第34話 叙勲
――式当日。
椅子に座るクリシェを挟むようにセレネとベリーは向かい合っていた。
黒と赤のドレスを着たクリシェと対になるよう、鮮やかな青と白のドレスを着たセレネ。
彼女は左側へ結い上げてもらった髪――そこにある剣の髪飾りを指してベリーを睨む。
「……だから、剣に決まってるでしょ」
「もう、分からず屋でございますね。お花でございますよ」
「何度言ったらわかるのかしら。クリシェは正騎士叙勲のために式へ出るの。だったら式くらいはこちらの剣飾りの方が向いてるでしょう! ドレスと髪型まで対になるよう合わせたのよ? クリシェもわたしと同じ剣飾りをつけるべきだわ」
クリシェは右側へ髪を流し、後ろ髪を束ねて右で結い上げていた。
丁度セレネとは正反対――そういう意図でセットされたのであるが、その髪につける髪飾りで大いに二人は揉めていた。
そこまでは仲良く二人で対になるようにと、意見も一致し和やかなムードであったのだが、いざ髪飾りをつける段になって二人の意見が食い違う。
優美さや格好良さを重視したいセレネ。
可憐さや華やかさを重視したいベリー。
――そして、どちらでもよいから朝ご飯を食べたいクリシェ。
アーネはおろおろと二人を見て、クリシェは俯きながら空腹に耐えお腹を押さえる。
クリシェにとって特に重要な朝食はやはり、髪飾りという二人にとって非常に重要な議題の前にないがしろにされていた。
クリシェにとって食事は何よりも重要なものであるが、その中でも朝食ほど重要なものはない。
ぬくぬくとベリーに抱きつき、ぐっすり快眠して目覚めれば、腹が減るのは当然の道理である。
ベリーといちゃつきながら目覚めたクリシェは、朝から湯を浴び洗いっこをして、化粧に髪をセット、ドレスの着替えというハードスケジュールをこなしていた。
村にいた頃ならばともかく、屋敷では朝食を作る前にキッチンの余り物をつまむ『前朝食』という習慣を嗜むクリシェである。
そんなクリシェにとって、朝食も食べずにそれらをこなすというのは想像を絶する苦行であった。
それを強い自制心(クリシェ基準)によってしっかりこなしたにも関わらず、この状況。
二人の様子に不穏を感じたクリシェは『わ、わざわざ朝食を用意してくれてますし、さ、冷めちゃうと申し訳ないです。髪飾りのことはご飯を食べてから――』などと言ったが、セレネにどうでもよいと一蹴され、今日がどれだけ大切な日であるのかとこんこんと説教をされた。
『あなたは本当食べることしか頭にないのね、恥ずかしいと思わないの? 食いしん坊で甘えん坊で、脳天気でお馬鹿で、たまにはちゃんとしたところを見せて欲しいわ全く。そんなことを言い出す暇があるならちょっとは自分で物事を考えてみたらどうなのかしら? 大体ね、あなたは――』
そして説教の時間によって更に朝食が遅れていくことに気付いたクリシェはもはや口を開くことなどできず、お腹を押さえ空気と化している。
ベリーは優しく微笑み、後で温め直してもらいましょう、それまでちょっとの間我慢してくださいませ、などとフォローをしたものの、やはり朝食よりもこの議論が重要であると言外に匂わせていた。
「それはお嬢さまの好みでございます。対にするのであれば剣に対してはそれを持って守るべき花でしょう。お嬢さまが剣だからこそ花飾りが映え、クリシェ様が花飾りだからこそお嬢さまの剣が映えるのでございます。黒赤に対し白青を選んだのもそうした意図だったのではないですか?」
「だからそれはドレスで十分だって言ってるの。ドレスで大きく対にしてるんだからそこは同じでいいのよ両方正騎士なんだから!」
セレネは睨み付けるようにしながら続ける。
「それに大体わたしが折れてあげてるでしょ! あなたが散々クリシェを甘やかしても、今回もわたしは我慢して許してあげたわ。たまには自分が我慢しようとは思わないの?」
「まぁ、困ったら違う話を持ち出して。この前の人格批判の次はそれでございますか? それに許しただなんて、お嬢さまは会う度嫌味を仰っているではありませんか。わたしは仕方ないことと反省をしておりますから、そのことに関して素直に受け止めておりますが……関係ないお話にまで持ち出すとあっては流石に苦言を呈さぬ訳にもいきません」
「呈さぬ訳にもいきません? 嫌味が何だって言うのよ、わたしの立場を考えてみてちょうだい。嫌味の一つや二つ言いたくなるでしょ! それに口ばっかり、あなたはそんなことを言いながらいつだってクリシェを甘やかすんだもの。何が反省よ、聞いて呆れちゃうわ」
両者一歩も引かず、眉間に皺を寄せ眉尻を吊り上げる。
そんな二人を見るクリシェの眉尻は下がっていた。
「お嬢さまだってそんなことを仰りながら、わたしと同じ立場に立てば同じようにしたに違いありません。お立場を考えろと仰るのであればまずお嬢さまが相手の立場に立ってお考えになってはいかがでしょう? お嬢さまも結局クリシェ様のキ――」
ベリーは言いかけ、アーネを見ると咳払いをする。
「――こほん、ともかく、言えなかったではありませんか?」
「そ、それはあなたが変な教え方するからでしょ! わたしのせいじゃないわよ!」
「そうですか、全部わたしのせいでございますか。都合の良いときはご自分が我慢をしたと仰り、都合の悪いときは相手のせいにするのですね。そういうお考えなのですね。それこそ呆れてしまうものの言いようです」
「なんですって――」
「お、お二人とも……そ、その辺りに……えと、クリシェ様のご希望を聞いてみては……?」
アーネは言い争う二人を押さえるように引き攣った声を出す。
板挟みにあっているクリシェが非常に不憫に見えて仕方なく、そう口にするが――
「クリシェ?」
「……クリシェ様?」
「え、うぅ……その、クリシェは、ど、どっち、でも……」
余計な一言であったとすぐに悟る。
「どっちでも? クリシェ、元はと言えばあなたが髪飾り一つ決められないからベリーとこんな不毛な争いをしてるってことわかってる? ちゃんと聞いてたの? わかってないでしょ? 決めなさい今すぐ。もちろん剣よね?」
「正直に仰って良いのですよ、クリシェ様。お嬢さまに気を使う必要はありません。クリシェ様が身につけるものなのですから。……さ、どうぞ、花のほうが良い、と」
本心からどちらでも良いクリシェは二人に押し潰されそうになりながら、すがるように扉へ目をやる。
その願いが通じたのか、救い主はすぐに現れた。
「……はぁ。朝食の時間に来ないと思えば、今度は何で揉めているんだ?」
ボーガンは予想していたのか疲れたように額を押さえ、二人の話を黙って聞く。
いっそ二人とも剣と花で、花飾りの色を変えれば良い。
そしてそういう結論で二人を納得させる姿は今のクリシェに取ってまさしく救世主――英雄であった。
クリシェはボーガンという調停者の訪れに安堵し、微笑む。
ようやく朝食が食べられるとほっと息をつき、しかし――それを妨げる声はやはりボーガン。
「そろそろ出ないといけないらしい。どうにも、少し式の時間が早まったようでな」
「はい、お父様」
クリシェは硬直した。
王城の中は城と言うよりも、非常に大きな屋敷と言った方が良い造りであった。
防衛の拠点としてではなく政務や王族の生活を主体として考えられており、部屋の大きさや数が重視され、迷路ほどに複雑な造りでもない。
ここは王国の中央。
そして王の権威を示すために建てられたこの城は、そもそも攻め込んでくる敵を想定していない。
それ故この城は籠城などを想定しない軍事的に脆弱な造りであったが、反面、生活するには非常に優雅な空間となっている。
廊下も長く、広く。
そこをクリシェとセレネはボーガンやガーレン、そしてクリシュタンドの配下達と共に歩いていた。
その他にも南の将軍ガーカや西の将軍ヒルキントスなども存在し、正騎士叙勲――この中では立場の低いクリシェ達は後列にある。
「もう、式が終わったら食べられるんだからいいでしょ? 朝食がちょっと遅くなったくらいで俯かないの」
「うぅ……」
「何その顔、わたしが悪いって言いたいのかしら」
「お、思って……ない、です……」
王城に入り、控え室で少し待機し謁見の間へ。
長い廊下を歩きながらセレネは小声でクリシェに告げる。
式はそれほど長い時間ではないし、時間自体が早まったのだから昼よりも随分と早くに解散となる。
精々少し遅い朝食程度のものであるのだが、クリシェはそのことに多大なダメージを受けていた。
「ほら、もうつくわよ。ちゃんとしなさい」
「はい……」
高い天井に届かんばかりの大扉。
重厚な二枚の扉を門番がゆっくりと開き――中へと進む。
太鼓とラッパの音が響き、現れたのは白の大広間。
無数の柱が見上げねば見えぬ天井を支え、そしてその中央に敷かれるは鮮烈な赤いカーペット。
その先には小さな階段と玉座が一つ。
王冠を被った男が座る。
その脇を王弟と王女が立ち、そしてそれ以外のものは皆カーペットの外側にいた。
赤のカーペットは王の道と呼ばれる。
赤は血の色であり、そしてそれはこれまで王国の流してきた血を表わす。
王家はその上に君臨するものであるとされ、それ故通常このカーペットには王家に連なるものしか踏み入れることはできないのだが、こうした式や謁見の間のみ一時的にそこへ立つことが許される。
それは王家との血の交わりを示し、血の共有を許すということ。
そのため王国においてはこのカーペットを踏んだものには平民であっても貴族となる栄誉が与えられる――とされていた。
何度もここへ足を踏み入れたボーガンの足取りは堂々としたもので、その隣を歩く将軍――ガーカやヒルキントスも同じくであった。
軍団長などもそうではあったが、列の後ろに行けば行くほどに緊張しているものは増えていく。
セレネもそうで、顔は僅かに強ばっており、クリシェはそれを横目に眺める。
周りは皆男ばかりで、その中にある二人は非常に目立っていた。
そのせいで周囲の視線を集めることとなり、セレネは足元が浮くような心地になっているのだ。
セレネの隣は普段通り欠片も緊張を見せないクリシェ。
その頬をつまんで引っ張り、少しは緊張しろと言ってやりたくなったが、流石にこの場ではそれもできない。
セレネは二人の前を堂々と歩くガーレンの姿を見て、静かに呼吸を整える。
中程まで進むと二列に分かれ、カーペットの中央を開けると前から順に片膝をつき頭を下げ、右拳を左掌で包んで見せる。
ドレスを着ている二人は普段であれば王族を前にしても膝を軽く折り、跪く素振りをするだけの立礼で許されるが、式典の間は他に同じく。
前が座ったのを見て二人も膝をつく。
太鼓とラッパの音が鳴り止むと、しばらくの静寂。
一歩前に出て口を開いたのは王弟――ギルダンスタインであった。
「――邪悪なる帝国の侵略を防ぎ、十万の大軍を打ち破り王国を窮地から救ったこと。まずはそのことを労いたい。……歴史に名を輝かせる名君、英雄から名もなき兵士と民に至るまでが王国のために血を流し――そして王家はその血の上に築かれてきた。お前達の行いはそんな祖先に恥じる事なき名誉あるものであると、国王陛下は直々にその功績を讃え、名と褒美をお前達に下賜することになされた。この上なき誉れと受け止めよ」
声を張り上げているわけではなく、魔力で拡張しているわけでもない。
だというのに、堂々とした聞き取りやすい声だった。
人の上に立つことを望まれて生まれたものだけが持つ何かが働いているのか、ギルダンスタインの声はこの広い空間にあっても明瞭である。
「将軍カルメダは敵の刃に命を落とし、それと共に多くの兵士、民の命が王国の血へと交わった。そのことを悔やむものもあろう。しかし死は終わりを示すものではない。その命は王国の新たな血として永遠に生き続ける。国王陛下も、俺も、そしてお前達もいずれはそうして王国の血へと溶け込むだろう。悔やむ必要も悲しむ必要もない、ただ受け止め――そして生きて栄誉を受けられることを喜べ。それこそが死者に対する何よりのはなむけとなる」
並ぶ列の背後には鼻を啜って声を押し殺すものがいた。
カルメダの配下のものだろう。それほど多くは生き残ってはいない。
「兵力大なる敵を相手に生き残り、撃退した三人の将軍――皆それぞれ見事な活躍であった。その中でもまずは、将軍カルメダを討った憎きサルシェンカを、その武勇と頭脳を持って打ち破った将軍クリシュタンドの名を挙げたい。兵力劣勢の膠着にありながら二万の軍を持って倍する四万を乱し、食い破った様はまさに迅雷の名に恥じぬものと言えよう。……前に」
「……は」
ボーガンが数歩前に出て、カーペットの中央へと再び膝をつく。
「この男の活躍なければ今こうして式を行う余裕もなかっただろう。ここにいるものは皆承知であると思う。――英雄を見るが良い」
ギルダンスタインは周囲を見渡し、
「この男は英雄の中の英雄にして――王国が誇るべき将軍、ボーガン=アルガリッテ=ヴェズリネア=クリシュタンドだ」
楽隊へと両手を広げる。
太鼓が打ち鳴らされ、ラッパの音が響き、カーペットの外側で参列していた者達が歓声をあげる。
カーペットの内側にあるものは多かれ少なかれ賞賛されるべき同じ立場にある身であるため、そのような歓声をあげることはできないものの、セレネは自身の父親が激賞されることに嬉しさを隠しきれない様子だった。
クリシェはそれを見て微笑み、セレネはそれに気付くと少し恥ずかしそうに目を逸らす。
「次いで名を挙げるのは敵主攻と見られた南部への侵攻を食い止め、クリシュタンドの反攻によって生じた機を逃さず、これを打ち破った将軍ガーカ。前に出ろ――」
――そうして式は進んで行く。
基本的には前から順に王の前に進み、王の手から剣を与えられる。
煌びやかな装飾がなされた宝剣。
かつて金属が貴重であった頃、剣を持つのは勇者の証明とされた。
その名残で王からの褒美と言えば剣の形で渡される。
とはいえ当然それだけではなく、後で改めて宝物の数々が与えられることとなっていた。
三人の将軍達は現在の領地を拡大されることを告げられ、空いた東部にはクリシュタンドの第一軍団長にあたるノーザンという男が新たに将軍として派遣される運びとなる。
カルメダの息子も戦死したためにポストが空き、これまでの功績を鑑みてクリシュタンド軍の中でも最も優秀であると言われた軍団長が指名されたのだ。
二人の名前が呼ばれたのは随分と後であった。
同じく正騎士の叙勲を受けるのはガーレンを含む七名ほど。
ガーレンは当時から準騎士の爵位を与えられている。準騎士は王の許可さえ受ければ略式的に将軍が与えて良いことになっているのだ。
これは貴族を指揮するのが平民であってはならない、という形式上の理由もある。
ガーレンは最後の戦によって正騎士叙勲も間違いなしという武勲を立てたが、叙勲を前に軍を辞したため未だ階級は準騎士。
将軍副官という大役を担うのであれば準騎士も拙いということで、過去の手柄も鑑みて今回二人と同じく正騎士の叙勲を受けることとなっている。
「――お前たちにはリネアを名乗ることを許す。古き言葉で戦士を表わすリネアを名に与えられることを何よりの誉れとしろ。正騎士の称号はどんな気高き生まれであっても、戦場での武勲がなければ認められんものだ。そして、お前達はそれを手に入れた。……順に剣を受け取れ」
端に並んでいたクリシェは最後であった。
クリシェ=リネア=クリシュタンド。名前が長くなるなと考えつつ自分の番になるのを待つ。
隣にいたセレネが行き、帰ってきて。
自分の番だとクリシェは顔を上げて立ち上がり、ほとんど無意識の――条件反射で一歩下がった。
クリシェの視線は王の隣に立つ少女に据えられた。
小柄なクリシェよりも更に頭半分小さい、そんな幼い少女であった。
差し込む陽光に、赤く煌めく金の髪。
白いドレスを着こなす姿はまるで妖精のようで――不思議とその顔立ちはクリシェのそれによく似て見える。
先ほどからずっとつまらなさそうにしていた王女はじっとクリシェを見つめ、そしてにこりと花が綻ぶような笑顔を見せた。
「く、クリシェ……っ」
小声で何をしているのかとセレネの叱咤が飛び、クリシェはそのまま前に出る。
――反応したのは警戒したからだった。
クリシェはいついかなる時も、自分に危険が及ばぬよう注意を払う。
人混みにいれば周囲の誰が飛び掛かってきても逃げられるようにするし、先んじて殺せる体勢を取る。半ば無意識な癖だった。
立ち上がった一瞬、クリシェはそうした警戒心を覚えて咄嗟に半歩間合いを開けた。
そしてそれを感じた方向に王女がいた。
敵意もなく、笑顔を見せる王女はいつでも殺せる距離にある。
クリシェは疑問をすぐに消して王の前へと進む。
そこからは儀礼通り――化粧で顔色を隠した王から、全くもって美しい所作で剣を受け取ると、興味も示さず淡々とこなした。
早く終わらせてご飯が食べたい。
クリシェの頭に今あるのはそれだけである。
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