見習い戦闘機隊レインボーローズ!─夢追い新婚夫婦の戦闘機乗り入門─

冬和

プレフライト

『お前は、夢のためなら人を殺せるか?』


 魔女のような声が、無線で響いた。


 アメリカ・アリゾナ州の砂漠上空。

 女子の目の前に広がる青空で起きているのは、熾烈な空中戦。

 2機のジェット機が、互いの背後を追いかけて激しい旋回を繰り返す。

 片方はツートングレーに塗られ、滑らかな曲線を描く背中のフォルムが特徴的な戦闘機、F-16だ。垂直尾翼には大きく『LF』と書かれている。

 そしてもう片方は、大きな三角形の翼が特徴的な戦闘機、グリペン。だがその機体は、まるで血で染まったかのように真っ赤に塗られていた。

 表面に白い雲を纏った2つの翼が、何度も複雑に軌跡を交差させる。

 相手を追い抜かず追い抜かせようと、立体的な軌跡が何度も入り乱れる三次元的なデッドヒートだ。

 まるで飛びながら喧嘩する鳥のような目まぐるしさ。

 片方を操縦しているのが駆け出しの実習生とは、とても思えない。


『どうした? 聞こえているのだろう?』

『……』

『答えろ小僧!』


 だが、その実習生が乗る機体が押され始める。

 質問責めに圧倒されている内に、相手に背後をとられた。

 遂に、追われる立場になってしまった。


『答えられないか……ならお前の夢に価値などない!』

「……っ!」 


 その言葉で、女子の青い瞳に怒りが宿った。

 もはや傍観してなどいられない。

 被っていた青いヘルメットのサンバイザーを、左手でやや乱暴に下げる。

 その左手で握り直したスロットルレバーを押し込み、右手で小さな操縦桿を右に少し倒す。

 すると、女子が乗るもう1機のF-16が、くるりと上下反転。

 さらに赤いアフターバーナーの炎をノズルから吹き出し、急加速しながら空中戦の中へと飛び込んだ。


『お前はF-2乗りになりたいと言ったが、それは将来、戦闘機で人を殺すって事だぞ! そんな事もわからない奴が、甘っちょろい夢なんか語るんじゃねえ!』


 相手のグリペンが距離を詰めてきている。

 もういつでも撃てる位置だ。

 そこに。


「──けないでよ!」

『ん?』

「人の夢を、バカにするなあっ!」


 女子が自らのF-16を飛び込ませた。

 グリペンが気付いた。追跡を止めて右へ切り返す。

 その後を、すかさず追いかけた。


『ストーム!? ダメだ! 君が戦って勝てる相手じゃない!』


 自由になったF-16のパイロットが、驚いている。若い青年の声だ。

 ストームと呼ばれた女子は、グリペンを追いかけながら反論する。


「ツルギが遠い日本からここに来て、一生懸命がんばってるのも知らないで──!」

『努力は尊いってか? だが、中身がなければどんな努力も無意味だ!』

「やってみなきゃわからないじゃない! 可能性は無限なんだから!」


 グリペンを正面に捉える。

 目の前の透明なHUD──ヘッドアップディスプレイに表示されているのは、吹き流しのように流れる2本の曲線。

 ファンネルと呼ばれるこれは、言わば照準器の役目をするもので、中にぴったり挟み込む形で相手の機影に重ねれば狙いが定まる。

 だが、激しい旋回を繰り返す相手には、なかなか重ならない。

 狙いを定めさせない相手の動きに翻弄され、ストームは歯噛みする。


『青いな、小娘が。食らいつく度胸は誉めてやる。だがな──』


 グリペンが上昇した。

 ストーム機も、すかさずその後を追いかける。

 宙返りしながらのチェイスだ。

 だがその途中、突然視界をまばゆい光に遮られた。


「う──っ!」


 太陽だ。

 その光に視界を遮られたのは、ほんの数秒。

 だがその間に、グリペンの姿は影も形もなくなっていた。

 すぐに周囲を見回しても、いない。

 眼下には、広大な砂漠が見えるだけ。

 どこに行ったの、と姿勢を戻しながら急いで相手の機影を探す。


『ストーム! 後ろ!』


 ツルギと呼ばれた青年の声で、はたと振り返る。

 そこには、いつの間にかグリペンが。

 それを見た途端、ストームは飢えた猛獣ににらまれたような錯覚を覚えた。


『踊りはうまいが、戦い方はまだまだのようだな!』

「くっ!」


 反射的に操縦桿を動かしていた。

 すぐさま旋回して振り払おうとするが、グリペンはしつこくついてくる。

 何度切り返しを繰り返しても、振り払えない。

 まるで、糸で繋がっているかのように。


『さっきまでの威勢はどうした? 怯えているぞ?』


 挑発するように言われて、ストームは気付いた。

 操縦桿とスロットルを握る手が、強ばっている事に。

 そのせいでスロットルが僅かに引かれ、エンジン出力が落ちてしまっている。

 これは錯覚じゃない。

 自分は怯えている。

 生身の人間が猛獣と戦う事はできない。襲われたら、逃げなければならない。

 ストームが感じたのは、まさにそんな感情だった。


『今行くストーム! 待ってろ!』


 ツルギが援護に来てくれるようだ。

 だが、このままではその時まで持たない。別の手を打たないと。

 そう感じたストームは、握り直したスロットルを押し込み、アフターバーナー再点火。

 さらに操縦桿を引く。

 パワーに任せて上昇に転じるのだ。


『振り切るか……だが、遅い!』

『Lock! Lock!』


 だが、無情にも鳴り始める警告音。

 ロックオン警報だ。勝負が決した瞬間だった。


『これで終わりだ──何っ!?』


 と思われた瞬間。

 グリペンの翼端から、何かが煙と共に飛び出したのが見えた。

 ミサイルだ。

 シミュレーションではない、本物のミサイルだ。


「え──」


 ストームの思考が止まる。

 模擬戦のはずなのに、なぜ本物のミサイルが飛んでくるのか、理解できなかったから。

 避けられなければどうなるのかは、素人でもわかる。

 なのに、何もできない。

 できないまま、ミサイルが迫ってくる。

 自分は死ぬと、直感した瞬間。


『間に合えええええっ!』


 叫びと共に、何かが割り込んできた。

 ツルギ機だ。

 庇うようにミサイルの進路上に飛び込んでくる瞬間が、ストームには一瞬スローモーションのように見えた。

 そして、目の前で爆発。


『うわああああああっ!』


 ツルギの悲鳴が響く。

 ツルギ機は黒い煙を吹きながら、力なく平原へと落ちていく。


「──」


 その光景を見て、愕然とするストーム。

 ツルギは、自分を庇って本当に撃墜された。

 実際の戦場と同じように。


「ツ、ツ──」


 頭を駆け回るのは、ただただ混乱。

 目の前で起きた事態が信じられず、悪寒が止まらない。


「ツルギィィィィィィッ!」


 ようやく出た叫びは、届かなかった。

 その瞬間に、ツルギ機は空中で爆発したのだから──

 

     * * *

 

【実習飛行中のF-16戦闘機 実弾で誤射され撃墜】本日正午、アリゾナ州ルーク空軍基地に所属するF-16戦闘機が、空中戦の実習中に誤って実弾で撃墜される事故が発生した。事故機のパイロットは航空自衛隊から派遣されていた実習生で、墜落前に緊急脱出し、駆けつけたレスキュー隊によって救助された。脱出の際、背骨に重傷を負ったものの、命に別状はないとの事。事故当時、実弾を搭載した機体が誤って実習に使用されていた事が判明しており、アメリカ空軍は事故の詳しい経緯について調べている。

 

     * * *

 

 一週間後。

 軍の病院において、ストームはようやくツルギと面会する事になった。

 上官である女性教官も一緒だ。眼鏡をかけており、できるキャリアウーマンといった印象の女性だった。

 ストームは落ち着かない様子で廊下を歩く。

 気を紛らわせようとするように、先端が青く染まったセミロングの茶髪を何度も整え、耳につけた青薔薇のイヤリングを触り、豊満な胸の膨らみを隠しきれていない青い制服の胸元をしきりに直している。

 そうこうしている内に女性教官に肩を叩かれ、病室の前に着いた事に気付く。

 ストームは一瞬の躊躇の後、軽くノックしてからドアを開ける。

 中が見えた途端、あ、と声を漏らした。

 静かな病室の奥にある窓際に、車いすが1台ある。

 座っているのは、ぼんやりと窓の外を眺めている、病衣姿の青年だ。

 ここは個室なので、ツルギだとすぐにわかった。


「ストーム」


 青年が、ストームに気付いて振り返った。

 そして、車いすの車輪を慣れない手つきで回して、正面に向き直る。

 その様を見たストームの表情が曇る。

 病室の中へ踏み込めず目を反らしていると、女性教官が代わりに入室しツルギの前へ出た。


「オーフェリア教官も。どうもお忙しい所すみません」

「気にしないで。で、体調はどう?」

「はい。おかげさまで、何とか」


 オーフェリアと呼ばれた女性教官とやり取りを交わすツルギの表情は、ストームには乾いた笑みに見えた。

 それに胸を締め付けられながらも、ストームは勇気を出してツルギの前へ踏み出す。


「……ねえ、ツルギ」


 そして、恐る恐る口を開いた。


「足、治るよね? 治ったら、また飛べるようになるよね?」

「……ごめん、もう無理なんだ。脊髄損傷したから」

「──!」


 俯いたツルギの告白に、ストームは愕然とした。

 緊急脱出は、激しい衝撃がかかる以上、大きな危険を伴う行為だ。

 ツルギもまた、脱出の衝撃で背骨を負傷した。

 結果、脊髄を損傷してしまった。

 こうなると、体の麻痺は避けられない。最悪の場合、四肢さえ満足に動かせなくなる。

 しかも、損傷した脊髄の治療は、現在の医療技術では不可能。

 つまり、麻痺は一生残り続ける事になるのだ。


「感覚だけは残ってるから、また歩けるようにはなるかもしれないけど、完全に機能が戻る事は──二度とないって言われた」

「そんな……じゃあ、もう、パイロットには──」


 ツルギは、無言で頷いた。

 足を動かせなくなれば、ほとんどの乗り物は運転できなくなる。それは、飛行機も例外ではない。

 つまり、ツルギはもう、パイロットにはなれない。

 さらに。


「それに、学園からは退学処分になった」

「ええっ!?」

「借りていた外国軍機を、命令違反でした模擬戦で破壊したからね。だから僕は、自衛官の候補生ですらなくなったんだ」


 パイロット人生だけでなく、自衛官への道すら閉ざされてしまった。

 2つの現実が、ストームに大きな罪悪感となって重くのしかかる。

 悔しさで握った拳が、力なく震え出す。


「ごめん……あたしの、せいだよね……あたしがあんな事したせいで、ツルギがした努力が、全部──」


 思い出すのは、今までの日々。

 ツルギとストームはこのアメリカの地で出会い、切磋琢磨し協力し合う中で、互いに惹かれ合い、恋人同士になった。

 だから、ストームは全部知っている。

 ツルギが戦闘機パイロットになるために、昼夜を問わずたくさんの努力をしてきた事を。

 それを、全部台無しにしてしまった自分が、許せなくなる。

 ツルギと一緒に、夢を叶えたいと思っていたから。


「ストームは悪くない。全部僕がドジ踏んだせいなんだ。よその国のパイロットの挑発に乗って、君を巻き込んでしまって──でも、君を庇った事だけは後悔してないんだ」


 なのに。

 ツルギは、震えるストームの拳を、そっと包むように握った。

 だが、その手が僅かに震えている事に、ストームは気付いてしまった。

 ツルギは、本心を押し殺すように顔を俯けたまま、続ける。


「この責任は僕が取る。だから──ストームは夢を叶えてよ。僕の分も」


 だがストームは、その言葉を飲み込めない。

 湧き上がる罪悪感が、それを許してくれない。


「ダメだよ……できないよ、そんなの……! ツルギを踏み台にするみたいじゃない……!」


 ツルギの手を、自分から放してしまう。

 熱い何かが込み上げてくる目の色が、どんどん曇っていく。


「それに、ツルギはこれからどうするの……? 親の反対を押し切ってまで戦闘機パイロットになりたかったんでしょ……? 帰るあてなんて、あるの……?」

「……」


 ツルギは黙り込んでしまう。

 その様を見て、ストームは察してしまった。

 彼は事実上、恋人の命と引き換えに全てを失ったも同然という事に。


「こんなの、夢も希望もないよ……! あと少しで、戦闘機パイロットになれたのに……! 一緒に合格しようって、約束したじゃない……っ! うわああああああーっ!」


 とうとう湧き上がる感情を抑えきれずに、泣き叫んでしまった。

 そんなストームの肩を、オーフェリア教官が無言で抱き寄せる。

 言葉はない。ただ無言で慰めるだけ。

 代わりに、ツルギへ労いの言葉を投げかけた。


「……ツルギさん。自分の命も顧みない勇気ある行動で、我が軍の候補生を救ってくれたあなたは、とても立派よ。もしあなたがスルーズ国籍であったなら、と思わずにはいられないくらい──」


 だが。

 その言葉で、ストームははたと気付き、泣き止んだ。

 顔を上げて、涙目のまま問いかける。


「……教官。今、何て?」

「え? 自分の命も顧みない──」

「違う! 最後に言った事!」


 予期せぬ問いかけだったのか、オーフェリア教官も少したじろぐ。


「ええ? もしあなたがスルーズ国籍であったなら、と──」

「それ! それだよ! それなら可能性は無限だよ!」


 そう確信したストームは、腕で涙を拭くと、すぐさまツルギに向き直り、彼の目線に合わせるように跪き、その両手を取る。

 突然の行動に戸惑うツルギを、曇りが晴れた瞳で見つめるストームは、はっきりと告げる。


「ツルギ! あたしと──結婚しよ!」

「──」


 突然の提案に、場がしばし沈黙する。

 そして、ようやく意味に気付いたツルギの、素っ頓狂な声が病室に響いた。


「ええええ──!?」

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