第206話 君の名は

叙勲の場にもクリシェはエプロンドレスを着たがったが、流石にそこはとセレネとクレシェンタの反対に遭い断念。

エプロンドレスはよほど気に入ったらしい。

クリシェは不満を募らせたが、宴では着させてあげるとセレネが折れたことで一応の納得を見せた。

当然ながらドレス選びの論争は再開。

当日朝、クリシェの朝食は抜かれることはもはや必然である。


最終的に目隠しをしたアーネがドレスを選ぶという結論に達し、選ばれたドレスは黒と赤――珍しくセレネが勝利したが、しかしセレネの心に勝者としての喜びはない。

勝利したことで、ドレス選びというのは建前であるのだと彼女は気付いた。

ベリーという女を真っ向から打ち破りたいと、セレネはいつからかそう考えるようになっていたのだ。


その屁理屈、普段から持て余した無駄な能力の高さ。

ベリー=アルガンという天才に対し、アーネという混沌を用いた全てを天運に委ねた五分の勝負をさせることは逃げではないのか。

自分は勝負から逃げたのではないのか。

真っ向勝負を恐れた結果の勝利なのではないのか。


自分に厳しく、その上極度の負けず嫌い――セレネ=クリシュタンドはどこまでも難儀な女であった。


戦勝式は晴れやかに。

暗い顔をしているのは空腹なクリシェくらいのものであった。

巻き添えを食らったクレシェンタも内心では同様であったが、彼女はクリシェと違って外面の良さにおいては天下一。

空腹の不機嫌を表に出すことなどはない。


細かな出世や褒賞に加え、中央の将軍エルザルド=ゴッカルスが北部の将軍に据えられた。

北部の将軍は基本的に、敵国を正面から受け止めることはない。

だが西と東が攻められた場合、両側の速やかな援護を行い勝機を作るのは古くから北の役目。

臨機応変、高度な戦略的頭脳を必要とする重要な立ち位置である。

中央では最も経験があり、戦略的思考能力を持ち合わせる彼がそこに据えられるのは妥当な結論であった。

戦果を求めて深追いはせず、弓騎兵の対処を上々に行ったことも大きい。


テックレア=レーミン、コルキス=アーグランドが他にも候補として挙がったものの、テックレアは経験が不足しており、なおかつ彼女は未婚で正嫡がいないため避けられた。

戦場で命を落とせば場合によってレーミン家自体が危うくなる可能性もある。

そういう『気遣い』の理由も大きい。


コルキスに関しては戦術的能力にこそ非常に優れるが、戦略的頭脳に関してはやや欠ける部分がある。

そして個人的な理由として、彼はクリシュタンドに生涯を捧げることを誓った人間。

出来ればこのままアルベリネア直轄軍の軍団長として過ごしたいとセレネに断りを入れていた。

口にはしないものの、彼なりにクリシェのことについて気に掛けてくれているのだろうとセレネもそれを理解し承諾。

そのためエルザルド=ゴッカルスが北部の将軍、という結論であった。


元エルスレン神聖帝国将軍であったアレハが、アルベリネア直轄軍の軍団長に出世したことに関しては知らぬ者に多少のざわめきこそあったものの、彼は今回の戦で黒旗特務の副官として軍団長級の首を三つは挙げていた。

自身の兄を手ずから討ったことで禊ぎも果たし、そしてアルベリネア直轄、という立ち位置もあって大きな問題も起きずに終わる。




そのように戦勝式は特に問題はなく。

――問題は宴であった。

三大国の侵攻を受け、一対二十の損害比。

単独で三国の精鋭に対し致命的打撃を与え、将軍首を五つ。

空前絶後の大戦果を挙げた救国の英雄――クリシェ=アルベリネア=クリシュタンド。


「えへへ、ちょっとぶりですね、ヴェルライヒ将軍、わんわんとハゲメガネも」

「え、えぇ……」


妖精の如き美貌の少女は長い銀の髪を結い上げまとめ、白黒のエプロンドレスにその華奢な体を包み、さながらそれは小さな使用人の如く。

隣の赤毛、黒藍ドレスの童顔美女の腕に抱きつきながら過ごしていた。


何故使用人姿なのか。

隣にいるのは誰か。

彼女を知らぬものにはあまりに謎めいた光景。

宴に何度か参加している人間には、隣にいるのがいつもクリシェと過ごしている赤毛の使用人であることには気付いていたが、状況には理解が及ばない。

前の内戦と同じく、最大武功を挙げた彼女へ挨拶に、と声を掛けるものもいたが、どうしてエプロンドレスを? などという質問を行うことすら出来なかった。

彼女はあまりにも平然とエプロンドレスで過ごしているのである。


「……あの、どうしてエプロンドレスを?」


それ故、その質問をしたのはノーザンが初めてであった。

軍服姿の美青年は顔に困惑をありありと浮かべ、そして彼の妻や部下、そしてその妻達も同様である。


「ふふん、クリシェ、今日はベリーの側仕えなのですっ」

「く、クリシェ様……」


困ったように頬を赤らめ、ベリーが申し訳なさそうに頭を下げる。

少女のような――どこまでも幼く見える女であった。

黒藍のドレスから覗く深い谷間、大人びた淑女の仕草や声音がなければクリシェと同年代の少女に見えるだろう。

着慣れぬドレスに落ち着かないのか恥ずかしげな様子は普段以上に彼女の表情を豊かに彩り、見た目だけで言えば親の都合で参加した初めての宴、という風情である。

普段は肩で揃えられた髪も伸ばされ、結い上げられ、整った美貌に薄化粧。

宴に不慣れなご令嬢といった様子で、そこにあるのはどこをどう見ても庇護欲を掻き立てる美少女であった。


クリシュタンドにやってきた頃から彼女の事を知っているノーザンは、二十年近く前の記憶にある使用人の真似事をしていた彼女の姿を脳裏に浮かべ、時空の歪みを感じていた。

魔力保有者は肉体の全盛期から歳を取りにくくなる。

ノーザンもその例に漏れてはいないし理解もある。

だが随分と早く老化の止まった彼女の姿は何とも言い難い魔性であった。

少なくとも三十になっているだろう彼女は、見ようによればセレネ以上に幼く見えた。

普段は使用人としての一歩引いた佇まいが大人としての雰囲気を保たせてはいたが、今の姿にはそれもない。

一目見た印象は少し幼い令嬢と使用人そのものである。


「な、なるほど……。しかし、やはりドレス姿も随分とお似合いだ。実のところ、ボーガン様もラズラ様も、ベリー様のドレス姿を随分見たがっていました。今頃お二人は喜んでおられるかもしれませんね」

「ありがとうございます……でも、様はお止めください、ヴェルライヒ辺境伯。わたしは使用人ですので……」

「はは、その格好で仰っても説得力はありませんね」


昔からノーザンはそのようにベリーを呼んだ。

ラズラの妹――主君の義妹。

ボーガンに関してノーザンはただただ礼儀を尽くし、そしてそれはボーガンの関係者に対しても同様。

ベリーとしては何とも落ち着かない。

アーネやエルヴェナで多少慣れてはいたが、昔から明らかに格上のノーザンにそう呼ばれるのは何ともしっくり来ないものがあった。


「えーと……ベリーはヴェルライヒ将軍とわんわん以外も知ってますか?」

「あの……わんわん、というのは……?」


一応ハゲワシガイコツにゃんにゃんについては知っているが、クリシェは屋敷に帰ってから戦場の話はしない。

するとしても大抵、セレネとであった。

わんわんと呼ばれる人物がいるということも知っていたが、誰のことかは見当はついていなかった。


「俺のことです、ベリー様」


その言葉を聞いて諦めたように前に出た巨漢を見上げ、ベリーは困惑する。

彼と会ったことは何度かあったが、わんわんという呼称と一致はしていない。


「ヴァ、ヴァーカス伯爵が……」

「まぁ、そのような愛称を内戦の時にクリシェ様からもらいましてね……」


頬に傷のある強面。

わんわんという犬の鳴き声――可愛らしい響きからは真逆の、筋骨隆々の戦士である。

呆れた様子で頬を掻いた男はベリーを見下ろし頷く。


「確かに、将軍の仰るとおり。ドレス姿が良く似合う。是非とも俺の所に来てもらいたいくらいだが……」

「駄目ですよわんわん、ベリーはクリシェとずっと……あ」


クリシェは思いついたように手を叩き、ベリーの腕をくいくいと引き「ベリーさま」と声を掛けた。

ノーザンやグランメルドは首を傾げ、ベリーだけが理解したように苦笑した。

使用人の真似事、挨拶を打ち切るための声掛けであった。

いつもはベリーがクリシェに対してやっていることだが、すっかり使用人気分であるらしい。当然ながら自然さは全くない。


「そろそろあちらへ」


などと囁くように言って、クリシェはグランメルドに頭を下げた。

ようやく他の者も理解したらしく、笑い声が響く。


「もう、クリシェ様。あくまで格好だけですよ、主役はクリシェ様です。折角皆様、クリシェ様とお話に来てくださったのに」

「クリシェが側仕え、駄目ですか?」

「ふふ、嬉しいですけれどお気持ちだけで結構です。そのお気遣いだけで十分に楽しめておりますよ」


楽しげに顔を近づけ、クリシェの頬を撫でて。

いつもながら二人の距離は随分と近かった。

彼等の妻達でも噂話をよく知る者は、アルベリネアと使用人についての噂話も知っている。

アルベリネアは殿方に興味がない、というのはそれなりに広がっている噂話であった。

この光景を見るとなるほどと思え、彼女らは顔を見合わせる。

大抵の印象は彼女が能力不相応な子供なのだろう、というものであったが、風変わりな妖精の如き姫君と使用人の仲睦まじい関係。

どこか耽美な雰囲気は良く出来ており、そのような噂が広まるのは仕方ない、と納得していた。

とはいえ今となっては全く、噂話は事実無根などではなかったが。


「えへへ、ならいいです。こっちがハゲメガネで……」

「ハゲメガネ……」


ベリーは僅かに表情を強ばらせ、そちらを見る。

禿頭眼鏡、実に気難しそうな細身の男もまた、頬を強ばらせ頭を下げる。

隣の妻は噴き出し、顔を俯かせて肩を揺らしていた。


「サルダン=リネア=ガルカロンです。先日、そのような愛称を……」

「そ、そうですか……その」


ベリーはどうにかしましょうか? と視線で尋ね、サルダンは無言で諦めたように首を振る。

お気遣いありがとう、とその目が訴えていた。


セレネがあの子の愛称をどうにかしたいと愚痴を言っていたのを聞いたことはあるが、確かに恐ろしいものがある。

もはや単なる罵倒であった。

ガイコツなどはエルーガが喜んでいる風もあり良かったが、この先も被害者は増えていくのだろうことを思うと何とも言い難い。


その先も挨拶が続く。

何故使用人の自分が挨拶を受けているのだろうか、と彼女自身謎であったが、この場はそのような空気が出来上がっていた。

クリシェというこの愛らしい生き物は空気を読めないが、そのようなよく分からない空気を作るのは得意なのである。


そうしている内にエルーガやコルキスの二人も現れ、ベリーはクリシェと共にいつの間にやら輪の中心に。

ベリーを楽しませるという目的があるためだろう。

いつもなら既にバルコニーに出て食事をしている頃だが何やらクリシェは張り切っており、いつも以上に立場相応の立ち位置にあった。

元帥に次ぐアルベリネア、王姉としてこの人の輪にいることは実に真っ当である。

――格好が使用人、エプロンドレスであることを除けば。


「ん……こうして集まるとやっぱり、ヴェルライヒ将軍だけ仲間はずれみたいですね」


そう言えば付けるの忘れてました、とクリシェは天井を見上げて人差し指で唇をなぞる。

場の空気が一転、硬質なものに変わる。


「おお、確かにそうですね。俺もヴェルライヒの野郎だけ愛称がないというのは可哀想だと思ってた所です」

「やっぱりそうですよね、うーん……」


コルキスは実に楽しげ。

酷い愛称を付けられろと言わんばかりに笑い、ノーザンは呆れたようにコルキスを見る。


「楽しげだな、にゃんにゃん君」

「てめぇ……」

「私はどのような呼び名でも気にしない。クリシェ様に愛称を賜るなど栄誉な事だ」


その美貌に笑みを浮かべ、ノーザンは実に余裕の態度。

ぐ、となにやら悔しそうにコルキスは睨むが、ノーザンはどこ吹く風。

冷静沈着、落ち着き払った様子。

子供のすることを気にしても仕方がない、という風を装っていた。

が、その実この男が自分の愛称が非常に気になっていることを知っているグランメルドは俯いて肩を揺らした。

ノーザンも流石にそちらは無視出来ず、横目に睨んだ。

よく分からない空気を感じたベリーは困ったようにクリシェを見る。


――クリシェ様に愛称を賜るなど栄誉な事だ。

その響きはどこまでもクリシェの心(大分幼女)を満足させ、感動したようにノーザンを見つめていた。


ハゲワシに始まり、クリシェは当初それほど愛称命名に自信があった訳ではなかった。

自分の会話能力に自信のないクリシェである。

そうしたセンスが果たして自分にあるのだろうか――疑問に思っていたがしかし、皆が皆クリシェの名付ける愛称に対し、口を揃えて栄誉であると褒め称えた。

努力を認められる喜びというのはクリシェにも変わらず存在する。

特に自信のない、苦手としていた分野で褒められたことの喜びは大きく、その積み重ねは彼女の中で大きな自信となっていた。


これまで否定的であったのはセレネだけ。

やはりセンスがないのはセレネであろう。

尊敬し愛するセレネであるから真っ向から馬鹿にしたり否定したりはしないものの、やはりこれに関して『お馬鹿』なのはセレネである、と確信する。


「……少し、静かに」


クリシェは一言告げ、周囲の者達は顔を見合わせ黙り込む。

エプロンドレスの少女は両手の指を組み合わせ、さながら祈るような所作でノーザンを見つめ、そして目を閉じて俯いた。

突如声が止み、そしてこの謎の輪と関係ない者達もその沈黙に声をひそめ、輪の中心にいるであろうクリシェとベリーを遠目に眺めた。


音楽を響かせていた楽団も顔を見合わせ、空気を感じ取った指揮者の指示で音を奏でる手を止める。

壇上にある彼等には王姉が輪の中心で祈るように目を閉じる姿が見えていた。

これはいかにも、何か重大な事に違いないと考えたのだった。

少なくともこの場の空気に音楽は不似合い――夕暮れの光が差し込む大ホールに静寂が包み込んだ。


歓談していたセレネやクレシェンタも、流石に音の止んだこの状況に何ごとかと周囲を見渡し、場の中心にあったクリシェを見て眉を顰めた。

――またクリシェが何かおかしな事をしようとしている。

クレシェンタは姉に呆れ、セレネは失礼、と小さく声を掛けて静かにそちらへ向かう。


いっそ、幻想的な光景だった。

神に祈る聖女のようなエプロンドレスの少女は静かに目を閉じ、ノーザンの前に。

まるでこれから厳かに、啓示か何かを与えるかのようであった。


「……決まりました」

「っ……」


誰もが緊張に息を飲む。

ホールに響いた声は静寂を甘く、鈴の転がるような美声。

この輪の中でなんの話をしているのか知らなかったものも、何が決まったのかと顔を見合わせ固唾を飲んだ。


ぱたぱた、ふわふわ、はねはね、よんよん、ぴっぴ――


「――ぴよぴよにしましょう」

「ぴ、ぴよ……」

「そうです、これからはヴェルライヒ将軍ではなく、ぴよぴよですっ」


明瞭、晴れやかな声。

クリシェは満面の笑みを浮かべ、その声をホールに響かせ。


「えへへ、すごいですっ、とっても良い愛しょ――ぅにっ!?」

「何お馬鹿なことやってるの、お馬鹿」


義姉セレネにその緩んだ頬をつねられた。

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