第28話 理由

「ソフィアが出生の真実を知ったのは王城で食堂職員として勤め出してからのことなんだ」


 全身の力を抜くように長椅子の背もたれに身を預けてミラベルトは話を続ける。


「一軒家を用意したときに使いの者を通じてパトリシアにまとまった金を渡してあってね。ソフィアから話を聞いた限りでは、パトリシアは金の出処を明かさないという我々との約束を守り続けてくれたようだ」


 視界の端でソフィアが小さく頷くのが見えた。

 遺産や実家から相続した金だと聞いていたのかもしれない。納得の意味を込めてカレンも首を縦に振ると、ソフィアが僅かに表情を和らげた。


「ソフィアの報告は逐一受けていたからね、お嬢さんが修道院にやって来たこともその経緯も知っているよ」


 はっとしたカレンは思わずまじまじとミラベルトの顔を見つめてしまう。

 彼はカレンが修道院に世話になったと知っていた。

 そして、こう呼んだ。レディ・カレンと。


「リース院長からソフィアと親しくしていると聞いて、失礼を承知で身の上を調べさせてもらった。立場にある者として必要なことだと理解してもらえるかな?」

「はい、もちろんです」


 ミラベルトの視線を真正面から受け止めて首肯した。

 侯爵家の血を引く孫を思ってのことならば当然なのだろうと思う。自分には無縁なものだったので自信はないが、おそらくきっと。


「君が良き手本であってくれれば、と思わなかったと言えば嘘になる。現にソフィアはお嬢さんと親しくするうちに感銘を受けたようだしね」


 皺深い老人の手がポンと叩いたのは、純白のハンカチが仕舞われた胸ポケット。


「ソフィアと接触を図るために食堂職員の仕事を斡旋した。お嬢さんは私の思惑に巻き込まれた、と知ったら怒るかい?」

「いいえ、感謝こそすれ怒るようなことはあり得ません」

「それは良かった。あの働きぶりを見るに優れた人材を発掘出来たものだよ」


 からりと笑うミラベルトは前日のやりとりのことを言っているらしい。

 唐突の採用に驚きはしたものの、生きる糧を得られた事実はカレンにとって救いとなっている。それが何かのついでであろうと感謝の気持ちに変わりはなかった。


「我がポーリアム家は国内でもそれなりの力を持った旧家でね、敵も少なくない。直系の血を引くソフィアがかどわかされたり、悪事に巻き込まれるようなことは未然に防がなければならない。故に王城勤めにあたり、第二騎士団にソフィアの護衛の協力を仰いでいる。お嬢さんには申し訳ないが、この二人に至っては君の事情も伝えてある」


 思わず振り向いて背後の二人を仰ぎ見た。すると隣のソフィアまでもが驚きの表情で騎士たちを見上げている。その様子から察するに知らずのうちに護衛されていたようだ。

 視線を受けたカッツェは眉を器用に持ち上げてカレンとソフィアを愉快げに見下ろしており、一方のレグデンバーはいかにも任務中といった風情でじっと真っ直ぐを見据えていた。


(……ご存知だったのね)


 母との再会に居合わせたレグデンバーはすでにカレンの事情を知っていた。どの程度までと予測を付けるのは難しいが、ミラベルトとリース院長が繋がっていることを考慮すれば、カレン自身が離籍を請う形で届けを提出していることくらいは伝わっているだろう。


 彼にどんな目で見られているだろうかと不安に襲われた。

 築き始めた人間関係が崩れていくのではないかと怯えもした。


 心に重くのしかかっていた懸念が杞憂に終わりそうだとわかり、場違いな感情だとは理解していてもほっと安堵する。

 そんなカレンをするりと動いたレグデンバーの瞳が捉えた。思いがけずかち合った視線に気持ちを見透かされているような気がして、慌てて姿勢を戻す。

 穏やかな微笑みを湛えたミラベルトはソフィアからカレンへと順番に目線を送って口を開く。


「我々はいずれソフィアをポーリアム家の正式な一員として迎え入れるつもりでいる。しかし時機は見計らわなくてはならない。不用意に噂やデマが先行することを避けなければならない」


 ソフィアのこれからの人生を示唆する言葉に息を呑む。

 軽々に触れてはならない事実を差し出されてしまった。


「どうか他者の耳に触れないように気遣ってもらえるかい?」

「はい、もちろんです」


 これはミラベルトからの『お願い』だ。

 当然、吹聴するつもりはないのだからしっかりと目を合わせて誓いを立てる。

 カレンの答えに老人は満足気に頷いた。


「まさかグラットが早々にあのハンカチを持ち歩くだなんて思ってもいなくてね。カッツェからお嬢さんがハンカチの所在に気付いたと報告を受けて、一刻も早くとこんな時間に呼び出してしまった。申し訳ないね」


 問題ない、という気持ちを込めて笑んで見せる。

 有無を言わせぬ唐突な招待の理由は納得のいくものだったし、外部に漏らせない親友の事情をこうして明かされたことは信頼に足る人間だと言われているように感じられる。

 カレンの中に蓄積された疑問や懸念が払拭されたことも心強かった。


(でも……)


 そっと隣を窺う。ソフィアはこんな形でカレンに素性が明かされることを良しとしているのだろうか。ミラベルトの手前、口を挟めないだけで思うところがあるのではないだろうか。そう心配に思った。


「あの、お祖父様」


 これまで肯定の意思を表すだけだったソフィアが自発的に声を発した。

 肉親らしい呼び掛けを受けたミラベルトは優しい眼差しでソフィアの言葉の続きを待っている。


「この先は私からカレンに話してもいいですか?」

「ああ、もちろん構わないとも」


 鷹揚に応じると時間を掛けてゆっくりと立ち上がった。


「私は退席しようか。その方が話しやすいだろう。カッツェとレグデンバーも一緒に来なさい。今後の計画を話し合おう」

「はい」


 背後からふたつの声が重なっていらえる。

 早々に退室しようとした彼らだったが、扉の前でミラベルトが足を止めた。


「ソフィア、お前の好きな焼き菓子をたっぷり用意しておいたからしっかり食べていきなさい」


 そう言い残した背中は閉じる扉に遮られてすぐに見えなくなった。

 カレン自身も勧められて口にしたあの焼き菓子はソフィアの好みに合わせたものだったのか。

 孫を思う祖父の優しい思いやりに心が温かくなり、自然と頬が緩んでしまう。そんな表情で戸口から隣のソフィアへと視線を移したカレンだったが、向き直った親友は深刻な面持ちでカレンを見つめていた。


「ソフィア、本当に大丈夫? 顔色が優れないけれど」

「えぇ、平気、何ともないわ……それよりも私、カレンに謝りたくて」

「私に謝ること?」


 膝を突き合わせるようにカレンへと身体を向けた彼女は深く項垂れる。結われていない淡い金髪がサラサラと音を立てて流れていく。


「私のこと、ずっと黙っていてごめんなさい。カレンは何でも話してくれたのに、刺繍だって協力してくれたのに、私は隠し事ばかりで……」

「待ってソフィア。それは謝ることじゃないわ。あなたやポーリアム家のことを考えれば話せなくて当然よ。ミラベルト様も仰っていたでしょう?」


 万が一、変な形で他者に漏れ伝わったとしたら関係する人々に不名誉が付き纏うことは間違いない。


「でも私……」


 唇を噛むソフィアは自身の謝罪に納得していないらしい。


「ハンカチをお渡し出来たら報告するって言ったのにこんな形で知られてしまったわ。お渡しするために当番も交代してもらったのに。お祖父様やグラット様とお会いするために昼食の配達に出たことだって何度もあるのに」


(そうだったの)


 打ち明けられる事実に驚きはするが、それ以上の秘密をすでに握らされているせいか、それほどまでに心が揺さぶられることはなく。悲痛な表情のソフィアを心配する気持ちの方が上回っていた。


「事情が事情なのだから気にしないで。ちゃんとお渡し出来て喜んでいただけたようで何よりだわ」

「……グラット様のハンカチを夜会で見たというのは本当?」

「えぇ、上着の胸ポケットに入れてらしたわ。刺繍の薔薇がよく見えるように」

「そう……ありがとう、カレンのお陰よ」


 泣き笑むようにほっと息を吐き出す。

 経緯はわからないが突如浮上した父の存在にソフィアの感情は大きく揺れ動いたに違いない。ミラベルトとの関係は見る限りは良好そうだけれど、今後ポーリアム家に入るとなると更なる重圧が彼女を襲うのではないだろうか。


「どうか無理はしないでね」


 口をついて出たのは何気ない一言だったのだが。

 それを受けたソフィアはひどく安堵した様子で言った。


「私、きっとカレンに嫌われると思ってた」

「え、どうして?」

「あなたが貴族籍を抜ける経緯を見てきたのに、自分は貴族の世界に飛び込もうとしてるんだもの。なのに秘密ばかり作って……もう友達でいられなくなるかもしれないって心配で」


 聞き終えたカレンは首を横に振り、否定の意思を明確に表した。


「私は私、ソフィアはソフィアでしょう? ご家族が見つかって一緒に暮らせるかもしれない、それが嬉しいと思えたのなら喜ばしいことよ。事実を伏せることも悪いことではないと思う」

「あなたの好意に甘えていたのに?」

「こんなことで友達を止めるなんてあり得ないわ」


 ソフィアは縮こませていた身体を深く長椅子に沈めて長い溜息を吐いた。


「朝起きて応接室に呼ばれて行ってみたら団長と副団長がいて。ミラベルト様のお誘いだって急に連れて来られたのよ。どうしてこのお二人が?ってそれだけでも不思議だったのに、お祖父様には今からカレンに事情を明かすからって言われて別室で待たされて……」


 同じ寮にいながらお互いに急な呼び出しを受け、悶々と過ごしていたようだ。


「カレンとお祖父様が話している間、不安で不安で仕方なかった。話を聞いて、受け入れてくれてありがとう」


 彼女らしい笑顔がようやく戻る。その手がソフィアのための焼き菓子に伸びるのを見て、カレンも人心地がついた気分だった。

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