架空家苞記(かくういえづとき)

鈍色昆虫

指魚の骨箱

MEMO

場所/元漁村

案内/地元出身の元漁師

備考/現地は数十年間無人であり、公共交通機関も廃止されていたためレンタカーで向かったが、地図でチェックした道が崩落していた。案内人が浜辺を突っ切る裏道を教えてくれたので何とか到着。最新版の地図が必要。


*****


アンタ、ほら、見えるかね。向こうの海面が黒いだろう。この辺りは地形の影響と西からの海流があって、他所では獲れないような珍しい魚がよく揚がったんだ。それで昔は村も羽振りがよかったよ。村人は皆漁業関係者で、男も女も老いも若きも船に乗って漁に出てな。まあ、閉鎖的な気質や面倒な因習もあったが……今じゃこうして誰一人いなくなった、元漁村の跡地って訳だ。


こんな辺鄙な場所にわざわざやって来るのは、もうアンタみたいな物好きくらいだよ。人も船も残ってやしないのに……何が見たいんだい?いいや、聞いたってどうせ俺みたいなもんには理解できないだろ。怪我をして漁師を辞めるまで、本すら碌に読まなかったからな。アンタがここに来る理由を説明させる時間がもったいない。そうだろ?今日一日の案内だ、謝礼分は付き合うよ。俺が住んでたのは何十年も前で、昔話くらいしかできないが……それで構わんかね。


ああ、あそこに見えるやつかい。骨組みしか残ってないが、昔の漁師小屋だ。珍しいだろう?この辺りの風習で、船大工が漁師小屋も作るんだ。崩れて元の形がわからないだろうが、船の底をひっくり返して乗せたような屋根が特徴でね。俺が子供の頃は、そういう小屋がこの浜辺のあちこちに建ってたな。ああ、ダメダメ、近づくのはそこまでだ。もしこれが崩れて下敷きになったら、アンタ、助からないよ。瓦礫の重さで、濡れた砂にどんどん沈んでいくんだ。悪い事は言わないからやめときな。


……まあ、少し懐かしいね。こういう小屋は子供の遊び場だった。俺の従弟はボロボロの古い小屋に忍び込んで、そこで死んだよ。瓦礫に埋もれて、砂だらけで、半日経って母親が探しに来るまで、誰にも気づかれなかった。あの時の葬儀で見た顔は今も忘れられないね。……アンタ、おい、ダメだよ。今正に危ないって話をしてたのに、どうしてそうやって不用心に近づくんだい。え、何があるって?何か見つけたのかい。見せてごらん。


……ああ、こんなものがまだ在ったのか。


アンタ、そりゃだよ。


蓋は無かったか、じゃあ、どこかに行っちまったんだな。きっとこの漁師小屋が崩れた時に、屋根裏やら壁の隙間やらに隠してたやつが転がり出てきたんだろう。アンタ、そんなものが気になるかい。不気味だろう。……持ち帰りたい?奇特な人だね。いいよ、持っていきな。文句言う連中なんか誰も残ってないからな。ただし、アンタも文句は無しだよ。何があってもだ。


この箱についてか……あまり良い由来のある物じゃないんだがな。アンタ、本当に聞きたいかい。……まあ、こんな物を覚えているのは今じゃ俺くらいだろうさ。話してやってもいいよ。全部聞いた後で、それをどうするか決めるといい。少々長い話になるだろうから、そこの岩に掛けようか。アンタも適当に座りな。ああ、歳をとると潮風が関節に響いて困るよ。さて、どこから話そうかね。


アンタ、その箱に入ってる物、何かわかるかい。人間の……小指の骨?うん、そうだ、それにしか見えないだろうな。違うんだよ、実はそれは魚の骨だ。昔、ここらの海底で獲れた不気味な魚の骨だよ。俺も何度か底引網で引っ掛けた事がある。深海魚みたいな見た目の大きな魚で、全身が灰色でブヨブヨしてて、奇妙な形の前鰭で海底にへばりつくように歩くんだ。……何、食えるのかって?アンタ、正気か?


少なくとも、俺が船に乗り始めた頃には誰も食ってなかったね。名前すら認識されていない、金にならない、ハズレの魚。グニャグニャして気味が悪いし、巨体で他の獲物を押し出しちまうし、網が重くなるし、獲れたそばから海に捨てちまってた。それを誰だったか……そうそう、新米の若い漁師が、興味本位で持ち帰ったんだよ。ブヨブヨした巨体を捌いてみると、例の奇妙な前鰭にある骨が、人間の小指の骨とそっくりだって事に気付いたんだと。


そいつはどういう訳か、その骨を気に入った。骨を乾燥させて、小さな飾り箱を作って入れて、当時恋人だった娘に渡したんだよ。ほら、漁師ってのは、命懸けの仕事だろう。昔は陸よりも海で死んだ、海でいなくなっちまった連中の方が多かった。荒れた海で船が転覆したら、泳ぎの達者なやつでもまず五体満足で帰ってこない。村にも遺体の無い漁師の墓がたくさんあったもんだ。


箱を贈ったのは、もし自分が海で死んだらこれを自分の骨か形見だと思ってくれだとか考えたんだろうな。贈られた方だって相手を悪く思ってなきゃ、自分を慕うやつから自分の一部だとか何とか言われて渡されたら意識するだろう。アンタはどうか知らないけど、若い連中ってのはそういう話が好きだからな。箱の噂はあっという間に広まった。好いた相手に良い格好がしたくて、皆がこそこそ例の魚を獲るようになった訳だ。


俺の親父は底引き網専門だったんだが、まだ自分の船を持てないような若い連中からあの魚が獲れたら売ってくれと頼まれて驚いてたよ。俺も何度か仲間に売ってやった。そうだな、その頃には指魚と呼ばれてたと思う。贈るときに骨箱の蓋にきれいな細工彫りや名前を刻んでやると喜ばれるってんで、特に細かい仕事が得意な船大工には箱作りの注文が殺到したってよ。嫌われ者だった指魚は、気づけばすっかり福の神だ。


いや、上役の年寄りなんかは嫌ってたがね。鰭の骨を取った後の指魚を海に捨てちまうもんだから、漁に障りが出るって。さっきも言ったが、俺の親父は底引き網漁をしてたもんで、その件については同感だ。あの頃はしょっちゅう網が引っかかって、海底の様子を調べてたんだがね。まるで墓場みたいに指魚の死骸が積み上がって……陸地の浮かれ具合とは対照的で不気味だった。あの光景を見たら、骨箱を作ろうとは思わんよ。


まあ、そうして骨箱は大いに流行ったんだが、残念ながら馬鹿なやつが出るもんだ。悪人じゃないんだが、思いこみの激しいやつでな。金持ちの漁師の一人娘に惚れちまった貧乏な若い漁師が、本気を示したかったのか知らないが、指魚じゃなくて自分の小指を切り落として箱に詰めて送り付けたんだよ。可哀想に、娘は卒倒して病んじまったそうだ。その娘の親父はもちろん、漁師の親族一同も大騒ぎして、若い漁師は村を追い出された。どっちみち村で仕事は続けられなかっただろう、哀れな男だ。


その件がきっかけで、村の上役達はここぞとばかりに骨箱作りを禁じた訳だ。若い連中が金にならない魚ばかり獲って、村の生業を疎かにしてちゃ話にならない。でもアンタ、人の感情ってのはそんなんじゃ治まらないってのもわかるはずだ。禁止されるとやりたくなるのは人間の性だよ。こっそり指魚を獲って骨箱を作るやつはいなくならなかったね。人に知られてはいけない秘密の箱を贈られたら、そりゃあ恋も燃えるってもんだ。そうだろ?


……でも、馬鹿者はもう一人いたんだ。それは村で一番立派な船大工の娘で、名士との婚約が決まってた。ある晩、彼女はある漁師の男が寝ていたところに大工道具の刃物で襲いかかって、小指を切り落として奪うと、真っ暗な海に小舟で逃げちまったんだよ。どうやらそいつに叶わない恋をしていたらしいが、まあアンタ、村は大騒ぎだ。海に出る者が慕う相手に身代わりとして骨を置いていくどころか、慕う相手の指を奪って海に逃げるなんて滅茶苦茶じゃないか。


村中の漁船が出て彼女を探したが、小舟の行方はとうとうわからなかった。その時期の海は荒れていて、彼女の姿どころか船の残骸すら見つけることができなかった。漁師仲間は指と一緒に海の底に沈んだんだと噂してたよ。特に親しくしていた訳じゃないけど、俺は彼女の事は昔から知ってたから、まあ……寂しかった。凛としていて、俺みたいな愛想のない男にも親切な娘だったよ。空っぽの棺で葬儀をしてやったご家族が気の毒だったね。


まあ、そういう事件があっても変わらず村の皆は船に乗って漁に出る訳だ。そしたらどうだい、その年から指魚が異様に網にかかるようになったんだ。アンタ、想像してみなよ。重い網を苦労して引き揚げたら、灰色の指魚が大量に詰まっていてギョロギョロした目で見上げてくるんだ。不気味ったらないよ、漁場を変えても指魚ばかりだ。漁師は迷信深いやつが多いから……逃げた娘が指魚に化けたとか、指魚が海底で娘と指を喰って繁殖したとか言って気味悪がってな。誰も指魚を獲らなくなった。それで骨箱は今度こそ完全に廃れたね。


まあ、無理もない。そもそも金にならない指魚しか網にかからないんで、漁師はどんどん稼ぎが落ちて皆苦労したから、箱どころじゃなかった。けっきょく、大量の指魚のせいで近隣の海では仕事が出来なくなったから、大半の漁師達は遠洋か出稼ぎに行くしかない。村に残ったのは養殖業をやってた連中くらいだが、それだけじゃ長くは続かない。どんどん漁業は廃れて、村から人が出ていって、最終的にこの漁村には誰もいなくなった……という訳だ。


俺かい?俺は親父から漁業は継がなくていいと言われてたからな。ちょうど怪我もしたし、村を出て、結婚して、家内の地元に移り住んで、観光船の運転手を定年まで勤めた。俺みたいなつまらない人間は特に縁がなかったが、骨箱の事は今でもよく覚えてるよ。良い思い出なんてないけど、指魚については多少は儲けさせてもらったから感謝してもいいかな。……今も指魚は獲れるのか?さあ、どうだろうな。……いやいや、食べられないのかって、アンタ、やっぱり変だよ。


……ずいぶん長居しちまったかね。潮風にあたりすぎた。村の跡地も見たいんだろう?そろそろ移動しよう。その箱はどうする?持って帰るのか。まあ、それが指魚の骨か本物の人骨かは知らないが、アンタの好きにしな。確かめたけりゃ、口に入れて歯で噛んでみりゃわかるんじゃないか。俺は魚の骨も人の骨も海のような味がすると思うがね。


早く行こう、妙な雲が流れてる。きっともうすぐ風が荒れるよ。違う違う、あの雲だ。アンタの立ってるとこからじゃ見えにくいか。ほら、ここから真っ直ぐ、水平線の方を向いて……こっちの……。なんだい?ああ、俺の小指かい。言っただろう、漁師の時に怪我したんだ。機械に巻き込まれてな。箱に詰めてなんかいないよ。


……アンタ、信じるかね。


*****


MEMO

概要/手製の木箱入りの魚の骨。蓋はなし。人骨の可能性あり。

保存/数日かけて乾燥後、除湿剤と共に収蔵済。

余談/帰路で購入した絵葉書で案内人に礼状送付。後日、色褪せた観光船の絵葉書にて返信あり。収蔵済。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る