第4話 砕け散る日常①


 男たちがアパートを訪ねてきた時、理市たちはダイニングキッチンで夕食の最中だった。


 ドアをロックしていなかったことを強く後悔した。もっとも、仮にロックをしていても簡単に蹴破られていただろう。男たちが暴力を生業なりわいにしている連中であることは一目でわかった。


 理市は即座に玄関口に立ちふさがり、江美と美結を守る態勢をとる。

「何ですか、あんたら」

「何ですかじゃねぇよ」

 男たちの背後から、長身の男が声をかけてきた。左の頬に大きな傷が走っている。彼がリーダー格のようだ。

 初めてみる顔ではない。理市には見覚えがあった。ブラック企業で働いていた時、特殊詐欺で得たカネを受け取りにきた男である。名前は確か、最上だったはずだ。


「盗んだカネを出せ。金庫から奪った2000万、耳をそろえて返しやがれ」

 最上の言葉が終わらないうちに、スキンヘッドの男が理市をぶん殴った。さらに蹴りを二度三度入れながら、土足で上がり込んでくる。


 江美と美結の悲鳴が上がった。理市は素早く立ち上がり、

「やめろ、家族に手を出すな。これは何かの間違いだ」

 そう言って、彼らを追い出そうとする。しかし、相手は暴力のプロである。おまけに多勢に無勢だ。あっけなく倒されて足蹴にされてしまう。爪先が鳩尾に突き刺さり、苦悶の表情でのたうち回る。


 ダイニングキッチンでは、料理が割れた皿とともに散乱していた。理市は自分の身体の痛みより、美結の泣き声を聞くのがつらかった。うつ伏せの態勢で床に押さえつけられていたが、スキンヘッドの手で乱暴に引き起こされた。


 理市を見る江美の顔は真っ青になっている。最上が美結を胸に抱いているせいだ。

「頼む、子供を返してくれ」

 理市は床に手をついて頼みこむが、男たちから鼻で笑われただけだ。


「返してほしかったら、盗んだカネを出せ。何度も言わせるなよ」

「カネなんか本当に知らない。人違いじゃないのか」

「手間をかけさせやがって」最上は床に唾を吐き、「移動するぞ」と、吐き捨てるように部下に命じた。


 男たちは手際よく、理市たちを運び出した。美結を人質にとられている以上、近隣住民に助けを求めるなど、下手に動くことはできない。スマホも取り上げられたので、彼らの目を盗んで友人にメールすることは不可能だ。


 理市たちは黒いボックスカーに載せられた。男たちと一緒に移動中、理市は死に物狂いで、窮地を逃れる手段を考えたが、何も思い浮かばない。


 最上はなぜか、理市がカネを奪ったと誤解している。ブラック企業の仲間たちが全員姿を消したのは、上納金の支払いでもめたから、という噂だった。下っ端の理市は無関係なので何も知らないが、誰かに罪を押し付けられたのだろうか?


 だが、根拠のない仮説を並べ立てたところで、最上たちは納得しない。鼻で笑われるのがオチである。おそらく、2000万を取り返さないとメンツが立たないのだろう。だからこそ、理市たちを拉致するという乱暴な手段に出たのだ。


 理市は必死に頭を巡らせる。自分はどうなってもいい。何とか、江美と美結だけでも助けることはできないか? しかし、考えがまとまらないうちに、ボックスカーは目的地に着いてしまった。


 閑散とした町はずれに建つ倉庫だった。大きさは体育館ほどで、中には何も置かれていない。文字通りの空っぽである。床に盛大な油じみがあるので、日用品の製造ラインが敷かれていたのかもしれない。


 武器になりそうなものを求めて、理市は素早く視線を巡らせる。間違いなく再び尋問を受けることになるだろう。何も知らない以上、男たちの怒りを買うことは必至である。先手必勝。拷問を受ける前に、最上たちの隙をついて攻撃に転じ、美結と江美を連れて逃げるしかない。


 美結は今、最上の腕の中にいる。ひどく泣き叫んだので、可愛そうに猿轡さるぐつわを噛まされている。江美は顔を腫らしていた。「娘を返して」と何度も訴えて、最上に殴られたのだ。江美は今、長身の男に羽交い絞めにされている。


 理市は二人の男に挟まれる形で、荒っぽく引き立てられていた。身体のあちこちに痛みが走り、立っているのもやっとの状態だ。


 しかし、拷問を受ければ、さらに状況は悪くなる。逆襲に出るのは今しかない。床に落ちたスパナを見つけた瞬間、理市は腰を沈めて、左右の男の腕を振り切った。床を這うようにしてスパナをつかむと、振り向きざまに横に振るう。


 背後から襲いかかってきた男の頬をとらえた確かな手ごたえ。続けて、もう一人の肩口に思い切り振り下ろし、小気味よい音を聞いた。鎖骨が折れたのだろう。


 理市は美結を抱えた最上に迫ったが、その前に鋭い目つきの男が立ちふさがった。その手には木刀が握られていた。理市は果敢に突っ込んでいったが、容赦のない一撃を頭部に受けて、床に倒れ込んでしまう。


 男たちの袋叩きに合い、江美の悲鳴を聞きながら、埃だらけの床をのたうち回る羽目になった。最後に強烈な蹴りを放ってきたのは、最上だった。


「さぁ、もう一度訊くぞ。正直に答えろ」


 理市は這いつくばったまま、彼の抱えた美結と目が合う。無理して微笑もうとしたが、顔が引きつって果たせない。


「俺はどうなっても構わん。でも、女房と娘は返してやってくれ。頼む、一生のお願いだ」


 理市の懇願を最上は鼻で笑う。

「同じセリフを何度も言わせるな。カネの在り処を素直に吐け。部屋にあった通帳を見たが、10万もねぇじゃねぇか。なぁ、2000万はどこだ?」

「本当に知らないんだ」


「しょうがねぇ。こんなことはしたくねぇんだが」最上は抱えた美結の喉元に、ナイフの切っ先を突きつけた。「これでも同じセリフが吐けるかよ」

「やめてっ」江美が男たちの隙をついて、羽交い絞めから逃れた。最上の手から懸命に、美結を取り戻そうとする。


 最上は容赦のない蹴りを江美に食らわすが、その際、勢い余って美結の喉を掻っ切ってしまった。三歳児の首から血液の噴水がほとばしりアーチを描く。頸動脈を切ってしまったのだ。


 江美が大きな悲鳴を上げながら、最上につかみかかる。今度は江美がナイフの餌食となった。胸を深々とえぐられて、糸が切れた操り人形みたいに崩れ落ちた。


 理市は這いつくばったまま、何もできなかった。呆けた表情で、現状を把握できずにいた。床の上に転がった美結は土気色の肌になっており、江美の身体の下から血だまりが広がりつつある。






 



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