第6話 母上と父上
俺が普段していることといえば、本を読んで勉強するくらいのものだ。つまりこの世界における雑談の種をほとんど持っていない。
母上と話ができる共通の話題といえば、父上のことか毎日の食事、それから辛うじてルドックス先生のことだろうか。
何か役に立つものはないかと前世で母親と話していた記憶をサルベージしたけれど、全く役に立ちそうな気配はなかった。電話する度『あんたまだ彼女もできないの! かわいい顔に産んであげたのに……』と言われ、うんざりしていたことだけ思い出した。
そもそもうちの母親はこんなにお上品な美女じゃない。どちらかといえば肝っ玉母さん系である。でも、いつも息子の心配をしてくれていたって点においては、同じなのかもしれないけど。
「ルーサーは言葉遣いが上手よね? ミーシャが教えてくれたのかしら?」
「いえ、ルーサー様は本から学ばれたのだと思います。はじめてお話ししたときも、今とあまり変わらぬ様子でした」
「そうなの。私がルーサーくらいの時は、どんな風だったかしら? もっとたどたどしかったような気がするのだけど……。今度お父様に聞いてみようかしら」
喋らないでいるうちに、母上の方からまた触れられたくない部分に踏み込まれてしまった。もうちょっと演技力があって羞恥心がなければ、赤ちゃんっぽくしゃべったりもしたのだけど……。
後先考えない俺は、最初だけちょろっとそれっぽい演技をして、すぐに恥ずかしくなってやめてしまっていた。
丁寧な言葉で一人称を僕にすることが、辛うじてこの世界に馴染もうと努力した俺の成果である。会社に行ってるときは元からそんな感じだったけれど。
現実逃避はやめて、さて話題と思考を切り替えると、丁度良く小鳥が飛んできて花壇の縁に止まった。餌でも探しているのか、花壇の間をぴょんと跳ねている。母上はよく外に出ているようだから、あの鳥の名前くらい知っているかもしれない。
逆に普段外へ出ない俺が知らないこともまた、自然なことであるといえよう。
「母上……」
あの小鳥の名前は、と尋ねようとして俺はぎょっとする。
母上の顔、怖い。いつの眉間に皺を寄せた表情になっている。まさか小動物が嫌いなのだろうか。花を愛でるような母上が?
いや、違う。母上はきっと心根の優しい人だ。
そんな前提のもと、母上のことをよく観察して気づいたことがある。
あの仕草、俺は過去に見たことがある。
「……あの、母上」
「なにかしら?」
俺の方を向いた母上は、元の優しい表情に戻っている。
「母上はもしかして……、目が悪いのでしょうか?」
「目が悪い……? どうかしら? 確かにここ数年遠くのものは見えにくくなってきているのだけど……」
「ええと、目を細めると遠くのものが見えやすいですか?」
「そうね、確かにそんな気がするわ」
俺の言葉に従って目を細めたときの母上の表情は、いつも俺が怖い顔と評していたものだった。……どうしてこんな単純なことに気が付かなかったんだろう。自意識過剰でなければ、母上があの表情を浮かべていたのは俺の顔をよく見たかっただけということになる。
「母上、眼鏡を使ったりはしないのでしょうか?」
「うーん、どうかしら、貴族の間だとあまり使う人はいないの」
「しかし不便でしょう」
「……目が悪くなるのは、苦労をしたからと捉えられてしまうの。私が眼鏡をかけると、オルカ様が私に苦労をさせていると見られてしまうわ」
「なぜ父上が関係してくるのですか?」
「目が悪くなるのは暗い場所で細かい作業をしたせい、と言われてるわ。つまり妻が内職をしなければいけないような経済状況、と思われてしまうの」
貴族、めんどくさいなぁ。
眼鏡くらい自由に使わせろよ!
当然コンタクトレンズなんてものはないだろうし、そうだとしたらあとは治癒魔法を使うくらいだろうか。治癒魔法使いは貴重らしいから金銭はそれなりにかかるだろうけれど、伯爵家にその支払い能力がないとは思えない。
まして父上は財務大臣だ。なぜその手配をしないのだろうか。
まさか……。
「……父上はこのことを知っているのでしょうか?」
「いえ、お伝えしていないわ」
「なぜです?」
「ルーサー、あなたのお父様は忙しい人なの。私の体のことなんかで煩わせたくないわ」
この優しい母上に『私の体のことなんか』と言わせた父上に、すごく腹を立てている自分がいた。ついさっきまで自分も母上のことを怖がっていた癖にと、心の中のもう一人の自分があきれた顔をしているけれど、それはそれ、これはこれだ。
「母上は……最近父上とお話しされてますか?」
「……ええ、もちろん」
嘘だ。あからさまに目を逸らした。
子供だからと思ってるからなのか、それとも噓が下手なのか。純粋そうな母上のことだから後者な気もする。
「いつからお話しされてないんです?」
「オルカ様と私は仲良しよ? 子供がそんな心配をしないの」
「しかし……」
「ルーサー、この話は終わり」
ぴしゃりと言われると、それ以上しつこく言うことができない。
咎めるような言葉でも柔らかく聞こえてしまうのは、きっと俺が母上の内心を知ったからなのだろう。
「……そうだ、ルーサーは魔法の勉強が好きだと聞いているわ。もし立派な治癒魔法使いになれたら、私のこの目を治してくれないかしら?」
目を伏せた俺のことを心配したのか、母上が手を軽くたたいて首をかしげる。かわいらしい仕草に気が抜けてしまう。
魔法の訓練をし続けたせいでずっと心配をかけてきたのだ。それくらいの恩返しはして当然なのかもしれない。
「わかりました。きっと治癒魔法を使えるようになって、母上の目を治して見せます」
「ふふ、頼もしいわね。楽しみにしているわ」
完全に夢を語る子ども扱いだ。実際子供だけど。
約束はともかくとして、これはやはり父上のこともよく知る必要がありそうだ。
こちらも俺の勘違いであればいいのだけれど、母上との関係を考えると、なにか隠し事の一つや二つあるんじゃないかと思えてしまう。
そうでなければ、こんなにかわいらしくて優しい母上を放っておく意味が分からない。
今日からマザコンにジョブチェンジした俺は、母上と他愛のない会話を続けながら、どうやって父上を問い詰めるべきか、頭の中で作戦を立てるのであった。
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