第6話 揺れる大地

01 とある昔日

 砂漠のオアシスに貼られている白く美しい大天幕に、その「少年」がやってきたのは数日前だった。何でも、自分に仕えたいと言う。

 真っすぐな、しっかりしていて聞き取りやすい、どこか『少女にも似た』声音、年の頃は十五にもなっていないというが、この盲目の砂漠の王が砂漠のオアシスを巡回する時に取った仮寝の宿で一目姿を拝見して以来、丸で『恋する少女の一途さの』様に、後を追いかけてきてしまったという。

「………ちょうどよい」

 アルトゥーロ王が呟く。

「かの宮殿に行かねばならぬ用がある。連れていく」

 この気難しく孤高な王に仕える家来達が目を丸くし、部屋の隅で平伏していた『ファラハード・ダリーズ』と名乗った『少年』がぱっと顔を上げた。



 それが四日前のことである。絢爛豪華な王宮の廊下を、二人は杖の音だけを響かせて歩く。

「我が首都の宮殿ははじめてか、ファラハード」

「は、はい。何もかもが銀色で、凄いです……」

「銀、か」

 この帝国の王たる兄に子が生まれた。男子らしい。つまり、王位継承者であるということだ。盲目故に砂漠に放り出された弟をこうして兄が呼び出すのは何十年ぶりだろうか。盲目の目には何も映ることはないが、それでも、魔法使いをも超える何かが『映る』こともある。そんなアルトゥーロ王は今や『砂漠に住まう予言王』とも呼ばれ、畏れられているらしい。

「ファラハード」

「は、はい」

「………最近、我が天幕におぬし以外の下働きが増えた気もするが、その者らは、銀の首輪などをつけてはいるか」

「え、は、はい。そういえば、皆、つけています」

「お主は正直で良い」

「あ、ありがたき幸せでございます。なんとお言葉を…」

「そやつらの首輪、全て盗み出して砂漠の誰も知らぬ地に埋めよ」

「えっ」

「余からの命令、否、密命である」

「か、か、かしこまりました」

「我が砂漠は金色ゆえに。銀などいらぬ」

 何か曰くがあるのだろうか、とファラハードは思わず好奇心を喉元まで抑える。出過ぎた真似は禁物だ。気難しい主君なのだから。

 宿の下働きで偶然この王の姿を見かけたあの日から、何故か自分はこの王に、一生を捧げたい、と丸で天啓の様な、むしろ電撃にも似た、自分でも驚くほどの情熱に突き動かされて、決めてしまったのだ。そう、平々凡々で穏やかな砂漠の女としての一生を捨てて、『性別』を偽ってまで。

「兄は余に、己が息子の行く末を予言せよとのことだ」

「予言……」

「この宮殿は好かぬ。銀の匂い、それも芳しくない銀の匂いがする」

「ぎ、銀に香りがあるのですか」

 気難しく孤独な砂漠の王が、くつくつと喉の奥で笑う。

「この宮殿には八本の塔がある。うち一棟は、魔法使いの塔。帝国五千年の知識を全て詰め込んだ、知識の塔、だったはずだが」

 盲いた目で、アルトゥーロ王が宮殿の窓から外を見る。

「その知識を、そして強大過ぎる力を求める心は、この平穏な世を揺らがしかねない。そういった未来が視える、と兄に言ったらどうなることか。王位継承権は余も持っている。余の全てはあの金の砂漠にあるのだがな。夕暮れには、金色に光っているのだろう。見たことはないが」

「はい。砂漠の全てが、夕暮れは赤と群青、そして明け方は金に染まる刻限がございます。私も、その時間が大好きで……ああ、出過ぎたことを申してしまいました」

「否、よかろう。おぬしは、そして余もまた黄金の砂漠の民。ファラハード。故に、銀に気をつけろ。決して、余の近くに置いてはならぬ。……余は七つの時までこの宮殿で暮らしたが、何かが変わった。力だ。我らは黄金の砂漠を愛するが、この宮殿のどこかにある銀からは、邪な香りが漂っておる」

 銀からそのような恐ろしい香りがするとは想像もつかなかったが、王の顔には何時もより何倍も難しい、自分にはとても推し量れない表情が浮かんでいる。ファラハードは思わず口を閉ざし、喉元まで出かかった好奇心をぐっと腹の底に押し込みながら、王の言葉を静かに待つことにした。

「あの蠅の如き魔法使いどもめ、おそらくは何か良からぬものを、塔の奥あたりから発掘したのだろう。この国にとっては吉兆かもしれぬが、世には混沌のような何かをもたらすものを」

 広々とした廊下の向こうをその魔法使い達が歩いていく。王太子誕生と同時に何やら重要な発見物があったらしく、どうも宮殿自体がせわしない。

「王太子か。兄は後を継がせようとするだろう。つまり、余の存在はいつか脅威になる。わかるな?」

「……でも、実の兄弟で、そんな」

「兄とはそういう男だ。五千年の帝国の主、情けなど持っていてはやってはいけぬ。つまり甥と相まみえるのも、今日が生涯で最後の日になるだろう」

「いいえ、いいえ、私がおります。何があってもお守りいたしますゆえ」

 思わず王の白い杖を握る手の上に自分の手を置き、その行為に慌てて手を引っ込めて、

「で、出過ぎた真似を、申し訳ございません」

 ファラハードはいつもの様に斜め後ろに戻ろうとする。

「おぬしはそれでいい。下働きで終わらすには妙に惜しい奴よ。いつかおぬしのような者を、我が近習とする日が来るやもしれぬな。その日までよく励むことだ」

「……ありがたき、ありがたきお言葉」

「戦になるだろう。まだ先の話ではあるがな」

「……はい」

「銀の件を忘れずに。今はそれだけで良い」

 銀色の装身具を身に着けた人間には気を付けよう、そうでない人間は信頼しても良い。銀色にあふれた宮殿の廊下で、ファラハードは己に課された言葉を、一瞬だけ重ねた手と手の感覚と共に心に刻み込もうと目を閉じた。



 アルトゥーロ王の言葉通り数年後に勃発した砂漠の戦の直前に、カールベルクという小さな国から遍歴の騎士がやってきたが、男は何故か装身具を一切身に着けていなかった。まだ年若いのにどうしてか、とファラハード、今では『ダリーズ卿』と名乗っている近習が問うてみる。

「昔、我が父が主君を守るため、かの帝国の刺客の手にかかって殉職しまして。その刺客が、銀の鎖をつけていた故に、我が家では決して銀の装身具をつけない、という決まりになっております」

 ゴードン・カントス・ミーンフィールド卿。髭を少しだけ伸ばし始めた若き遍歴の騎士が、天幕一枚隔てた王に謁見する。

「よかろう。我が天幕への出入りを許す。よく励むように」

 激戦の前夜。それでもいつもと変わらない静謐さ。小国の騎士が、ダリーズ卿に言った。

「明け方の砂漠は、あんなにも静かで美しいというのに、戦とは」

「帝国の兄王にとっては『最後の仕上げ』なのです。我が子に安全に王位を譲るための」

「成程」

「私は一度だけ、王に連れられて帝国の宮殿に行きました。王太子殿がお生まれになった日です。何故か魔法使い達が騒いでいたことを思い出します。それと、我が王のお言葉も」

「王の言葉?」

「帝国には吉兆を、その他には混沌をもたらす何かが見つかった、などという、そういったお言葉です」

 菫色の目が、少しだけ遠くを見つめて呟いた。

「私がもうすこし魔法を解していれば、理解できたことかもしれませんが、私は一介の近習に過ぎません。今となってはそれが、何とも悔しく、悲しいことです」

「王はあなたを最も信頼していらっしゃる」

 ぱっと花が咲くようにダリーズ卿が答えた。

「それが、何よりも嬉しいのです。この命、我が王のためにありますから」

「貴殿は、もしや」

 異国の騎士が思わずこの『ダリーズ卿』を見つめ、何かを言いかける。本来ならば木々や花々と共に在る魔法使いでもある騎士が、菫のような美しい瞳でただ王の住まう白い天幕だけを一心に見つめるこの近習をもう一度見つめて、小さく微笑むと口を閉じた。

「私が、何か?」

「……否、なんでも。この砂漠にも、良い花が咲くのですな」



 うっすらと朝靄のかかる国境沿いの小さな緑の森。幼子の様に日々伸びやかに育つ、島から持ち帰った小さな苗達に静かに水をやり、庭へと降りると、砂漠の砂の色に似た植木鉢に植えた追憶の菫の花が、何かを自分に語り掛けてくるように揺れる。

「銀、か」

 思わず口に出して呟く。『吉兆と混沌』、そして島から持ち出された龍の卵、王太子、すなわち今の王が生まれたときに発見されたという何か。

 魔法使いとしての感覚が、何か得体の知れないものへの警告を告げる。思わず深々と、森の空気を吸い、深呼吸して息を整えた。そこに、朝の修練を終えて服を着替えてきた近習のテオドールがやってくる。

「お師匠様、お出かけですか」

「……そうだな。そうするとしよう」

 剣ではなく、大きな枝切り鋏を手に取って、ミーンフィールド卿が言った。

「いかなる時でも、森の手入れを忘れてはならないからな」

 卿の書斎の机の上には、カールベルク城下町の古書店で買った書物が山のように積みあがっている。テオドールが折り畳みの梯子を手にして言った。

「つまり、魔法使いのお仕事ですか」

「そうだな。私はこの仕事が好きだ。森番、と揶揄されることもあるがね。古い枝を切り落とし、地面に日光が当たれば、新しい緑が芽吹き、森はより豊かになる。……だが、そこの枝のように白い紐が結んであるものは『鳥達お気に入りの枝』だ。切らないようにせねば」

 ひらり、と朝一番にやってくる白い小鳥が、ミーンフィールド卿の肩の上で胸を張る。

『あなたほど素敵な森番は、世界広しと言えどもどこにもいないと思うわ。私、この森が好きよ。朝から夕まで色とりどりで、必ずどこかに素敵な場所があるんですもの』

「君達鳥にとっては、この小さな森は庭にも等しかろうな、ロッテ」

『誰も知らない山奥深くの森もいいけれど、こうして人間が手入れした森の方が、私は好きなの。樹だけじゃなくて、人の心に、寄り添える気がするから』

 小鳥らしい物言いの中に秘められた、小さく甘酸っぱい果実のような恋の言葉。それを知ってか知らずか、ミーンフィールド卿は肩の上のロッテにいつもの仕草で人差し指を差し出す。

「光栄なことだ、レディ。鳥達が種子を運ばねば、如何なる緑も広がらない」

 すまし顔で何時もの人差し指にひらりと飛び移り、ロッテが言う。

『そうよ、でもここは『私の』庭同然の森よ。そう思っちゃってもいいのかしら、素敵な森番さん?』

「もちろん」

 そして、一際大きな樹の前で足を止める。

「大分枝が増えてしまった。梯子を」

「はい」

 梯子を借り受けて、慣れた手つきで昇っていく。周りの木々の声に耳を傾け、地面と太陽を交互に見やってから、大きな鋏で枝を切っていく。ふと、ミーンフィールド卿が、そんな卿の肩の上で気持ちよさげに羽を伸ばしているロッテに言った。

「………ロッテ、鍛冶場にいるローエンヘルム卿に伝言を」

『あら、何かしら』

「特注で頼みたいものがある」

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