第4話 不完全燃焼

 右肩が物理的に動かない、という弊害は日常のあちこちに不便をもたらした。


 まだ夏休み中であったのが不幸中の幸いであったが、食事のときには右手で箸を持てず、片腕を吊ったような状態で洋服を着替えるのは毎度毎度重労働であったし、利き手と逆の左手で歯を磨くにも、洗顔をするにも、シャワーを浴びるにも一苦労であった。 


 風呂上がりに冷湿布を貼ろうにも、片手だとうまく貼れず、ぐちゃぐちゃになってしまう。寝床に入ったら入ったで、右肩周辺に電流のような夜間痛がたびたび襲ってきて、おちおち眠っていられやしない。


 深夜にベッドから起きだしては、コップに水道水を注ぎ、痛み止めを放り込む、という無為な日々が続いた。 


 毎朝の日課であった鶴見川沿いのランニングは、犬連れの老人のお散歩のようなのんびりペースとなり、夏休みが終わる頃には習慣そのものが消滅した。いちいち着替えるのが面倒だったのも理由の一つだが、歩くたびに右肩が擦れて痛みが出るため、却って逆効果だと思ったためだ。 


 小学四年生で入団した地域のリトルリーグでは男子に混じってプレーした。五、六年生の頃には男子を押し退けて、ピッチャーを務めた。生まれつき地肩が強かったのか、オーバースローで投げおろすと、チームで誰よりも速くて強い球を投げることができた。


 男勝りとか、女のくせに可愛げがない、などと一部でやっかまれていたらしいが、試合に勝っている限りチームメイトたちは誰も表立って文句を言うことはなかった。 


 女子野球部がなかったので、中学校に入学してからはソフトボール部に入ったが、上から投げるか、下から投げるかの違いはともかく、速いボールを投げられる右肩はなによりの自慢だった。 


 その右肩がまるで言うことをきかない。


 新学期が始まってもリハビリに通うだけの日々が続き、気がつけば肩周りの筋肉はごっそりと削げ落ち、スポーツ少女の代名詞であったはずの日焼けした肌も、文化系女子たちと大差ないぐらいに白くなっていた。


 受傷から三ヶ月経ち、四ヶ月が経っても、腕を上げると肩が引っ掛かったような違和感を覚えた。


 怪我前のようには力が入らず、とてもではないがまともにピッチングなどできない。 


 年明けに鏡視下手術を受け、腱板の断裂部分を縫合してもらったが、どうしても最盛期の球威は最後まで戻ってはこなかった。


 先発投手の座は後輩に譲り渡し、練習の日でも菜穂子にボールを受けてもらう機会は激減した。当然、菜穂子との会話も減った。


 右肩がいかれるまでは、ちらほらとだが試合会場のスタンドにはスカウトの姿があった。大学名の入った名刺も何枚か貰ったし、実業団チームからのお誘いもあった。


 将来の進路については気楽に考えていて、スポーツ推薦で大学進学しよう、菜穂子と同じ大学に行けたらいいな、ぐらいの漠然とした思いだけがあった。


 引退試合をベンチで迎え、その道も消えた。 


 手術後も思うようなボールが投げられず、毎日泣いた。


 だけど引退試合のその日はまったく悲しくなくて、ただただ不完全燃焼のまま、高校生活最後の夏が終わった。

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