《幕間》一匹の仔猫の詠嘆曲

 愛されていなかったとは言わない。

 孤独だったとも、ほんの少しだって思っていない。

 ただ、両親と遊んだ記憶がないだけ。それだけが、わたしの心を完璧な形にしてくれない。

 百合の家紋を胸に、誇りを持って歩き続けた。それが私のたったひとつの存在意義だった。

 不満じゃない。苦痛じゃない。特別じゃない。

 わたしのために集められた教師たちや、大量の魔法道具、貴重な本の数々を、愛じゃないなんて言えるほど、わたしは恩知らずでも、愚か者でもなかった。


 でも、触れてしまった。

 賑やかで、乱暴で、低俗な、添加物だらけの“普通”に。

 夢にも見ないくらい、知らなかった世界に呼び出され、力づくで思い知らされてしまった。本質を叩き起こされてしまった。

 わたしの本質は、氷の張る最高峰の場所で花咲く、高貴で皆の模範となるべき獣人ではない。

 海辺を疾走る風に頬を晒し、砂にまみれ、その環境で強く咲き誇る雑草のような獣人だった。


 愛されていなかったとは言わない。

 孤独だったとも、ほんの少しだって思っていない。

 不満じゃない。苦痛じゃない。特別じゃない。


 そして、ここはわたしが生きやすい世界じゃない。


 わたしは、やさしい炎が照らす世界で、ひとと一緒に生きたかった。

 だから、手繰り寄せた縁は使う。生きたいように生きる。


 * 


「えっと……今日は『ムジーク』の話……?」

 わたしは自室で机に向かい、教科書と魔法紙を広げてつけペンを持つ。正直勉強はあまり得意ではないのだが、リリーホワイト家の次期家長としてはきちんと知識を身につけないといけない。

「“気が遠くなるほど昔、元々ノイエとクラスィッシェは一つの世界で、人間は魔物の一種だったが、その種族特徴故に人間が大量に増え、魔科学技術が高度になり過ぎて独自の世界、ノイエを産み出し、全人類が移住したのではないかという説”……うう、にゃるほど……?」

 もう頭がパンパンになってきた。だが、わたしはリリーホワイトだという誇りと、我楽団でトップになって『MELA』を合法的に見るのだという意思だけで、その文字をうつしていた。いつもなら家庭教師がいるのだが、今日は用事があるらしく、この一時間は自習時間だった。

 わたしはいつも独りだった。楽しいと思うことは自分の力が高まっていくこと、自分の力でひとを守れること。それだけだった。“子供”であることは認められなかった。“リリーホワイトの白猫”として、幸運の象徴として生きるのが当たり前のことだった。不満なんてない。それが誇らしくもある。

 だが、あのノイエでの二日間がわたしの視界を広げてしまった。美味しいものも、眠ることも、楽しむことも、“生きる”ことが楽しいと初めて思えた。

 あの日から、ご飯が美味しい。味蕾があることにようやく気付いたようだった。あの日から世界が綺麗だ。自分に美的感覚があることを教えてもらえたようだった。

 まだまだ知りたい。まだまだ楽しみたい。そのために、わたしは色んなことを始めている。


 あの後、不思議なほどにお母さまから怒られることもなく、頑張っていることも、未来に対して準備していることも、別に何も言われていない。でも、ケイゴの家の暖かさを知ってしまったら、どこか寂しく感じるのは、間違いだろうか。それでも構わないとおもえた。

 わたしは、誰もいないのを良いことに引き出しから資料を取り出す。

『【クラスィッシェ我楽団 入団説明会】』

 わたしは予定よりも一年早く、我楽団に入団し、研究生団員として一年下積みをしたあとに、正団員になる。そして、ケイゴよりも先に我楽団の中で立場を上げ、ケイゴがどんなへまをしてもわたしがどうにかできるようにしようと思っていた。だって、彼は普通の少年なのだ。団長の娘というわたしとはスタート位置が違う。前まではそれが気に入らなかったのだが、今は何よりの幸運に感じられた。現金だろうか。

 お母さまのことは、ずっと苦手だった。だが、命の恩人と、わたしを呼んでくれたひとと目的を果たすためなら、何でも使おう。


 コンコンコン、とノックがされる。

「失礼します、お嬢様。ケイゴ様からのお手紙が届きましたのと、新しい新聞でございます」

「入ってよくってよ」

 侍女がしずしずと入室してきて、わたしの机にその二つを置いて去っていった。

 ふぅ、とストレスを逃がすようなため息をつく。わたしはまずケイゴからの手紙を読むことにした。

 命を救い、救われたわたしたちは、今は『三年後に我楽団に入る』という目標に向かうための同志兼未来のバディとして手紙のやり取りをしているのだ。友達を作ったり、自由に遊んだりすることを許されないわたしにとって、その手紙は一番の娯楽だ。ワクワクとした気持ちで、封筒を開けて便箋を見た。


『ミーシャへ 元気? 最近、ミーシャにとってはショック受けそうなことがあったからさ、大丈夫かなって』


「ショック?」

 そう首を傾げたあとにハッとする。何か猛烈に嫌な予感がした。

 ケイゴの手紙を一旦放置して、新聞を見る。だが、一回目が滑った。読んではいけないと思ったのかもしれない。だが、もう一度じっくりと読む。それが、わたしの寿命を縮めることになるなんて思わずに。


「……は?」

 ガツンと重たいもので殴られたかのような衝撃と、血の気が引く感覚がする。知りたくなかった。信じたくない。だが、真実らしくて……。


――ここから先の記憶はない。

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