第52話:すり合わせ

「ただいま戻りました、師匠」


 俺とミナリーがログハウスに入ると、リビングのソファにぐだぁと寝ころんでいた師匠が起き上がる。


「あ、お帰りなさい、レイン。……ミナリーも」


「ただいま……」


 師匠とミナリーの表情はぎこちない。


 結局、師匠が二日酔いでダウンしたせいで昨日の夜から何も話せていなかったからな……。お互い顔もあわせづらいだろう。


 師匠の二日酔いはだいぶ回復したようだ。今朝の顔色に比べれば随分と血色も良いし、起き上がった拍子に頭痛で顔を顰める様子も無かった。これなら落ち着いて話が出来そうだ。


 夕飯時にはまだ早いし、ちょうどいい。


「師匠、今後の事について話がしたいので時間を貰えますか?」


「え、ええ。もちろんよ」


 師匠は少し緊張した様子でかしこまった様にソファの端にちょこんと座る。俺とミナリーは対面のソファに並んで腰かけ、師匠と向かい合った。


 ミナリーの左手が俺の右手に触れる。


 冷たくて、震えた指先からは緊張と不安が伝わって来る。


 俺がその手を握ってやると、ミナリーは少しだけ口元を緩めた。


「それで、話って……?」


 師匠も師匠でぎこちなく尋ねて来る。俺が隣に座っていたらミナリーと同じように手に触れてきそうだ。


「単刀直入に言います。俺とミナリーは王立学園に行くことにしました」


「……そう。決めてくれて嬉しいわ」


 師匠は胸を撫で下ろして微笑む。


「なので、冬までにはここを出ようと思います」


「――えっ?」


 だが、続く俺の言葉に思わずといった様子で腰を浮かして疑問符を浮かべた。


 やっぱり、師匠の中では春頃までは一緒に暮らす予定だったんだろうな。


「ど、どうしてそんな急に……?」


「理由は幾つかあるんですが……」


 ケロッグ商会の移転と入学試験に向けた準備。出立時期を早める理由を伝えると、師匠は落ち着かない様子で俺とミナリーへ交互に視線を向ける。


「ふ、二人の実力なら王立学園の入学試験なんて簡単に突破できるはずよ? も、もし筆記が不安なら私がこれから付きっきりで教えてもいいし……! それに、ケロッグ商会の移転の話はフロッグとクレアに任せても大丈夫だと思う! レインがわざわざ王都へ行く必要なんてないはずだわ」


 早口でそう捲し立てる師匠を前に、俺とミナリーは顔を見合わせる。まさかここまで動揺するとは思わなかった。


「師匠、もしかして寂しいの?」


「そ、そんなことは……」


 ミナリーの質問に無いと言い切れず、師匠はスッと視線を反らす。


「寂しいなら俺たちと一緒に王都へ行きませんか?」


「……それは、ダメ。何度も言っているでしょう? 私には魔王の復活を阻止する使命があるって」


「むぅ。師匠の頭でっかち」


 ミナリーがぷくぅと頬を膨らませて不満を表す。


 使命……か。魔王復活を察知した師匠は方々にその危機を知らせようとしたが、誰にも信じて貰えず挙句の果てには異端審問にかけられそうになった過去がある。


 誰からの協力も得られないならば、魔王復活と言う災厄を止めるには自分がやるしかない。


 そんな使命感は、義務感や強迫観念にも近いだろう。なまじ魔王討伐が出来かねない実力を持っているから、なおのこと。


「私の事よりも二人の事よ。本当に冬までに王都へ行っちゃうの?」


「そのつもりです。色々と準備が必要なので」


「…………そう」


 お互いに平行線をたどるのはわかりきっているから、俺も師匠もこれ以上は相手を説得しようとはしなかった。


「むーむーむーっ」


 ミナリーはずっと頬を膨らませて不満そうだが……。ここで駄々をこねても仕方がない。師匠を翻意させるには足りないことだらけだ。


 まずはそれを、一つ一つ積み重ねて行こう。


「師匠、ミナリーの魔法を見てやってくれませんか? 実は今、ミナリーが覚えようとしている魔法があるんです」


「ええ、それは構わないけど……。どんな魔法を覚えようとしているの?」


「それは――」


 ミナリーが覚えようとしている魔法を伝えると、師匠は腕を組んで拳を唇に当てる。師匠が考え込む時によくする仕草だ。


「光系統の魔法は専門外だけど、氷系統で似たような魔法を私も使えるからアドバイスできることはありそうね。…………でも、いいの?」


 師匠はミナリーの顔色をうかがうように尋ねる。ミナリーは唇を尖らせてプイッとそっぽを向いた。


「わたし一人で魔法覚えられるもん。…………けど、師匠がどうしてもって言うなら教えられてあげなくもなくもないかも」


「だそうですよ、師匠」


「あ、あなたたちねぇ……」


 師匠は額に手を当てて溜息を吐くと、その手を頭に持って行って、手櫛で髪を整える。ソファにも座り直し、姿勢を正してミナリーに向き直った。


「私はあなたの魔法の師匠よ、ミナリー。だから、大人しく私に魔法を教えられなさい」


「…………どうしても?」


「どうしても、よ」


「……わかった」


 ミナリーは師匠と視線を合わせないままこくりと頷く。そんなミナリーに師匠は胸を撫で下ろしたような笑みを零した。


 お互い、初めてのケンカでどう歩み寄ればいいかわからないんだろう。素直になって謝れるほど溝は浅くなく、さりとて仲違いしたまま過ごせるほど関係は浅くない。


 一緒に魔法を覚えていたら、そのうち普段通りの仲に戻っていそうだ。


「師匠、さっそく魔法の特訓に行ってきたらどうですか? 夕食は俺が準備しておきます」


「そうね、お願いしようかしら。ミナリーも、それでいい?」


「うん。行ってくるね、レインくん」


「ああ」


 俺は師匠とミナリーを送り出して、もう一度ソファに腰を沈める。慣れない事をするもんじゃないな。少しだけ気疲れしてしまった。


 だけど、概ね狙い通りに事が進んだ。ミナリーと師匠の間をとりなせたし、もう一つの目的も達成することが出来たと言っていいだろう。


「さて、夕飯はどうしたものかな……」


 ソファから立ち上がり、キッチンの方へ向かう。手の込んだ料理は作れないから、適当に肉を焼いて、付け合わせにスープでも作ろうか。

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