強キャラDK、神取雅孝

@XI-01

1.父の秘密

*****


 父はグラスにシャンパンをそそぐなり、俺にも飲めと言う。未成年に対してとんでもないことをほざく父親――だとは思わない。ただ、なんの祝い事もないはずなのに「飲め」とはどういうことか、あるいはどういう風の吹き回しなのか。まあいいと思い、細いグラスを手にした。天井の光にかざす。泡が細かい。シャンパンとはそういうものだ。改めて母を加えた格好で乾杯し、それから一つ口をつけた。食欲を誘発しそうなきらいはある。それだけだ。さしてうまいものだとは思わない。


 雅孝まさたかというのが俺の名前だ。


「雅孝、学校は楽しいか?」


 スペシャルではなくともスムーズではある――という感想相応の顔をしているつもりだ。


「まさくんは楽しくないの?」


 と言うのは母。

 いい加減、くん付けはやめてもらいたいのだが。


「母さん」

「はい、お父さん」


 いきなりなんだ?

 父の呼びかけに応じ、母が立ち上がった。


 母は階段をぱたぱた上り、ぱたぱたと下りてくると――その胸にはなにやら平べったくそれなりに大きな茶色い箱を抱えていた。箱は父が開けた。見た目がなんだか埃っぽい。ともすればせっかくの豪華な料理が台無しになってしまうと思ったのだが、父はそんなことはいっさい気にしない様子で、額縁? だったら絵か写真か? を取り出し、見て、はっはっはと高らかかつほがらかに笑った。立ったままでいる母も「うふふふふ」と愉快そうに笑い――それからいよいよ「雅孝、見てみろ」とそれを寄越してきた。


 ……は?


 目はたぶん、点になった。

 大げさな話ではなく、点になった。

 口はあんぐりと開いていることだろう。


 学び舎を思わせる建物の玄関前と言ったところだろうか。父が偉そうに腕を組んで胸を張って真ん中に映っている、そんな構図の写真だった。それにしてもこれは、父はえっとこれは――そう、「バンカラ」だ。たしかたしか……ああ、そうだ、「ハイカラ」のアンチテーゼとして明治の時分に栄えたり栄えたりしなかったとか、そんなふうな……俺の知識を総動員するとそんな結論に行き着く。父は裾がぼろぼろの紺色のズボンを穿いており、足元ときたら下駄履きなのである。上着も羽織っているだけといった感じで、ワイシャツを着ていないものだから上半身は剥き出しだ。胸板の異常な厚さと腹筋の割れ具合が怖ろしい。いまの父もそんな身体を維持しているものだから、なんだかなおのこと怖ろしい。


「雅孝、父さんは番長だったんだぞ、はっはっは」


 言われずとも、なんとなくわかる。にしたって、いくらなんでも時代錯誤すぎやしないか。当然だが、父はまだ若い。高校生の頃に遡ったとしてもバンカラなどとはいささか古めかしく――。


「お父さんは、それはもうカッコ良かったのよ?」


 母がそんなふうに言った。こちらが細かいツッコミを入れてやる先より先に「母さん、俺がカッコいいのは昔だけか?」と父は問い、「まあ、お父さん、あなたはいまも、いいえ、いまのほうがずっとカッコいいのよ?」と母は答え。ラブラブなやり取りを目の当たりにしてもため息をつくだけに留めるあたり俺はほんとうに良く出来ている。なお、写真の父の左腕に両腕を絡ませているのは間違いなく当時の母だ。笑顔笑顔、満面の笑顔。スカートが短い。陶器のような白い肌にルーズソックス、ことのほか細い太ももがこの上なく眩しくまた頼りない。美少女だなと思う。だからいまも美しいのだろう。


「――で?」俺はシャンパンをぐいと空けた。「父さん、母さん、こんな写真を俺に見せる理由はなんだ?」


 いい質問だ。

 父は持ち前の非常によく通るいい声で言った。


「雅孝、テンコウしろ」

「……は?」


 テンコウ? 天候? 天功?

 ああ、たぶん、転校か――?


「学校を移れってことだ」


 やはりそうか。


「多くは問わない。理由だけ聞かせてもらいたい。ちなみに俺はいまの学校、高校に不平不満はない。それなりに機嫌良く元気良く二年生のしょっぱなをやらせてもらっている」


 俺がそんなふうに訴えると、父は「ああ、ほんとうにダメだな、おまえは」と言い、母は「ほんとうにダメね」ところころ笑った。まったく意味がわからない。俺のどこのなにが間違っているというのか。


「発言の意図だけ問いたい。父さん母さん、どういう理由があってのことなんだ?」


「おまえは天才だよ、雅孝」

「は?」


 父の発言につい首をかしげてしまう。


「父さん、なんの話だ?」

「雅孝、おまえ、これからの人生のプランは? あるんだろう? ざっくりでいい。言ってみろ」

「断る。面倒だからだ」

「だったら、せめて何歳で結婚するのか言ってみろ」

「二十五だ」

「どんな女性と結婚するのか言ってみろ」

「価値観が合う女性であればありがたい」

「そら見ろ。おまえはそんなふうに言うんだ。おまえのヒトとしてのつまらなさが浮き彫りにもなるさ」


 鬼の首を取ったような笑い方をする父である。お株を奪うような格好で高らかに笑い返してやろうかとも考えたが意味がないのでやめておいた。俺の顔は難しくなるばかりである。


「父さん、母さんでもいい。俺があなたたちの意図を汲めていないのであればそう言ってほしい。今一度、伝えておく。俺はいまある姿が嫌じゃない。俺は俺で、いまの人生に満足しているんだ」


 母が見たこともないような悲しげな表情を浮かべた。


「まさくん、ごめんなさい」

「どうしてだ? 母さんはどうして謝るんだ?」

「雅孝、俺と母さんはな、最強は一人でいいと考えて、だからおまえしか作らなかったんだよ」

「だから、最強って、なんなんだ?」

「おまえがあまりに利口で優秀すぎるもんだから、それでもいいと考えた時間は少なからずある。だが、やっぱり違うんだな。雅孝、いまのおまえは、決して楽しそうじゃあない」


 だから、楽しくないなどと述べた覚えはないんだが?

 俺はいまのままで十分満足なんだが?


「写真の学校は、父さんと母さんの母校だ」

「それはわかる」

「なあ、雅孝」

「なんだ?」

「どうあれおまえは地道に空手だけは続けているだろう?」


 なんだかなにも言い返せないような気持ちに陥った。

 そんな俺の心情を見計らってか、父はにぃと笑ってみせた。


「結局のところな、雅孝、男は腕っぷしがあってこそなんだよ」


 わかっている。

 物理的に誰よりも強くありたいとは肝に銘じている――常にだ。


「父さんの母校はとても面白い学校だ。たとえド天才のおまえだとしても、退屈することなんざないだろうさ」


 俺はふたたび吐息をついた。まったく、妙なことを言い出す両親だ。だからこそ、その子である俺も、知らず知らずのうちに世間とはどこかズレているのかもしれない。


「ああ、ちなみにいま、付き合っている女性がいるようなら、そっちはうまく対処するんだぞ?」

「そのへん、無責任すぎるんだよ、父さんは。で、新居は? それも自分で探せというのか?」

「そのへんは任せておけ。俺は大人だ。いい部屋を用意してやる」

「父さん」

「なんだ?」

「あんたは馬鹿だ」


 父はやはり高らかかつ朗らかに笑った。

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