04 永遠の先に

『ああ、本当に、ご主人様ったら……本当に、肝心なときにああなのよ。毎日、毎日、夢にまで見てたはずじゃないの……それなのに、たった一瞬で総崩れ、全部持っていかれちゃったじゃないの。女王陛下には、やっぱり敵わないわ』

 いつの間にか、跪く足元にやって来ていたロッテがまだ真っ赤に頬を染めたまま嘆く。

「跪いていたからな。残念ながら、じっくりとは見てはいない。そんな熱烈で情熱的なシーンは。そうか、そのように、美しい一時だったか。流石は我らが女王陛下。私もファルコも永遠に敵いはしないだろうが、私はその『永遠』をこの目で見る機会を逃してしまった」

『永遠、ね』

「その美しい一時が、生命の全てを投げ出すに値するのも大いに結構だが、それよりは、与えられたものに相応しいものをもたらして帰還するかどうか。さて我が唯一無二の、人差し指のレディよ、どう思う?」

 真っ赤に染まったままのロッテが、しばしの沈黙の後に、呟く。

『………そうよ。命の全てを投げだすよりも、帰ってきてくれなきゃ困るのよ。だって、もっと、欲しいんですもの。言葉だけじゃちっとも足りないわ。唇でも、嘴でも、きっと、きっと届かないのが私達の永遠なのよ。それで……永遠の先に何があるかをずっと夢見ていて、それを求める気持ちは、鳥も人も同じはずよ。だから、私だったらこう言うわ。あなたの全てが欲しいって言うわ。何があってもよ!!』

 小さな小鳥の、歌声のような魂からの言葉が、耳元で熱く弾ける。

「そうでなければ」

 肩の上のロッテを傷跡の特徴的な何時もの頬に、羽根の感触を感じるほど近く掌で抱き寄せ、珍しくミーンフィールド卿が愉快そうに笑いを溢す。

「ああ、そうだ。我がレディよ。人生とは熱く、美しく、そして愉しみに満ちている。今も、これからも」

 ロッテが囁く。

『ご主人様を頼むわね。五分五分なんて気弱なこと言ってるから、たった今みたいな肝心な時に肝心なものをぜーんぶ持って行かれちゃうのよ!』

「間違いないな。私も肝に銘じねばならん」

 やっとの事で顔をあげたファルコが、溜息にも呻き声にも似た声で、呟く。

「………手厳しいな、お前らってやつは」

『当たり前じゃないの。ところで、もしもご主人様が『大魔法使い』になったらやってもらいたいことがある、って私言ってたわよね? 忘れたとは言わせないわよ。とっとと帰ってきて約束を果たしてちょうだい』

「………そうだった。ああ、そうだったな。相変わらずお前らは俺をこき使う。おちおち死んでもいられねえ」

「私の大事な女王陛下を結婚前に未亡人にする気なら、今すぐこの風で粉々に五体粉砕してやるからそのつもりでいなよ」

 アンジェリカが薬箱を床に降ろす。

『あらアンジェリカさん。ご主人様はあんな体たらくなので三体くらいまでなら粉砕されてもしょうがないとは思いますけど、ミーンフィールド卿は取って置いてくれます?』

「………ロッテ、やっぱりあんたも面倒な恋をしてるクチかい。ああ、オルフェーヴル、私は今日ほどあんたを選んで良かったって思った日はないよ。あんたを好きになってなかったら、この面倒な男共を今すぐ木っ端微塵にしてたに違いないからね」

 そして、言った。

「やりな、ファルコ。あんたの中ではもう答えは決まっているだろう。やれないとは言わせない。帰ってこないとも言わせない。このお代は高く付くよ!!」

 拳と拳をがつん、と鳴らして、アンジェリカが立ち上がる。

「応とも。ゴードン、背中は任せた。そもそも帝国の野郎共、人様の島から盗んだドラゴンで城攻めだなんて、ルール違反にも程がある。礼儀作法ってやつを叩き込んでやるぞ、俺ら流のな!……それとエレーヌ!!」

「………何かしら」

「吉報を待ってろ。『続き』はそれからだ」

「いいわ。待っててあげる。でも、私、待つのは人生でこれきりよ、わかった?」

「もちろんだ。この俺が、惚れた女を二度も待たせると思うか」

 ファルコが着古したローブを脱ぎ捨てて放り投げ、髪をほどき、大きく息を吸う。赤く染まり迫り来る雷鳴を弾き返すように、金色の光がバルコニーを満たしていく。オルフェーヴルの手からカーテンのタッセルを受け取り、ミーンフィールド卿が、抜き身の『花の剣』を手にし、自分の愛用の剣をバルコニーに静かに置き、代わりに腰に鉄梃を差して言う。

「礼儀作法、成程、実に良い言葉だな。……宜しい。『歓待』の時間だ」

 バルコニーに燦めく金色の光がゆるやかに収束し、輝く蜜色にも似た茶色の羽根に、黒く鋭い嘴と爪、金色に鋭く輝く瞳の大きな『大鷲』の姿に変化した『鳥の魔法使い』が、翼を広げて吼えるように天高く鳴き、静かに腰を落とす。革の手袋を嵌め、手綱替わりのタッセルを手に、ミーンフィールド卿が言う。

「お前と冒険をするのは何年ぶりだろうか」

 大鷲が答える。

『昔取った杵柄ってやつを、久々に発揮しにいくだけの話だろ? しっかり掴まってろよ。お前の森までおびき寄せてやる』

「あまり高度を上げるな。雷に打たれかねない。だが、一度はドラゴンの背に私を降ろせ。策がある」

『了解。紅い空が近い。雷も来た。もう大砲の音もしねえ。アンジェリカ、ドラゴンが見えたら、それが合図だ。俺らを飛ばしたら、バルコニーから室内へ待避してくれ』

 タッセルを咥え、ファルコが翼を大きく広げる。

「わかった。……ゴードン、頭を下げな。全力で飛ばしてやる」

「二人とも、気を付けて。いや、違う、ご武運を、かな。城は任されたよ」

 アンジェリカとオルフェーヴルが言う。ひらりと女王陛下の肩の上にとまったロッテが告げた。

『ゴードンさん、いいえ、ミーンフィールド卿、私の大事な友達、大好きな騎士様。……帰ってきたら、もう一度『永遠』を見せてあげるわ。約束よ』

 壮年の騎士が、大鷲の背の上で静かに微笑んだ。

「………何と愉しみなことか、我がレディ。私は森で長らく独り生きていたが、そなたの白い羽根が窓辺で舞うようになってから、生きるというのが愉しくなった。今も、これからも、この先も、ずっと。……そなたがくれると言う『永遠』、必ずこの手で受け取ろう」



 光り輝きだしたバルコニーに突如現れた大鷲を見て、入江姫が呟く。

「あの魔法使いか……!!」

「喚び寄せた、いや、違う、今のは」

「自ら………変身したのか」

 空は既に真っ赤に染まっている。

「ファルコさんが……」

「そなたの師匠を乗せて、龍に挑むと見える」

「何だって!?」

 クロード医師とロビンもおもわず同時に声を上げる。そして騎士を乗せた大鷲が、風を纏いながら凄まじい速さでバルコニーから飛び立つのを見て、呆然と息を呑む。

 聞いたこともないような巨大な咆哮が、天を割るように響いたその途端、その場にいた全員の肌に静電気のようなものが走る。反射的にテオドールが柳の枝を地面から抜いて空にかざし、叫ぶ。

「皆、伏せて!!」

 凄まじい音と共に、城や中庭に雷が落ちてくる。柳の枝が輝き、うっすらと屋根のように中庭を満たす。呼応するように庭全体が緑色に輝き、落ちてくる雷を防いでゆく。しかし同時に、大きくしなる柳の枝に、ぴしり、と亀裂が入る。轟音と共に中庭の一番高い木に雷が落ち、真っ二つに木が裂け、ぱしん、と弾けるような音と共に、柳の枝が折れ、庭中の輝きが失われてゆく。

「ああ、ダメだ、もう少し………もう少しなのに!!」

 そんなテオドールの真上で雷光が光る。最後の患者の縫合を終わらせたばかりのクロード医師が、手にしていた金属製の器具を全力で空中斜め上へ投げつけた。テオドールの真上に落ちてきた雷が金属に引き寄せられて僅かに逸れ、地面に焦げた大穴が空く。

「と………父さん、助けてくれて、ありがとうございます。でも………ここももう危険です、お城に!」

「わかった。担架を。ちょうどこれで最後だ。死者を、ひとりも出さずに済んだ。お前と、皆のおかげだ」

 ベルモンテが入江姫を促しながらクロード医師の車椅子を押し、ロビンとテオドールが担架に最後の怪我人を乗せ、中庭から城内へ走り込む。全員が屋根の下まで飛び込んで、息を吐いて座り込んだ。クロード医師が思わず天井を見上げ、呟く。

「こんな形で、この城に来ようとは」

 全員が疲労困憊の顔を見合わせあった。

「もうこの廊下で今すぐ寝てしまいたいよ……」

「我もじゃな」

「地下室はあるか。そのほうが安全だ」

「僕、ロッテに聞いてきます。陛下達もまだ上の階にいるはず……」

 テオドールが走り出しかけて、ふと足を止める。そして、振り返って、少し頬を赤くしたまま言った。

「僕、その……お邪魔になったり、しないかな………」

 思わずベルモンテが笑いだす。そして、ぽんぽんとテオドールの肩に掛かった煤や木の枝の欠片を払ってやりながら、言った。

「大丈夫さ。さっきは僕らを守ってくれてありがとう。おかげで全員がこうして無事でいるんだ。胸を張ってご報告に行っておいで。……ああ、それと、女王陛下にはこう伝えてくれるかな。『素敵なレパートリーをありがとう』とね」

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