渦戻り
MEMO
場所/△△山中にある縫製工場跡地
案内/元配送業者
備考/道に詳しい案内人の運転で現地に向かったが、曲がりくねった山道を数時間走り続けたため車酔いに苦しむ。途中で何度か休憩してもらい、当初の予定時刻から一時間遅れで現地に到着。外から見学のみという話だったが、案内人が建物内部へ入れてくれた。
*****
さーて……ようやっと到着、です。長い時間お疲れ様でしたね。さ、降りて降りて!……吐きそう?袋いります?大丈夫?いやいや、迷惑だなんて。まあね、当時からここは不便な土地でしたわ。山肌に貼りついたような崖っぷちの細道を大型トラックでぐねぐね走ってると、慣れてる私もたまに不安になりましたから。初めての人は仕方ないですよ。ハハハ。
私がこっちで働いてたのは……二十年以上前かな。縫製工場の事業が一番盛況で、人手不足だから来ないかって兄貴から言われてね。いえ、私たち兄弟は工場の中で働いてたんじゃなくて、工場で使う資材をトラックで搬入してたんです。大量の糸とか布とか染料、ミシンの部品やら糸巻きやら……あ、都会からやって来た機械技師を助手席に乗せて送迎したこともあったな。同じようにみんな車酔いしてたのを思い出しましたわ。ハハハ。
さて、落ち着きました?じゃあさっそく中へ入ってみましょうか。工場の入り口はここです。いやあ、案内の話を聞くまで自分がここの鍵を預かったままでいることさえ忘れてましたわ。ハハハ。本当は工場閉鎖の時に返すはずだったんですけど、なんせ色々と急だったもんでね……ま、今回こうして役に立ってよかったですわ。おいおい説明しますけど、入り口から出口までは一方通行ですから順路に従ってくださいね。さあ、お先にどうぞ。
道具や資材は残っていませんが、広くて堂々とした空間でしょ。工場が稼働していた頃は天井いっぱいに機械やレールが張り巡らされてね、大量の糸や布が次々出来上がって、工房までどんどん運ばれて、たくさんいる女工さんがミシンを動かす音が賑やかでね……いやあ、懐かしいですわ。……いえ、兄貴も一緒に来られたらよかったのになと思って。兄貴はね……私と違って男前で、女工さんらに人気があったんですわ。私らが搬入でやって来ると、女工さんらが工場の窓から手を振ったりしてね。ハハハ。
おっと、脱線した……工場の話が聞きたいんでしたよね。ここは当時の近隣自治体が合同で建設した工場なんです。公共事業にしては規模が小さいと思うでしょ?実は特に綿花や布製品が特産という訳でもないんですわ。この工場は、この地域に必要な製品を作るための施設なので。何を……と言われると、普通の生活に必要な布製品はほとんどですね。服、肌着、靴下、帽子、寝具、ハンカチにタオル、カーテンや絨毯……それこそ都会でも売れそうな、良い製品をたくさん作ってましたわ。
ああ、この地域でしか使われない理由ですか……デザインが独特というかね……うん。この工場で生産してる製品には、必ず渦巻き模様がついてたんです。大きさや色はバラバラだけど、服もカーテンも一枚残らず刺繍や染料で渦巻き模様を入れてました。ここの人らにとって大切なシンボルだったみたいです。渦巻き模様というか、渦そのものが。
そうですね……自然信仰というんですかね。例えば、川や海に出来る渦だとか、台風の目や竜巻だとか、自然で発生する渦ってのは、力が働いて一方向に集まったり散開していったりするでしょ?そういうものには人智の及ばない力があるというか……工場にいる人らはそう信じてました。女工さんと話した時も、生活の中で渦の流れを見たり渦巻き模様を身に着けたりするのは良いことだって言ってましたわ。渦の力が働いて、全てが順調に動いていると感じることで心が穏やかになるとか何とか。
ほら、人生も一方向に進むだけで、後ろに戻りはしないでしょ?渦みたいなものじゃないですか。ハハハ。私は見たことがないですけど、女工さんらの実家がある集落では渦巻き型の墓を建てるらしいですよ。きちんと渦の流れにのって寿命を終えた、万が一にも渦を逆戻りしませんように、ということで埋葬後の墓はきっちり密封してしまうそうです。この工場近隣でしか残っていない慣習だそうで、面白いなあと思いましたわ。
え?ああ、いえいえ、みんな普通の若い娘さんでしたよ。こっちに渦の信仰や慣習を押し付けるような言動も全然なかったし、よそ者の私ら兄弟に対しても色々教えてくれてね。私らもそれを尊重して、茶化したり否定したりしませんでした。実際、ここで働く分には何も不都合はなかったですから。女工さん以外の工場関係者の人らも良い人で、兄弟そろって親切にしてもらってね。
さっき、工場の入り口と出口の話をしたでしょ?この建物も上から見ると渦巻きのような構造になってるんですわ。流れに従って入り口から入り、流れに沿って出口から出る。だから工場内は一方通行。たまに工場内に資材を運び込んだ時とかに、それだけは守ってほしいと言われましたね。渦の流れに逆らうのはとても悪い行為だという認識みたいで、みんな気をつけてました。
ああ、それで思い出したわ……ここの人らもね、渦なら何でもいい訳じゃなかったんですよ。あのね、ここらでは、カタツムリが縁起の良い虫だって言われててね。もちろん渦巻き模様の虫ですから、ハハハ。でね、カタツムリの殻って実はほとんどが右巻きだって知ってます?殻が左巻きなのはすごく珍しいんですよ。で、ここらでは左巻きのカタツムリは渦が逆向きの不吉な存在だって忌避されてたんですわ。虫嫌いの兄貴なんか言われなくても忌避してましたけどね。ハハハ。
さて、また脱線しちゃいましたね。案内に戻りましょ。奥の大きな扉が見えます?あそこは染物工房で、染めた製品を干して風を通すために壁全体が開くようになってるんです。そりゃもう、色とりどりの布が風になびいて綺麗でしたよ。染められた渦巻き模様が揺れて、本当にグルグル動いてるように見えて……特に染物が上手な女工さんがいてね、彼女が作ったシャツは人気があったらしいですわ。
この工房で刺繍や染物の工程が終わると、あそこの部屋で仕上げと検品をしてました。その後、布製品を箱に詰めて出荷に回します。いえ、出荷は私らとは別の業者で……おそらく近隣の町、女工さんらの住んでる場所に送られてたと思いますが。ああ、本当に兄貴と来られればよかったのにな。実はね、兄貴はさっき話した染物の上手な女工さんと結婚してね、工場の内情にも詳しかったんですわ。兄貴ならもっと……すみませんね、私だとわからない事も多くて。
ええ、工場の閉鎖は突然でした。私らに知らされたのも直前で……何か事情があったんでしょうけど。ちょうどその頃は、義姉さん……兄貴と結婚した女工さんが流産してしまってね。二人とも意気消沈して、仕事云々どころじゃなかった。工場で働いていた人らはどうなるのか、渦巻き模様の製品はどうなったのか……何も知らされないまま工場は閉鎖し、配送の仕事もなくなりました。義姉さんは工場の話はしたがらなくて、女工さんらの行方も聞けずじまいです。
今日ここに来られたのは少し嬉しいけど……懐かしさより寂しい気持ちがありますわ。何だかしんみりしちゃいましたね。ハハハ。さ、そろそろ出口へ向かいましょ。この先は倉庫と出荷用のトラック駐車場があります。たまに、私ら兄弟とは違う出荷担当の配送業者を見かけました。いつも忙しそうだったので声をかけたことはないです、が……
……ギャー!
あ、あ、ダメダメ!離れて!
すみません、大声出して……だけど、それは本当にダメです。
さっきカタツムリの話をしたでしょ?女工さんからもうひとつ教えてもらったんです。この近辺のカタツムリに寄生する珍しい粘菌がいるって。名前は難しくて覚えられなかったけど、女工さんが言うには、宿主が生きてる間は特に見た目に変化はないけど、宿主が死ぬとあの形に変わって表面に現れるらしいです。まるで、カタツムリの殻の中から赤ん坊の指が這い出てくるような、不気味な姿だと……まさにそれですわ。
ここの人らはこれを悪いものだって、特に左巻きの殻に寄生したものは不吉だって言ってました。ああ、今になって見つけてしまうとは……実は、私、昔これを探すように言われたことがあるんです。義姉さんの頼みでした。子供を亡くした後、本当に憔悴した様子で私に縋ってきてね。……いえ、義姉さんには悪いですけど、探すことはしませんでした。だって……義姉さんはね、これは死んだ人がこの世に戻ってきたものだって言ったんですわ。
これ、まるで誰かが渦の流れに逆らって這い出てきているように見えませんか?だからこれは渦の流れに逆らって戻ってきた人の姿なんだって。義姉さんの故郷にはこれを見つけた人は、亡くなった人をこの世に戻せる……なんて噂があったと。でも実際にそれを実行した人間は早くに亡くなるんだとも……そんないわくつきのものを、兄貴には内緒で探すのを手伝ってくれないかって、あの子を戻したいって……とても正気とは思えませんでした。
でね、心配になって菌類に詳しい人に意見を聞いてみたんです。「現物を見てないし昔の噂の真相はわからないが、その菌類がもし人体に有害な毒素を持っていた場合、素手で触ったり部屋に置いたりすれば体調を崩す可能性はあるだろう」なんて言われて……怖くなりました。だって、人間そっくりに擬態した有害な菌を手に取らせようとする噂なんて、まるで何かが人間を操って滅ぼすためにそう流布しているような意思を感じて……渦から戻ってくるのは、何なんですか?
……ええ、兄貴なら何とかしてくれるだろうってこっそり知らせました。義姉さんを説得して、無事に思いとどまらせたみたいです。自分も辛いのに落ち込む義姉さんを支えて、工場閉鎖後に新しい仕事を見つけてきて、毎日必死に頑張って……本当に自慢の兄貴ですよ。ああ、一緒に来られればよかったのにな……残念です。
……ま、娘の大学合格祝いパーティーがあると言われたら仕方ないですわ!兄夫婦が都会に越して、生活を立て直して、また子供を授かったと聞いた時は私も嬉しかったですよ。兄貴に似て努力家の女の子でね、義姉さんも本当にかわいがってて……え?いえいえ、二人とももちろん元気にしてますよ。最近は夫婦そろってゴルフ始めたらしいですわ。ハハハ。
さ、工場も一通り見回ったし、そろそろ外へ出て、ぐるっと回りながら駐車場まで戻りますか。大丈夫ですよ、帰りはもう少しゆっくり走りま……ちょっと、何してるんですか?いや、ストップストップ!持ち帰るって……えっ、これをですか?!私の話聞いてなかったんですか?!人体に有害かもしれないんですよ?!確かめてみるって、あなたカタツムリか菌類の専門家なんですか?違うでしょ?
そういう話じゃ……えっ?いや、私が工場の鍵を持ってたのと、この件は別じゃないですか。そもそも私は命の心配をして言ってる訳でして、黙っておくって言われても……え、兄貴にですか?そ、それはちょっと困りますわ。兄貴は私と違って真面目で厳しいんですから。私が鍵を処分しなかったうえに勝手にそれを使ったと知ったら、冗談抜きで渦に投げ込まれかねませんよ。参ったなあ。
……えっと、お互い何も見なかった、ということで、いいですか?はあ……。あの、こんなのは今回きりですからね、本当に。ああ、それをきっちり密封するまでは車に乗らないでくださいよ!あと、車酔いしようがカタツムリが降ろうが、帰り道はノンストップで走りますからね。……冗談ですって。ハハハ。
*****
MEMO
概要/カタツムリの死骸に発生した菌類と思しき物体。子実体と考えられる部分は人間の指に似ている。
保存/他の粘菌の情報を参考に、密封容器と培地での飼育を試みる。まめに様子を見たが、二日後に殻だけを残して溶けるように消えてしまった。体調等に変化はないが、念のため密封容器のまま保管。
余談/帰路で購入した絵葉書で案内人に礼状送付。後日、案内人と兄の連名で返信あり。元女工の女性に話を聞けないかと尋ねた件については本人が拒否とのこと。また、案内人からは兄と話し合い、工場の鍵は処分したと断りがあった。収蔵済。
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