第130話 伏魔殿

白き都――王都アルベナリア。

その王城にある謁見の間にて行なわれているのは会議であった。


「恐れながら、あまりにそれは横暴が過ぎると感じます、女王陛下」


連なる柱は見上げねば視界にも映らぬ天井を支え。

血のように赤いカーペットには金の縁取り。

左右に居並ぶ貴族は皆王国でも名だたる大貴族であり、中央奥――小さな階段の上にある玉座には小柄な少女が姿勢正しく座っていた。

差し込む陽光に赤く染まる金の髪と、理知的な紫の瞳。

白きドレスに身を包んだその姿はどこまでも美しい。


女王クレシェンタは臣下――アーカサコス公爵の言葉に首を傾げ、困ったような表情を浮かべた。


「しかし、おじさまが浪費した王国の財政を立て直すには皆様の協力が必要ですわ。王国の国防上、軍備再編は急務。それはわかるでしょう?」

「ですが、だからと言って割り当て金を引き下げるなど」


貴族の中には管理領地として一部地域を任されるものがいる。

とはいえ、あくまで管理――建前上全ての土地は王のものであり、そこで得られる税収も王のもの。割り当て金とはそういう建前の下で、管理領地を持つ貴族達に与えられる税収の一部であった。

クレシェンタはそれを引き下げることで国の財政を整えようとしているのだが、当然貴族達から諸手をあげての賛成などはありえない。

実入りが減って喜ぶ人間などどこにもいないからだ。

ひょろりとした髭長の老人――アーカサコス公爵の言葉は予想出来たものだった。


「軍学校の設立をはじめ、女王陛下は様々な場所に新たな試みとして力を入れておられますが……財政を見るならば、見直すべき点はまずそこにあるのではないでしょうか。思いつきで割り当て金を引き下げられては、我々の生活が立ち行かなくなります」

「軍学校は喜ばしいことに多くの貴族達から寄付金をもらっていますから、王国としての財政支出はあってないようなものなのですけれど……市民小学に関しても基本的に作るのは制度だけ。支出は些細な補助金ですもの、微々たるものですわ」


市民小学――街に作る学校とも呼べぬ仕組みであった。

街には大抵国が保有する会議場など、なんらかの施設が存在する。

月に一度程度しか使われないそういう施設を教育の場所として提供し、一般公募した教師に文字や計算を教えさせるのだ。

義務というわけではないし、あくまで奨励。

教師には食うに困らぬ程度の報酬は与え、子供達にも授業を受けに来ればパンの一つ程度は出してやるよう仕組みを作ってやれば、民衆側でも多少の食費削減にはなる。

ある程度の子供は集まるだろうと見ていた。


管理領地を持つものにはその制度の実施を命じ、彼等の懐から金を出させる。

学ぶ機会のない子供達への施しであるし、将来的な国力増加を目的としたものだと言われれば真っ向からそれを拒否出来るものなどいない。

学校設立となれば流石に国の財政に影響を与えかねないものだが、出費は最小限。

これにも恐らく寄付が集まるに違いなく、最初の掛かりに軽く金を注ぎ込んでやれば勝手に発展していくだろう。

ある程度形がなっていけば、改めて学校というものを作ってやれば良い。


そうして民衆の知的水準を引き上げ、最終的には試験による登用を行なって今ある無能な貴族達と首をすげ替える。

数十年単位の計画――その掛かり。

文句を言わせるつもりはなく、クレシェンタは視線をちらりと一人の貴族に向けた。


「あ、アーカサコス公爵、女王陛下に対しお言葉が過ぎますぞ」

「……貴様」

「これまでのことに関しては皆納得済みのはず。私は女王陛下が仰るよう、割り当て金の引き下げに関しては止むなしと考えております。周辺三国との関係は未だ安心出来ません、まず王国あっての我らではないでしょうか?」


声を上げた若い辺境伯は顔を青白く、冷や汗を掻きながら。

アーカサコスが射殺さんばかりに睨み付けるが、彼は決してそちらを見ないようにしていた。


そして彼の言葉に合わせ、他にも数名がそれに同意を示した。

誰もがアーカサコス寄りの関係にあったもので、老人の顔が赤く染まる。

裏切りおったな、と零しながら拳が白むほど握り締めた。


クレシェンタは心中で笑う。

姉が始末した大商人、ロランド=セーバの裏帳簿。

王国中央に居座っていた彼の残した遺産は随分と役に立っていた。

王国の有力貴族の名がそこにはいくつも記されている。


奴隷売買から盗品の売買、それは違法な薬物に至るまで――その裏帳簿はクレシェンタに対して反抗的なアーカサコス一派の力を削ぐには何より有用な証拠である。


「わたくしも、苦渋の決断ですの。もちろん、国の再生がなれば必ず元に戻すと約束しますわ。長くても十年、それだけの間――どうか協力してくださらないかしら?」

「……どうにも、納得出来ないと駄々をこねているのは私だけのようですな。お許しを女王陛下」


震えながらアーカサコスはこうべを垂れる。

クレシェンタは微笑を浮かべてそれを眺めた。


「いいえ、無理を言っているのはわたくしの方ですもの。どうか、顔を上げてくださいまし」

「……は」


クレシェンタは女王の顔でその苦渋に満ちた顔を眺めた。


「いずれ必ず、わたくしは皆様の忠義に相応のものを返すと誓いましょう。……今は苦しくとも、それで納得してくださいませ」


――その時あなたの顔はここにはないでしょうけれど。

あざ笑うように心中で続けて、クレシェンタは今後のことに目を向けた。





そこは王都の一等地に建てられた大邸宅――その執務室。

数々の調度品が棚や壁に飾られ、置かれる椅子や机はどれも上質なもの。


「くそ、忌々しい! どいつもこいつもあの忌み子に籠絡されよって!!」


その執務机の上。

気に入っていた酒杯を机に叩きつけ、髭長の老人――アーカサコスは激昂する。

破片が飛び散り、使用人が悲鳴を上げるがアーカサコスは無視した。


「落ち着いてください父上、冷静さを欠いてはいけません」

「落ち着けだと!? 落ち着いていられる状況か!」


しわがれた声帯を震わせ、裏返りかけた悲鳴のような声。

老人は額に青筋を浮かべながら、酒だ、と吠えるように使用人を呼ぶ。


「どう見てもあの忌み子は、わしをこの地位から蹴落とそうとしている。……そうなればお前も同じ運命だぞファーレ」

「もちろん、わかっております。私の方でもいくらか動いておりますよ」


ファーレ=アーカサコス――壮年に見える痩せ身の男は父の醜態に眉根を寄せつつ、嘆息するように中央のソファへ腰掛ける。

老人も怒気を吐き出すように荒々しく向かいのソファに腰を落とし、使用人の持って来た酒杯をあおった。


「どうにもロランド=セーバの裏帳簿が女王陛下の手に渡っているようです」

「ロランド――豚の商人か」

「ええ、クリシュタンドの忌み子が内戦のどさくさに紛れ始末したようで。恐らく、戦後の政治を見据えた判断でしょう。戦だけかと思えば、意外に頭も回る」

「揃って忌み子というわけか、クソ」


悪態をつき、空の酒杯を使用人に向ける。

若い使用人は怯えたように震えながらも、ゆっくりと酒を注いだ。

私にもだとファーレが告げ、使用人は慌てたようにそちらにも。

若いが分家筋に当たる人間――話を聞かれてもそう問題はない。


「……なるほどしかし、裏切り者の顔を思い浮かべればわからんでもない。貴族でありながら豚などと付き合うからこういうことになるのだ、屑共め」

「しかし、となると少し手詰まりですな。また関係構築から始めなければ」


ファーレの言葉をアーカサコスは鼻で笑う。


「おい、もういい。酒を置いて外に出ていろ」


アーカサコスは使用人を表に出す。

ファーレは眉を顰め、父親を見た。


「甘いなファーレ、後手に回ればもはや我々は詰んでいる。消極策ではあの忌み子の思う壺だろう」

「……とは仰っても、それ以外に手段がないでしょう。何か妙策でも?」

「ハッ、妙策などと。単純な話だ」


アーカサコスは両手を広げた。

先ほどとは一転、朗らかな笑みを浮かべる。


「内戦の後から半年も経たず、王国は混乱の最中にあるのだ。王弟派の残党、乱れた城内――何が起きても不思議ではないとは思わないか?」

「……まさか」

「元より、王家など血塗られた歴史よ。十年もすれば誰も気にしなくなるだろう」


当然のようにアーカサコスが言い、酒杯を傾けた。


「先王も下らん男であったが、これならばまだギルダンスタインの方が良かった。クリシュタンドを討ち取るまでは良かったが……無駄に手間をかけさせよって」


忌々しげに語る老人を眺め、ファーレは嘆息混じりに頷く。


「……わかりました。そのように動きましょう」

「ああ、しかし……王位は狙わん、露骨に過ぎるからな。欲を掻くなよ。アーカサコス家はそうして今の代まで続いておるのだ」

「わかっております。時期は?」

「任せる。だが、半年内だ」


行け、とアーカサコスはファーレに命じると、彼はそのまま部屋を出る。

一人残るアーカサコスは腕を組み、吐き捨てるように言った。


「忌み子めが。わしを舐めたことを後悔させてやろう」


その人形の如き美貌を思い浮かべながら。







「おねえさま! 帰ってきたならどうして一番にわたくしのところに来て――」


赤金の髪を振り乱し、憤懣やるかたなし。

そう言わんばかりの女王は屋敷に帰ってきて早々、アーネを置き去りにするように声の聞こえるリビングへ向かい、眼前の扉をばーん、と開け放ち。


「クレシェンタ、迷惑ですよ。お行儀が悪いです」


その場に硬直する。

そこにいたのは見慣れぬ茶金の髪の美青年と、隻腕の老人。

頭痛がすると言わんばかりに頭に手を当てるセレネがおり、妹の不作法を睨むクリシェと困ったような顔で苦笑するベリーがいた。


どこからどう見ても客人の相手をしている状況。

クレシェンタの頬は見る見ると紅潮していき、包みを両手に持ちつつ早足の女王を追いかけてきたアーネがクレシェンタ様? などと後ろから声を掛ける。


「……」


クレシェンタはばたん、と扉を閉め、静かに目を閉じた。

そして何度か呼吸を整えた後、扉を開けろと言わんばかりにアーネを睨む。


「え、えぇと……はぁ……?」


アーネは何故扉を閉じたのかと不思議そうにしながら、至って普通にドアを開けてクレシェンタを促した。

女王クレシェンタは優雅な笑みを浮かべ、


「あら、お客様ですの。失礼しますわ」


そして何事もなかったように入室する。

漂う気品――これぞ女王と言わんばかりの歩みと微笑。

二人の男は呆気に取られ、互いに目をやり困惑する。


「おねえさま、ご紹介頂けるかしら?」

「アレハさんとワルツァさんです。帰り道に偶然出会って連れて帰ってきたのですが……それより何を誤魔化そうとしてるんですか。扉が傷んだらどうするつも――むぐ」

「く、クリシェ様、ひとまずその辺りに……」


ベリーは何やら必死に取り繕おうとしているクレシェンタを見つつ、クリシェの口を押さえた。

そして困惑する二人へ囁くように、女王陛下であらせられます、と彼女の地位を伝える。

途端二人は慌てたように立ち上がり、胸に手を当て敬礼した。


「お初にお目に掛かり恐悦至極に存じます、女王陛下。私はアレハ、この者はワルツァ、家名はありません。旅の途中にクリシェ様と出会い、縁あって屋敷までお招き頂いた次第にございます」

「縁あって……? そうですの。ごゆっくりなさって」

「は、ありがたきお言葉。されどもう日も落ち、これ以上はご迷惑となりましょう。私どもはこれで失礼させて頂きます」


クレシェンタは首を傾げ、セレネを見た。

セレネは疲れたように、頷く。


「二人との話は終わりました。女王陛下にもお伺いを立てねばならぬことがありますので……今日はこれで二人には帰ってもらいます。……また後日誰かを使いに出すわ、宿が決まれば所在を伝えてちょうだい」

「は、かしこまりました」

「宿にはクリシュタンドの名前を……少し待って」


セレネは棚から羊皮紙を取り出すと、手慣れた様子で一筆書いて二人に渡す。

それで十分であった。宿代程度のために王都で王国元帥の名を騙る度胸がある人間はいない。


「ありがたく。それでは失礼致します」

「ええ。アーネ、悪いけれど見送りを」

「は、はい、ささ、こちらへどうぞ……」


二人は部屋を出る前に深く一礼し、去っていき。

セレネが部屋中に響き渡るような深い溜息をついた。


「……まったく。あなたの頭の中にはどんなものが詰まっているのか見てみたいわ」

「……? 脳です」

「そういうことじゃないの」

「うぅ……」


セレネは立ち上がってクリシェの両頬をつまんで伸ばす。

クレシェンタは不思議そうに尋ねた。


「あの二人がどうかしましたの?」

「内戦の前、神聖帝国と戦があったでしょう?」

「ん……ありましたわね」

「その時にクリシュタンド軍と戦った将軍アレハ=サルシェンカとその将軍補佐、ワルツァ=グリズランディ――この子が連れて来た今の二人がそうなの」

「……は?」


クレシェンタは本日二度目の硬直。

正気を疑うような目で姉を見た。


「まさか……流石におねえさまでもそんなことは」

「まさかのまさかよ。どういう神経をしてればそんなことができるのかしら」

「ぐむ……駄目ならクリシェはそれでもいいのですが」


何やら責められているらしいクリシェは不満そうにセレネを見た。


「クリシェ、セレネにお返しがしたいと聞いたので連れてきただけですし、駄目なら駄目でさようならすれば良いのではないでしょうか」


ぷりぷりと唇を尖らせながら告げるクリシェに、セレネはもう、と嘆息する。


「そう言うわけにはいかないでしょう。恩を返しに尋ねてきてくれたっていうならなおさら、断るのは不義理になっちゃうじゃない」

「むー……じゃあどうしろって言うんですか」

「……まぁ済んだことは仕方ないわね。帝国はどうあれ、理由なんてあろうがなかろうが攻めてくるでしょうし」

「ん……そうですわね。どちらにしても一緒かしら」


クレシェンタはちゃっかりクリシェに擦り寄り、腕を抱きつつソファに座る。

それに合わせて彼女の前に紅茶が置かれ、たっぷりのミルクとハチミツが混ぜられた。

いつもながら出来の良いベリーの姿を不満そうに見つつ、続ける。


「アレハ=サルシェンカ……若くして聖騎士称号を受けた優秀な将軍と聞きましたけれど。東部のカルメダ将軍はあっさり討ち取られたとか。戦力で見れば悪くないように思えますけれど」

「そうね……お父様も慎重に相手をなさっていた相手。……そんな人材が他の国に取られるよりはマシかしら」


帝国の強さは何より遊牧民出身の騎兵にある。

馬上で容易に弓を扱う熟練の軽騎兵――更には敵に数の利があり、指揮するのは東部将軍カルメダを容易く討ち取って見せたアレハ=サルシェンカ。

王国最強と言えるクリシュタンド軍ですら慎重策を選び野戦での決着を避けたのは、彼の優秀さを知るがゆえ。

クリシェがいなければクリシュタンドはあのままあそこに貼り付けにされていただろう。


「問題は内側かしら……そういうところをつつかれると時期があまりよくはないですし、ちょっと面倒ですわね」

「……時期?」


クレシェンタはセレネに頷き、紅茶に口付けた。

そしてクリシェに頬を擦りつける。


「おねえさまのくれた帳簿のおかげで結構安定はしてきましたけれど……問題はアーカサコス公爵ですわ。意外に隙を見せなくて面倒ですの。おねえさまに手伝ってもらえれば、とっても簡単な解決はあるのですけれど」

「クリシェが手伝う、ですか?」


クリシェが首を傾げ、クレシェンタはええ、と微笑み。


「アーカサコス公爵を始末して欲しいのですわ。とっても邪魔ですの」


愛らしい少女の顔で彼女は言った。

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