三日目 爺さんが生えている

 むかしむかし、ある若者が炎天下の中、自転車を漕いでいました。


 遥か遠く晴天の空に挑むように雲が上へ上へと湧き上がっています。

 休日出勤を終えて、家路に急ぐ道すがら。

 陽はまだ高く、降り注ぐ日差しに目を細めながらペダルを漕いでいると公民館の前に差し掛かりました。炎天下の為か、人の姿が無く緑々とした植え込みだけが僕を見送ってくれます。

 代り映えのしない生垣が目線の隅で流れ行きます。

 緑→緑→緑→緑→緑→緑→緑→緑→緑→緑→緑→緑→緑→爺さん→緑→緑→緑

 ギャーんっとブレーキ!


 急いで振り返ると生垣の間に爺さんが最終ラウンドを終えたボクサーのように腰を下して項垂れているではないか。

 セコンドは何処だ?と周囲を見渡すが行き過ぎる車とアスファルトの陽炎かげろうが手を振るばかりだ。まるで爺さんを送り出すように、、、縁起でもない!


 僕は自転車を降りると駆け寄った。

 この気温だ、熱中症かも知れない。最悪。死んでいるかも。


「爺さん、おい!爺さん」

 肩を揺するとうっすら目を開けた。良かった生きてる。

「大丈夫かい?」

「ここは、どこだ、、、」

 爺さん焦点の合わない虚ろな瞳で虚空を見つめている。

「北の大地に居たのに・・・」

 東京のド真ん中、北海道までは苫小牧までとしても800kmはある。

 ひいき目に見ても老いぼれ、悪く言って死にかけ、見た儘を言えばこじ・・・

 止めておこう。

 そんな爺さんが何処から此処へやって来たと言うのか。

 ぼそぼそと語る爺さんの口元に耳を寄せると北の大地の澄んだ冷風とは掛離れた場末の酒臭さがモロモロと熱風に乗って漂ってくる。

 おぉ酔っておんのかい。

「くっせ、爺さん何処で呑んでた」

「駅の・・北の・・大地」

 この先に続く言葉が、魔王が、町を襲って、、、と続くならばきっと俺は勇者だ。次の言葉を待つ。


「さっきまで呑んでいたのにぃ」

「どうして、ここに、、ここは何処らのぉ」

 人は誰でも自分が他人とは違う。特別な存在なんだと思って生きている時期がある。

 そして何時かそうじゃないと気付くものだが、こうまで明確にその瞬間を知っている人間が居るだろうか。

 いいや。俺だけだろう。

 もしかしたらこの爺さんも自分は特別な植物人間(あぁ医学的な意味では無くて、ファンタジー的な意味のね)だと思ってここに生えているのかも知れない。

 諦めの悪い奴だ。

 だけど俺だって諦めが悪い。

「なぁ爺さん、もしかして伝説の剣の場所を知っているんじゃないか?」

「わ、わしの股にぶら下がって居る役立たずも、昔は伝説なんて呼ばれていた時期はあったよ、お前が必要だって言うなら引っこ抜いて持って行け、わしにはもう要らん」

 不毛な会話だったけど、俺も爺さんも他人とは違うってことは分かった。

(正確にはずれているとかイカレテいるとかって意味でね)


 とりあえず植木から爺さんを引き抜いてやるとぺたんってアスファルトに尻をついた。

「爺さん財布に身分証とかない?住所がわかるもの」

「知らない人に住所を教えちゃダメだってママが・・・」

 その上目遣いにチョキを入れてやろうか。

「爺さんが子供だった頃にはママなんて言葉無かったろ、最近聞いた言葉を使ってみようとするんじゃないよ、まったく節度が無いねぇ、これだから最近の年寄りは」

 爺さんに肩を貸してやり、立ち上がらせる。

「財布なんて無いよ。い、入れる金も持ってないのに。お前は空になったペットボトルをいつまでも持って歩くのか」

 余命を繰り上げて殺したろか。

 なら他にと爺さんの身に着けているものを確認すると、首に紐が掛かっている。

 なるほど、ボケ老人の徘徊に備えて家族が住所を首に掛けているのだ。

「爺さん失礼するよ」

 するすると紐を手繰ると出てきた。

 でんこちゃん『電気を大切にね!』

(皆さん御存じだろうか、東京電力のキャラクターでポニーテールに真っ赤なリボン。指を立てて電気を大切にねと訴える女の子。そして、こんなシチュエーションで出て来るでんこちゃんへの感想は、、クソ女が。だ。)

 少々力を入れてでんこちゃんへと繋がる紐を締めてやる。

「おう爺さん、家はどこだ?意地でも送り届けてやる」

 足腰のおぼつかない老人を炎天下締めあげて睨みつける若者は、傍から見ればさぞ治安の悪いことだろう。それを見て泣く子供を蹴り上げでもすれば俺は立派なアウトロー。爺さんへの虐待・女性への暴言・幼児への暴行でスリーアウト。なのだが、ここに至る過程には善意しか無いことを読んでいる皆さんには忘れないで欲しい。(俺のことを分かってくれるのは皆しか居ないんだから)


 自販機脇の日陰に爺さんと逃げ込み、水を買い与えると少々正気を取り戻したようだ。

 爺さんが周辺を見渡すと口を開いた。

「ここ知ってるなぁ」

「そうか、家は近いの」

「わしが教えたってママに言わない?」

 まだ言ってんのか。

「ママに電話して迎えに来てもらうか、僕ちゃん」

「天国って電話有るの?」


 あぁもうすぐ御盆かぁ、田舎の仏壇で灯る灯篭懐かしいなぁ。

 今年は田舎に帰って婆ちゃんの顔みたいなぁ。

 さっきよりも雲が高いや。今年は台風何号まで発生するかな。


「おい、年寄りを無視するな。お前たちは戦争の体験談以外はまともに年寄りの話を聞かないつもりか、大学出てれば偉いのか」

「あぁごめん。居たのか、もう逝ったのかと思ってた」

「ガキめ、肩を貸せ。家はこっちだ」

「はーい」

 爺さんの骨ばった体を支えてやっと家路に付いた。

「ねぇ爺さん」

「先輩と呼べ」

「ねぇ先輩、家族は居ないの?」

「昔は居たさ、今はお前だけだ」

 俺は言い返さなかった。少し肩を寄せて、そこからは黙って歩いた。

 二人で。


 歩道橋の下へ差し掛かると、ここで良いと先輩が言うので俺も了承した。

 先輩は「ありがとう」としおらしく頭を下げて去って行った。

 俺は背中を見送り踵を返した。


 先輩は忘れちゃうかな、今日のこと。

 北の大地から一緒に帰還した仲間が居たことを。


 おしまい






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