モブなあたしへの応援コメント
野栗 様
マキシです。
お忙しいお仕事に追われる女性の日常の一部を切り取ったようなお話しですね。確かに不意に子どもの頃のことを思い出したりってある気がします。それでくすりと笑ってしまったり。
そういえばトイレの神様(というより便所の神様)は、箒の神様とならんで安産の神様だとか(あと一人いたはず……誰だっけ……)。きっとこの女性は安産に恵まれるのでしょうw ちなみに箒を跨ぐと箒神の反感買ってお産の時にわざと遅刻されたり(難産になる)するそうです。怖い!w
それではまた。野栗 様に幸多からんことを!
作者からの返信
こちらにもおいでて頂き、感謝です!
モブキャラ的存在って、社会の中では圧倒的なマジョリティなのに、なぜか肩身が狭いような思いをさせられてしまう。モブの一人として、多数の中に埋もれ、不必要に他人から注目されるようなこともなく、平穏に生きることって、果たして何の価値もないつまらない人生なのでしょうか。
「平凡で普通」であり続けることが、本人の人間性と、それからいくつもの偶然と幸運が重なった結果であること。
学芸会の劇の、「その他大勢」のわずかなセリフがたとえ教師にやすやすと剥奪されても、モブの中で生きるひとりひとりの人生は、誰にも奪うことはできないのです。
私は時折「自分なんかどうせいてもいなくても同じじゃん」と感じることがあります。どうでもいい存在なのだから、周囲に媚びる必要はない、とようやく割り切れるようになってきました。
なんだか自分語りになってしまい、すみません。
コメント感謝です!
モブなあたしへの応援コメント
自分なりに頑張ったのに、
しかもただの通行人みたいなどうでもいいキャラなのに
先生にダメだしされた、悲しい記憶を思い出しました
せつない…
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。
教師に覚えめでたい子が「目立つ」役をやり、その他大勢の子はモブキャラで、与えられたわずかな役割すら剥奪されてしまう。
今の保育園や小学校の学芸会が「桃太郎が10人」とか揶揄されることがありますが、全ての子どもに光を当てたいという指導側の思い、そして輝く我が子を見たいという親の思いを手放しで揶揄できる権利のある人間って果たして存在するのだろうか? と思うところがあります。
モブはモブで、教師から面倒くさいことをやらされたりしないというメリットがあるので、決して悪いことばかりではない。教師に勝手に期待され、それに応えられないかも、というプレッシャーから自由だというのは、非常に幸せなことだと思うのです。
コメント感謝です!
モブなあたしへの応援コメント
文章のリズム感が巧みで、テンポ良く読めました。
小学校の学芸会で、村人の一人だった自分を思い出し、心がほんのり温かくなりました。
懐かしい記憶を思い出させていただき、ありがとうございました!
作者からの返信
読んで頂きありがとうございます。昨今の学芸会や発表会は、どの子も同じ比重で出演できるように配慮されていると聞いています。その結果、ピーターパンとウエンディが10人ずつ登場するような「劇」が舞台に乗るなんてこともあるようです。これを外野から批判したり嘲笑したりするのは簡単なことですが、どの子にもひとしく光を当てたいという大人の気持ちがさまざまな試行錯誤を経つつあるということは、素直に歴史は進歩していると考えていいのかなと思っています。
それでも、社会の周縁に追いやられる存在は絶え間なく、かつ大量に表れます。人のいのちは地球より重い、という言葉が薄っぺらく聞こえるこの時代に、「その他大勢」ひとりひとりのかけがえのないいのちを見つめる作品を書きたいと願っております。
コメント感謝です!
モブなあたしへの応援コメント
今日は、自主企画に参加して頂き有難うございます。
こういうことってよくある話ですよね。
キラキラ輝いている人を見て、ふとこの主人公のように考えてしまって、溜め息混じりに愚痴を呟いてみたりして、気を紛らす時間が、増えてくると言いますか。
まぁ、それでも自分なりに考えて生きているなら、これもまた幸せなのかな?
そんなことを考えさせた物語でした。
作者からの返信
城や宮殿を作ったのは〇〇(その時代の支配者)だ、と教科書には載っていますが、実際に造ったのは無数の労働者、モブキャラ群なんですよね。
自分がコミュニティの中心になることなんか考えられない、っていう人生を、いかにのんびりと楽しんでいくか、楽しんだ者勝ちなのかな? と思ったりします。読んで頂きありがとうございます!
モブなあたしへの応援コメント
んあー高校の時の演劇での悔しかった思いを思い出しますた^p^
運10年前なんで記憶は不確かですが、自分なりに上手くやったと思う役を他の奴に取られ、悔しくて丁度入院してた親の病気に当て込んで全ての役自体を降板した思い出 今思えば大人げなかったなあ
当時はそれなりにどんな事もこなせる感じだったので、一芸特化の人物には叶わなかったんですよね、器用貧乏というか、それでも安いプライドをズタズタにされた悔しさだけは今も思い出せます
作者からの返信
淡雪様の短歌を見て、長い間思い出すこともなかった小学生時代のエピソードがよみがえりました。似たような体験をお持ちの方、結構いるかな? と思いつつ一気に書きました。
お気持ち、痛いほど伝わってきます。私はもう、どうせモブだし~という感じでしらけていたのですが、それでも長い方のセリフをあっさりカットされたのは、結構ビックリでした。先生は確実に忘れています(モブのことなんか、ね☆)が、子どもはちゃんと覚えてます。
こんな感じで、あの時の「証拠」残せてよかったかな((´∀`))
読んで頂き、またお★様ありがとうございます!
モブなあたしへの応援コメント
はじめまして!
自分は頑張っているのに・・・
ほかからはモブキャラ(通行人)のようにしか感じてもらえない。
なにか読んでいる方の僕でも胸にぐわっと刺さるような文章でした。
あと自主企画参加ありがとうございます!
文章も読みやすく、僕の心にも刺さりました!
作者からの返信
コメント&お星様🌠ありがとうございます!
この世の中「モブキャラ」が圧倒的マジョリティです。「頑張る」ことの目的が「自分の存在を他者/世間に認めさせる」である限りかなりしんどいですし、カクヨムで著作に励む方々の中にもそんな方が一定数いらっしゃる、ような気がします。
私が好きな物語に「ネギをうえた人」という朝鮮の民話があります(宣伝になってしまいますが、この物語を朗読劇用脚本にしたものをカクヨムに上げています)。人々を不幸から救い幸せにする種を蒔いている人は、誰からもその存在を顧みられることはないが。その人の蒔いた種は確実に社会を明るく照らす灯になる、という感じの話です。この種を「誰が」蒔いたかなんて、考えてみればどうでもいいことなのです。
心に沁みるお言葉、ありがとうございます!