25.ボンタン狩り

*****


 登校中、昼食は近所のコンビニで買って行く。おにぎりかパンだ。もれなくサラダが付く。サラダくらい食べないとぽっこりおなかになってしまうぞとか、まあ、そういう話だ、わら。


 ――そのコンビニの前が朝っぱらからえらく賑やかだ。パトカーが二台に救急車が一台。何事だ? すでに規制線が設けられているわけだが、その点は重要ではなく、俺としては昼食を買えないことのほうがよっぽどプライオリティが高い。「買えないと困る」ということだ。その旨、制服警官に説明した、懇切丁寧に、ときには身振り手振りを交えながら。残念なことに要求を受け入れてもうらうことはできなかった。では「せめて」と考え、「なにがあったのか?」とだけ、最後に問うた。「コンビニ強盗だよ」、まだ若い警察官は卑屈そうな笑みを浮かべた。



*****


 学校。


 昼休みを迎え席を立とうとしたところで、右腕に風間が絡みついてきた。「世界最強」を謳ってやってもいいくらいの超危険人物だが、基本的にはフレンドリーで陽気な人物だ。纏うオーラは剣呑さに満ち満ちているものの、それだって見える人間にしか見えないだろう。


「行くぞぅ、神取くぅん。今日こそ学校セックスなのだ、きゃはっ」


 頭がいいからこそ、頭が悪いように振る舞うことができるのだ――感心できたことではないのだが。


「部室には先に行っててくれ」

「あれ? なにか用事?」

「手元に食事がない」

「いつものコンビニは?」

「強盗に遭っていた」


 なにそれぇ。

 そんなふうに言って、風間は眉をひそめた。


「いいよ。付き合ってあげる。たまに食べるとおいしいんだよね、学食のチャーシューメン」

「馬鹿を言え。お母上が作られた清く尊い弁当、それがおまえにはあるはずだ。そうである以上、俺に付き合わせるわけにはいかないんだよ」


 風間はきょとんとしたのち、俺から離れ、俺のすぐ目の前で破顔した。


「なんであたしがあんたに家庭環境の心配をされなきゃなんないの?」

「俺は一人でいい。ああ、そうだ。思えば俺はずっと一人が好きだった」

「いきなりなにカッコつけたこと言ってるの」


 明るく笑う風間によるデコピン――食らってしまった。


「購買かコンビニに行って部室で合流。ねぇ、知ってる、神取くん。ヒトは一日三食食べるとして、そうであるがゆえに、一生に口にする食事の数というものは必然的に限られてくるのだよ?」

「つまらんな」

「そう?」

「ああ。それはおつむの出来が貧相な奴が唱える気色の悪い戯言じみた思想だ」

「言いすぎ」

「抜かせ。多様性を謳ってやったんだよ」



*****


 読みが甘かったとはこのことだ。いや、我が鏡学園の購買部はその時間ともなると各位が血肉を欲するような勇ましさ果敢さ野蛮さで品物を求めるという噂は聞いていたのだが――。


 とにかく、購買部ではなに一つ買えなかった。

 あんぱん一つ買えなかった。


 一食抜くことくらいわけない。

 だが妙にあんぱんが食べたい。

 食べたっていいだろう。


 そう考え、昇降口で靴を履き替え、表に出た。鮮やかな青空を見上げ、校門を抜けると速やかに右折、歩いて二百メートルほどのところにあるコンビニを目指す。「二百メートル」というのは微妙な距離だなと思う。できれば校舎への併設を目指してもらいたい。そうすれば購買部との値下げ競争が発生し商品価格の低下が……などと無駄な思考に脳のキャパを割いてみた。朝、強盗に遭ったコンビニを訪ねるわけだが、いくらなんでも処理は終えていることだろう――というか、終えていてほしい。たらい回しにされることは避けたい。こうしてコンビニまでの道を行くことは初めてではないわけだが、その経験をもとに評価した場合、今日はヒトの往来が少ないと言える――それがどうした?


 円周率をそらんじながら進んでいると――俺は思わず眉根を寄せた。難しい顔をしたということである。いがぐり頭の独立歩行型軽量級男子が、ダンボールで下半身を隠しながら、向かってくる。右腕で目元を押さえ、おいおいおいおい泣いているではないか。そんななりであるものだから、当然、目立つ。目立つのだが、だからラッキーかな、今日はヒトの往来が多くない。普段通りの人通りがあったなら、容赦なく好奇の目に晒されてしまっていたことだろう。


 いがぐり氏はずっとずっとおいおいおいおい泣きながら歩いているばかりなので、まるでこちらのことには気づかない。さて、どうやってコンタクトしたものか……と刹那逡巡したのだが、とどのつまりは前方に立ちふさがり、「どうした? いがぐり氏」と真っ向から声をかけたわけだ。いがぐり氏は「うわぁっ!!」とメチャクチャ大きな声を上げてばんざいした。そのせいで白と水色のストライプのトランクスが露わになり――マニア向けの展開だ。


「他に識別子があるなら教えてほしい」

「ししっ、識別子?!」

「俺の中でのおまえは、現状、いがぐり氏だ」

「い、いがぐり氏でかまわないっスけど……って、あっ、あっ、あなたは神取先輩ではありませんか!!」


 それがどうかしたか?

 そう問い、俺は首を傾げた。


「詳細は案外どうだっていい。おまえがどうしてダンボールで前を隠し、おいおい、あるいはしくしく泣きながら、ここにいるのか、そのへんを端的に聞かせてもらいたい」

「えっ」いがぐり氏は目を丸くした。「力になってくれるってことッスか?」

「現状そこまでは言っていないが、まあ、それに近しいことは言っている」


 言いにくそうにもじもじした様子を見せたいがぐり氏は学ラン――上着を脱ぐと、それを腰に巻き付けることでうまいこと下半身を隠した。やはり申し訳なさそうに俯いてみせる。


「ボンタン狩りっス。情けないッスよね……」


 いがぐり氏、やはり泣くのだ。



*****


 問題のコンビニに到着、ファミマだ、ファミチキが食べたい、かしこ。


 紺色の学ランをまとった、中学生とおぼしきニンゲンが五人、しゃがみ込み、狭い駐車場に陣取っていた。


「話がしたい」


 俺は謙虚に礼を尽くした。


 ――が、相手のリーダーであろう生意気づらぶっこいた銀色のニワトリ頭が「なんだよ、おっさん。つーか、いがぐりクン、仲間連れてきたんかよ、ぎゃっはっは!」などと笑い、挑発してくれた。


「怖いッス怖いッス怖いッス……っ」


 いがぐり氏が右腕にしがみついてくる。震えている。かわいそうだなとは思う。いつも強くあれとは思わない。ただ、普段は弱くてもいいがときには強くあれ。それが男というものだろう――とは言いたい。


 店の脇に大きなごみ箱が設置されていて、その上に――あそこにあるのがいがぐり氏のボンタンだろう。そうだ、ボンタンだ。この界隈には、そうったノスタルジーな文化がまだ息づいているのだ。


「おらよ、助っ人のおぼっちゃんよ、シメてみろよ。こっちゃチューボーだけどよ、ぶん殴られたところでポリなんかに駆け込みゃしねーよ」銀色ニワトリ頭は立ち上がると、顎を持ち上げ挑戦的に物を言ってきた。「ほぉらほーらよ、殴ってみろよ。一発もらったら三発返してやっけどよ、ぎゃっはっは!」


 一発もらったら三発?


 そうか。

 どうやら――。


 銀色ニワトリ頭の左の頬を右手でばしんと張ってやった。銀色ニワトリ頭は思っていたよりも結構ぶっ飛んで仰向けにダウン、立ち上がっては来ない。目を見張るべき成果だ、じつにすばらしい。銀色ニワトリ頭の仲間らが「い、いきなり、なにしやがんだ、この野郎!」とか、「ぶん殴っていいとは言ってねーぞ!」などと騒ぎ立てたが、俺はたった一言、「却下」とだけ伝えたのだった。



*****


 目当ての品は見事に奪還回収できたわけだ。コンビニ、その店先でいがぐり氏はボンタンに脚を通した。とても照れ臭そうに笑う。


「弱いくせに、情けないくせに、それはわかってるのに、自分はどうしてボンタンなんて穿きたがるんスかね」


 だから、カッコをつけたいからだろう。

 いがぐり氏だって、一匹の男の子ではないか。



*****


 風間に言いつけられたとおり、部室に戻った。風間のほかに香田がいた。二人して畳に座り、ゲームに興じているようだ。


「おっかえりぃーっ!」


 風間の出迎えの声は大きい――ここぞというときには腹から出した声を寄越す。


「お昼ごはん、なににしたの?」


 そう訊かれたところで「あっ」、手ぶらであることに気がついた。


 風間に不思議そうな顔を向けられ、俺は両手を広げて口をへの字にした。


 俺はいちいちカッコつけだなと感じさせられ、だからつい軽く笑ってしまった。


 よくないな。

 他人の評価などどうでもよく、だってそこには事の本質はないのだから、かといって他者と関わることなく生きていくことなどできるはずなどなく、しかし俺は、愛も金も要らない。


 いまはあんぱんが欲しい。

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