第2章〜クラウンへの道〜

第26話 スタート

 翌朝事務所に向かうと、ピアジェは隅のソファで眠っていた。酒臭い息に鼻を摘む。大方昨夜の観光後街のバーで飲んだくれて眠ってしまったのだろう。


 ケニーはいつものように朝早く出勤しパソコンに向かっていて、ルーファスは自分の子ども用の学習机のような大きさのデスクの引き出しに溜まったゴミを袋に分別している。デスクの一番下の引き出しから真緑に藻の浮いた瓶を取り出し、「可哀想に」と呟いた。


 ケニーがチラチラと心配そうに視線を送っているのを感じながら、私は団長に声をかけた。


「団長、話があります」


 身体を揺すってみたが、心地よい夢の中にいるのか恍惚とした笑顔を浮かべた団長に目を覚ます気配はない。


「団長!! 話を聞いてください!!」


 耳元で叫ぶと、「うぉう!」という声を上げて団長の身体がビクンと跳ねた。


「何だ、こんな朝早くから!」


 ピアジェは迷惑そうに顔を顰め身を起こした。


「相談があるんです」


「何だ? 後にしろ」


 しっしっとピアジェが手を振る。怯みそうな己を宥めるように、一度大きく息を吸った。


「僕にクラウンをやらせてください!」


 数秒間呆然と私を見つめていた男の眉間の皺がより濃くなった。


「何だと?!」


「このサーカス団にはクラウンがいないと聞きました。僕にやらせてください。人を笑わすのが好きなんです。気づいたんです、これが本当にやりたいことだって」


 ピアジェはふんと口元を歪め鼻で笑った。


「いいか小僧、サーカスの世界ってのはお前が思うほど甘くない。団員たちはサーカス学校で何年も練習を積んできてる。特にクラウンってのは、運動神経が少し良いくらいでやれるもんじゃない。そこらの少し話が面白い人間なんかとは訳が違う。高度な技術と知識が要る。何より才能だ。皆を笑わせ自分の世界に引き込んで魅了させられるような、圧倒的な才能がなければならない」


 何を聞かされても諦めるという選択肢はなかった。


「昨日ショーに出て思ったんです、人を笑わせるのはこんなに楽しいんだって。団長がいう才能が僕にあるか分からないけど……。それもこれも、やってみないと分からないことです。お願いです、やらせてください。僕は素人だし、みんなみたいな経験もない。でもまっさらな分伸び代は大きいはずです。経験者に負けないくらい沢山勉強します。どんなに辛い練習でもついていくつもりです」


 ピアジェは何が何でもクラウンになることを阻止したいみたいだった。経験が足りない、根性だけではできない、お前のような女々しい奴には無理だなどと難癖をつけて認めようとしなかった。


 途中見かねたルーファスが助け舟を出してくれた。


「昨日見た感じだと、こいつはすごく度胸があるよ。素人で綱渡りもまともにできないのに人前に出るなんて、俺ならとてもできない。機転と閃きで失敗を見事に笑いに変えてみせた。誰にでもできることじゃない。俺なら恥ずかしくて逃走しただろう、普通の人間はそうだ。それに人を笑かすのがすごく好きそうだし、オリジナリティもある。ちょうどロシアのエンギバロフがそうだったみたいに……」


 ふんっ、とピアジェが鼻で笑う。


「エンギバロフだと? この小僧に奴のような才能があるもんか!! せいぜい路頭で小銭を稼ぐ大道芸人になって終わりだ」


 蔑むみたいに大声でピアジェが笑い、ルーファスがまた何かを言いかけたところで私は言った。


「大道芸人だって生きるために必死にやってます。必死で生きてる人を誰も馬鹿にはできないはずだ。僕だって死ぬ気でやるつもりです。できないと言った人間や、僕のことを弱虫だと嘲った奴を見返してやりたい。誰にも負けないくらい面白い芸のできるクラウンになる。だから、僕にやらせてください!!」


 ピアジェは頬をヒクヒクさせながらこちらを睨みつけていたが、やがて立ち上がり、私と向き合った。


「どんなに厳しくても、何があっても泣き言を言わずに練習すると約束できるか?」


「できます」


 ピアジェの蛇のような目を見返す。男はふんと笑い「いいだろう」と言った。


「試しにやらせてみよう。ルーファス、お前が責任を取ってこいつに訓練をさせろ。見込みがないと分かればすぐ辞めさせて、一日中雑用だけをさせる」


 靴音を立ててピアジェが部屋を出ていく。


 ルーファスはついてこいと言って私を部屋に連れて行った。


「エンギバロフって誰?」


 通路を歩きながらルーファスに聞いた。


「1960年代に活躍したロシアの天才クラウンだ。抜群の運動神経を持っていて、アクロバットも綱渡りも軽々こなした。だが彼の一番の持ち味はそれじゃない。パントマイムだ。彼のパントマイムは観客が涙するほど素晴らしいものだった。


 圧倒的な才能があったのにも関わらず、エンバギロフは37歳で心臓発作で死んだ。街中で倒れて誰にも助けられないまま死んだんだ。


 俺の中では世界一のクラウンは彼だと思ってる。彼が生きてたらチャップリンに並ぶくらいのすごいクラウンになってただろう」


「そんなすごい人が……」


 チャップリンは大好きで、よくオーロラと一緒にDVDを観て笑い転げたものだった。彼に匹敵するくらいの才能のある人が早逝してしまったのは残念でならない。


 だが世の中というのはそんなふうにできている気がする。マイケル・ジャクソンもマリリン・モンローも、DJのアヴィーチーも……。世界中に名が轟くくらいの才能のある人に限って早死にしてしまう。生き急ぐからか。それとも、運と才能とエネルギーを人の倍早く使い果たすからなのだろうか。


 ルーファスは自分の部屋に私を招き入れ、テレビをつけた。テレビは食堂にしかない。自分のテレビを持っているのが羨ましいと感じた。


「前にここにいたロシアのクラウンがいてな。ピアジェに追い出されたんだが、すごく良い奴だった。そいつがビデオを置いて行ってな」


 ルーファスが今や懐かしいビデオデッキにテープを入れると、白黒の画面でロシアの名だたるクラウンたちの芸を観ることができた。ピアノやアコーディオンなどの楽器を演奏する者もいれば、華麗なアクロバットを披露する者もいる。観たことも聞いたこともない猫を使ったショーをするクラウンもいた。そのビデオは3時間くらいの長さだったが、私の目は画面に釘付けになっていた。壁に掛けられた鳩時計の鳩が鳴き声と共に飛び出してきて初めてお昼になったと気づいたほどだった。


「ああ、面白かった。みんなすごいね、本当に!」


「だろう? 一人として同じクラウンはいない。それぞれにカラーがあるし、オリジナルの芸を持ってる。観客を笑かすだけがクラウンじゃない。観ている者を魅了して、感動させるのがクラウンだ。お前も必死に練習を積めばきっとなれる。観客を沸かすことのできる名クラウンにな」


 ルーファスはいかにも良いことを言ったふうな顔で笑った。


「ありがとう、ルーファス。頑張るよ!」


 ハグをしたらルーファスは「くさっ」と顔を顰めて身体を引いた。


「お前匂うぞ、シャワー浴びてるか?」


「あ……」


 そういえば3日くらいお風呂に入っていなかった。シャワールームに行ってもいつも満員で、汗を流したい仲間を優先にしようと部屋で空くのを待っているうちに眠ってしまうことの繰り返しだった。前なら考えられない生活だ。集団生活というのは難しい。


 でもよく考えたら夜にシャワーを使うという決まりはない。いっそこっそり昼間に浴びてしまえばいい。


 私は部屋を飛び出して自室に戻りボディソープと着替えとタオルを持ち、シャワールームへ向かった。熱いお湯で身体を洗ったら生き返る気がした。

 

 昼休み、オーロラへの手紙を出しにケニーと一緒に郵便局へ行った。ケニーはまた祖母への手紙を出すのだという。本当はすぐにでもオーロラに手紙を出したかったが、なかなか時間がとれずにもどかしい思いをしていた。


 郵便局の窓口で手続きをしながら、この封筒がオーロラの元に届くと思うと何だか楽しみなような嬉しいような不思議な感情が湧いた。慌ただしい毎日でも、ふと気が抜けたときや夜ベッドに入った時に彼女の顔が浮かんできた。少しずつだけれど私はロンドンに近づいている。列車の窓の景色が変わるたびに感じる。オーロラに会える時には前とは違う自分になれていたらいい。彼女は私を見て笑ってくれるだろうか。それとも泣くだろうか。電柱の影から「久しぶり!」とひょっこり顔を出してオーロラを驚かせたい。戯けるくらいが私には丁度いい。


 郵便局の帰り道でケニーが言った。


「アヴィー、昨日は反対してしまったけど……。君が本気ならクラウンをやるといい。僕に止める権利なんかない。君は僕が知る中で最高に楽しい人だ。君の母さんも祖母も僕もユーモアセンスには恵まれなかったが、君は小さな頃からみんなを楽しませる天才だった。よく悪戯もしたけどね。君がいるだけでいつも家が明るくなった。君はきっと最高のクラウンになるよ」


 朧げな記憶しかないが、母や祖母がよく言った。幼い頃の私はテレビでコメディアンがやっていたことを真似したり、自作のコメディショーを作ってお披露目するのが好きだったらしい。ゲストはぬいぐるみやバービー人形で、観客は両親や祖父母やケニーだ。司会者役の私がゲストにおかしな質問をして、彼らのアフレコをしながら答える。それがあまりに可愛らしくて可笑しくて皆は笑い転げたらしい。

 

 そういえばオーロラも私のジョークにはよく笑ってくれた。彼女を笑わせるのが楽しくて、ほとんどそのためだけに生きていたようなものだった。今でも一番笑わせたい相手はオーロラだし、もし私がショーに出たら家族と同じくらい観てほしい相手も彼女だ。何だか少し恥ずかしい気もするけれど。


「ママとパパが上手くいかなくなった時、2人がこれ以上雰囲気が悪くならないように笑わせようとしてた。最初ママは笑ってくれてたけど精神的に参ってて、だんだん笑わなくなったの。『アヴィー、やめて』『1人にして』って言うことが増えた」


「君の両親のことは残念だったよ」


「うん……。でも、最低な気持ちを抱えてる人は私や両親だけじゃなくて、この世界に沢山いる。上司に怒られたとか、学校で虐められたとか、大切な人を失くしたとか。そんな人たちが少しでも現実を忘れて楽しんでくれたらいいと思うの。彼らが私のショーを観て笑ってくれたらいい」


「僕は君が誇らしいよ、アヴィー。でも、常に人を笑わせるのは難しいことだ。自分が辛い時でもそれをやるというのは、大変なエネルギーがいると思う」


「そうね」


 ふと、オーロラとサーカスを観に行った時、白塗りの顔の目の下に水色の雫型の涙のマークがあるクラウンがいたことを思い出した。あの涙には何か意味があるのだろうかと思ったけれど、今なら何となく分かる気がする。


 ケニーが言うことは確かにそうだ。笑わせるのは簡単そうで難しい。涙を隠して道化に扮するのだから。


 でも、これも確かだった。


「でも私はきっと、そんな風に生きてくのが好きなの」


 次の日から、一人前のクラウンになるための特訓がスタートした。


 ルーファスが作ってくれたタイムスケジュールは以下の通り。



6:00〜7:00  動物の世話


7:00〜8:00 洗濯、掃除


8:00〜8:40 朝食


8:40〜9:00 朝礼


9:00〜10:30 準備運動、スキル(ジャグリング 


休憩


10:50〜12:00 クラウニング


12:00〜13:00 昼食



13:00〜 14:00 動物の世話


14:00〜15: 10 スキル(綱渡り、玉乗り、アクロバットなど選択)


休憩


15:30〜17:00 自主トレ


17:00〜18:00 夕食

 

 

 ちなみに夕食後の動物の世話は他のメンバーがやってくれることになった。自主トレは好きな練習をしていいらしい。スキルトレーニングに関しては、ジャグリングの他に極めたいものを一つ選べと言われた。運動神経には自信があったからアクロバットも魅力的だけれど、どうせなら自分が苦手だと思うものを最初に身につけたいと思い、練習を続けていた綱渡りを選んでおいた。綱渡りの練習をしているなんて、オーロラには口が裂けても言えない。


 練習は9時半からスタートする。


 まず最初にやるのはストレッチだ。シンディや他の仲間たちと一緒にトレーニングルームで準備体操と柔軟をする。


「サーカスの初心者はまず柔軟から始めるのよ。柔軟は身体を動きやすくして高度なパフォーマンスができるようにするだけじゃなくて、怪我を予防して血流も整えるの。内臓をマッサージしてるみたいなものなのよ」


 シンディは言った。


 バレエをやっていた割に、私は身体が固かった。どんなにストレッチをこなしても柔らかくならない身体にコーチの先生が困っていたほどだ。シンディは床にお尻をついて脚を広げ、身体を前に倒して頭とお腹を床にくっつけ、ジャンに背中の上と左右の足の下にレンガのようなものを置かれていた。


「前まではコーチがいて、プログラムを組んでくれてたんだ。でもピアジェと喧嘩してやめた。今は練習やショーのプログラムの組み立ても、全部自分たちでやらなきゃいけない」


 アルフレッドが苦笑いすると、壁で逆立ちしていたジャンが「俺はかえって自由でいいぜ。人の言いなりになるのは沢山なんだ」と続いた。


「あなたはよくコーチに反抗してたもんね」と向こうで壁に貼られた鏡に向かって柔軟していたクリーが苦笑いした。


「ピアジェが練習を見にくるから、静かにした方がいいな」と部屋に来たルーファスが言うと、さっきまで和気藹々と喋っていたメンバーはピッタリと口を閉じて真剣に準備体操や柔軟を始めた。


 まずはシンディに教わりながら、基本的な準備体操と柔軟から始めることになった。


 手や腕を回したり、手を鳥のようにパタパタ動かしながら両脚を開いてジャンプしたり、アシカのようにうつぶせになり両腕の力で上半身を起こして逸らしたり、学校の体育でやったストレッチみたいに胡座をかいたような姿勢や両脚をピンと前に伸ばした姿勢から前屈をしたり。


 床に座り両脚を大きく広げて、上体を左右の足に向かって倒すストレッチでは、シンディに後ろから押されながら叫んでしまった。


「いでででで!! 無理、無理だよ、ストップ!!」


「このくらいでギブアップしてちゃ、クラウンなんてできないわよ」


 いつも優しいシンディが今日は鬼に見える。左右が終わると今度は前に倒す。仲間たちが軽々とやっているのを見て「すごいな、みんな」と呟いたら、「あなたは今日始めたばかりなんだから、彼らのようにできないのは当たり前よ。とシンディが励ましてくれた。


「コントーションてね、短距離走や水泳みたいに結果が数字でついてくるものじゃないのよ。成長が目に見えにくいけれど、練習を積むうちに確実に前進してる。自分の限界に挑むのが楽しいの」


 シンディは目を輝かせて微笑んだ。


 皆に負けていられない。ここで音を上げてはショーに出るなんて夢のまた夢だ。やるしかない。やると決めたんだから。


 折れそうになる自分の心に喝を入れ唸りながらストレッチをしている私に「頑張れ、ネロ」「きっとできるわ」と皆が声をかけてくれ、温かい気持ちになった。


 そうだ、一人きりじゃない。例え辛くても仲間がいる。そう思うとどんなに苦しい練習も困難も乗り越えていける気がした。


 柔軟の次はジャグリングだ。ジェロニモと一緒にヤスミーナに教わりながら練習をする。ヤスミーナ曰く、ジャグリングはリズム感を養ったりショーの間を身につけたり、パフォーマンスに緊張感を持たせるという意味で、クラウンにとって超重要スキルなのだという。特にこのサーカス団ではそうらしい。


 ヤスミーナの名前の意味はジャスミンらしい。「綺麗な名前だね」と褒めると、彼女は「ありがとう」と恥ずかしそうに笑った。


 アラブ人のヤスミーナは、幼い頃からイスラエルのキッズサーカス団にいたらしい。兄がサーカスでアクロバットをやっていて、楽しそうだったから真似して入ったが、夢中になったのはジャグリングの方だったという。


「アメリカのすごくうまいジャグリングの先生がいてね」


「やっぱり教えてもらう人って大事だよね」


「そうね。中には厳しい先生もいたけど、その先生は全然高圧的な感じじゃなくて、ジョークを交えて楽しませながら教えてくれた。毎日練習に行くのが楽しかったわ」


 厳しすぎる指導者だと、子どもは萎縮して本来のパフォーマンスができなくなる。逆に教え方が上手いとモチベーションが向上し上達する。特に子どもたちにとっては、指導者という存在は大きい。


「練習場所は古い公民館で、天井が低くてアクロバットやブランコの練習は大変だった。アクロバットの子たちは、羊毛を詰めた薄くて固いマットで練習してたの。兄みたいにアクロバットをやりたがる子は少なくて、多くの子はジャグリングの方が上手かったわ。プロのジャグラーみたいにできるの」


「それはすごいや」

 

 皆が皆恵まれた環境で練習できたらいいけれど、そうじゃない子どもたちもいる。そんな中で頑張っている海の向こうの子どもたちを憂う以上に、負けてはいられないと更に意欲が掻き立てられる。


 最初にヤスミーナがお手本を見せてくれた。右手にボールを持ち、少し手を下に下げてから腰の辺りから弧を描くように放り、反対の手でキャッチしまた少し手を下にさげ、また腰の高さから放って右手でキャッチする。最初は一つだったボールが2つに増え、3つに増えていく。3つのボールが彼女の手の上で魔法みたいに綺麗な円を描くように回るのを、私は食い入るように見ていた。


「わぁ……」


 ヤスミーナは最後のボールを右手でキャッチして、にこりと微笑んだ。


 次に彼女はクラブという道具を使ったジャグリングを披露した。最初2本だったクラブは最終的に6本まで増え、その超人的な技に私は圧倒されていた。最後天高く放ったクラブをくるっと回転してキャッチしたとき、自然に拍手してしまった。サーカスでも観たけれど、近くで見るとより技術の高さが分かる。


「すごい、君は天才だよ! よくそんなに沢山回せるね!」


「ギネスに載るような人は8本使うのよ、私はまだまだ大したことないわ」


 ヤスミーナは謙遜して肩を竦めた。これが大したことないと言える彼女は、相当な謙虚な性格とトーテムポールより高い向上心の持ち主といえる。


「本当にすごい! 僕にもできるかな?」


「向き不向きはあるけれど、練習を積めばきっと上手くなるわ。最初は簡単なのからやってみましょう」


「よろしくお願いします、先生!」と敬礼をしてみせたら、「ふふっ、先生だなんて恥ずかしいわ」とヤスミーナは照れくさそうに笑った。


 てっきりボールから始まると思ったが、ヤスミーナが持ってきたのは一枚の桃色の藍染のスカーフだった。


 ヤスミーナは右肩より少し右、額の高さにスカーフを持っていき、「ここが投げる位置って覚えておいてね。頂点になる場所よ」と言って、手を離してスカーフを落としてみせた。ひらひらと落ちたスカーフはやや不安定な軌道を描いて床に落ちた。それを拾って2回繰り返した後私に渡し、同じことをするように促した。


 ヤスミーナの言った位置にスカーフを持って行き手を離して、ゆっくり落下するスカーフを見つめる。何度か繰り返していたらヤスミーナは、「スカーフはゆっくり動くから、練習に最適なのよ。これで物がどんなふうに落ちるか、よくわかるでしょう?」と言った。


 ヤスミーナはそのあとピンクのスカーフを右手の親指と人差し指で挟むと、手と反対側の頂点と呼んだ場所ーー左肩より少し左、額の高さ目掛けて投げ、弧を描いてゆっくり落ちて来たそれを左手でへその高さあたりでキャッチしてみせた。次に左手を少し下に沈め、また反対側の頂点に向かって向かって投げるのを左右交互に繰り返す。


「ボールでやってたのと同じだね」


「そうよ、これをボールやクラブに応用するの。ポイントは同じ場所に投げることと、物をキャッチした時に少し手をしたに沈めてから同じ位置から投げることね。そうすると軌道が安定して上手くできるわ」


「なるほど、分かりやすいや」

 

 真似をして右手から左上の頂点に向かって投げたスカーフを腰の高さで左手でキャッチした直後、手を沈め右の頂点目指して投げる。同じ高さになるように放るのも、同じ場所でキャッチするのも案外やってみると難しい。


 コツを掴んだ辺りで道具がボールに移行した。スカーフでやっていた要領で一つのボールを投げてはキャッチする。


 ヤスミーナは球の軌道が見えるように私を鏡の前に連れて行った。


「投げる時は、自分の体に対して平行になるようにね。少しでも前に飛んだり後ろに飛んだりすると、お客さんから綺麗に見えないから」


 ボールが二つに増え、上手くできるようになったあたりでジャグリングの授業は終わった。


「あなたは筋がいいから、きっと上手くなるわ」


「えへへ、それほどでも」


 ヤスミーナに褒められ頭を掻いていたら、一緒に練習していたジェロニモが口を尖らせた。


「最初は簡単なんだよ」


「ジェロニモも、追い越されないように頑張らないとね」とヤスミーナに言われ、「負けないぞ」と返すジェロニモ。初日からライバル心剥き出しでこられるとは思わなんだ。


「僕だって負けないよ」と冗談めかして返したら、「受けて立とうじゃねーか」と力強い声が返ってくる。人と争うのは好きじゃないけれど、競争した方が上達も速い。ジェロニモに追いつけるように頑張ろう。


 休憩時間にヤスミーナは言った。


「イスラエルではユダヤ人とアラブ人の間の武力衝突が頻繁に起きてた。それで練習できない日が続いたりもしたけど、サーカスでは皆仲間だった。先生や親たちは最初民族も宗教も違う私たちが仲良くなれるか心配してたみたいだけど、私たちにとっては関係なかった。アラブの子もユダヤの子もみんな一緒に練習をして、休憩の時は冗談を言い合ったりした。時々喧嘩もしたけど、切磋琢磨して励まし合ってたわ」


 戦争によって練習を阻害されながらも前向きに鍛錬している子どもたちに、心苦しくも畏敬の念をおぼえた。


 この列車にも色んな人種の、多種多様な背景を持った人たちが乗っている。サーカスというのは人種も国境も肌の色も言葉も、もしかしたら性別というものも超えてしまうのかもしれない。


 ここでの生活やショーの中では、肩書きやしがらみに縛られることがなかった。女性として見られることに苦痛を感じていた私にとって、男性のふりをしていることは心地よかった。私にしつこく干渉をしてくる人はいないし、皆私という存在をただ受け入れてくれる。集団生活で大変なこともあるけれど、誰の目も気にしなくて生きられるのはものすごく自由で信じられないくらい快適だった。


 あらゆる境界を消し去るサーカスというのは、一般社会からはみ出した人たちにとっての居場所なのだと思う。きっと、私やケニーにとっても。


ヤスミーナがぽつりと打ち明けた。


「私の兄が、11歳で死んだの」


 言葉を失った。朗らかな笑顔の裏にそんな悲しい過去が隠されていたなんて。戦争は子どもの命さえ簡単に奪い去る。未来のある自分の兄が自分を庇うために亡くなってしまうなんて、あまりに残酷すぎる。


「……辛かったね」


 こんな時オーロラやケニーなら、もっと適格な言葉をかけられるんだろう。私の脳みそと口は、本当の悲しみに直面している人の前では全く役に立たない。気の利いたことが言えない自分が情けなかった。


 項垂れた私を気遣うみたいにヤスミーナは優しく微笑んだ。


「兄はムードメーカーで、いつもサーカスのみんなを笑わせてたわ。運動神経も良くて、みんなが苦手なアクロバットも怖がらないでやるような……」


 ヤスミーナは兄とのかけがえのない日々を想うように目を細めた。


「素敵なお兄さんだ」


「うん……」


 彼女たちの住んでいた町では、アラブ人とユダヤ人の激しい武力闘争が続いていた。夜に彼女の住んでいた場所の近くが爆撃を受け、たまたま外にいた兄と彼女が巻き込まれてたのだという。ヤスミーナは右脚を失ったが一命を取り留めたが、一方の兄はヤスミーナを庇って亡くなった。


「あの時から両親は笑わなくなった。私は二人を元気にしたくて、サーカスを続けたんだけど……」


「えらいね。だけど、君だって辛かっただろ?」


「うん。一時は練習もままならないくらい落ち込んだわ、私のせいで兄は死んだんだって自分を責めた。辞めたいとも思った。だけど、兄は私がサーカスを続けることを一番喜んでくれると思ったの。自分のせいで辞めたら彼は誰よりも悲しむと思った。私を一番応援してくれていたのは、他でもない兄だったから」


「強いね、君は」


「強くならざるをえなかったの」


「僕は自分を不幸だと思ってた。運命や神様を責めた時もある。だけど君のと比べたら屁でもない。弱い自分が情けなくなるよ」


「あなたは弱くないわ。この列車に乗って、ゼロからクラウンをやろうとしてる。本当に弱い人はそんなこと怖くて言い出せないわ」


「そうかな」


「そうよ。私ね、よく言われるの、義足で大変だねって。でも自分ではちっとも大変だと思ってない。だって私は得意なことでお金を稼げてるんだもの。それに、脚の一本くらいなくたって生きていける。恥ずかしいとも辛いとも思わないわ」


 本当は彼女だって強くないのかもしれない。誰だって弱い部分はある。困難に打ち勝てないことだって。彼女のした体験みたいに、神様が与える試練にしてはあまりに惨いことだって世界には沢山ある。だけど、ヤスミーナの明るいブラウンの瞳の中にあるのは絶望ではない。木漏れ日にさす陽のように澄んだ、あのライオンが潜ったフープを囲む炎のように強い光だ。


「僕も強くなれるだろうか。君やルーファスや、レオポルドみたいに」


「なれるわ、きっとね」


 ルーファスもヤスミーナも深い悲しみを抱えながら、サーカスという場所で花を咲かせ力強く生きている。私も彼女らのように困難にも悲しみにも打ち勝つ心が欲しい。そうすればあのテントの中で、2000人の観衆を前にしても堂々と演技ができるだろう。必死に練習を重ねて自信をつけよう。


 この列車が次の駅に着く頃には、また一つ成長できている気がした。

 


 次のクラウニングの時間は初回ということで、ルーファスとクラウンエクササイズをした。クラウン独特のコミカルな動きを学ぶ。


 ルーファスの作ってくれた練習メニューには『ムーヴメント』というクラウンの動作の練習と、『クラウニング』というクラウンになるためのメソッドが取り込まれたトレーニングだった。


 最初はルーファスが昔教わったというクラウンの動きや感情表現を真似てやってみることにした。


「クラウンに大事なのは、観客が遠くで見ていても理解できるように全ての動作を自然に、かつ普通よりも大袈裟にやることだ」


 まずルーファスは大きく手を振り大股で歩いて見せた。彼の真似をして後ろを歩くうち気づいた。クラウンは一つ一つの動作を目立つようにやらなければいけないのだ。それが歩く、走る、食べるといったごく何気ないモーションだったとしても。


 ルーファスは私と鏡のように立ち、手始めに喜怒哀楽の表現をしてみるぞ」と言った。


「喜!」とルーファスが言ったとき、私は「やった〜!」と万歳をして飛び跳ねてみせたが、ルーファスは「まだ足りない」と首を振った。


 彼は手を大きく口を大きく開け手を叩いて大笑いし、屈んで膝を両手でパシパシ叩き、自分の身体を抱きしめてくるくるとコマのように回った。そんなルーファスの動きを見ていたら一人でに笑いが漏れた。


「真似してみろ」


 私は彼のやった動作を一通り真似てみた。ルーファスはまだ浮かない顔だ。


「お前、恥ずかしいと思ってるだろ?」


 図星を突かれて「うっ……」と怯む。恥じらいがあったのは確かだ。いざやれと言われると、照れが先行して動きや表現をセーブしてしまう。


「恥を捨てろ、あの綱渡りに失敗した時みたいにだ。開き直って自分を晒す覚悟をするんだ」


「分かった」


「じゃあ自己暗示をかけろ。恥ずかしくないと自分に言い聞かせるんだ」


「恥ずかしくない! 恥ずかしくない! 恥ずかしいの恥ずかしいの飛んでけ!! マリアナ海溝まで飛んで消えちまえ!」


「その粋だ! 恥ずかしくない、お前は道化師だ! 人前でオナラをするのも尻を出すのもちっとも恥ずかしくなんかない!」


「ああ、恥ずかしくないとも!」


 暗示によって恥の感情が消えた気がしたところで、ルーファスが次の感情表現に移った。次は悲しみの表現だ。


 ルーファスはポケットから巨大なハンカチを取り出して涙を拭うふりをし、顔を膝に埋めたり、床に仰向けになり子どもが駄々をこねるように手脚をバタバタと動かして見せた。


 そのあと「お前も自由にやってみろ。まず、悲しいことを一つ思い浮かべろ」と言われ、一番最初に浮かんだのは私が一番悲しかった日ーーオーロラが旅立つ日のことだった。


 あの日オーロラを見送りに沢山の友達や学校の先輩、後輩が来ていた。荷物が引越しのトラックに運び込まれたのを見て初めて現実を認識した。ああ、オーロラは行ってしまう。もう一緒に日曜日にボウリングやカラオケに行くことも、下らないギャグで彼女を笑わせることもできない。一番笑わせたい相手がいなくなるということは、こんなにも虚しくて退屈で、憂鬱なことなのか。


 オーロラは私を抱きしめ頬にキスをした。私もオーロラを抱きしめキスを返した。彼女の目は涙で濡れていた。彼女は微笑んで「また会えるわ」と自分自身と私に言い聞かせるように言った。「もちろん」私は涙を堪えながら答えた。


 オーロラがトラックに乗り込み、窓から顔を出して泣きながら手を振った。トラックが動き出した時、私は咄嗟に駆け出していた。


「オーロラ!」


 涙で滲んだ視界が歪んでいた。彼女に伝えなければいけないことの一つを、絶対に今、直接彼女に言わなければいけなかった。追いついたトラックの窓枠に手をかけたら、オーロラはハッとした顔をした。


「アヴィー、危ないわ!」


 あまりに彼女らしい台詞とともに伸びてきた細く白い手を私は強く掴んだ。


「オーロラ……必ず会いに行くわ!!」


 私の涙に呼応するみたいに、オーロラの目からも涙が流れ落ちた。


「アヴィー、何かあったらすぐ連絡して」


「私のことは心配しないで! 後でお菓子送って! また遊ぼう! 元気で!」


 オーロラは涙で濡れた顔で何度も頷いていた。握っていた手が離れた時、宝物を失くしたみたいな失望に襲われたて、走り去るトラックを見つめながらしばらく泣いた。


 過去の記憶と一緒に涙が溢れてきた。私が本当に泣き出したのを見てルーファスは困惑していた。


「おいおい、大丈夫か。まさかそんなガチ泣きとは……」


「ごめん、友達のことを思い出して……」


 止まる様子のない涙を手で拭っていたら、ルーファスが「頼むから鼻は噛まないでくれよ」と前置きして持っていた巨大なハンカチを渡してくれた。そのハンカチがテーブルクロスくらい大きくて笑ってしまった。さっきまで泣いていたのに、感情がこのアイテム一つで別方向にシフトしてしまうなんて。


「面白いか」


「うん」


「クラウンってのは、恋人に振られて泣いている人も、就職の最終面接で大失敗して落ち込んでいる人も、友達に馬鹿にされて怒り狂ってる子どもでさえも笑わせられる笑いのスペシャリストだ。笑わせられる側になるのは容易いが、逆となると話が違う。自分で自分を笑えるくらいに悟りきれないと、クラウンは務まらんぞ。そのためにはまず、自分がどんな人間か理解することだ。それから自分のクラウンのキャラクターも自ずと見つかる」


 ルーファスはそれから「よし、切り替えて続きをやるぞ」と言った。


 悲しみのあとは怒りや驚きといった感情表現の練習をした。


 次にダブルテイク(二度見)の練習をした。


「お前はどんな時二度見する?」とルーファスに聞かれた私は頭を悩ませた。


「う〜ん……」


「ちなみに俺はよく二度見をされる。みんな『え?! 何このおっさんちっさ!』って思ってるんだろな」と全てを受け入れているみたいに言った。ルーファスは長い間他者の視線を感じているために、こういうものなのだと悟り切ってしまったのかもしれない。


「私なら、知らない人からいちいちジロジロ見られるのは嫌だな」


「俺も気に病んだ時期があったが……。今ではそんなもんだと思って生きてる。サーカスで慣れたんだな、見られるうちが花さ。俺を見てビックリしたり笑ったり、こいつよりマシだって励まされたり。そんな人がいてもいいと思うんだ」


 腕組みをして彼は何度か頷いた。そんな風に思えるルーファスの心は金メダル級の優等生だと思う。


 不意に私は、高校生の時猫のデイジーの肛門腺が詰まった時のことを思い出した。寝ていたらデイジーが私に向かってお尻で床をこすりながら歩いてきた。眠気が優って一度目を閉じたが、彼女の様子が明らかに普通ではないということに気づいてもう一度目を開いて二度見した。結局動物病院に駆け込んで事なきを得たが、この出来事は完全に二度見に値する。その時の話をしたら、ルーファスは「じゃあその時のシチュエーションを思い出して、やってみよう」と言った。


 ルーファスはミラーの前に横向きで立ち、ミラー(正面)を見て、一度目線を外し横に向き直る。かと思いきやもう一度驚いた顔で正面を見るという動きをやってみせた。次に私も同じようにミラーに対して横向きで立ち、ルーファスが数える1から8の数字のリズムに合わせて、奇数の時に素早く鏡の方を見るという練習を2セット繰り返し全部で16度見をしたあと、反対方向を向いてもう2セットやった。


 次は1から3まで横向きで、正面を見たときに4秒止まり8のカウントで横に向き直るのをさっきと同じように2セットずつやる。最後はカウントに合わせて歩いたあとビクッと腕を動かし立ち止まり、驚いた顔をして正面を見たまま4秒止まり8で横を向く。このトレーニングも2セットずつ。


 その後は人に頬を叩かれる時の動きの練習をした。ミラーを見たまま、4カウントするうちの3秒目で自分で手を叩いて音を出し、本当にビンタをされたみたいに素早く右向きに頬を逸らす。 次は往復ビンタで、3と4のタイミングで二度手を叩いて同時に左右に連続で頬を逸らす。次は痛さを表現するため、3のタイミングで手を叩き頬を右に逸らして手で抑えながら、痛そうな顔をして5秒かけてゆっくり正面を見る。全て2セットずつこなした。


 最後はまた動きをつけて、1. 2で両手と首を振って違う違う、とジェスチャーをし、3で叩かれ泣きそうな顔をしながら残り5秒間で正面を見てごめんごめんと必死に手を振る。違う違うからの往復ビンタ、ごめんごめんを2セット終えた時には、いい具合に身体も心も解れていた。


「よし、じゃあ往復ビンタキレるバージョンをやってみよう」


 1、2、3で怒った顔で鏡に向かって歩いて行って4で右頬をビンタ、5、6でよろめいて7、8で怒りの表情を浮かべて立ち向かう。次のターンでは逆頬ビンタバージョンをやる。それを全部で2セット繰り返した。


 今度は4カウントの間につまずく練習だ。


 ミラーに横向きで立ち1で右足、2で左足を出し歩いた後、3で左脚に右足を引っ掛けて躓き、1テンポずらして4で右足を踏み出す。この1テンポずらすのが微妙に難しかったが、繰り返しやっていくうちにコツを掴んだ。


 次は4カウントで躓いた後に、次の4カウントで後ろを向いて目線と顔を同時に動かして地面を確認し躓いたものを探す という動作をやった。


 先ほどの動きを応用して、歩いていたら躓いて、地面を確認して躓いたものを拾い、ニコリと笑って一度正面を見るという動作を繰り返しやった。


 最後は拾った動作のあと拾ったものを投げたら、それが後ろから飛んできて後頭部にぶつかって前のめりに転び、後頭部を押さえて立ち上がるという一連の動作を練習した。


 ルーファスと一緒にこれまで教わったモーションを流しでおさらいしたところで、ふと感じた疑問を口にした。


「パートナーと演じるとき、本当に相手の顔を叩いたりするの?」


「いや、基本的に俺はアリーナで暴力はタブーだと思ってる。さっきみたいに叩かれるフリだ。昔別のサーカスにいた時にもう1人のクラウンのことをふざけて叩いたんだが、後からすごい勢いで塞ぎ込んだよ。人を叩いたのなんて生まれて初めてだったし、人前だしな……。相手はショーだしウケたからいいじゃないかと気にしてなかったが」


「僕も人を叩くのは嫌だな……」


 前にテレビでコメディアンが叩き合ったり詰りあったりするのを観ながら、何が面白いのかと首を傾げた。笑っている観客たちの心理も理解できなかった。過剰な暴力というのは人によっては不快に感じてしまう。


「人と自分を傷つけないで笑いをとるって、難しいのかな……」


「そうだな、それができるようになるまでは相当な鍛錬が必要だ。だが、お前のその気持ちはすごく大切なことだと思う。俺の知ってるクラウンも客弄りをして笑いを取っていたけれど、客を傷つけないように気を配ってた。本当に面白いクラウンは、誰のことも傷つけないで自分の力だけで笑いを取れる。お前もそんなクラウンになるといい」


「リングの上で話すのはどう?」


「クラウンは喋っちゃいけないという決まりはないが、なるべく言葉だけに頼らない方がいい。クラウンはコメディアンとも似てるようでまた違うんだ。この間観たビデオでは、クラウンたちは自分の動きや仕草で笑わせてただろ?」


「確かに」


 言葉以外の方法で笑わせるというのは、すごく難しいことだ。それを考えるとチャップリンや歴代の名クラウンたちはとても偉大だ。私にできるだろうか。


 不安になりかけた心を奮い立たせるために「喝!」と叫んだら、練習していた仲間たちが一斉に振り向いた。

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