思い出は、私だけ

 中学時代、藤木譲は私の家に行き、共に勉強をするのが日課になっていた。もう中学生となれば異性のお家で一緒にお勉強するなどとかって囃し立てられそうなお話だけど、私は彼を積極的に招いた。

 恋人同士とか彼氏彼女とか言われるのは不本意じゃなかったけど、それでも自分はそうしたかった。


「政美……さん、自分の夢は」

「いいの。私先生になりたいから」


 いつからこの夢が決まったのかはわからない。

 でも譲と言う今の夫と一緒に勉強を頑張っている内に、その仕事を天職だと思ってしまったのは間違いない。夫の成績が上がったのは、私と一緒に勉強するようになってからだ。だから向こうの両親も好意的だったし、しかも塾や家庭教師・通信教育とかのようにお金がかからない(まあ時々お菓子とかはもらったけど)から認めてくれていた。

「違うでしょ、そこはこうして、ああして……」

 同じ所を何度も何度も教えている間に、自分でも覚える。だから私の成績も上がり、最終的に公立大学に入れて学費も浮かせられた。

 それは夫にも言ってない私だけの秘密だが、少なくとも夫に感謝できる話ではある。


 そして譲だったが、なかなか親に向かって夢を語ろうとしなかった。自分の親どころか、私たちの親にも。ただただ私と言う女の子を前にしてもまるで家庭教師に相対しているかのように勉強の事しか聞かないのにいらだってたまに遊んだりもし、なだめすかすように譲の本心を聞き出した。


 —————曰く、すごい機械を作りたい。誰もが楽しめるような、すごい機械が欲しい。企画とかではなく、自らその手の存在に関わりたい。


 要するに、ロボット。良いロボットを作る事が夫の夢だった。

 決して夢物語ではない夢だが、それを打ち明けてくれた事は嬉しかったし、ありがたかった。



 だから、あの人は高等専門学校に進んだ。言うまでもなく、工業系の高等専門学校に。

 譲の両親は反対するかと思ったけど、全寮制である事を知って認めてくれた。私は普通の学校に進み、ここである意味私たちの運命は分かれた。

 でも、進学先が変わっても私たちの運命など変わるはずもない。休みの日には街中を二人で歩いて買い物とかデートまがいの事もしたし、勉強会だってやった。そのおかげで、二人の交際は順調だった。


「今日のコースは」

「じゃまずここを行って、この店で服を買って、それから昼間は喫茶店でこれを食べて、その後は…」

 と言っても、寮生活である夫とただの女子高生である私では世界も微妙に違った。寮にくぎ付けと言う事はないにせよ休みでもない限り寮から半径〇キロの範囲でしか動かない夫に対し、私はかなり自由だった。校則は厳しくないにせよ十八になるまでいわゆるガラケーさえ持っていなかった夫はデートのプランなど考えられるはずもなく、一から十まで私任せだった。その事を情けなく思った事もあったようだが、その度に立派な夢を追いかけている自身を褒めるようにアドバイスした。高等専門学校とただの高校ではカリキュラムも違うし教えられる事は少なくなっていたが、それでも藤木譲はいい私の生徒だった。


「政美さんが一緒だと安心するんだよね」

「それは誰が?」

「もちろん僕だよ!」

 時にはパフェをつつき合いながら、ついこんな意地の悪い事を言ったりする。もっとも意地が悪いのは私だけで、夫は誠実だった。時々ロボコンに参加する話や領内の生活も話してくれたが、こちらをうかがってか女性の話はしない。

 一分一秒を噛みしめるように口を開き、耳をそばだてていた。必死過ぎるとか言おうと思ったが、実際必死なんだろう。それこそ常に張り詰めたような空気じゃ楽しめないよとか口を滑らせた際にはそれからほとんど話さなくなり余計に重苦しくなってしまった事もあり、思っていても言わないある種の禁句になっていた。


 そして二十歳になると、道は本格的に分かれそうになった。

 私は女子大生、夫は東下電気と言う会社の正社員。電気工事士ではなく開発部に入り、夢だったロボットの開発を始めた。そのお給料で彼は正式に独立し、1Kのアパートを借りた。寮生活と大差ないにせよ、紛れもない自分の城だった。その城に私は何度も行き、お姫様気取りになった訳でもない。

 夫が社会人の中私自身所得ゼロでは申し訳がなく、社会経験のためにもアルバイトを始めた。目標に合わせて塾で働こうとしたがかなわず家庭教師のバイトをしたが、たちまちにして人気になった。

「お嬢さんずいぶんとうまいね」

「ありがとうございます」

「もしかして経験でも」

「単に先生になりたいだけですから」

 そんな風に褒められる事はしょっちゅうであり、正直学費をかなり節約できた。お金だけでなくお菓子などももらったりし、保存が利けば今の夫と一緒に食べたりもした。正直復職するにしても学校教師ではなく、こっちか塾の講師でもやった方がいいんじゃないかって悩んでいるぐらいだ。


 だが問題もある。今のようなアラフォーの人妻になってしまえばさすがに問題ないだろうが、その時の私は仮にも女子大生だった。


「いや平田先生のおかげで成績上がりましたよ!」

「ありがとう」

「じゃ今度また別の日に、その、お勉強とは別に…」


 こんな風に言い寄って来る男の子もいたのだ。ちなみにその子は中二で、それこそまったく女性に免疫のない子だったらしい。困った事にそこの両親もちょっとばかりならいいだろと完全に乗り気モードであり、頭まで下げて一回だけならとお願いされた物だからほとほと困ってしまった。いくら彼氏がいますからと言っても一向に聞こうとしない。

 結局今の夫同伴で勉強会をしてあげたものの、その後も何度も連絡が来て正直迷惑だった。結局大学を出るまで家庭教師のバイトは続けたが、今もう三十歳になっているその子がどうしているかなど知りたくもない。聞けばそのオフィスにまでまた会いたいとか言う手紙が来ていたらしいが、言うまでもなく紙くずにしてくれたそうだ。


 その後もこんなケースこそないがそれこそ何が何でも成績を上げ名門校に入れるぞと張り切った親が多く、私は引く手あまただった。あるいはこのままここに就職しないかと言われたほどだが、私自身にその気がなかった事とあの一件のせいで丁重に断りを入れ、教壇に立つようになった。

 


 そして交際は気が付けば十年以上になり、私の職場が幸いにして今の夫の職場から徒歩三十分の距離だった事もあり本格的に同棲を開始。その時から夫は家事上手と言うか慣れており、若い男性にありがちなコンビニ依存の様子はなかった。ただ労働環境が厳しいのか昔に比べると食べる量は増えていたし肉も多かったが、そんなのはよくある事だろう。教師が楽な訳はないが、それこそ肉体をすり減らす仕事であり苦労は半端ではないはずだ。今でも夫の事を思って食事を作ろうとはしているが、共働きと言うか同棲中はそれこそ私も大変でどうしても夫任せになってしまっていた。

「職場ではうまくやれてるの?」

「まあね」

「大丈夫、何か悪い事があったら何でも素直に言って」

「うん、挙式費用とかどうしようかなって」

「それはまあ、私そんなに大きな式とか望んでないから」

 夫はたまに不満をこぼしてもこんな事ばかりで、毎日毎日不満を言おうともしないで仕事場から帰って来る。仕事が楽しいのか仕事場の愚痴をこぼすのを嫌うのかわからないけど、社会人としては二年後輩である私に気を使っているのかもしれないと思って聞いてみたが、これ以上の事を言わない。

 


 そしてそのまま結婚式も行い、一週間ほど新婚旅行にも行った。


 そうして夫婦になった。


 席順や新婚旅行の日程その他はケーキ入刀より先に夫婦の共同作業なんて事で決めたけど、挙式の際に夫が婿入りする事を発表したのに出席者の大半が驚かなかったのには私の方が驚き、夫はノーリアクションだった。

 その日の夫は、私の方ばかり向いていた。

 いや、今でも基本的にはそうなのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る