ざまぁされた王子と婚約させられた辺境伯令嬢は、徹底的に教育する

柴野

前編

「お嬢様、婚約者様が到着いたしました」


 専属メイドからその言葉を聞いた瞬間、わたしは思わず「は?」とドスの利いた声を出していた。

 慌てて振り返れば、そこにはすまし顔でこちらを見つめるメイドの姿。彼女は微動だにせずもう一度同じ言葉を繰り返す。


「お嬢様、婚約者様が到着いたしました」


 ……これでわたしの聞き間違いではないことが明らかになった。聞き間違いであったならどれほど良かっただろう。


「あんた、何言ってんの? わたしに婚約者なんていないんだけど」


「あら、いらっしゃるではないですか。今日から」


「――説明したら許す」


 当然のような顔で言うメイドに腹を立てながらも、わたしはできるだけ冷静を装ってそう言葉を返した。

 しかし胸中は決して冷静とは言えず、理解不能な状況への疑問の声を上げていたが。


「第二王子殿下の噂はご存知ですか」


「あー、まあなんとなく」


「彼でございます、あなたの婚約者様は」


 わけがわからない。

 どうしてやらかした第二王子がこの辺境へやって来るのか。どうしてわたしの婚約者なんて話になるのか。

 まるで、わからなかった――。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 第二王子ブランドン――殿下と呼ぶのはなんだか気に入らないので呼び捨てにしよう――は、王都でぬくぬくと育ったボンボンだ。

 同じ王侯貴族とはいえど、寒く厳しい環境に耐え、常に前線で身を張って魔物と戦っている辺境伯領生まれのわたしとはわけが違う。しかも婚約者はとある公爵家の令嬢で、そこへ婿入りして公爵になることが決定しているという風に聞いていた。


 ――しかし。


「貴様のミリィへの数々の悪行は許し難い! よって、婚約を破棄するッ!!」


 何を血迷ったか、隣にいかにも意地の悪そうなピンク髪の女――ミリィとかいう名の男爵令嬢を侍らせたボンボン、もといブランドンは、そんなことを宣ったのだ。

 たまたまわたしもその場に居合わせたが、バカがバカ騒ぎをやらかし始めたパーティーなど長居したくなかったので騒動の隙にささっと逃げてしまった。


 故にその後のことは実際目にしたわけではないのだが、風の噂では、ブランドンは公爵令嬢からぐうの音も出ぬほどに言い返され、兄の第一王子に愚物呼ばわりされただけにとどまらず、最後には愛しの男爵令嬢にも行方をくらまされてしまったのだとか。

 一方、公爵令嬢は長らく婚約者のいなかった第一王子に見初められ婚約し、今は未来の王妃となるために励んでいるらしい。


 きっと王子はこっそり毒杯を賜って殺されるか男としての能力を失わされた上で追放されるかのどちらかだろうと思い、わたしは「ふーん」という気持ちで噂を耳にしていた。

 だから夢にも思わなかったのだ、そんな男がこのシュガツァ辺境伯領へ足を踏み入れるなど。


「父様、ちゃんと弁明して」


「国王陛下に愚息への罰を与えたいので、辺境できっちり鍛えてこき使ってほしいと言われた。しかしそれでは示しがつかぬと、お前の婚約者に宛てがうことにした。辺境伯領への巨額の支援を条件にな」


「あ、そう。金欲しさに娘を売るってわけね、へーぇ? 王都で盛大にやらかした第二王子様の婚約者という贄にわたしを使うと。喧嘩を売られたも同然なのに殴り返しもしないわけか」


「そんな言い方をするな」


「そりゃ嫌味の十個や二十個、言いたくなるでしょうが!」


 詳しいことは旦那様からお話がありますと言われ、専属メイドに連れられて入室した父のトレーニング室にて。

 わたしは、シュガツァ辺境伯である父に思い切り唾を飛ばしていた。


 当然だ。国中の笑い者を勝手に婚約者に据えられたのだから。


 しかしわたしの怒りなどお構いなしで、父は毎朝恒例の筋トレに励んでいる。手を止めてわたしと真面目に話すなんてことはなかった。

 ため息を吐きたいのをグッと我慢し、確認しておかなければならないことを口にする。


「で、王子はもう来てるわけね」


「ああ、別室で休ませている」


「バーカ!! そりゃわたしは普段身だしなみに気を使わない野生の辺境伯令嬢だけど王子に会う時くらいおめかししないとやばいでしょ色々とさ! なんで事前に言ってくれないの!」


「忘れていたのだ。まあ、気合いでなんとかなるだろう、気合いで」


 父の言葉に、わたしはがっくりと肩を落とした。

 父は昔からこういう人だ。根っからの脳筋。常に根性論。そして人の頼みはあっさりとなんでも引き受けてしまう。


「バーカ!!」


 わたしはもう一度叫んで、膝上までしか丈のないワンピースを翻しながら父のトレーニング室を飛び出した。




 シャワーで汗を流し、簡単に着脱のできる純白のツーピースドレスに身を包んで、栗色の髪をツインテールに結ったわたしはそこそこ見栄えが良くなった。


「ではお嬢様、行ってらっしゃいませ」


「面倒ごとはわたしに押し付けて自分はわたしの部屋でぐぅたらするつもり?」


 ドレス選びをしただけでそれ以外の身なりを整える作業を一切手伝わなかった専属メイドは、わたしの言葉ににっこりと微笑みを返した。

 これは紛れもなく肯定の意味だろう。


「この駄メイドが」


「申し訳ございません」


「微塵も思ってないことを口にしないで。ああもう、行ってくる」


 わたしは専属メイドを振り返りもせず、王子を待たせている部屋へと突っ走る。

 そしてドアの前に立った時、中から苛々と呟く声が聞こえた。


「どうして誰も来ないのだ。ああ、ミリィ、ミリィは一体どこにいる。そもそもどうして俺がこのような目に遭わねばならない。悪いのはアビゲイルだ。あの女が全ての元凶……」


 なんだか聞いていて背筋がゾクゾクしてきたので、たまらなくなって「失礼!」と言うや否やドアを開けた。


 中には、ソファに蹲る男がいた。

 金髪に亜麻色の瞳の美青年。赤い紳士服はいかにも高級そうだし、身なりもしっかりと整えられている。王都の貴族たちが好みそうなスラリとした細身だった。

 辺境住まいであれば、ヒョロガリの軟弱男と称されること間違いなしである。


「あなたがブランドンですね?」


「誰だ、貴様は」


 直前まで呪詛のような独り言を漏らしていた王子は顔を上げ、わたしを睨みつける。

 最後に彼の姿を見た婚約破棄パーティーでは隣の男爵令嬢に甘ったるい顔を向けていたのにまるで別人みたいだとわたしは思った。


 質問に質問を返すのは感心しない。一応相手は王子なので慣れない敬語で丁寧に接してやるつもりでいたが、腹が立ったのでやめることにした。


「わたしはシュガツァ辺境伯の娘のジェイダ。不本意ながら、今日からあんたの婚約者よ」


「……貴様が」


「ほぼ初対面の淑女に貴様ってどうなの? 王子だかなんだか知らないけど」


「何を言うか。そちらこそ不敬だろうが。先ほどから言葉遣いを聞いていればなんだ、ど田舎の芋娘が」


 ど田舎の芋娘。

 確かに、王都人から見ればそうなのかも知れない。しかしそれはシュガツァ辺境伯領を侮辱する言葉であり、わたしはブチギレた。


「会って数秒でバカにしてくるとか最低なんだけど! なんでこんな奴を婚約者にしなきゃいけないわけ!?」


 ――まったくもって不愉快だ。

 よくもまあこんな短時間で人を怒らすことができるものだ。こんなのが今日から婚約者? 冗談じゃない。


 かなりの声量でブチギレたのは、王都のボンボンなら少しは怯むかと思ってのことでもあった。

 だがそんなことはなく、ブランドンは不遜な態度を崩そうともせず、それどころか。


「俺だってなりたくてなったんじゃない。というかなんだお前。女ならもっと小動物みたいな可愛らしさを持て」


 などと、わたしへの悪口を重ねると言う始末。


「はぁ!?!? あんた、殺されたいの!?」


 確かにわたしは王都の女性たちと違い、身長は頭三つ分ほど高いしそこそこ筋肉もある。

 王子が侍らせていた男爵令嬢はわたしの胸ほどの背丈しかなさそうなチビだったので、わたしがお好みでないだろうなというのは予想できた。だが、ここまで言われるとは。


 婚約破棄された直後、公爵令嬢が第一王子に即座に乗り換えたことを少々不思議に思っていたが、こんな男であれば記憶から消し去ってしまいたいのも頷ける。

 ……けれども、その尻拭いをさせられるこちらの気持ちを考えてほしいものだ。


「そうだ貴様。貴様と婚約者になるつもりはないからそのようなバカげた話は置いておくとして」


「置いておくな!! わたしだってなるつもりがないのには同意だけど、もう勝手に結ばれてるんだよ、婚約!」


「置いておくとして」


 王子はわたしの言葉に耳を貸さないまま続けた。


「貴様に尋ねたいことがある。ミリィ・カンベル男爵令嬢の行方を知らぬか」


「知ってると思う? きっと今頃隣国とかにバックレてるでしょうね」


「そんなはずはない! ミリィとは真実の愛を結んだ。俺と彼女は心が通じ合っているのだ!」


 真実の愛で結ばれているのだとすれば、たとえブランドンに王子としての価値が皆無になったとしても、運命を共にすることを望むだろう。彼の傍に男爵令嬢がいない時点でお察しなのに、固執し続けている彼は愚かとしか言いようがなかった。


「居場所を知ってたらさっさと教えてその女に押し付けてやるのに……」


 けれども残念ながら、それは不可能だろう。

 わたしがどうにかするしかなさそうだ。


「知らないなら仕方がない。貴様、命に替えてもミリィを探し出せ」


「嫌だけど」


「なんだと!? 王子の俺に逆らうのか」


「ほんと、立場わかってないね、あんた。……ここへ送って来られたのはあんたへの罰でしょ」


 ブランドンはかろうじて王族から籍を抜かれてないものの、二度と社交界に顔を出せないほどの恥を晒している。王子というのはもう本当に肩書きだけである。

 そのことで自分の立場を理解し、そこそこの反省を見せているならともかく、この態度を見る限りその線は絶対にない。


 だから――。


「この偉そうな王子を徹底的に教育してわからせるしかない、か」


「何か言ったか?」


「今からあんたを扱きまくろうって決めたの。あ、ちなみにこれは国王陛下の命令の一環でもあるから、不敬とかグダグダ言うのはなしで」


「待――」


「待たない」


 ピシャリと言って、わたしはブランドンの服の胸元を掴み、無理矢理ソファから引き剥がす。

 そして彼の体を肩の上にひょいと担いで、部屋の窓を開けてそこから外へ出た。


 高さは三メートルほどあるが、これくらいは別に問題なく着地できる。


「なんだ、何なんだ! 貴様、俺をどこへ連れて行くつもりだ!? 降ろせ、降ろせ!」


「向かう先は屋敷から程近く、走って三十分のところにある、辺境騎士団。そこであんたを鍛えてあげる」


「走って三十分は程近くとは言わないッ! というかなんだこの速さは! 振り落とされるだろうが!!」


 王都ではシュガツァ辺境伯領の民のことを体力お化けと呼ぶらしいと聞いたことがある。なんとも不名誉な呼び名だ。

 しかしこれからブランドンも辺境人の一人となるのだし、これくらいでぎゃあぎゃあ騒がれては困る。


 ここではこれが当たり前なのだった。

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