くて薄暗い本堂の片隅で玉竜が慣れた様子で機材の準備をしている。


 本尊には木彫の薄茶けた仏像が大した威厳もなく佇んでいる。どこぞの如来なのか観音なのかおれには判別がつかない。玄奘は準備を手伝うことなく、経典を読み込んでいる。


「玄奘に頼むとかえって時間がかかるからね。悟空はカメラ設置をよろしく」


 玉竜に勝手に呼び捨てにされてアシスタントよろしく手伝わされるが、とうとう推しの配信を生で見られると思うと、そわそわして手早く作業を手伝ってしまう。


 自慢じゃないがおれは手際は良いので大抵の作業なら器用にこなせる。


 konzenはカメラ二台で玄奘の動きをキャプチャーして動かしているらしい。左右から玄奘を捉えるようにカメラの角度を調整する。


「悟空、マイクのスイッチ入れて。玄奘はマイクテストで声出して」


 玉竜の指示で、玄奘は半眼になって合唱し

「かんじーざいぼーさつ ぎょうじんはんにゃはらーみーたーじー」と、おれの目の前で高らかに唱えはじめた。これはおれでもわかる。般若心経だ。


 おれはまるで魂を抜かれたようにぼうっとなる。人は本当に美しいものを目の前にすると何も言えなくなるらしい。息をするのも忘れておれは玄奘を見つめた。


 求めていたものがそこにあった。


 目の前で自在に形を変えていく玄奘の唇からは中空に飛び出していく美しい音が次々に飛び出していくのが見える。伏せられた瞳は浮世への憂いと慈愛に満ちながら、左右対称の弓なりの眉は固い決意を示し、そこには秀麗さだけではない確固とした強靭さによる美があった。


 きっと玄奘の目にはおれには見えない遥かなる到達点が見えている。おれもそこに連れて行ってほしい。


「はーい、マイクおっけー」


 空気を読まない玉竜の声で、おれの思考は遮られ、玄奘も読経をやめてしまった。もっと聞いていたかったのに。


 砂漠でオアシスに気づいた旅人のように思わずふらふらと玄奘に近づいてしまったおれは、物問いたげな玄奘の瞳に気付いた。


「悟空?どうかしました?」


 そうか、玄奘にとってはこれが日常なのか。こんな素晴らしい奇跡のような読経をしておいて、その貴重さに自分では気づいていないとは。


「あの……、玄奘」


「なんです?」


「配信ではいつも竜の姿じゃないですか。だからおれ、玄奘の姿のままで読経するの初めて聞いたんですけど……」


「けど?」


 小首をかしげる玄奘に……何て言ったら伝わるだろう。おれの推しの尊さが。


「……あの、……えっと」


 言葉を探すおれを玄奘が覗き込むようにしてくる。まるでおれの瞳の奥底に眠る言葉をつり上げるように。


 だめだ、こんな近い距離で見つめられてはだめだ。推しなのに、推しなのにっ。本気で好きになっちゃうじゃないかっ。


「あの……、読経すげえ良かったです」


 おれはつまんねーことしか言えねえ。


「ありがとう」と玄奘が笑いかけてくるので、おれの心臓がどっくんどっくんと激しく動き始める。


「水も用意しときます……」


 そそくさと水を置いて傍を離れた。ヘタレであることは自分自身が一番よくわかっている。

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