第30話 スピンオフ
遅れてやって来たキタコー先生と菜穂子、司の三人はキムチ鍋を堪能した後、ラーメンでシメてから冷たいお茶を啜り、リビングのソファにもたれて食休みしていた。
頭を包帯でグルグル巻きにした北大路が、食後のデザートの用意をしていた七海に訊ねた。
「スタンガンを押し当てられるのってどんな気分だった?」
「なんでそんなこと聞くんですか」
七海が眉をひそめると、北大路荒野が後頭部をさすり、苦笑いした。
「いや、たんなる作家的興味だ。後頭部を殴られてばっかりじゃ芸がないからな。キタコー・シリーズ以外の執筆も依頼されてるんだが、なかなか探偵役が決まらなくてな」
「なんかビビビッてきました。身体中に電流が走る! とかよく言いますけど、なんか不愉快な感じでした。あと焦げくさい臭いがしましたね」
柚希に日本酒を注がれまくっていた司はすっかり出来上がっていて、顔が真っ赤だ。
菜穂子のお土産のモンブランをもぐもぐしながら、うつらうつらしている。
司の右隣に絡み酒の柚希がべたべたとくっ付きながら座っており、左隣にほろ酔い加減の菜穂子がちょこんと座っている。
両手に花で、いい御身分ですこと。ふん。
「司、ティトはどうしたのよ。まったく動かなくなっちゃったんだけど大丈夫なの?」
司にまとわりついている柚希を引っ剥がし、膝がくっ付くぐらい近くに座った。
ここはわたしの居場所だぞ。
許可なく近寄るなっての。
まったく油断も隙もないな、このオンナは。
見境がないったらありゃしない。
「今、アトリエで色を塗り足しているところ。定期的に塗り直してあげないと動かなくなっちゃうんだけど、もうすぐうごうごすると思うよ」
なら一安心だ。
司の肩に頭をもたせかけていると、司が妙にもじもじし始めた。
なんだなんだ、やっとわたしを「女」として認識したのか?
……おせーよ。
「七海にお願いしたいことがあるんだけど、いいかな」
「どんな?」
司は言おうか言うまいか逡巡しているらしく、なかなか二の句を継がなかった。
ああ、もうスパッと言え。
そんなところでタメるな。
直球で来い、直球で!
「七海が投げているところを絵に描きたいんだけど、だめかな」
司はなんだかごにょごにょ言っていて、さっぱり要領を得ない。
菜穂子が一から十まで補足してくれた。
探偵キタコーが後頭部を殴られて入院送りになっている間、赤髪のファンキーガールと肩をぶっ壊したライズボーラーがコンビを組んでOJ探偵社の調査を代行する、という『キタコー・シリーズ』のスピンオフ作品の執筆を考えているそうで、小説の表紙絵は司に発注するつもりなのだという。
どこかで聞いた設定だな、おい。
中年オヤジの心理描写はできても、お年頃の女性心理なんて書けるんですか。
女心はフクザツだぜ。
こう見えて、上がったり、下がったり、いろいろ忙しいんだぞ。
「司さんはソフトボールの試合を観たことがないし、七海が投げている姿も見たこともないからイメージが湧かないんだって。それで七海が投げているところを見たいって」
「べつに投げなくてもヌードモデルになりゃいいんだよ。脱げ、ちゃーこ!」
柚希がまたおちょくってくるが、これは無視するに限る。
七海は左手で右の肩をさすると、力なく首を横に振った。
すっかり筋肉は落ち、可動域も狭くなった。
もう昔みたいなボールはきっと投げられない。
ライズボールは浮き上がらないし、ストレートはお辞儀するだろう。
「もう五、六年も投げてないし。下手したらキャッチャーまで届かないかも」
現役のときならともかく、司の前で無様な姿をさらけ出したくはない。
七海が暗に投げたくないと仄めかすと、菜穂子に両肩をぐっと掴まれた。
「ピッチング練習をすれば大丈夫だよ。私が何球でも付き合うから」
菜穂子は七海の眼前に左手を突き出すと、三本指を立てた。
キャッチャーミットまで届かなくたっていい。
ボールが浮かばなくたっていい。
四の五の言わず、投げて来い。
今の全力を見せてみろ。
迷いのない目が、そう言っている。
「いいよ、分かった。投げる」
怪我とブランクのせいで、自慢だった右肩はすっかり錆びついている。
それでも、わたしの
「けどバッターがいないと燃えないから、誰かと勝負させて」
七海が柚希をじろりと睨むと、
「……私? やだよ。ぜったい顔面狙ってくるからパス」
と言って、バッターボックスに入るのを拒否した。
「
「ぜったいやだ! 私は
柚希は当時のチームメイトたちに片っ端から電話をかけ、集合を呼びかけていた。
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