「……騙されたわ」

「従業員にもお酒やタバコではなく、ゲームも二十歳以下厳禁とか言ってるんじゃないでしょうね」



 場の空気が、一気に引き締まる。

 このアホらしい時間を過ごしていた男女四名から出て来た、まったくどうでもいいはずの言葉の羅列の中にいきなり出て来たそれははたから聞いていても相当に不穏だったのだろう。


「まさか」

「いいえ、高等専門学校を卒業する二十歳の祝いにネクタイでもお酒でもなくセンテンドーSDを渡した事をそっくり忘れたとか言わないでしょうね。しかもソフトなんか何にもなしの、中古品を!」


 ゲームは子どもが遊ぶものだと言うのは偏見であり、偏見ではない。

 キャッチザモンスターが登場する前からテレビゲームは存在し、主に子どもたちが遊んで来た。だが既に歴史は積み重ねられ、その時の小学生は既にアラフォー、場合によってはアラフィフである。


 そしてその筋に詳しい存在に言わせれば、その間にゲーム機は6世代は移り変わっている。6世代と言うのは孫の孫のそのまた孫であり、人間で言えばだいたい150年、いや晩婚化が進んだ今ではもっと長くなるだろうか。150年でも令和時代と明治時代初期、いや今では令和時代と江戸時代末期の差だ。ちなみにセンテンドーSDは、2~3世代前になるらしい。


「もう大丈夫だと思ったから、ほんのちょっと遊んでも十分なぐらい勉強する習慣は体中に叩き込まれているだろうと思ったから」

「小学四年生から数えて延々十一年間、信用できなかったんですか」

「だから、昔から言うじゃない、後から来たのに追い越され泣くのが嫌なら」

「マグロじゃないんですから、そんなに足を止めるのが嫌なんですか、のほほんと暮らしている人間が憎いんですか」

「ああもう、私にそんな感情はないの、憎しみとか」

「嘘ですね、臆病なだけです」



 憎しみはないのは本当だろう。



 そしてこの人が口にして来た言葉の全てが臆病の二文字で片が付く事に、私は四半世紀以上関わって来てようやく気が付いた。


「あなたは自分の息子を変えてしまった存在が怖いだけ。それまでそれこそぐうたらだった息子が目標のために急に勤勉な人間になったのを喜ぶではなく身構え、その正体を知ろうとした。そして自分が見下していたテレビゲームと言うそれである事を知り、嫉妬心に駆られたのです」

「嫉妬?」

「ええ、自分たちの方がうまくできると思ったんでしょう?あんな賞味期限の短い代物より。ランニングコストを自分で勝手に判断し一万数千円の高い買い物をしても意味がないと思ってダメだと言ったんでしょう。五百円にもならないような漫画一冊のランニングコストについてさえもブツブツと言い聞かせるんですからね、そりゃ手に取らなくなりますよ」

「でも私は」

「はいはい言い訳はご無用です、単に自分が臆病なのを認めたくないだけですよね。クリスマスディナーにチキンライスを出してごねる事を許さない空気を作ったのも、結局は誘惑に負けてたまるかと言う自分に酔っぱらってるだけ。自分たちがいかに恵まれていないか、苦しい中にあるのかって言い触らして、徹底的にぜいたくから逃げ回っているだけ。苦難に向き合い続けている自分はお美しいですか、住宅ローンなんか十五、いや二十年前に返し終わったはずなのに」

「そんな」


 家計を節約する最大の理由である住宅ローンの完済など、とっくのとうに終わっていた。もちろん老後資金その他があるが、それでもローン完済となれば肩の荷が下りたと言うなかなかの慶事であり、それなりに自慢していいはずだ。

 だが夫のリアクションからしてその時まだ十七歳だった息子である夫には全くそんな事は伝わっておらず、まだその時高校生として故郷の町にいた私が今言わなければ一生気付かなかっただろう。


「それはね、油断して欲しくなかったの、ほらもう住宅ローンを払う事がないとなると安心しちゃって」

「それで息子を置き去りにして旅行とか」

「行ってないわよ、誰に聞いてもいいわよ、ね、あなた」

「そうだそうだ」

「呆れた守銭奴ぶりですね」

「それの何がいけないの?一円を笑う者は一円に泣くのよ」


 二人の顔に貼り付いた笑顔は全く崩れる事を知らず、あくまでも私たちに言う事を聞かせようとしてくる。

 時計に目をやるとまだ店に連れ込まれてから十五分しか経っていないのに安心すると共に憤慨し、全てにけりをつける事にした。




「ならば、はっきりと申し上げます。

 小学四年生から中学三年生まで、私は家に夫を呼んで何を教えていたと思います?」

「そりゃお勉強でしょ」

「六割ぐらいはですね。あと四割はキャッチザモンスターです」

「……何?」

「キャッチザモンスターです!」




 二十幾年に渡り溜め込んで来た爆弾を、ついに爆発させた。




「息子が一年近く求め続け、どうにかしてあなたから買ってあげると言う返事を引き出そうとしたキャッチザモンスター。それを息子さんが欲しがらなくなったのはなぜだと思います?

 私が買って遊ばせたからです」

「え…」

「テストの点数が上がれば期待に応えたとしてその流れでとか考えたんでしょう、実に真っ当な考えです。

 ですがあなたは理由を付けて逃げ回り、挙句の果てにお小遣いまで取り上げてキャッチザモンスターと息子を引き剝がそうとした。それこそクラスのみんなが持っていたのに、藤木家だけが持ってないと言う状態になりかかっていました」

 実際には私が買う前もまだ四、五人ほどやっていなかったようだが、少なくとも男児ではゼロだった気がする。それなのに必死になって遠ざければ遠ざけるだけ、クラスでの人権がなくなって行った。

「あの事件の時にはもう、夫は限界に近かったんです。

 どんなに頑張っても言う事を聞いてくれない。他の人に言いふらすなんて恥ずかしくてとてもできない、いやそう言い付けられていた。もちろんあなたに反抗すればそれこそ前言撤回するまで食事抜きとかやられてもまったくおかしくない。それでも少しでも点数が落ちればほら見なさいとばかりに意気揚々と伸ばし伸ばしに、いやなかった事にして来る。だから何とかしてあなたを振り向かせるために戦っていたんです、たった一人で。

 そんな風に疲弊しきったたかが小学四年生が、あんな事をしてしまう可能性は十分にありました。それに対しての第一声が大丈夫でもごめんねでもなく、相手の運転手に対して謝りなさいですか?まあそれはいいでしょう。


 でもその次に出た言葉が、欲深いですって?


 私たちがどうしてもキャッチザモンスターを与えない物だからいっそ死んでやれば反省するだろとか思ってそんな真似をしたって言うんですか?そのせいであなたたちはキャッチザモンスターよりも恐ろしい怪物として小学校の空気を支配したんです。下手にキャッチザモンスターの話をすればあなたたちに取って食われると。

 嬉しかったですか?そうなって。

 一過性に過ぎない事を証明できた、最後に勝つのは怠けている人間ではなく真面目にやっている人間だと証明できて笑っていましたか?本当はあなたたちと言う怪物を恐れて潜っていただけなのに。

 ああ中学校でもだいたいそんなでした、キャッチモン嫌いの偏狭なエリートリーマン夫婦がいるって」




 自分の一体何が悪いのか。なぜ自分のせいでもないのに「仲間はずれ」にされなければならないのか。

 自分の成績が悪いのか、なら上げればいいだろうと言う目論見は外れ、いつまで経っても先延ばし先延ばし。

 一か月や二ヶ月どころか十か月単位で走り続けてもなお相手の首は縦に動かず、その上にせっかく無駄遣いをやめて自分の小遣いで買おうとしてもその道さえ塞がれる。

 お小遣いもお年玉も額面だけ増やして手元に残らないようにされてしまい、その代わりのように着倒れ食い倒れをしてもちっとも元気は出ない。

 そこまで憎むのならばもうあきらめるしかないのか、それでも…そんな風に泥沼に入り込んでいた人間を、私は助けたくなった。




「ですから勉強会の四割はキャッチザモンスターを一緒に遊ぶために使われていました。

 他にも男の子が好きそうなそれをひっそりと、あなたたちに見つからないように教えていたんです。それで自分から話す事はありませんでしたが他の子の話にもついては行けるようになり、何とか今まで生きて来られました。それでも残念ながら私一人で秘かにやるには限度もあり、また夫自身に決してあなたたちにバレないように私が教えたとよそ様に言うなと言い聞かせていたので友人はできませんでしたけど」

「ちょっと何をやってるんです」

「あなた…」


 私が二十五年以上溜め込んだ思いをぶつけている最中夫に止められたが、気圧されて無言になっていると思っていた藤木玉枝が壺から砂糖を取り出して全く飲んでいない二人分のブラックコーヒーに二杯、三杯と流し込んでいた。


「何をやっているんです」

「……騙されたわ」

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