第四話 悪役令嬢が破天荒過ぎる

「よく寝たわ。すっきりした!」


 ぐっと背伸びをしながらアイリーンが目を覚ます頃には、もうすっかり夕暮れ時だった。

 私もいつの間にか微睡んでしまっていたようでゆっくりと意識を覚醒させる。部屋を出て軽やかに廊下を駆ける彼女に問いかけた。


「またどこか行くんですか?」


「そろそろお夕食なのよ。食堂に行くわ」


 アイリーンはそう言って、階段を滑るように降りていく。

 二階に上がってこようとしていたところだったらしい使用人の女性が困ったような顔でそれを出迎えた。


「静かに降りてくださいと、いつも申しておりますでしょう。また旦那様に叱られますよ」


「別にいいの、そんなことは。ところで今日のお夕食は何?」


「トマトスープです。奥様がたはすでに食堂にいらっしゃいますので。……そうそうアイリーンお嬢様、昼間の件ですが」


「わかったわ。じゃあ!」


 まるで昼寝の前のことなんて忘れたかのようにケロッとして笑い、さっさとその場を立ち去るアイリーン。

 子供だから切り替えが早いのか、それともわざと明るく振る舞っているのかは私には計り知れないが――。


(元気そうで何より……というか危なっかし過ぎて見てられないくらいだけど)


 ライセット公爵が叱りつけたくなる気持ちもわかる。アイリーンが立派なレディーには程遠いのは確かだ。

 破天荒さはこの半日を見ていれば明白で、私もこれから毎日のように悩ませられるのだろう。でも、体を共有することになってしまった以上はきちんと向き合うつもりだった。


「……あ、そうそう。アイリーン様、人前では会話はなしでお願いしますね」


「当然でしょう。あんたのせいでわたくしが正気を疑われるようなことになったら困るもの」


 彼女にしては珍しく声を顰めるアイリーン。

 ワガママっぷりを発揮して「嫌よ!」と拒否されたらどうしようかと思っていたので私はホッと胸を撫で下ろした。


 この世界にとっては異世界人にあたる私が憑依していることも、周囲に知られるのは望ましくない。できれば一生隠し通すべきだ。


(できれば私だって思うように喋って動きたい。でも、こんな状態になったんだから仕方ないわよね……)


 そうこう考えているうちに、食堂の前までやって来ていた。

 昼間に屋敷を見て回った際に厨房を覗くついでで前を通ったが、中までは見ていない。思わず涎が出そうになる匂いがふわりと漂ってきたと同時、「入るわよ」とアイリーンが食堂の両開きの扉を体当たりするようにして開けた――。


 足を踏み入れた瞬間、目に飛び込んできたのはテーブルクロスがかかった縦長の机。

 それを取り囲むようにして置かれていた椅子の四脚。うち使われているのは二脚のみで、奥の席に腰掛けていた人物がこちらを見つめ、呆れたような声を響かせた。


「もう少し静かに入って来れないんですの、アイリーン」


 それは薄青の髪の女性だった。

 瞳はアイリーンと同じ赤。顔立ちも鏡で見たアイリーンのものとよく似ていて一目で親子とわかる。そして彼女の隣には薄青の髪に青い瞳の幼い子供の姿があり、彼がアイリーンの弟のヒューゴという少年に違いなかった。


 お行儀よく食べている彼を一瞥し、ふんと鼻を鳴らしながら着席したアイリーンが悪びれずに言い放つ。


「わたくしはおとなしくするのに向いてないのよ、お母様。そんなことよりさっさと食べましょう?」




 公爵家の夕食はかつて食べたどんな高級レストランの料理よりもずっと豪勢で味がよく、舌鼓を打たずにはいられないほどだった。


 ただ、食堂はとても静かで、大した会話は交わされない。ライセット公爵は仕事に明け暮れていて自分の部屋で食事を摂っているし、ヒューゴは公爵夫人に習った勉強のことを話してばかり。

 すっかり退屈したアイリーンは足をぶらぶらさせており、掻き込むようにして食事を平らげてすぐに席を立ち、さっさと食堂を出た。


 この時点でなんとなく悪い予感がしたが、それはどうやら的中したようだ。


「わたくし、夜の散歩が好きなのよね。公爵邸の裏にはちょっとした森があって夜に歩くと楽しいのよ!」


「そうなんですか」


 そっけない返事をしつつ、しかし私はたった半日ほどでアイリーンのワガママな言動パターンが読めてきていたから、彼女がこれから何をするつもりかもわかっている。

 できれば止めたい一心で自室の方へ足を向けたが――。


「何よその返事は。……あっ、逃げる気なのね! 召使のくせに生意気よ!」


 アイリーンの意思の方が強くて体の制御権をすぐに奪われた。


「このわたくしがちょっとやそっとの危険を恐れるとでも? 貴族令嬢たる者、勇猛果敢でなくてはいけないわ」


「勇猛果敢というよりは単なる無謀なんじゃ」


「いいから早く。お父様に見つかると面倒になるでしょう」


 一階のとある部屋に入り、開閉式の窓をがらりと開けて窓枠に足をかけると外へ飛び出し、庭園らしき場所へと転がるように着地するアイリーン。

 軽く足をすりむき、私は痛みに眉を顰めてしまう。しかし軽い怪我などなんのそののアイリーンはドレスが汚れるのもかまわずに馬小屋へ走った。


「馬車用の馬を拝借するわ」


「この世界、馬車あるんだ……。じゃなくて、さっきお散歩って言ってましたよね」


「馬でのお散歩よ。悪い?」


 アイリーンはおそらくイタズラっぽい笑みを浮かべていたに違いない。

 そのまま私の言い分を聞かずに馬に跨った彼女は、森へと駆けて行った。




「もうやめてくださいってば――!」

「いちいち悲鳴上げるんじゃないわよ、馬鹿ねぇ」

「怖い怖い怖い、これ絶対落ちるからぁっ!」


 私の絶叫が森に木霊している。

 暗い森の中、銀髪を風に靡かせながら馬を走らせるアイリーン。彼女は平気な顔をしているが、道中で何度も振り落とされそうになったり複数の野生生物に追われたりととんでもない事態になっていた。


(この悪役令嬢め……! 今夜のはさすがに想像以上だったわ。こんな猛獣、私の手に負えるわけない)


 アイリーンはドレスを着た野生児なのだろうか。きっとそうに違いない。でなければ、これほどまでに腕白なのはおかしい。


「いい加減止まって! せっかく転生した私を早速殺す気なんですか!?」


「ふん。こんなのを怖がるなんてお子様ね、アイ。賢ぶってるくせに怖がり。まるでうちの弟みたいだわ。

 あの子はわたくしと違って臆病で堅実なの。でもびくびくしておとなしくしてるだけの人生、つまらないじゃない? だから自由に生きるって決めてるの!」


 びしっと天へ指を突きつけたアイリーンが自信満々に胸を張った。

 彼女の言い分はわかる。そういう生き方もありだとは思うけれど。


「自由にもほどがあるし、破滅を叩き潰す前にあっさり死にかねないんですが!?」


「この程度で死ぬわけないでしょ。でもまあ、あんたの肝っ玉が潰れるかも知れないわね!」


 そんな風に話している間も馬は爆走し続ける。

 夜が更け、真夜中に屋敷へ帰るまでの間中ずっとアイリーンは楽しげにしていたし、私は恐怖で叫びまくっていた――。

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