第128話 旅の途上

結局、食後にアレハが話を出来たのかと言えばそうではない。

空の模様が少し怪しいとクリシェは呟き、ひとまず早めに動いて予定の所まで行きたいとアレハに告げる。

確かに空の様子を見ればどうにも雰囲気が変わったように見え、アレハは了承。

楽しげにベリーと片付けを行なうクリシェを眺めた。


では移動中はと言えば、やはり馬車の中という密閉空間では万が一の場合がある。

クリシェは二人を迎え入れることをよしとはせず、かといって寒い外を一緒に歩きながら話すという苦行はそもそも選択に入っていない。

予定の場所まで到着してからお話ししましょうなどと後回しにされ――


『今日は風が出てきそうですし、早めに食事を済ませないと』


などとそこでも更に待たされる。

確かに理由は明瞭。しかしこの辺りでアレハもワルツァも、少女が自分達に全く興味を抱いていないのだろうことは当然理解していた。

露骨に面倒くさがられているのをひしひしと感じながらも、とはいえ話をしないわけにもいかない。自分達が今後どのように扱われるかというのは、少なくとも彼等にとって非常に重大な問題――最低でもその話くらいは聞いておく必要がある。

この適当さを考えれば、悪いようにするつもりはないという意思表示であるようにも思えたが、やはり明確な言葉というのはいつだって重要なものだ。


食事が終わればクリシェは欠伸をして、今日は早めに休んでまた明日――と話を後回しにしようとしたのだが、流石に二人が不憫だとベリーが救いの手を差し伸べた。


『く、クリシェ様、ひとまずお二人の今後についてのお話はされたほうが……』


そうして夜になってようやく、話し合いの場が作られる。

木々にしっかりとロープで固定し、大きく換気口を作った天幕の中では焚き火が煌々と光を放つ。そのすぐ側で箱に座るベリーの上、焚き火に手を当てながら二人を見た。


クリシェ達は比較的断熱性優れた馬車で眠るため、この天幕は他の者達のためのもの。御者を含めた全員が使う予定で、広く作ってはあるが十四人もとなると流石に狭苦しい。

夜の見張りに立つキリクと他二人、怪我人の一人を除いて一度外に出てもらうこととなった。

表からは火の側に陣取るカルアに小言を言うミアの声が聞こえている。


「ひとまず疑いが晴れたというわけではありませんが、拘束の要なしとして縄を掛けるということはしません。確認が取れるまで剣は一応預かりますがクリシェが管理し、疑惑が解消次第返却します。疑問点は?」

「ありません、当然の処置でしょう」


アレハの答えに満足したように頷き、クリシェは続ける。


「丁度王都に帰る予定なので、あなたたちはそこまで同行を。旅の目的があるのでしょうが、優先すべきはその身の潔白を証明することです。不自由は了解を、それまでの間単独での行動は許可しません。常に監視付きであることを理解しておいてください」


以上ですね、とクリシェは満足そうにベリーを見上げ、立ち上がろうとする。

話はこれで終わりと言わんばかり――クリシェは馬車に戻って寝る気であった。

ベリーは困ったように苦笑しつつ、その腰を両腕で抱えてそれを阻止する。


どうにも向こうは何かを話したい気配があり、流石にこれだけ後へ後へと流されると不憫に思うところがあった。

視線をアレハの方に向けると、その様子を半ば呆れつつ見ていた彼は軽くベリーへ頭を下げて口を開く。


「クリシュタンドの屋敷はガーゲインにあると聞きました。……よろしければ、先代クリシュタンド将軍の墓前に花を供えたいと思っているのですが」


ベリーに抱きしめられ不思議そうにしていたクリシェはその言葉に考え込み、告げる。


「クリシュタンドのお墓はガーゲインではなく王都ですね。クリシュタンドは北部から中央に移ったので。目的地が一緒なら何よりです、ついたらついでに案内しましょうか」

「……そうでしたか。では、ありがたく」


礼を言うアレハの姿を見たクリシェは再び満足したようにベリーを見上げた。

お話は終わり、クリシェはおねむの時間である。

それとなく馬車に戻ろうとベリーにアピールするが、そのアピールを理解しつつベリーはクリシェの口にクッキーを与えて動きを封じた。


「敵であったとは言え、クリシュタンド将軍は私が目指し、尊敬する武人でありました。戦場での死は武人の定めとはいえ、心の底よりお悔やみを申し上げます」

「むぐ、えぇと……ありがとうございます……?」

「出来ることならば、一度会って、直接話をしてみたかったところですが……それは悔いても仕方の無いことでしょう」


クリシェはベリーの膝の上、どうすればいいのか困ったように話を聞き。

アレハは気にせずそのまま続ける。


「クリシュタンド将軍とは、私が将軍になる以前から何度か刃を交えました。その度に破れ、悔しさから繰り返しクリシュタンド将軍の戦闘記録を取り寄せては学び、対策と戦術を組み立て……そして将軍となっての初対決――兵力は優勢、そのために積み上げた努力を思えば負けるはずがないと思い……しかし、それにも破れた」


銀の髪の少女を眺めながら。

使用人の膝の上に抱かれて、毛糸の帽子を被りしっかりマフラーを巻きつけた少女。

普通貴族――その中でも軍人ともなれば見栄えを気にするものだが、この少女は全く気にした様子もなく、もこもことした格好で両手を火に当てぬくぬくと温めている。


可憐で、幼げで。

敵であったアレハ達に欠片の興味も見せず。

けれどその実力に反した容姿と気性が彼女を天才として見せるのだろう。

ボーガンのように経験に富む真っ当な軍人ではなく、彼女の姿はあまりに軍人の理想からはかけ離れていた。

この少女にあるのはただ、図抜けた歪なまでの才覚であり、だからこそ自分は惨敗を喫したのだとアレハは感じる。


今襲い掛かったとしても、一刀のもとに斬り伏せられるだろう。

そうして座っていながらも剣は傍らに、僅かな油断も隙もない。


「こうして旅に出たのは、驕った自分を見つめ直すためです。これまで私は軍人として学ぶべき多くのことを散っていった部下達とクリシュタンド将軍に教わりました。だからこそ、その旅には王国こそが相応しいと考え、ここに」


自分の才覚が人より劣ると感じたことはなかった。

不安材料があるにも拘らず、最終的には自分の能力と才覚を過信し進んでしまったこと――敗北の原因はその驕りにあったのだろう。

だからこそアレハは、負けるべくして負けたのだ。

この小さな少女に。


「その途上でこうして、クリシェ様と出会えたのは何よりの幸運と言えるでしょう。……ワルツァの命を奪わず、救って頂いたこと、まずはそのことへの礼を」


アレハは立ち上がり、ワルツァも同じく。

二人は示し合わせたように深く頭を下げた。

元、とはいえ貴族がこうして頭を下げるのは珍しいこと。

ベリーは少し驚いたようにそれを見て、クリシェはうーんと悩むように告げる。


「あの場での戦闘は終わりと言っていい状況でしたし、聖霊協約に則ったまでのことです。手当てはしましたが斬り落としたのはクリシェですし、捕虜とするのを決めたのはセレネ、お礼ならセレネに言うのが筋のような気が……」

「それでも、刃を交え合っていた相手を躊躇なく助けられる人間はそういません。……ワルツァは私にとって親のような存在でしたから、その命を助けてくれたあなたには深く感謝しています」


アレハは言って顔を上げる。


「このような場所で出会うのは神の采配と言うべきか……恩義に報いろということなのかもしれません。もはや何のしがらみもなくなった身――いずれ何らかの形で、この礼は改めてお返ししましょう」

「んー……お礼……」


感謝していると言っているのだから、それはまぁ個人の問題だろう。

クリシェがお礼を言われるのは何かがおかしい気がします、などと考えつつも、視線をワルツァにやる。

髭の生えた老人の目は柔和に細められ、視線を一瞬ベリーに向け、再びクリシェへ。


「屋敷に帰ってお料理やお茶会をするため――何のために戦うのかと聞いた時、そのように仰りましたな」


そして主人に倣い、幾分丁寧な口調で語りかけた。


「……? はい」

「あれから内戦が起き、いくらかの苦難があったのでしょうが……今はその願いが叶ったようで何よりに思います。幸せそうで良かった」


戦場で見た彼女の姿。あれほどの戦士を見たことはない。

対する敵が狼群の長、かのグランメルドであったとしても十分に渡り合える自信はあったし、それだけの研鑽も積んできた。

――いかなる相手が出てこようと、ただでは敗れぬ。

そういう覚悟を決めたワルツァを、上から力でねじ伏せたのだ。

驚く以上に、いっそ清々しさすらあった。


何故このような少女が――尋ねて返ってきた答えに、ワルツァは言葉を失い。

けれど、今の様子を見れば納得がいく。

彼女の真実は、きっとここにあるのだろう。


「えへへ、はい。クリシェは今とっても幸せなのです。ね、ベリー」


クリシェは言ってベリーの胸に顔を押しつけ、ベリーは困ったように苦笑する。

そしてクリシェが小さく欠伸をしたのを見るとアレハは告げた。


「お付き合いさせてしまって申し訳ない。話はこれで終わりです、一言、礼を言いたかっただけですから」

「そうですか。んー……」


クリシェはベリーの上から降りて伸びをし、ベリーの手を引っ張るように握りつつ。

少し考え込むようにした後言った。


「王国は内戦で色々穴が空いてますし、アレハさんは元将軍ですし、お墓参りが終わってお仕事が必要なら王国軍で働いてくれると良いかもです。人が足りないってセレネも良くぼやいてますから、恩返しには丁度いいかもしれません」

「あの……は?」

「ご当主様には負けちゃいましたけど、ご当主様相手にそれなりに善戦してましたし……実力は十分でしょう。まぁ、アレハさん達に予定がなければなのですけれど」


じゃあまた明日です、などとクリシェはそそくさとベリーの手を引っ張り天幕の外へ。

元敵国将軍はなんともあっさりした勧誘に閉口し、それを聞いていたキリク達も固まった。





それから三日。

ガーゲインに立ち寄り、屋敷の荷物の積み込みを行なって帰路に。

鍛冶屋コーズの所で剣を購入したミアはご満悦。

寝る時も抱きしめて離さない勢いであったが、すぐ側で寝ていた同僚の頭に鞘ごと叩きつけてからはカルアが寝る前に没収することとなった。

アレハとワルツァもようやく彼女らとも打ち解けはじめ、旅は特に問題なく。


「ミア副官にはどうにも妙な癖がついているようだ」

「癖……」


夜――焚き火と月明かりに輝く雪原。

ワルツァと同じ砂色を着込んだアレハは軽い剣の訓練に参加し指導を行なっていた。

しっかりと基礎を幼少より叩き込まれたアレハの講義は彼等にもわかりやすい。


「力任せに剣を振りすぎている。そのせいで体が流され、体勢を崩してしまっているようだ」


やはり元将軍――丁寧な口調を使われるのは逆にこちらがかしこまってしまうとキリク達に言われ、今では普段通りの言葉となっていた。

この先上官になる可能性があるとなれば、混乱を避けるためにもそれが良い。


敵国将軍。

しかも前の戦から一年と経っていない。

そんな相手を王国軍に誘うというのは流石に面食らったものの、クリシェの地位は王国第二位の武官であり、女王であるクレシェンタ、元帥であるセレネとは親密な関係にある。

クリシェが望むならば、いきなり将軍ということはなくともいずれ必ずその意に沿った判断が下されるだろうことは彼等にも容易に想像が出来た。


「……学びはじめにはよくあることだが、速い剣をと思うほど体に余計な力が入って腕だけで剣を振ろうとする。体と剣がバラバラに動けば、むしろ剣には滑り止めが掛かる。そして崩れた重心は明確な隙となり、相手の剣を誘うだろう」


アレハは重ねの厚いミアの剣を借り、見本を見せた。

踏み込み、袈裟から払い、突く。

一連の動作はしっかりとしたもので、流れるような美しさがあった。


キリクやミア達は感心したように、カルアはやや唇を尖らせて睨むようにそれを見る。

先日カルアは手合わせで敗れており、あまりに剣が荒いと指摘されてからはなんとかしてアレハの剣技に対する攻略法を見いだそうとしていた。

カルアは自分の剣にはそれなりの自信を持っている。

クリシェはともかく、それ以外の相手に負けるのはやはり非常に悔しいものがあるのだった。


「戦場ではより実際的な、荒い剣を扱うもの。ミア副官が教えられたのはそういうものだろうと理解しているが……基本を学んでおくことも大事だ」


考え込むように顎に手を当て、アレハは続ける。


「そうだな……なんというべきか。基本は基本でしかない。実戦で基本通り、型通りの剣を振るうことが出来る機会もそうはないだろう。だがそんな基本を繰り返し、体に染みこませることで、次第に体が剣を振るうためのものへと作り変わっていく」

「……作り変わる、ですか?」

「そう。どのような剣術でも、大抵基本となる構えは体軸を芯に保つことに重点が置かれている。振るった剣の力に体が流れぬよう、常に安定して次の剣を振るうことができるよう――そういう基本をしっかりと学んでおけば荒い剣を用いた際にも安定感が出てくる」


次は荒々しく片手で。

踏み込みに雪の粒子を散らしながら、上下左右に振るわれる剣は見えぬほど。

剣とは思えぬ轟音が響き、暴力的なまでの力強さがありつつも、淀みがなく繋ぎ目がない。


「自分の軸を保つこと。これさえ体に覚え込ませておけば、どれだけ疲労していても無意識に理想のバランスを保つことができるようになる」

「……すごいですね。なるほど、基本かぁ」

「そうですよ、ミア。ミアは毎日千回くらい素振りをするべきです」

「えぇ……?」


洗い物を終えたクリシェが馬車に戻ろうとしながらミアに告げる。


「手と足がバラバラですし、ミアの剣じゃ革鎧も両断出来ません。もっとくるくると楕円を意識して、体全部を使えるようにならないとダメです」


茶色の毛糸帽子を被り、マフラーをしっかりと巻き付け。

料理の時だけ外に出てくるもこもことしたアルベリネアは、偉そうに腰に手を当てミアを睨む。


「黒旗特務は最低でも、全員板金鎧を両断出来る程度にはしておきたいんですから、副官のミアがそんなでどうするんですか? 戦術の勉強をしながらそっちも真面目にやるように」

「け、結構今でも色々頑張ってるんですが……」

「ミアは今の十倍くらい頑張るべきです」

「うぅ……」


助けを求めるようにカルアやキリク達を見るが、誰もが素知らぬ顔であった。

人の数倍を動く魔力保有者とはいえ、据え物であっても板金鎧を両断できると言えるのは、ここでは剣を選んでもカルアとキリクくらいのもの。

黒旗特務全体でも数えられる程度しかいない。


ベリーは少し不憫そうにミアを見るが、軍人にとって訓練は命に直結すること。

口を挟めず、困ったように曖昧な笑みを浮かべて様子を見守る。


アレハが口を開いた。


「クリシェ様の剣技は独特なものと聞きましたが……興味があります。よろしければ軽く手合わせをお願いしても?」

「手合わせ?」

「ええ、軽く食後の運動に」


クリシェは足元を見る。

雪である。ひんやり冷たい。寒い。服に雪がつく。


「また今度――」

「うっさちゃん! かわいい弟子の仇を取ってよ! 我流を極めたうさちゃん流剣術の実力を見せつけてほしいんだよ!」


言いかけた途中で横合いからカルアに抱きつかれ。

クリシェは横目で睨みつつカルアを見る。


「クリシェ、別にカルアを弟子にした記憶なんてないのですが。それに、カルアの剣がへたっぴで荒っぽいのは事実ですし……別に今ここじゃなくても」

「うさちゃん! やっぱりこういう雪の中という悪条件での戦いがあると思うんだ。指導者たるうさちゃんが手ずから手本を見せるというのはとても実になることじゃない? ほら、ミアも雪の中での動きを見てみたいって言ってるし」


今度はクリシェがうぅ、と唸り。

ミアがもう、とカルアを睨む。


「……わたしはそんなこと言ってない」

「見たくないの?」

「……ちょっと見たいけど」


カルアはキリク達にも視線をやり同意を求めた。

彼女はクリシェの弱点――場の空気と屁理屈を自在に操る術を持つ。


そしてクリシェは、基本的にノーと言えない少女。

唇を尖らせると、一回だけですからね、と前に出た。

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