98話  インフェルノの涙

人間の性交なんて、知識としては分かっていても理解はできない行為だった。


だけど、インフェルノはこれから訪れる未知の体験にそわそわしながら、ケイニスをジッと見つめていた。


自分は人間じゃない。大丈夫だろうか………ちゃんと、この人のことを満足してあげられるだろうか。


一方、ケイニスは余裕のある表情でインフェルノの肩に手を置いた。



「緊張してる?」

「……少なからず、そうですね」

「へぇ、何百年も生きていても緊張するんだ」

「は、初めてだから仕方ないじゃないですか……!」

「そうだよね……これが普通だよね。初めてはこんな初々しい感じじゃなきゃ……!!」



初体験からえぐい性欲を3連発でぶつけられていたケイニスは、感激の涙を流す。


一方、他の女を思わせるような発言により、インフェルノはまた不機嫌になった。



「ふうん、そうですね。あなた様はヤリチンですもんね」

「どこで教わったの?ねぇ、どこで教わったのそんな言葉!?」

「女神様がよく言っておりましたよ?あなたの主人になる人はとんでもないヤリチンだと」

「いやいや、定義が違うからね?ヤリチンは自ら積極的に女を抱く人!!俺は半ば強制的にエッチさせられる子羊!!」

「でも、気持ちよかったですよね?」

「…………………………」

「…………………………ふうん」



この部屋も燃やそうかしら。


インフェルノが本気でそう思い始めたころ、殺気を感じたケイニスは彼女の両肩に手を置いて、必死に機嫌を取り始めた。



「ま、まあまあ!!そ、そんな怖い目つきしないで~?俺が悪かったから……え?なんで俺が悪いの……?」

「なんでそこで疑問形になるんですか!?全く……」



呆れながらも、インフェルノは頭の片隅で考え続ける。


いくら剣の中に閉じ込められていたとしても、自分は女性の感性を持つ精霊。


今、ケイニスと自分が作り出しているこの雰囲気が、初体験にそぐうようなものではないということくらい、彼女は知っている。


……やっぱり、腹を括って私がもっと頑張らないと。


インフェルノが、そんな風に悩んでいたところで―――



「インフェルノ」

「…………」

「インフェルノ、こっち見て」



いつの間にか、冗談ばかりを言っていた恨めしい主人はどこにもいらず。


そこにはただ、無限大の愛を湛えた愛おしいパートナーが頬に手を添えて、自分を見つめていた。



「……他の王女たちにもこんな風に堕としたんですか?」

「人聞きが悪いな!?せっかくいいムード作ったのに!!」

「……私は、精霊ですよ?」



そこで、インフェルノはぽつりと自分の本音をこぼす。



「王女たちと比べて、足りないところがいっぱいあるかもしれません」

「………」

「あなた様は人間で、私は精霊。女神様にお願いして体のつくりを最大限に人間らしくはしましたが、私は孕みもしませんし性交の途中であそこが火に焼かれるかもしれません。それでもいいですか?」

「えっ、俺のあそこ焼かれるの?」

「………私が油断したら?」

「うわっ、めっちゃ怖くなってきた……」



ケイニスは怖気づいてぶるぶる震えながらも、後ろ頭を掻きながら言った。



「うん、でも俺はいいよ」

「……え?」

「インフェルノが精霊だろうがなんだろうが、別にいいってこと。何百年も積み重ねてきた想いでしょ?少しは俺も答えるべきだというか、普段からインフェルノには世話になりっぱなしだからね」

「…………」

「あま、さすがに体が焼かれるのは嫌だけど……ほら!常に魔力を循環させて最大限耐えて見せるから!うん、たぶん大丈夫じゃないかな?たぶん……」



言葉ではそう言いつつも、ケイニスはずっとインフェルノから離れなかった。


今まで抱いたことのない感情が巻き起こされて、インフェルノはどうすればいいか分からなくなる。


そんな風に戸惑っていた瞬間、ケイニスはインフェルノを優しく抱きしめた。



「大丈夫だよ。どんなことが起きても、君のせいじゃないから」

「………」

「ほら、パートナーでしょ?俺が死ぬまでずっとパートナーなわけだし?ちょっと火傷しちゃったくらいで怒ったりしないから」



………………あ。


ああ……この人は、この人は本当に……。



「……女を落とす話術が日に日に成長していますね、あなた様」

「今いいところじゃなかったっけ?インフェルノさん?」

「ふふっ……」



そのまま、インフェルノは初めて自分の主人の頬に手を添えてみる。


ケイニスは一瞬びくっとしたけど、すぐに顔を綻ばせた。



「熱くはないですか?」

「ちょうどいいくらい。うん、人間の体温よりちょっと熱いくらいかな~?」

「……やっぱり、もっと下げましょうか?体の温度」

「ううん、そうすればもっとインフェルノが遠慮することになるでしょ?俺がどうにかするから、君はただ楽にしてていいよ」



……もう、ダメ。


次の瞬間、インフェルノは自分も気づかないうちにケイニスに激しく抱き着いて、唇を触れ合わせた。


何百年も待ってきた、大好きな主人との接吻。


ケイニスは急にキスされて驚くものの、すぐにインフェルノの背中に手を回して彼女をぎゅっと抱き留めた。



「大好きです……あなた様」

「……インフェルノにそれ言われるのは初めてかも」

「なら、これからは耳にタコができるくらいに言ってあげますから」

「ふふっ、ありがとう」



今まで感じてきたどの時間より、刺激的だった。


インフェルノはつい涙を流しそうになる。今この瞬間が素敵すぎて、夢みたいで、現実味が全くなかった。


そうやって瞬間の素敵さが浮き彫りになるたびに、インフェルノの心には影が差す。


私が、もし人間だったら。


主人であるあなたが、もし精霊だったら。


そうしたら、私たちは限りなく同じ時間を生きることができたはずなのに。永遠に、愛することができたはずなのに。



「ん………っ、うぅっ……」

「……え?」



分かっている。これは絶対に見せてはいけない涙だ。これは、仕方のないことだ。


なのに、インフェルノは自分の感情を抑えきれなかった。変な話だった。


何百年も待ってついに想いが成就したというのに、次に浮かぶ感情は喜びに伴う―――寂しさだったから。



「インフェルノ?泣いてるの……?」

「い、いえ。泣いてなどいません。私は、泣いてなど……」

「どうしたの?もしかして嫌だった?」

「断じてそのようなことはありません!!でも……でも」



あなたは人間。こんなにも素敵で愛おしくて、私のすべてであるあなたは……人間。


いつ死ぬか分からない人。いつ死んでもおかしくない人。天寿を全うしても、あなたに残された時間はたった数十年。


………ダメ。ダメよ、私。500歳も超えてるくせに、なに子供みたいに泣いているの?


ああ、でも……



「……インフェルノ」

「あ、うっ……みな、見ないでください……こんな無様な私を、見ないで……」

「どうして泣いているのか、理由を聞かせてくれないかな?」



優しい言葉がまた届き、インフェルノは自分の胸に手を置く。


それから、彼女は絞り出すように語っていった。あなたを失いたくないという感情が浮かんだこと。寂しさが先立つこと。


こんな素敵な瞬間に、そんなことを思ってしまう自分への嫌悪まで。


そこまで聞き終えたケイニスは、親指でインフェルノの涙を拭きとりながら言う。



「そっか……そっか。インフェルノの立場からしたらそうなるよね」

「も、申し訳ありません、あなた様。私、とてつもない無礼を―――」

「約束するよ、インフェルノ」



そこで、ケイニスはさっきと違って芯のある声で、インフェルノに語り掛けた。



「確かに、君の言う通り俺がいつ死ぬかは分からないけどさ。でも、死ぬその間際までずっと、君のこと大切にするから」

「…………」

「一生のパートナーだからね。俺なりに精一杯、君の想いに応えられるように頑張るから」



……本当に、女たらしな方。


望むことばしか言ってくれない。聞きたかった言葉しか、届けてくれない。


どこまでも意地悪で、ずるくて、それでも嫌いにはなれない―――不思議な人。



「精霊は一度主人として認めた相手がいるなら、その人のためにすべとを尽くして、思い返しながら生きて行くらしいです」

「……うん」

「だから、素敵な思い出を作ってください。決して色褪せない思い出を、ずっと」



ケイニスの答えは言葉じゃなくて、キスだった。


インフェルノの心の穴が少しでも埋まるように。少しでも幸せに浸っていられるように。


ケイニスは丁寧にキスをしながら、インフェルノをずっと抱きしめた。

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