ヨイムスビ -宵結-
朱星リズ
零〆 『コトノ 起コリ』
本当に見たんだ。けどそれだけだ。
その
俺はソイツを蹴り飛ばして逃げたんだけど、振り返って見たら消えていたんだ。ホッとしてさ、何なんだって思いながら店に帰ろうとしたんだが、束の間に後ろからまた悲鳴が上がったんだ。
俺怖くて逃げてさ……それで朝起きたらニュースでやってんだよ。
俺が襲われたあの場所で、あの時、男が殺されたってな。
――あぁ、クソ!溜まったモンじゃない!!
たかが防犯カメラに写ったからってこうして事情聴取を受けているが、そもそも俺は被害者側だ!!知ってることなんかこれ以上ないし、俺は悪くない!!
とっとと帰してくれ!!
◆ ◆ ◆
白昼夢を見た。
西日が差し込む秋の暮、暖房のよく効いた窓際は、金曜日を迎えた私にとって極楽の席だ。
目を上げると、級友の背中が、身体を起こすと、白いミミズが這ったような黒板が映り込む。
教員は私のようなやる気の無い人間なんかに興味はなく、淡淡々と黒板にチョークを打ち付けている。
「――はい、じゃあ問題やってみましょう。教科書の問のとこやって、できた人は黒板で解いてみて」
数学は苦手だった。
特に、数式の証明問題なんか苦手だ。
何で苦手なのかはわからないのだけれど、とにかく苦手だった。実家は家電製品店で、数学を頑張ってくれって言われてるのだけれど、こんなものだから家業を継ごうなんてこれっぽっちも思わない。
授業中のこの時間は、昼寝をしているか、級友の背中を借りて、創作をしているかのどちらかだった。
絵を描くのは好きだった。けれど、好きなだけで、プロになろうなんていうのは思わなかった。なったところで脚光なんか浴びないんだし、こんなものよりも、級友の盛れたメイクの方がバズる。
インフルエンサーの世界はそれだけ輝いていて、私が踏み入れるにはとても畏れ多かった。
何となしに生きていて、何となしに死んでいければ、それでいい。
雑多に、滅裂に、泡のように浮かんだことを
文にしてみれば、私はとても気持ち悪い存在だなと思った。
「
「……ヤダ」
そんな駄文も、下手な絵も、心の内も、私は誰にも見せたくはなかった。
◇ ◇ ◇
チャイムが鳴り、何か言われる前に荷物を詰めて教室を出る。
それから、スマートフォンで今日のニュースを収集して、ぼんやりと世界の流れを把握する。
バイトなんて大層な物はやっていない実家暮らしの身、下町の商店街を通って、家電製品店の裏手からドアを開けて自室へ駆け込む。
人と関わることに秀でていない私は、何もかもをシャットアウトして、日々を過ごしていた。
「
例えば、祖母。父方の祖母で、昨年に祖父を亡くしてからずっとあんな調子だ。
父親は祖父の跡を継いで家電製品店を切り盛りしており、父親が帰ってくるまで、口うるさい祖母がドアを叩いて文句を言い続ける日々を過ごしている。
父はそんな祖母から私を守ってくれるのだが、父も父で、私に店を継ぐように勧めてくる。
どちらも家族ではあるが、あまり話をしたくない相手だった。
そんな二人だが、今夜は珍しく言い争いをしていた。
「いい加減にしろよ!!俺は母さんの言いなりじゃないんだぞ!!今更何が嫁探しだ!!」
「うるさいねえ!!いつまでも一人でのらくら生きて!絵美が可哀想だと思いやしないのか!!」
曰く、母は不倫をしたそうで、離婚をしたのだという。
私はこれまで男手一つで育てられてきたけれど、特にこれといって父に対して大きな不満は抱えていなかった。
可哀想だと思うなら、少し黙っていてほしい。けれど、そう思ったところで祖母は黙ってくれないので、私は席を立った。
「絵美!!どこ行くんだい!!まだ夕飯残ってるじゃないか!!いいかい、米は一粒一粒が――」
怒声を背後に、私は靴を履いてさっさと家を出た。
すっかり暗くなった秋の夜、寒空の下に、白いパーカーとショートパンツだけで飛び出した。
◇ ◇ ◇
21時。商店街はすっかり店も閉まっていて暗く、遅帰りの会社員がダラダラ歩く時間。
私はヘッドホンで耳を塞ぎ、フードを深く被って街を歩いた。
ティッシュが配られようが、ナンパで声をかけられようが、無視を決めた。とにかく家から離れたくて、明かりを頼りに繁華街へ歩いた。
爆音で邦楽を聴いていたことから、何が起きても耳には入ってこない。目につく情報だけを頼りに、信号を渡って、ぼんやりと灯る光へ向かう。
そうしてやがて、私は腕を掴まれ、現実に引き戻された。
振り返ると、男が気持ちの悪い笑みを浮かべながら、フードの中を覗いてきた。
「無視すんなよ、カワイ子ちゃん。遊ぼうぜ?暇なんだろ?」
私は恐怖で身じろぎし、腕を振払おうとするが、がっしりと掴まれていて離れない。
(助けて!!)
普段から全く声を出していないせいか、はたまた恐怖からか、喉から声が出ない。
男に乱暴に引きずられると、風俗街の看板が並び立つ路地にやってくる。
色々な感情が入り乱れて、涙でぐしゃぐしゃになった私は、いよいよもって生存本能が働いて喉を震わせた。
「誰か助けて――ッ!!」
叫んだ途端、背後からグシャリという鈍い音がし、引っ張られていた力が急に無くなった。
男の重さに引かれて後ろに倒れ転ぶ。顔を上げたそこには一人の、私に似た顔の女性と――何かを咀嚼する狼の影が見えた。
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