第214話 英雄狩り
二里の距離を隔てて布陣する両軍。
その戦はまさに、全てを決する一戦と称するべきものであっただろう。
アルベランと同盟軍ガルシャーンに対し、東部連合からの参加国は13国に及んだ。
群雄割拠、無数の国に別れ、終わりなき争いを繰り返していた東部がエルスレンに平定されなかったのは何も山脈のみが理由という訳ではない。
東部を脅かす外敵に対しては一致団結し立ち向かうこと――ウェザリウス協定があったためだ。
かつてこの地に現れたアルベランに対し、敵対しあっていた各国を纏め上げ、反アルベラン同盟を作り上げた小国カレントの賢王ウェザリウス。
東西を繋ぐ要衝を治めながらも拡張を望まず。
東部の争いにおいて永世中立を謳った彼が残した取り決めは今もなお残っており、この地がエルスレンからの侵略に脅かされる際には常に、周辺国は争いをやめ協力しカレントの同盟国としてそれを支援した。
無数の小国家がひしめき合う東部。
一度その内にエルスレンのような大国が入り込めば東部のパワーバランスは大きく崩れ、もはやそれは津波の如く。
故にその侵攻は必ず入り口で防がなければならない。
それは各国の共通の見解であり、そして今回の脅威は過去最大。
エルスレンを呑み、大陸の半ばまでを平定し、過去の全盛期を取り戻したアルベラン王国が相手であった。
まさに天下の分け目の決戦。
大陸東部の各地からは小国、大国を問わず、アルベランの技術力を目にしてなお戦意を失わぬ、選りすぐりの勇者達がこの地に集っていた。
東部三大国家の一つ、ゲルガニクを治める無双の武王アルフマーズ。
戦場無敗の戦神ニトリアス。
百城崩しのラファール。
戦場の鬼子シンファ。
西方の如き大国は存在せずとも、明ける事なき動乱の日々。
軍人の質、将の質、いずれも西方に劣ることはなく、その経験だけで語るならばそれを上回るものもあるだろう。
武名知らぬものなき東方の英雄達がこの地にある。
アルベラン、ガルシャーン軍十万に対し、十三国から集められた精鋭、東部連合軍は十七万を数えた。
両国共に良港を有し、潤沢な兵站を備えた立地も理由にあるだろう。
これは大陸における一会戦としては最大規模の戦であり、まさに狂気の一戦であった。
「改めて……戦神ニトリアス、貴君の協力に感謝する。それがなければ、これほどの連合軍など出来上がることなどなかっただろう」
「礼を言うには早いだろう、ゲルガニク王。わしも同意見だっただけだ」
馬に跨がる二人の男。
かつて手ずから討ち取ったという大蛇を模した鎧を着込み、老将は笑った。
「百年近く戦場にあって、多くの好敵手とやりあった。……しかしわしはまだ、お主と戦っておらん。ここで横やりを入れられては心残りで死んでも死にきれんからな」
「はは、そう思ってもらえることは光栄だ。……あなたは私の憧れ」
いつかこの手で殺すと決めていた、とアルフマーズは頬を吊り上げる。
剣と盾の描かれるゲルガニクの王国紋が中央に刻まれた銀甲冑。
甲冑のあちこちに無数の名前が刻み込まれており、その空いた左胸の一点を指で示す。
「ここにゲルガニク王アルフマーズの大いなる敵として、ニトリアスという名を刻むことを夢見てきたのだ」
「はっはっは、中々気概がある。とはいえ、それも全て、この大戦が終わってからだ」
「然り。……この戦いに勝たねば、全てが夢だ」
正面には十万、アルベラン、ガルシャーンの戦列が並んでいた。
最前面には無数の獣と、黒き鉄巨人。
ジャレィア=ガシェアと呼ばれる魔導兵器であった。
一機当百とも言われる殺戮人形。
あの強大なエルスレンが敗れた原因の一つと言われていた。
実際に目にするのは初めてとなる。
「十七万に対する攻城戦を真正面から挑んできた。普通に考えれば狂っている。あの鉄人形のみならず、やはりこのガルガインの壁を突破する攻城兵器を手にしていると見ていいだろう」
「籠城戦はわしも悪手と考える。あのエルスレンが有する城郭都市ですら、いずれも取り付かれてから三日と掛からず陥落した。城壁に頼るべきではない」
「……守れば負け」
「そう、勝ちをもぎ取るためには犠牲を覚悟で前に出る他ない」
ニトリアスは目を細めた。
投石機はガルシャーン側に少数見えたが、アルベラン側には存在せず。
先ほど、城壁上からそちらに見えたのは攻城弓のような何か。
しかしそれは弓ではなく、魔水晶の輝きであった。
「恐らくは魔水晶を利用した特殊な攻城兵器――少なくともこの城壁を崩すに足る威力があると見て良いだろう」
「……やはりあれか」
「ああ。フータリアの大鷲騎兵はそこを優先させるべきだろう」
二人が進めば、正面からも戦列を割いて二人の女。
一人は馬に跨がり、優美な鎧を着込んだ金の髪。
もう一人は巨大な翠虎に腰掛けた、外套姿。
女と言うよりは少女であろう。
――銀の髪を棚引かせる姿には見覚えがあった。
「……あれが噂の王姉、アルベリネアか」
「そのようだな」
微笑を浮かべる銀の少女は金の髪の女に何ごとかを語りかけ、女は呆れたように少女を睨み何ごとかを口にし。
声は聞こえぬまでもやりとりに緊迫感はなく、緊張すらが見て取れない。
侮られているのは確かだろう。
少なくとも、戦の前とは思えぬ様子であった。
しばらくして、三間ほどの距離まで来ると互いに足を止め。
先に口を開いたのはアルフマーズであった。
「ウェザリウス同盟の盟主にしてゲルガニク王、アルフマーズ=ゲルガニクである!」
恫喝するような声音で大気を振るわせ、アルフマーズは二人を睨む。
「アルベラン王国元帥、セレネ=クリシュタンドよ」
しかし、動揺を見せることもなく。
金の髪――セレネ=クリシュタンドは涼しげな声で名を名乗った。
アルフマーズは挑発するように頬を吊り上げた。
「軍の代表が二人揃って女とは、西の男は随分と軟弱なようだ。エルスレンを征服したアルベラン、一体いかなる強者が軍を率いるかと思えば、これでは拍子抜けだな」
「随分な挨拶ね。そういうそちらは腕相撲か何かで代表を選んでいるのかしら」
セレネは楽しげに、優美な微笑。
指先を自分のこめかみに突き立て言った。
「頭にまで筋肉が詰まっていそうな発言だわ、ゲルガニク王。下らない挑発はやめて頂けるとありがたいのだけれど……聞いてるこっちまで頭が悪くなってしまいそう」
それから呆れたように両手を広げ、小馬鹿にしたように。
アルフマーズは目を細め、笑う。
「……ほう。この私にそれだけの口を聞くとは、中々肝が据わっているじゃないか」
「両軍の代表、立場も対等。わたしがあなたに怯える理由がどこにあるのかしら? ……それも、亡国の王に対して」
安い挑発であった。
しかしアルフマーズの心中には、素直な賞賛。
互いにこれだけの軍勢を率いるもの同士。
だというのに、この女には緊張の色がなく、萎縮する様子も恐れる様子もない。
相応の修羅場を潜り抜けてきたのだろう。
単なる見た目だけのお飾り、という訳ではないらしい。
「それよりわざわざ挨拶だなんて、降伏の申し出かしら? それならこちらも考えないでもないけれど」
「は、戯れ言を。貴様らの思い上がりを正してやろうと出向いたまで。このような小勢でまさか、真正面からこの大城壁への戦を挑むつもりかね?」
背後の戦列、そしてガルガインの壁を手で示し、それから海を。
「海路からの攻撃が本命かと思ったが、この様子ではそれもないときた。……そうだとするならばあまりの無謀と呆れ果てるな。アルベランには軍略を知る者がいないようだ」
ガルシャーンとアーナ、アルベランの同盟国は強大な海軍を有している。
海路から港を制圧、橋頭堡とし東方侵略を進めるというのは想定にあったし、大陸西部からの侵攻――その長大な距離から考えればそれが正攻法であった。
普通に考えればこの大城壁の正面突破など馬鹿げている。
しかし、敵は陸からの正面突破を選んだ。
ガルシャーンの海軍が来ていたが、やはり動く気配もない。
「大城壁……あぁ、東ではあんなハリボテのことをそう呼ぶの? ふふ、単なる関所か何かと勘違いしてしまったわ」
地平線まで続かんばかりの城壁を眺め、告げるのはそのような言葉。
「これが大城壁なら、城壁と言うのは木板の衝立か何かなのかしら? 呆れて言葉も出ないとはこのことね」
くすくすとあざ笑うように。
美しき女元帥はその余裕を崩さず、挑発を繰り返す。
「ごめんなさい。あなた方はこれが戦いを挑まれたと息巻いているようだけれど、こっちは違うの。これは戦じゃなくて、単なる行軍。まぁ『関所』を通らせてもらうんだもの、通行料をいくらかお渡しした方がいいかしら?」
「……なるほど。あのクレシェンタといい、貴様といい、どこまでも我々を愚弄するつもりのようだ」
「あら失礼、アルベランの女王を勝手に呼び捨てにしないでもらえるかしら。……あいにく、そう呼んでいい人間は限られているの」
セレネは言って、手綱を操り背を向ける。
「話は無駄ね、行くわよクリシェ。……あなた達にはご武運を。気持ちだけでも武人として、華々しく散ることが出来るといいわね」
そして彼女は先に。
隣の翠虎に腰掛ける少女は、アルフマーズとニトリアスを眺め、銀の睫毛を揺らし、細めた。
「……顔はちゃんと覚えました。後でクリシェが二人の所にお邪魔しますね」
じゃあまた、と美しく愛らしい微笑をこちらに。
ぞっとするような紫の瞳が、冷ややかな光を帯びていた。
「……返り討ちにしてくれる」
アルフマーズは言葉を返しながら、背筋に粟立つものを感じ、拳を握る。
アルベランの天剣――忌み子のクリシェ。
戦場の首狩人、死神、常軌を逸した殺戮者。
彼女を示す言葉は無数にあった。
二本の尻尾のように。
赤い花飾りで結った長いお下げ髪を揺らしながら、翠虎を叩いて背を向ける。
鎧を着込まず、長い髪を晒し、外套を纏い。
街でも歩くような格好で、平然と戦場に出て戦果を挙げる鬼才の異常者。
一目見れば確かに、それと分かる狂った気配。
少なくとも、並ならぬ武の持ち主であることは確かであった。
アルフマーズも手綱を揺らし、彼女らに背を向け口を開く。
「アルベランがエルスレンを容易く呑み込んだとき……空が落ちてくることを恐れるような、そういう得体の知れない不安があった。決して侮るべきではない、と」
「……その懸念はどうやら正しいようだ」
ニトリアスは言葉を返し、それからは二人、無言で馬を歩かせる。
古竜にすら挑んだというアルベリネア。
眉唾物の噂を納得させるだけの何かが、少女にしか見えない彼女の体に宿っていた。
しばらくして二人は城壁前の戦列に。
アルフマーズは声もなく、腰の長剣を引き抜き、兵士達に振りかざす。
『――――ッ!!!』
ただそれだけ。
裂帛の狂声が大気を満たし、大地を揺るがした。
叫ぶ兵士達に恐れはない。
各国選りすぐりの精鋭達、率いるのは皆、周辺世界に名を轟かせる英雄と勇者達。
最も恐れる敵国の猛者達が、今この場では共に轡を並べて戦う味方であった。
十三の国から集められた寄せ集めであれど、烏合の衆ではない。
率いるのは偉大なる武王アルフマーズであり、無敗の戦神ニトリアス。
死後には英霊にさえなろう、偉大なる将の前に怯えを見せるものはなく、少なくともこの場一時、彼等は一丸となっていた。
「っ……!?」
――ただ、それに亀裂を走らせるのは彼等の頭上を走る、無数の青き閃光。
彼等の背後、ガルガインの壁が爆炎と共に崩壊する轟音であった。
アルベラン戦列中央、最後列。
「いつ見ても信じられん威力ですな。あれだけの城壁も問答無用か」
「……本当にね。城壁の時代は終わりだわ」
虎面バイザーの兜を被り。
呆れたように白髪交じりの無精髭を弄ぶのはコルキス=アーグランド。
セレネが跨がるぶるるん2世とよく似た大柄な馬――ぶるんに跨がり、背後を見やる。
そこにあるのはピシューネと呼ばれる、魔力投射砲であった。
弓のない床弓のような土台と、筒のような本体。
先端に取り付けられるは大型の高純度魔水晶。
背後では魔術師が指揮を執り、兵士達が次弾――魔水晶を筒の根元に装填していく。
基本はバゥムジェ=イラの原理と同様。
魔水晶を崩壊させ、その魔力を先端の魔水晶に集積、指向性を持たせ魔力光線として前方に放つ。
魔術師の杖、と呼ばれるものの大型改良版と言えるものだろう。
魔水晶崩壊時の膨大な魔力を利用することにより格段に威力を向上させ、射程は最長十里に及ぶ。
これまでの攻城兵器とは一線を画する長射程と精度。
発射速度、運搬効率においてもその比ではなく、まさに戦場というものを書き換える怪物であった。
「むぅ、二十七番ぴしゅーん仰角下げです。ちゃんと当たってませんよ」
二人の傍ら。
魔水晶のイヤリング――耳ぷるるんに触れながら唇を尖らせ、ぷりぷりとクリシェは告げる。
「魔水晶も安い訳じゃないんですから、ちゃんと大切に狙うように。八番と十五番ぴしゅーんはそのまま塔を狙ってください。五番と二十二番ぴしゅーんは城門を。用意出来たら一番から点呼です」
指示された番号の魔術師達は声を張り上げ指示を出し、兵士達は慌ただしく微調整を繰り返し。
「五、四、三、二、一、ぴしゅーん」
拍子抜けするようなかけ声と共に青き閃光が頭上を走り、ぴしゅーんと大気を震わせた。
城壁に爆炎があがり、そして一拍遅れて轟音と悲鳴。
アルベランの兵士達は拳を挙げ、歓声を響かせる。
「ちょっと、そこの百人隊長。あなたの隊の兵士は静かにさせてください。うるさいです」
「っ、は! 一番隊は静まれ! アルベリネアの指示が聞こえん!」
迷惑そうにクリシェは目の前にいた百人隊長に声を掛け、頬を膨らませつつ城壁を眺めた。
あちらの城壁上から空へと舞い上がるのは航空騎兵。
後方攪乱を目的としたものだろう。
「対空ぴしゅーん隊発射用意。最初の一斉射撃の後、総指揮は対空ぴしゅーん隊長コーザに任せます。以降は別途指示があるまで自由射撃」
少しの間を空けて、再びカウント。
5,4,3,2,1,ぴしゅーんという気の抜ける合図と共に放たれるのは青い閃光。
先ほどのものとは違い、発射される閃光は拡散。
夥しい光の筋を敵側上空へと迸らせ、飛び上がった敵の精鋭航空騎兵の半数以上を一斉射撃で撃ち落とす。
青く巨大な鷲を乗騎とする青鷲騎兵は、その鍛え上げた実力を発揮することもなく、ただそれだけで死んでいった。
「おぉ、中々ですね」
「戦とはいえ、何というか……」
コルキスは憐れむような目を彼等に向け、側の少女を眺める。
高々三十年で、戦は変わっていた。
コルキスがボーガン達と駆けていた戦場は、もはやここにない。
これからの時代は勇者よりも、技術と装備が求められる。
剣と槍、戦士達の血で築かれた数多の英雄譚。
数千年に及ぶ英雄の時代は、最後の英雄の名により締めくくられることになるだろう。
「……しかしまぁ、こういうものか」
寂しさがあり、納得があった。
己の幸運は、戦士達が築きあげた時代の最期に立ち会えたことだろう。
前方――敵は突撃を敢行していた。
もはやこの状況、守りに入れば勝ちはないと気付いていたのだろう。
最初から籠城ではなく野戦を重視した戦力配置を見る限り、アルベランへの籠城戦は困難と見ていたのだろう。
ウェザリウス同盟、盟主アルフマーズ=ゲルガニクは噂の通り優れた将であった。
数的優勢を持ちながらも決して油断せず、そして城壁という地形的優位にしがみつくことなく、こちらに打って出てきたのだ。
判断力と決断力、勇気を兼ね備えている。
これが百年前の戦であれば、分からない戦いであっただろう。
「じゃらがしゃが動き出しましたし、クリシェも前に行きます。セレネ、ぐるるんがお散歩しないように見ててくださいね」
「……はいはい。気を付けて」
「えへへ、はい」
クリシェは翠虎から飛び降り、コルキスを見上げた。
「にゃんにゃん、行きましょうか」
「ええ」
クリシェは背後を振り返り、黒塗り鎧を身につけた兵士達に目を向ける。
アルベランの狼群と並び、周辺世界でその名を轟かせる黒旗の戦士達。
その先頭にいた老兵と女隊長を見て、少し考え込み、声を掛けた。
「ハゲワシ」
それを聞いた老兵は目を見開き、それから一拍を置き、万感の敬礼。
そして声を張り上げた。
「黒旗特務中隊!! 大陸最後の大いくさ、我等がアルベリネアは今日も変わらず、その露払いを貴様らに任せてくださった!! 敵を切り裂き、汚れることこそ貴様らの役目。誰より多くの返り血を浴びるがいい!! 貴様らの役目は我等が天剣、その刃を汚さぬ事と知れ!!」
老兵はこれ以上ない栄誉に震え、剣を引き抜く。
「出陣する――黒旗を掲げよ!」
老兵の声に応じるよう、発されるのは裂帛の狂声。
皆が剣を取り、槍を取り、斧を手に取り天へと突き出す。
クリシェに捧げるように、あるいはダグラに捧げるように。
三日月髑髏の黒き大旗が本陣に掲げられ、呼応するように前方の戦列が左右に分かれた。
クリシェは迷惑そうに耳を押さえ、何かを言いたげに。
カルアは口の前で指を立て、しーっ、とクリシェにジェスチャーを送る。
ミアはその様子をくすりと笑って、右手を上に。
平手から拳を作り、声を止める。
クリシェは唇を尖らせつつ、ダグラに言った。
「いいですか? ハゲワシはセレネの護衛班としてお留守番ですからね?」
「ええ、クリシェ様。……ここからよく、最後の戦を目に焼き付けておきます」
「わかってるならいいですけれど」
全くもう、と両手を腰に。
困った子供を見るかのようにクリシェは言って、セレネに手を振り前に出る。
戦列に作られた道を少女は進み、大柄の武人が続き、そしてその背後に黒き戦士達が連なった。
それを見る兵士達は揃ったように敬礼を捧げていく。
――英雄譚の終わりを見届けるように。
三機目の鉄人形、その頭部を叩き割り。
そこでゲルガニク王家の宝剣はへし折れた。
死んだ勇者が握っていた剣を奪い取り、アルフマーズは荒く息をつきながらも上空からの矢雨を切り裂く。
絶え間ない矢雨、高々十間を進むだけで夥しい血が流れた。
「陛下、お下がりを!! 我等が盾になります!!」
戦列最先頭にあったアルフマーズの前に兵士達が踊り出ると、矢雨に対し大盾を頭上に。
アルフマーズの頭上に即席の屋根を作る。
アルフマーズは唾を吐き捨て、左右を見た。
ニトリアスも二機目の鉄人形を打ち倒していた――が、状況は悪い。
左翼に展開するガルシャーンの前衛は面妖なる獣、右翼に展開するアルベランの前衛は一機で数十の兵士を薙ぎ倒す鉄人形。
それをぶつけられただけで戦列は大きく乱されていた。
こちらの前衛は敵の初動で恐慌状態に陥り、一瞬で使い物にならなくなってしまっている。
無理もなかった。
得体の知れない閃光はガルガインの壁を破壊し、精強なるフータリアの大鷲騎兵を接敵前にいとも容易く撃ち落としたのだ。
強固な城壁と勇者達の死。
大きく士気をくじかれていた兵士達が、この鉄人形や獣に対抗できるはずもない。
その上無人であることをいいことに、敵は鉄人形ごと撃ち抜く勢いで矢雨を降らせていた。
アルフマーズですら、この矢雨の中鉄人形を打ち倒すこと容易ではない。
兵士達には尚更――事実、一時の間にこちらの前衛は壊滅的打撃を受けていた。
アルフマーズ達が前に出なければ、この本陣前衛も崩壊していただろう。
アルフマーズとニトリアスでようやく五機。
だが、アルベランがこの戦場に持って来た鉄人形は数百に及ぶ。
精鋭部隊や名のある戦士が鉄人形を打ち倒す様子はいくつか見えたが、しかし焼け石に水――鉄人形の一部は既にこちらの戦列を細切れに分断していた。
魔力保有者の中でも一握りの猛者。
例えるならばそんな戦士達が数百人、命を投げ打ち、捨て身の特攻を仕掛けているようなものだ。
統制や戦術などでどうにか出来るものではない。
子供と大人の戦い――これは相手の頭の上から踏みつけるような暴力であった。
『――ふふ、まぁ、愚かにもアルベランに挑むのならば、すぐにお分かりになると思いますけれど。……アルベランとはもう、戦いにすらならないのだと』
先日のあざ笑うような言葉を思い出し、現状を見て拳を握る。
それでも、一矢報いることなく終われはしない。
「あれは……アルベリネアが前に――」
「前が見えん! もういいどけ――」
そう声を掛けた瞬間、鉄と血肉が弾ける音。
肉塊に変わった護衛の体に弾き飛ばされ、仰向けに倒れ込む。
「――、っ、何、だ……?」
衝撃に兜の上から頭を押さえ、身を起こす。
散らばっているのは臓物であった。
半里の先、立っているのは槍を手に持つ銀の髪、黒き外套。
背後に大柄な、虎面の戦士を筆頭に黒き兵士達を束ね、少女は堂々と姿を現していた。
長い銀の髪を二本の尻尾のように揺らしながら、くるくると槍を右手で弄び――ゆらりと前へ。
「――陛下をお守りしろ!!」
兵士達の声が響き、アルフマーズを守るように壁が作られ――次の瞬間、再び壁は崩壊する。
正面にいた兵士は破裂音と共に肉塊へ。
周囲にあった兵士達も、轟音奏でる槍に鎧ごと貫かれて絶命する。
アルフマーズが身を起こせば、周囲は疎らになっていた。
正面では突出するようにアルベリネアが疾走し、虎面の戦士が続き、そして黒き兵士達はそれに『追随』する。
違和感の正体にはすぐに気付いた。
魔力保有者であるアルベリネアの速度、それに同行できる兵士達。
目に見える数百人、それら全てが魔力保有者であった。
兵士の死体に突き刺さるのは投槍ではなく白兵槍――先ほどの衝撃は単なる投槍なのだ。
魔力保有者で構成された黒塗り鎧の精鋭達。
アルベリネアが率いるのは、黒旗を掲げる魔物であると聞いていた。
しかし、その事実はアルフマーズの想像を超えている。
彼等の魔槍は真正面から、容易に精鋭の作る壁を貫くのだ。
正面ではアルベリネアが走りながら、側の兵士から槍を受け取っていた。
逆手に構え、踏み込み、華奢な体を大きくしならせる。
その姿には神秘すら感じられるほど美しく、流れるように動作の全てに無駄がなく、まるで絵画を眺めるような感覚があった。
時間まで止まったかのように、全てが緩やかに――ふと思い出したかのように何かを感じ、全身のバネを使って咄嗟に横へ飛び退く。
――瞬間、少女の手から放たれたのは具現化した死であった。
先ほどまでアルフマーズのいた空間を常軌を逸した槍が貫き、その背後にあった戦列を粉砕、肉塊に変える。
「……これが、アルベリネアの投槍なのか」
アルベリネアの武勇について、多くの噂話を聞いていた。
しかしいずれの噂も、この事実に勝るものはない。
少女はくるりと受け身を取り、走り出し。
「――ゲルガニク王、来るぞ!!」
アルフマーズも左手、ニトリアスの声に精神を立て直す。
響いた風切り音――投げられたニトリアスの愛剣を受け取り、叫んだ。
「恐れるなッ!! この戦、最大の大将首がここにある!! あれを殺せば戦はおわりだ!!」
そして踏み込み、ニトリアスも同様であった。
この状況でなお勇気を振り絞った男達が二人を庇うように前へ。
ニトリアスは大槍を構えアルフマーズの前に出た。
「捨て身で動きを止める。わしごと殺れ」
「……わかった。逆ならば任せる」
もはや二人とも、この先を生きることを捨てていた。
その覚悟がなければ決して倒せる相手ではない。
こちらの先鋒と接したアルベリネアは造作もなく、左右の曲剣を振るいその首を切り裂いた。
アルフマーズとニトリアス、その直下。各々の国でも選りすぐりの戦士達。
しかし、アルベリネアに傷を負わせるどころか、その足を止めることすら出来ない。
彼女の率いる黒き戦士達を相手にすら。
アルベリネアが率いる戦士達は数の優位を活かし、危なげなくこちらの数を減らした。
一人に対して二人、三人、あるいは五人――魔力保有者同士の戦いとなれば、身体能力の差などない。圧倒的な武力がなければ数の優位は絶対であった。
恐らく魔力保有者を狩るために特化した部隊なのだろう。
アルベリネアは元帥に次ぐ地位にありながら、無数の首級を手ずから挙げた。
普通には考えられない話であった。
アルフマーズとて先頭を走ることはある。
ただそれは士気を鼓舞するため、窮地を打破するためであった。
体力は無限にある訳ではないのだ。大将自らが精鋭の集められた敵本陣へ向かうなど単なる博打、必然そこへ攻撃することは死闘を意味する。
そこに正面から特攻するなど愚の骨頂であり――しかし彼女はそれを可能にしていた。
三日月髑髏の黒き旗。
彼等は将軍護衛、その精鋭を狩り取るためだけに作られた隊なのだ。
僅かな手勢を率いて単独で敵本陣に斬り込み、その首を獲り、戦を終わらせる。
狂った戦術を成り立たせるカラクリがそこにあった。
「わしと勝負だアルベリネア!!」
もはや、すぐ目の前にアルベリネアの姿があった。
瞬く間に十数人を斬り殺したにも関わらず、一切の汚れもなく、血の一滴すら浴びぬ美貌。
無機質な――宝石の如き紫色をニトリアスへ向け。
「にゃんにゃん」
――身を屈めた。
大槍を構えたニトリアスに対し、アルベリネアの背後から飛び出したのは虎面の戦士。
総身鋼の大戦槍を振り抜き、咄嗟にニトリアスは後ろへ跳躍。
「はいはい、うさちゃんのじゃーま」
そしてその横合いから現れた女戦士の大曲剣が、老将の胴体を鎧ごと両断する。
「ニト――ッ!?」
アルフマーズはその光景に一瞬気を取られ、そしてそれが致命的な隙。
――既にアルベリネアの姿は目の前に無く、アルフマーズの首からは鮮血が噴き出していた。
膝をつき、首を押さえて背後を振り返る。
血濡れの曲剣を両手に持ったアルベリネアが微笑んでいた。
「さようなら。……カルア」
もはや少女はアルフマーズに興味をなくしていた。
少女が視線を切ると、アルフマーズの首は大地に転がる。
周囲の同盟軍兵士達は、あまりに呆気ない大将の死に言葉を失い、戦意を喪失していた。
「予定通り、順々に左手の方行きましょうか。こっちはもしゃもしゃとベーギルが後はやっておいてくれるでしょうし、オールガンさんとガーカ将軍の方をお手伝いしましょう。後で反抗勢力となりそうな有名人はなるべくここで始末しておきたいですね」
「了解です。ひとまず戻るとしましょうか」
「ええ。ミア、合図」
「はい」
――王国歴485年。
ウェザリウスの牙における両軍の戦いは、戦いと呼べぬほどに一方的なものであった。
盟主アルフマーズ=ゲルガニクを含め、主戦派の多くがこの戦いで戦死。
ウェザリウス協定によって結ばれた同盟は瓦解し、多くの国がこの戦の後アルベランに臣従。
小競り合いと呼べるものはあれど、多くの将軍を失った大陸東部にアルベランに抵抗する力はもはやなく、アルベランの大陸統一戦争は一年を跨ぐこともなく終わりを迎えることとなる。
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