第7話 手乗りドラゴン

「えーと。それで、七海が忘れられない人ってどんな人?」 


 やけにもじもじしながら司が言った。


 年上だろう、もっとしっかりせえよ、と声を大にして言いたい。


 あの日、一緒に観覧車に乗ったのが司だったらどうだったのだろう。 


 おそらく、どうもなってもいないだろう。 


 たとえ菜穂子からライズボールのサインが出ていたとしても。


「それは内緒」 


 心持ち目尻を下げ、両側の口角を突っ張らせた人工的な笑みを浮かべて答えると、司は「あ、そう、うん。ならいい」ともごもご言っている。 


 洗い晒しのポロシャツの胸ポケットが妙にこんもりしていて、司が描いた油絵そっくりの眠そうな竜がひょこっと顔を出した。青い羽根をぱたぱたと羽ばたかせ、司の頭の上に不時着し、「けふっ」と小さくくしゃみをする。 


 性格は飼い主に似たのか、この子もたいがい人見知り。


 スティック状のチリポテトが好物なのでチト、転じて〈ティト〉と呼ばれている。


 司はティトのことを大真面目に「手乗りドラゴンだよ」だなんて言い張っているが、まさしく世間ずれした芸術家の戯言だろう。 


 ドラゴンなんて空想上の生物がいるはずもなく、羽根の生えたトカゲがせいぜいだ。


 実際、インドネシア辺りには翼の生えたトカゲが生息しているそうで、その名も「トビトカゲ」と言うそうな。


 ティトがほんとうにそのトビトカゲの一種なのかは知らないけど、本物のドラゴンである確率よりかは圧倒的に高いはずだ。 


 心に野獣を隠し持つオトコと、胸ポケットにチビドラゴンを飼うオトコ。 


 どっちが良いかと問われても、正直に言えばどっちとも選び難い。


「あーあ、来年どうしようかなあ。就職浪人したって就職できる保証ないしさあ」 


 七海はホットチリ味のポテトチップスの袋を豪快に開けると、一本つまんでティトの鼻先で左右に振ってみせた。


 ティトはふんふんと匂いを嗅ぐと、チリポテトをぱくんと咥え、あっという間に食べ終えた。羽根をばたつかせてもっともっととせがみ、「けふっ」とくすんだ青い霧のような吐息を漏らした。赤い粉を口の周りにくっ付けて、ご満悦の様子だ。


「就職活動って必ずしなければならないものなの? 藝大の油絵科は一学年の定員が五十五人なんだけど、就活するのって毎年二、三人ぐらいしかいないよ」 


 司は「無職でもなんの問題もないよ」と励ましたいらしいが、藝大の常識と世間の常識は明らかに違う。なんの変哲もない二流の私大生に、絵を描いて食い扶持を稼ぐような特殊技能があるはずもない。


 一緒にするな、だ。


「藝大生のほとんどは進路未定のまま平然と卒業していくし、卒業生の過半数は行方不明だよ。無職とかフリーターなんて、ぜんぜん恥じることじゃないよ。純粋芸術ファインアートの世界って、就職を目指している時点で芸術を諦めた落伍者と見なされちゃうところだからさ」 


 あっさりと凄いことを言ってのけると、司が屈託なく笑う。


「なにそれ、就職浪人なんてするなって言いたいわけ?」


「うん、まあ。個人的にはね」 


 一生涯定職に就かず、ずうっとぷらぷらしている人生を可能な限り鮮明に想像してみた。


 今とまったく大差ない。


 職場を転々として、相変わらず肩に冷湿布を貼りながら寂しく一人暮らししている将来をありありと思い描いて、ちょっとぞっとした。


「どう考えても暗い未来しか思い浮かばないんですけど。いいよね、絵描きはお気楽で」 


 ちょっとばかり憎まれ口を叩くと、司はティトの頭を撫でながら、ふるふると首を振った。


「絵描きだって見た目ほど楽じゃないよ。芸術家の行きつく先はゴッホみたいな拳銃自殺と相場が決まっているからね。まあゴッホの場合、自殺じゃなくて他殺だったなんて説もあるみたいだけど」 


 芸術関係の話になると、司の口は滑らかになる。

 普段もこれぐらい喋ればいいのに。


「もしかして拳銃なんて持っていたりするの?」 


 羽根の生えたトカゲを公然と入手できる非合法ルートがあるならば、拳銃の一丁や二丁ぐらい楽に手に入りそうだ。司は目をぱちくりと瞬き、小さく意味深な笑みを漏らした。


「僕は拳銃なんて持っていないよ。当たり前でしょう」 


 おいおい。


 僕は、ってどういうことよ。僕は、って! 


 ……こえーよ、司。

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