第74話 『火垂るの墓』のレビュー
アメリカのネットフリックスで、高畑監督の『火垂るの墓』が公開されたとXで知りました。アメリカのレビューがまるでレビューのお手本のようで、元は英語なのかわかりませんが素晴らしかったので残しておきます。
https://x.com/maruobi_/status/1836298220311552032/photo/1
最初から引き付けられる文章だけれど、特に最後の一分がとてもいい。
「あなたに、立ち直れないほど落ち込んでも構わない夜があるなら、是非『火垂るの墓』を見ていただきたい」
まるでキャッチコピーのような一文。ネガティブな感情に浸ることを勧めることで映画を見たいと思わせます。
ちなみに、私自身『火垂るの墓』はほぼ毎年小学校の夏休みに見ていました。というよりも、ほぼ強制的に「今日は『火垂るの墓』やるから見なさい」といった感じで家族で見るものでした。
戦争で兄弟を無くした祖母は、自分も九州で爆撃を受けたこともあり、ほぼ戦争のことはしゃべることありませんでした。と思っていたら、実は母にはたくさん話していたようです。これは亡くなった後聞いた話。
孫の宿題で新卒の担任が無邪気に「おじいちゃんおばあちゃんから戦争のお話を書いてもらってきなさい」と求められたけれど、祖母は絶対に受け取らず、ただ聞けば答えるからと私が代筆したため、受け取った先生から困惑気味に叱責されたこともありますが、あれはさすがに先生無邪気すぎるといまだに覚えてます。
他の子たちの食べ物に困ったとか、配給の話などがご本人のお手紙形式で書かれていましたが、おそらく戦地に行った方やもっとひどい状況を書かれたものは発表されなかったように思います。
生きるか死ぬかを経験した祖母は、今ならPTSDだったんだなと思いますが、激戦地で生き残った祖父も生きて同居していた1980年代のこと。戦後まだ40年くらいのことです。
今考えると、本当はもっと多くの人たちが心のケア含めて必要だったにちがいないのですが、それらすべて「家族」に丸投げをされ、戦後ベビーブーム世代の両親たちは、安易に戦争批判を繰り広げていました。
「人殺し」と祖父に向かって叫び返した母は、子供心にそれないだろうと思ったものですが、毒親や虐待と今なら呼ばれる世界に、子ども時代逃げることすらできず訳も分からずサンドバックになって苦しんだ記憶が確実にあります。
何とか不幸の連鎖を断ち切りたいと、あれこれあがいてみるものの、令和になった今もまだ、世の中は弱いところ、特に子供たちへ最終的に社会の不都合はのしかかっていくんだなと。
家族で『火垂るの墓』を見ながら、清太と節子に冷たく当たったおばさんを「当たり前」と評価する祖母のセリフは、今もひやりとした記憶として心に残っています。
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