第25話 親子

 額を見せるように整えられた波を描くチョコレート色。

 その柔らかそうな髪とは裏腹に、レグデンバー侯爵と呼ばれた男性の太い眉と黒い瞳には厳格さが備わっていた。

 すぐ傍らにいるレグデンバー副団長と比べると背丈も体格も小柄だが、顔貌かおかたちは似通って見える。


(……もしかして、この方は)


 家名と相貌、偶然とは言い難い共通点にひとつの可能性を探る。

 侯爵はチラリとレグデンバーを横目で見ると、改めてミラベルトに視線を戻して口を開いた。


「愚息がご迷惑をお掛けしていませんか?」

「ふふ、謙遜も過ぎると嫌味になるぞ」

「若輩者ですので行き届かない点もあるかと思いまして」

「副団長を任されておるなら十分才覚は認められているだろうに」


(……やっぱり。お父様でいらっしゃるのね)


 日頃から見せる所作に育ちの良さを感じていたけれど、侯爵家の令息とまでは思い至らなかった。

 そっとレグデンバーの様子を窺い見る。ここに来てからずっと真剣な顔つきをしていた彼は今は感情の一切を削ぎ落としたような、見ているこちらが不安になるくらいの無表情だった。


(レグデンバー副団長もお父様と不仲でいらっしゃるのかしら……)


 そんな心配が首をもたげたが。


「二番手に甘んじているようではまだまだですよ」


 そう語る侯爵の声音に嫌悪や侮蔑はまるで感じられない。厳しい言葉のようでいて、どこか期待の色が滲んでいる。

 一方のレグデンバーが眉間に小さな皺を刻んでいるところを見ると、彼の方に父親に対して思うところがあるのかもしれない。


「ということらしいが、上を目指す気はあるのか? ドノヴァ」

「ここでお答えするようなことではございませんので」

「ははっ、気難しい奴だ」


 ミラベルトに気安い呼び方で水を向けられたレグデンバーの返答は素気ないものだった。

 騎士として参会しているから多くは語らないのか、肉親の前で心情を打ち明けるつもりがないのか、いずれにせよ彼の口も表情も硬い。


 不意に母親と再会した日の記憶が蘇る。

 一方的な母の言葉に何も言い返せず、立ち竦むだけのカレンを庇ってくれた広い背中。あの日の自分と今の彼とが同じだとは思わない。彼は彼自身を守ることが出来るはずだ。

 しかし普段接するレグデンバーとは違う彼を目の当たりにして、何とかしたいと思う自分が確かにいた。

 母に真っ向から対峙した彼のようにこの場で口を挟むことは到底出来ないが、レグデンバーが僅かでもいつもの彼を取り戻してくれたなら。


 彼がそれを望んでいるとは限らない。

 カレンの知る彼が本当のレグデンバーだとも限らない。

 それでも何かが伝わって欲しくて、端整な顔をじっと見つめる。


(あ……)


 伏せ気味だった藍色の双眸がゆっくりと上がり、迷いなくカレンに向けられた。

 目が合った、と認識するのと同時にレグデンバーが頬を緩める。

 ほんの一瞬で口元は引き締められてしまったけれど、よく知る笑顔を見られたことがとても嬉しかった。


「一番上というのもなかなか不自由なものだがね」

「それこそ、ご謙遜でしょう。ミラベルト卿は随分とご自由でいらっしゃる」


 朗らかに笑い合っているが二人のやりとりはどこか緊張感を孕んでおり、カレンも周囲も静かに成り行きを見守っていた。


「ところでミラベルト卿。仕事の件で少々ご相談が」

「わざわざこの席で?」


 わざとらしい渋面で首を振るミラベルトは連れの男性らに向き直って言った。


「君らも各々楽しんでくるといい。あぁ、ドノヴァ。君は付いてきなさい」

「承知しました」


 名指しされたレグデンバーが一礼をする。

 瞳を閉じる彼の面差しは使命を授かった高潔な騎士そのもので、そろりと開かれる瞼から藍色が覗くまでの束の間、目が離せずにいた。


「せっかく取り分けてもらったのだから、その皿はいただいていこう」


 ミラベルトはテーブルに並ぶフォークの一本を摘み上げると若手からカレンの盛り付けた皿を受け取った。快活な笑顔をこちらに向ける。


「ありがとう、お嬢さん。また機会があれば頼むよ」

「はい」


 見送りのために頭を下げようとした、ほんの一瞬。

 レグデンバーとカレンの視線が一瞬だけ絡み合ったが、互いに職務中のため、言葉を交わすことは出来ない。

 残った男性らに食事の取り分けを頼まれている間にも、レグデンバーの後ろ姿は遠ざかっていった。



◇◆◇



 徐々に夜会客が引いていくのをカレンは遠目に見ていた。

 個人邸であれば夜が更けても会は続くのだろうが、王城での慰労会ともなれば時間に限りはある。それでも平時であればそろそろ就寝の準備に取り掛かろうかというくらいには遅い時刻を迎えている。

 食堂職員は参会者が広間を後にするまでは後片付けに取り掛かることが出来ないため、じわじわと減っていく人影が尽きるのをただひたすら待っていた。

 そんな中、入り口付近の人溜まりから一人の男性がこちらにやって来た。


「ここの責任者は?」

「はい、私が今日の現場を預かっております」


 貴人の問い掛けに答えたのは働き者の同僚、ニコライだった。

 彼の方に向き直った男性の顔が露わになり、心の中で「あ」と思う。蜂蜜色の髪を持つその人はかつてカレンに声を掛けてきた、王城内で度々見掛ける壮年の男性だ。


「本日は遅くまでご苦労。手の付けられていない食事、封の切られていない飲み物については君たちの食堂に引き上げてもらって構わない。飲食の自由は認められているので好きにしてくれて良い」

「食器は如何様いかようにいたしましょう?」

「そちらは王族用の厨房から貸し出されているものなので移し替えてもらいたい。洗浄はしなくても構わないとのことだ」

「承知いたしました」


 周囲の職員に行き渡るような溌剌はつらつとした声で男性が指示を飛ばす。

 作業が遅れればその分だけ勤務時間が延びるため、すべきことを的確に伝えてもらえるのはありがたい。


「俺たちが食堂から移し替える食器を持ってくるから、こっちの片付けは頼むよ」


 二人の男性職員がそう残して広間の裏口に向かう。壮年の男性もまた別の仕事があるようで早々に立ち去っていった。

 参会者らしき人影が消え、巡回の騎士や職員たちが広間に残される。カレンはニコライや他の職員たちと共に眼前に広がる料理の選り分けに取り掛かった。


「そっちのテーブルに未開封の瓶を置こう。空き瓶はこの木箱に。手の付けられた食事はこっちの麻袋に入れちまえば、明日清掃係が運んでくれるから」


 いつも通りの口調に戻ったニコライがテキパキと動き出す。つられたカレンも食堂に持ち帰る料理をテーブルの端に寄せる。王族からの貸し出し品と聞いてしまえば皿ひとつを持つにしても慎重にならざるを得ない。美しく盛り付けられた料理は、さながら芸術品のようだった。


(何だか疲れたわ)


 目の前で繰り広げられた夜会の感想を声には出さずに心内で呟く。

 昼時の食堂に比べれば仕事量はずっと少ない。しかし粗相の許されない張り詰めた緊張感の中での作業は精神疲労が大きく、予想だにしていなかったミラベルトとの一幕が追い打ちを掛けていた。


「ニコライさん、あの箱は何ですか?」


 手付かずの料理の向こうに平たい箱が置かれていることに気付いたカレンはニコライに尋ねてみた。あらかじめ料理の説明は受けていたが、綺麗なこの紙箱については何も聞かされていないし、華美な盛り付けをされた料理に隠れていたため、存在にすら気付けていなかった。


「貴族様御用達の店から差し入れられた菓子だよ。蓋に店名が書かれてるだろ?」


 離れた位置からでもきらりと光って見えるのが箔押しされたそれなのだろう。

 ニコライが言うには毎年恒例となっている国王陛下主催の夜会、それも慰労を目的とした会とあってか、貴族の出入りする有名店から献上品が持ち込まれるのが慣習となっているらしい。テーブルに飾られている花瓶の花や、燭台に据えられた色鮮やかな蝋燭も献上された品だという。

 尤も参会客がそれらに手を伸ばすことはないそうで、専ら宣伝目的のために持ち込まれているらしく、食堂職員や清掃職員などが持ち帰ることも慣習となっているとのことだった。


「開けてみな。おそらく中身は減ってないから、それも持ち帰れるぞ」


 作業の手を止めて紙箱に歩み寄ったカレンは、そっと上箱に手を掛ける。引っ掛かりもなく持ち上がった蓋をずらして覗く箱の中には優しい色彩。


(あら、これって……)


 その淡い黄色の粉砂糖には見覚えがあった。

 三角形に切り揃えられ、乱れなく詰められた様式も記憶に新しい。立ち上る甘い香りが目の前のケーキの味までもを思い出させる。


『一晩置くとしっとりして更に美味しいって評判だから奮発して買って来ちゃった』


 ソフィアはそう言って微笑んでいたが、貴族御用達の品であればその言葉に誇張はなかったのだろう。

 それにしても、と思う。

 いつも二人で出掛けるカフェは市民向けで貴族が訪れる店とは程遠い。こんな高級店にまで精通しているとは知らなかった。


(このお菓子を見たら、きっとソフィアも喜ぶわね)


 あの日、嬉しそうにケーキを頬張っていた親友の顔を思い出す。

 再びあの笑顔が咲くのもそう遠くない。

 ほんのりと頬を緩ませてカレンは作業に戻った。



◇◆◇



 木箱の中でカチカチとぶつかり合う酒瓶の音を聞きながら、カレンは広間の裏口へと向かっていた。

 前方を歩く男性職員たちが残飯の入った麻袋や持ち帰り用の料理、未開封の飲み物などを運び、後ろに続くカレンは献上品の花束を抱えている。

 これらの品を食堂に持ち帰れば今日の仕事は終わりとなり、分配は明日となる。


「ご苦労。最後に無用の持ち出しがないか、こちらで検めるので協力願いたい」


 裏口に待ち構えていたのは先程の壮年の男性だった。

 側に居並んでいた騎士たちが男性の合図で荷物を検分する。花束を抱えたまま、その場に立ち尽くすカレンの元にするりと近付いてきたのは、夜更けた時間にも燃えるような色を放つ赤髪のカッツェだった。


「カレンの荷物はこれだけか?」

「はい」

「すまんな。荷物に紛れ込ませて銀器を持ち出そうとした例が過去にあったんだ」


 なるほど、と納得する。

 腕に抱いていた花束をカッツェに渡したカレンは蜂蜜色に髪を輝かせている男性をそっと盗み見た。真剣な目配りで騎士たちの動向を見守っている。提供された食事や備品に至るまでの管理を行うのがこの男性の仕事なのだろうか。

 幾度か王城内で見掛けた際に財政部門のバッジを付けていたことを思い出し、豪奢なバッジが煌めいていた胸元に何となく視線が吸い寄せられる。

 そのとき、奇妙なものがカレンの瞳に飛び込んできた。


(あれは……どうして?)


 それ自体はけして奇妙なものではない。

 しかし、にあることがカレンにとっては腑に落ちない。

 無作法も忘れてその一点を食い入るように見つめるカレンの視界が一瞬で色鮮やかな花に埋め尽くされた。検分を終えたカッツェが花束を押し付けてきたからだ。


じきにわかる」


 カレンだけに伝わる声音で囁いたカッツェにポンと背中をはたかれた。

 その感触すらも気にならないほどにカレンは男性の胸元、濃灰色の上着の胸ポケットに差し込まれた同系色のハンカチと、そこに浮かぶ赤紫色の薔薇の刺繍に目を奪われていた。

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