16.前向き姿勢

*****


 部室を訪れると、風間と香田の姿がなかった。桐敷だけがいたのである。桐敷は今日も短い上着を着て長いスカートを穿いている。道着はもうやめたのだろうか。腹部の肌が見えることを最初は自身がそれなりに照れていたのだが、いまはもう、「よぉっ、神取」といったものである。


「香田は? 風間はどうしたんだ?」

「馬鹿抜かせ。香田はともかく、風間とおまえは同じクラスだろうが。どこ行ったか知っときてーんなら、どこ行ったかくらいはチェックしとけよ、バーカ、バーカバーカ」


 もっともだ。「バーカ」を唱えすぎであるようには思えるが。


「すばらしい意見だ。ああ、確かにそのとおりだ」

「そうだよ、馬鹿。寝ぼけてんな、馬鹿。つーかおまえはいちいち大げさすぎんだよ、馬鹿」


 部室の中央に並べられている机の端に、俺はスクールバッグを置いたわけだ。それから桐敷があぐらをかいている畳の上の近づいた。桐敷はアーケードコントローラーを使ってゲームをやっている、いつもの格ゲーだ。


「おまえ、まだこんなくだらんゲームに勤しんでいるのか?」

「なんてひどいことを言うんだ、おまえは!」

「ゲームをする意図は?」

「そりゃあ、あいつらに負けたくないからに決まってるだろうが」


 不屈の根性、闘争心。

 ――見習いたいとは、あまり思わない。


「そもだ、桐敷。負けたくないなら取り合わなければいいんじゃないのか?」

「はぁ? はぁぁっ? 馬鹿かぁ、おまえは」

「きっと馬鹿はおまえのほうだ」

「ぐっ、ぐぬぬぬぬっ、まあ、そうかもしれないけれど」

「それでもだ、ああ、俺はおまえの相手をしてやろうと思う」


 桐敷は目を真ん丸にした。

 それから顔を真っ赤にしたのである。


「つ、付き合ってくれんのか?」

「おまえはいい奴だ」

「へっ? いい奴?」

「ああ、いい奴だから、力になれるのであれば、なってやりたい」


 なおいっそう、桐敷は顔を真っ赤にした。


「おおぉっ、おまえこそ、じつはいい奴なんじゃあないのか?」

「そんなつもりはないんだが」

「で、でもよ、あたいにとってはいい奴だよ」

「そうなのか? だったら一発ヤらせろ」

「へっ!?」

「ヤらせろ」

「それはヤだぁ、ヤダヤダヤダぁっ!!」


 桐敷は頭を抱えた。


「そ、そうだ、嫌なんだぞぅ、あたいは男なんて大嫌いなんだ。だいっきらいなんだっ」

「そこにはなにか理由が?」

「わ、わかんねーけど、なんとなく……」

「俺自身、俺自身が嫌われないことを祈りたい」

「ばばっ、馬鹿じゃねーの? おまえのことだってメチャクチャ嫌ってやるっての!」


 それならそれで面白いなと思い、天井に目をやっていると――。


「う、嘘だよ、神取、嘘だ。あたい、おまえはのことは案外嫌いじゃねーし、たぶん、嫌いにだってなんねーよ」

「嫌いでいたっていいんだよ。ヒトというのはそういうものだ」

「なんだとぅ。偉そうに」

「ああ。偉そうだな」


 なんだかしょぼしょぼしたような目線で、桐敷は「ゲームやろうぜ」と言ってきた。「やろう」と言うと、「やっぱり下ネタか!?」などと返ってきた。あははっと笑ったあたり、当然、ジョークだろう。



*****


 特段区切りをつけるわけでもなく、俺は桐敷とゲームに励んでいた。負けたほうはしっぺだ。面白いのは、俺にしっぺをかますときの桐敷の仕草である。照れ臭そうに俺の左手を取って、恥ずかしそうにしっぺをするのである。わざわざ頬を赤らめてくださるくらいだ。格ゲーについては俺のほうが弱いので、俺のほうがしっぺを食らう数が多い。楽しい。桐敷との時間は楽しい。時折彼女は朗らかに笑って、勝ちゲームとなると「ばーか、ばーか」と憎まれ口を叩く。


「おまえって、普段からなに考えてんのかわかんねーのな」

「そうかもしれないな。無愛想なのも知ってるつもりだ」

「いや、無愛想とかじゃなくてよ」

「だったら、なんなんだ?」

「……わかんね」


 わからないことはわからなくていい。

 俺の持論でもある。


「な、なあ、神取」

「なんだ?」

「もし、もしだぜ? いいんだったら、これから、あたいと一緒に――」


 ――と、そのときだった。

 風間と香田が入室してきた。


 風間が言った。


「なに? イチャイチャしてたの?」


 桐敷が「んっ、んなわけねーだろうが!」と怒鳴った。


「サキ、なんで大声出すの?」

「テメーが気持ちわりーこと言いやがるからだっ」

「気持ち悪いこと?」

「あたい様がこんな冴えない男とイチャイチャするわけねーだろうが、バーカ!」


 たぶん、冴えない男とは俺のことだろう。

 桐敷は「けっ」と悪態をつくと、部室を後にしたのだった。


「きゃっほーっ」


 そんな明るい声を発しつつ、風間が近づいてきた。俺の右半身に抱きつき、それからなおいっそう身体を擦りつけてきた。美少女にスキンシップを図られることは喜ばしいこと以外のなにものでもないのかもしれないが、俺はそのへんをあたりまえのように受け取り解釈するだけの価値観がない。


「ねぇ、雅孝」

「なんだ?」


 すると風間は「ほんとうに、二人でなにしてたの?」となかば真剣に訊いてきた。「ゲームをしていただけだ」と答えた。


「ほんとに?」

「嘘をつく理由が見当たらない」

「だったらいいんだけどぉ」


 たとえば、俺が桐敷にキスを迫ったとしよう。その場合、引っぱたかれるような気がしてならない。俺は絶対、いまのところ、三者の誰ともうまいこと距離をはかることはできていないのだ――たぶん、否、事実として。


「帰る」


 俺はすっくと立ち上がった。

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