番外編 日々年々
赤に煌めく金の髪。
美しき少女は着ていたドレスを脱がしてもらうと、下着姿のままにベッドの上に飛び乗り、転がる。
先ほどまでの宴で見せていた愛らしい笑顔は消え、浮かぶのは不快と不機嫌。
仰向けに転がり両足をぱたぱたとさせながら、クレシェンタは深くため息をついた。
「毎年毎年うんざりですわね」
「お役目、ご苦労様です、クレシェンタ様」
整いながらも薄い顔――黒髪の使用人、ノーラは彼女の足を取ると、靴下を丁寧に脱がした。
「足が疲れましたわノーラ」
「はい、畏まりました」
そして湯で温めた布を取り、足を清めながら軽く指圧を施していく。
毎年のこと――生誕祭。
平民ならば家で些細な宴程度、ささやかで幸せなものであろう。
しかし、王家の生まれとなればそうもいかない。
王女とは公のものであり、私などは存在しない。
望む望まぬに関わらず、大々的な祝宴が開かれ、国を挙げての催し事が行われる。
休む間もなく賛辞と祝いの言葉を掛けられ続け、豪勢な食事など欠片も口に入れていなかった。
並外れた知性と才覚を秘めていようと、十も数えぬ子供。
この数日を祝宴の準備に拘束されたこともあり、流石に隠しきれない疲労が溜まっているのが見え、ノーラは眉を顰める。
王族に生まれることは民衆が憧れるほど幸福なことではない。
王家という権威のために全てを縛られ強要される、誰より不自由な存在であった。
この世界で彼女が羽を休めることが出来るのは、唯一、彼女に与えられたこの小さな世界の中でだけ。
それを思えば、彼女のための苦労など感じることもなかった。
小さな足を清め、丁寧にもみほぐし。
それから部屋に用意させていた、冷めた料理に近づき眺める。
変わったところはない。
とはいえ、見た目に異常がなくとも、実際どうかはわからない。
ナイフとフォークを手に取り、食事を軽く口に入れる。
スープを口にし、パンを一切れ。
水差しに用意された水でそれらを流し込み、胃に入れて、味にも異常がないと少しだけ安堵する。
部屋を少しでも空けた時には、常に全てを確認するようにしていた。
警戒のしすぎであるのかも知れない。
ただ、王子達をクレシェンタが殺したことを知ってからは、いつも不安に苛まれていた。
彼女がそうしたように、彼女もまた狙われるのではないか。
彼女が犯した罪が、いつか返ってくるのではないか。
神経質になっているのは自覚しており、けれどやめられない。
「お食事はもうしばらくお待ちください」
「わかってますわ」
告げるクレシェンタに頭を下げ、下着を脱がせると布で体を拭いていく。
クレシェンタはされるがまま。
ノーラの手と食事を眺めながら、欠伸を一つ。
少し疲れたような顔でだらしなくノーラにもたれ掛かり、ふと告げる。
「何がめでたいのかしら」
「……?」
「馬鹿馬鹿しい催しですわ。一つ歳を取っただけで、下らない」
そうは思わない? とクレシェンタはノーラを見つめた。
透き通るような紫色の瞳で。
全てを軽蔑するような笑みを浮かべて。
「生まれた時には、わたくしを始末しようとしたくせに」
耐えきれず、ノーラは視線を逸らした。
「この世界は馬鹿ばっかりですわね。誰にも望まれなかった忌み子の生まれた日を、高貴な王女の生誕祭だなんて祝ってますの。呆れてしまいますわ」
呪うような言葉であった。
子供が味わうべき幸福を得ることなく育ってきた彼女には、世界の全てがそのように見えるのだろう。
この世界に生まれ落ちた彼女に与えられたのは、祝福ではなく呪詛であった。
向けられるのは愛情ではなく疑念の眼差し。
彼女が王女として育てられるようになってからも、それらは消えることもなく。
「まぁ、頭が悪い方がある意味便利とも言えますけれど。小賢しいよりマシかしら」
――愛らしかった彼女の姉のことを思い出す。
疑うことも知らず、ノーラの後ろをついて回る雛鳥のような子供の姿。
『――ひとまずは陛下の御子として育てることとなったが、念には念を、しばらくは伏せることにした。お前は以前忌み子の世話をしたと聞いている。何かあればすぐに知らせろ』
クレシェンタを歪めてしまったのは、彼女の周囲にある全てであった。
例えば、彼女が生まれたのが単なる平民の家だったらどうだっただろう。
当然のように愛情を与えられて育ったならば、どうだっただろう。
ノーラには彼女から取り上げられた全てを、補うことなど出来なかった。
「……わたしは」
「……?」
「わたしは少なくとも……クレシェンタ様がお生まれになったこと、心の底から嬉しく思っております」
告げるとクレシェンタはこちらに向き直る。
小さな体でノーラを見上げ、その頬を撫でて視線を交わらせる。
見透かすような紫色の瞳が、疑念に凝り固まった瞳がノーラを見据えた。
「うふふ、知ってますわ。ノーラはやり直したいのでしょう?」
「やり直し……」
「おねえさまを殺したことへの罪滅ぼし。わたくしに尽くす忠義で、なかったことにしたい。……そういうことでしょう?」
「……そんな、ことは」
言葉が出なかった。
けれど、クレシェンタは楽しげに。
「安心なさって。あなたのことは疑ってませんの。このまま尽くしてくれるなら、昔のことはなかったことに、見返りもちゃんと与えてあげますわ」
「っ……」
「わたくしを助けてくれたのはあなたですもの、ノーラ。心配しなくともお礼はちゃんとするつもりですのよ」
口にしたいのはそういうことではなかった。
与えたい言葉はそういうものではなかった。
見返りが欲しい訳でも、単なる罪滅ぼしという訳でもなく、けれど、そんな言い訳がどこまでも薄っぺらいものに思え。
事実、口にしたところで彼女もそう受け取るのだろう。
醒めた顔で受け取るのだろう。
――愛している、と。
そんな一言が、どんな言葉を紡ぐよりも難しかった。
「……申し訳ありません」
「……? 何ですの、ノーラ。いきなり泣かないでくださいまし」
思わず両手で顔を覆い、首を振る。
何より与えたい言葉一つを、与えることも出来ず。
伝えることも出来ず。
「情緒不安定、本当あなたは泣き虫ですわねノーラ。わたくしの使用人としてもう少し毅然となさったらどう?」
「申し訳、ありません……」
「何か気に障るようなことを言ったかしら? 言いたいことがあるならはっきり言ってくださいまし、面倒ですわ」
言葉が出ず、首を横に振る。
呆れたようないつもの溜息が聞こえ、頭の上に小さな掌。
「なら声を出さないようにしてくださいまし。あなたの泣き声を延々と聞きながら食事だなんて、二重にうんざりですわ。わたくしは疲れてますの」
「……、はい」
手つきは優しく、駄々をこねる子供をなだめるようで。
本来は自分がそうしてあげるべきで。
ただただノーラは、自分の情けなさに嗚咽を殺した。
内戦も終わって落ち着き、生誕祭を迎え。
終わった後には何やら意味深な笑みを浮かべたろくでもない使用人、アーネに連れられ屋敷に。
生誕祭で疲れたクレシェンタは、うんざりとしながら王領屋敷の食堂に向かう。
勿体ぶったアーネが扉を開くと、その瞬間クレシェンタの眼前を降り注ぐ花弁。
椅子に座ったクリシェとセレネはパチパチと拍手を繰り返し、花弁の入った籠を持ったエルヴェナは一礼を。
同じく籠を持っていた赤毛の使用人は、いつも通り何が楽しいのか、頭の悪そうな笑みを浮かべてクレシェンタを出迎えた。
「……なんですの?」
「お誕生日会です。ふふ、生誕祭の最中はクレシェンタ様も色々とお忙しいですし、ささやかながら宴を屋敷で改めて行う、ということになりまして」
「わたくし、疲れているのですわ」
「そう仰らず。さぁ、こちらを御覧下さいませ」
テーブルの中央には肉とカボチャとラクラのパイが三種。
スープも魚ベースと羊ベースで二種。
ピザが並び、鳥の丸焼き、ステーキと、腸詰めにチーズ、パンも様々――テーブルから立ちのぼる湯気に美味の香りが混じり合っていた。
出来たてほやほやである。
生誕祭の後――ご馳走などは口に出来ず、極度の空腹。
半ば予期していたとはいえ、流石のクレシェンタもそれを目にしては反応を隠しきれず、一瞬頬が緩みかけ、
「わ、わたくしは軽いものを口にしてさっさと眠りたかったのですけれど」
――しかしすぐさま不機嫌な顔で赤毛の使用人を睨み付けた。
「まぁまぁ。さ、こちらでございますよ」
それに構わないのが赤毛の使用人。
ベリー=アルガンは図々しくもクレシェンタの手を掴み、引っ張るようにして食堂の奥へ。
長方形のテーブルの短辺。
いつもはセレネが座る席にクレシェンタを案内し、無理矢理に座らせる。
「折角のお祝いなんですから、そんな顔してたら駄目ですよクレシェンタ。えへへ、ほら、今日は自信作ばかりなのです」
食事を待ちきれないのだろう。
姉は早く早くとせかすようにクレシェンタを眺め、
「本当素直じゃない子ね。お腹ぺこぺこの癖に意地張ってどうするの?」
セレネは何やら疲れたような、呆れた顔でクレシェンタに告げ。
「……うるさいですわ」
クレシェンタは頬を膨らませながら一言吐き捨てた。
しかし膨らませた頬を後ろから、両手で押し潰すのは使用人。
ぷひゅーと間の抜けた音が響き、
「まぁ、いけません。今日の主役はクレシェンタ様なのですから、笑顔ですよ、笑顔」
などと自分勝手なことを彼女はのたまう。
なにゆえ王国の頂点たる自分が使用人風情にこのような態度を取られなければならないのか。
ここに来て数十回繰り返した問いに答えが出たことはなかった。
「……、疲れて屋敷に帰ってきたわたくしを休ませるどころか笑顔を強要するだなんて、あなた何様のつもりですの?」
「何様だなんて、もちろん、女王陛下の使用人でございますよ。はい、どうぞ乾杯を」
「あなたみたいな出来の悪い使用人をわたくしの使用人にした覚えなんてありませんわ」
言ってもベリーはくすくすと笑うだけ。
話している間に用意していた混じり物のワイン(ジュース八割)を無理矢理にクレシェンタの手に持たせては楽しげに。
都合の良いときにはクリシェの使用人。
都合の良いときにはセレネの、クレシェンタの使用人。
ベリー=アルガンは実にろくでもない女であった。
不愉快極まりなく、睨み付けるもどこ吹く風。
その視線をどう受け取ったか――ベリーは己にもグラスを用意しワインを注ぎ、何かを期待するようにクレシェンタを見つめた。
クリシェもセレネもクレシェンタを待ち、使用人二人も何がおかしいのか楽しげにクレシェンタを眺める。
「……乾杯」
文句を言えば言うほど長引くだけ。
仕方なく、ため息混じりに告げると、お誕生日おめでとうございます、などと声を揃えて彼女らは言った。
飽きるほど聞いたうんざりする定型文、飽きるほどに見たうんざりする流れ。
「何がめでたいのかしら」
「……?」
「わたくし、誕生日って煩わしくて嫌いですの。歳を一つ取っただけですわ」
「……まぁ」
クレシェンタにとパイを切り分けていたベリーはそんな言葉に苦笑する。
「ふふ、単なるお祝いの方便でございますよ。確かに歳を一つ取っただけと考えると、大したことではございませんけれど」
一口サイズに切り分け、重ね。
「大したことのない積み重ねを、祝える機会が誕生日。……些細な日常を祝うための特別な一日です」
小山のように皿に盛りつけベリーは告げる。
「クレシェンタ様がクリシュタンドに来てからクレシェンタ様のお祝いをする機会なんてありませんでしたから、丁度よいと思ったのです」
「……迷惑ですわ」
「ふふ、お許しくださいませ。祝う方は中々楽しいのですよ」
「どうしようもない使用人ですわね」
告げるとベリーは楽しげに。
クレシェンタが何を言っても、大抵彼女は楽しげだった。
それがどうにも気に食わない。
「クレシェンタ様と出会えたことの感謝も兼ねて……ある意味こういう催しは、当人よりも祝う側のためにあるのかも知れませんね」
言って少し考え込むように。
薄桃の唇に指を押し当て、くすりと微笑む。
「まぁ何にせよ、これからはお屋敷における毎年恒例の行事となりますから、そういうものとして諦めて受け止めて頂ければ」
「今年でもうお腹いっぱいなくらいうんざりですわ。ありがた迷惑ってご存じかしら?」
「ということは、その気持ち自体はありがたいと思ってくださるのですね」
「……あなたと話していると頭が痛くなりますわ」
捏ねるは屁理屈、揚げ足を取り、一つ口にすれば三言四言が返ってくる。
どこまでも頭痛が痛くなるような女である。
へらへらとしたその顔も実に実に気に入らない。
「全く、何が楽しいのかしら」
「ふふ、申し上げた通りです」
呆れて吐き捨てると、彼女は答えた。
「愛するクレシェンタ様のお誕生日をお祝い出来ることが、楽しいのでございますよ」
何のてらいもなく、恥ずかしげもなく。
当然のように躊躇もなく。
「この巡り合わせを、心の底から嬉しく思っているのです」
告げられた言葉に、いつか聞いた言葉をふと思い出した。
『――わたしは少なくとも……クレシェンタ様がお生まれになったこと、心の底から嬉しく思っております』
どうして今思い出したのか、と少し考え。
「……? どうされましたか」
頭の隅に追いやって、左隣の椅子を指で示す。
「……それより、目の前でちょこまかと目障りですの。あなたも座ったらどうかしら」
「まぁ、ありがとうございます。では、失礼しますね」
長方形のテーブルの短辺。普段はセレネのための椅子が一つ。
わざわざ椅子を二つ用意したのは最初から自分が座るためだろうに、何ともわざとらしい女であった。
椅子をほんの少し近づけ、身を寄せるように。
脳天気な笑みを浮かべたまま、先ほど目障りだと言われたことも気にせずクレシェンタの前にスープを用意し肉を切り分け。
どうしようもない使用人であった。
「こんなのが毎年の行事だなんて、嫌がらせにもほどがありますわ」
「ふふ、では来年はクレシェンタ様にご満足頂けるよう、もっと頑張らないといけませんね。何事もまずはじめの一歩からです」
「……以前から思ってましたけれど、あなたは最低の使用人ですわ」
「これより下回ることはないと聞いて何より。後は良い評価を積み重ねていくだけですね」
「地の底を掘り進むだけですわ」
馴れ馴れしくも身を寄せて、まるでベリーは肩を押しつけるように。
これからこんな、うんざりとするような記憶が積み重なっていくのだろうか。
考えると余計に疲れて、気力がなくなり。
「はい、あーん」
差し出されたラクラのパイを、仕方なく口にする。
「お誕生日おめでとうございます、クレシェンタ様。いかがでしょう?」
ろくでもない一日の終わり。
これから毎年行われるであろう、うんざりとする行事。
「……まぁまぁですわ」
熱を帯びて、甘く。
口の中に入れたラクラのパイだけは、悪くはない味だった。
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