第30話 殺意と願いと愛情と

クリシェにとって、セレネとベリーは特別な存在である。

そしてそうであるが故、普段以上にクリシェはベリーを気にしていた。


気遣うようなボーガンに大丈夫だと笑顔を浮かべ、食事を楽しみ、いつも通り一緒に湯を浴びながらもベリーは普段とは少し様子が違う。

その度原因を考えて、考える度に不快は強まる。

――殺そう、と決意するまでにそう時間は掛からなかった。


クリシェは人を殺すことに対して、何ら抵抗を覚えない。

彼女にとっては、果実をもぐのも人を殺すのも同じである。

食べたくなれば果実をもぐし、不愉快であれば相手を殺す。


屋敷に来てからはベリーの存在もあり、クリシェは常に上機嫌。

そうした異常性は鳴りをひそめていたものの、本質そのものは変わらない。

彼女はどうあれ、異常者であった。


クリシェにとって大事なベリー。

彼女を不快にさせるものは、クリシェにとっても何より不快なものであり、そう企図することに何ら躊躇もなかった。

クリシェなりにベリーと『共感』し、結果としてそうすることを決めたのだ。


馬車での話からクリシェもいくらか察しがついている。

ベリーに過去、酷いことをした相手であるのではないか、という程度の浅い想像であったが、それでも十分であった。

昔の話であったため、聞いた時にはそれほど気にはしていなかったが、こうして目の前に現れてベリーを不快にさせるのだから今後のために殺しておくほうが良い。

クリシェは短絡的にそう考える。


とはいえしかし、問題もまたベリーであった。

ベリーは常に自分の側にいて、眠るときも一緒である。

それはクリシェがそう望んだためであり、そしてそうあることは彼女にとって何より幸せなことであったが、今日に限っては問題であった。


結果として彼女が寝静まるまでずっと待つことになる。


普段から味わう彼女の温もりによって生み出される睡魔――それと必死に戦い、抜け出す。

ベリーを起こさないよう気遣って、しばらくその美しい寝顔を見つめ、いつものようにキスをしたくなるも我慢した。

ちゃんと寝入っていることを確認して安堵すると、肌の透けるような薄紅のネグリジェのまま音を立てないよう外套を裏返しに羽織って、フードを被る。

胸元にはクリシュタンドの紋章があり、銀の刺繍もあるが、布地を何枚か重ねて造られた外套であるため、そうすれば単に真っ黒な外套となる。


一部屋を改築し、仕切りを設け二部屋にした狭い部屋。

訪れる貴族があまりに多いため屋敷にはこうした部屋が多いらしく、その名残か隣のセレネの部屋ともベランダからも行き来が出来る造りであった。

呼吸の音さえ気遣いながら着替え終わり、空気が悪い、という名目で事前に開けておいたベランダへの扉を見る。

天気が良い。月の光で少し明るいのは問題だった。

この外套を着込めば大丈夫だろうとは思いつつ、屋根を跳んでいこうと考える。


部屋に置いてある曲剣は取らず、ナイフだけを一本抜き取った。

もしベリーが目を覚ましても気付かれないように、だ。

外の空気を吸っていた、と言える程度の時間で、素早く終わらせて帰ってくる。


ボーガンの話では、ロランドは偶然この街に訪れ、ここの貴族に挨拶をしていたところであるらしい。

近所の宿に泊まっているという話を軽く漏らしたのも聞いている。

幸い、この街で近所にある高級宿は一つだけ。

探すのに手間はない。

見つからずとも適当に、一人二人を捕まえて拷問すれば済む話だった。


行こうと考え。


「…………」


けれどもう一度ベリーを見て、視線を揺らす。


――本当に起きないだろうか、と不安を覚えた。

出ていってすぐに目を覚ましてしまうと、流石に誤魔化せない。


見つかったらベリーは怒るだろうかと考え、嫌われたらどうしようかと考え、ただただ不安が胸の内に生じた。

クリシェに取って不安という感情は、ごく最近生まれたものだった。

クリシェに甘く、優しいベリー。

そんなベリーに依存すればするほど、ちょっとしたことで不安になる。

依存していることが原因であるため、それを解消しようと何度か考えたものの、ベリーはどこまでも優しく、離れがたい。

心地よさを失うのが嫌で、そう思っている内にずるずると依存は強まる。

そうなるほどに、ベリーに嫌われることへの不安が強まる。


扱い方のわからない感情で、慣れないものであるが故に、クリシェはその対処法がわからなかった。

何のためにそうしようとしているのかも、段々と分からなくなってくる。


ベリーが不快に思う。だから殺す。

ベリーのためにそうしようとしていて、でもベリーはそれをいいとは言わないだろう。

ルール破りなのだから当然だった。


『その……ベリーが嫌だったり、怒ったりするようなことはちゃんと言って欲しいです』

『大丈夫ですよ。大好きなクリシェ様がわたしを喜ばせてくれようとしてくれたことで、どうして嫌がったり怒ったりするものでしょうか』


自分が今からしようとしていることは、ベリーを喜ばせることだろうか。


――違う、と思った。

ベリーの不快を取り除くために、ベリーの喜ばないことをしようとしているのだ。

ぐるぐると頭の中で色々なことを考えて、クリシェはじっとベリーを見つめる。


「……くりしぇさま」

「っ……」


声に慌てて身を引いて、引いた拍子に手を棚にぶつける。

音が響いて咄嗟にベリーを見る。寝言だった。


ほっと息をついて棚から離れ――しかし、外套が棚の上にあった曲剣を床へと落とす。


「ぁ……」


今度こそ大きな音が鳴って、


「クリシェ様……?」


ベリーが薄目を開ける。

クリシェは固まり、ただベリーを見つめた。

身を起こしたベリーは薄手のネグリジェのまま体を起こし、首を傾げる。


「どうされました……? 外套なんて着て」

「ぁ、と、その……お外の空気を、吸いたくなって」

「……そんなに匂いますか? このお部屋」


ベリーはすんすんと匂いを嗅いでみるも、特に変な匂いはしない。

立ち上がるとクリシェに近づき、手を伸ばす。

クリシェは後ろに下がるも棚にぶつかる。

ベリーはその様子に不審を覚えながらもクリシェの額に手を当てた。


「熱は……いつも通り、でしょうか。うーん、寝てたせいでわたしの体温も上がってますし、あんまり当てにならないですね」


クリシェは目を泳がせる。


「お鼻の調子が悪いのかもしれませんね。お体の具合は? 他に変な所はございませんか」

「いえ、その……」

「ずっと馬車の中で知らず疲れが溜まっているのかも知れません。ええと……」


ベリーは鞄を漁り、中から果実を取り出す。


「ちょっと、果物をお剥きしましょうか。気分も変わりますし、栄養にもなりますから。何がよろしいですか――わっ」


クリシェは抱きつき目を伏せる。

ベリーは困惑しながらも、彼女の様子がおかしいことに気がついて。

落ち着かせるように抱き返し、頭を撫でた。

叱られる子供のような様子だった。


「どうなさいました?」

「っ……」

「わたしに何か怒られるようなことでも?」


クリシェは少し迷いながらも、頷く。


「……クリシェ、嘘、つきました」

「嘘だなんて……どうされました?」


しばらく震えるクリシェをそうして抱いた。

大丈夫ですよと繰り返し、落ち着かせ、ベリーはクリシェの背中を叩き体を離す。

胸元の紐を解いて外套を脱がせようとする。

クリシェはそれを止めようとし、しかし諦め――ベリーは彼女がナイフを持っていることに驚きを浮かべた。

しかし少し考え込んだ後、何も言わずそれを受け取って果物を手に取った。


「ひとまず甘い物でも食べて落ち着きましょうか。さ、座ってください」





ベッドに腰掛け、部屋の小さな机を寄せると、その上にハンカチを敷いて林檎を切り分けた。細工を入れて兎を作り、クリシェの口へと運ぶ。

クリシェは何も言わずそれを咥え、手にもつと、何度かに分けて小さな口で咀嚼する。


「おいしいですか?」

「……はい」


次の林檎は彫刻のように。

器用に刃を入れていき、その余りを口に入れながら、おいしいですねとベリーは微笑む。

それからクリシェの顔が沈んだままなのを見て、少し迷い、それから苦笑する。


「……正直、恨んでいないと言えば嘘になります。殺してやりたいと、当時はそう思っておりました」


クリシェは目を見開いてベリーを見る。

ベリーは微笑みを返して、


「わたしも、そう思うことはあるのです」


と言った。


「クリシュタンドに来た頃はご当主様の書物を読んで、戦いに向いた肉体拡張を学びました。護身術を習いたい、とご当主様に稽古をつけてもらいもして。……当時は言ったように体が弱かったですから、ねえさまやご当主様には少しでも動けるようになりたいからだと説明しましたけれど……とはいえ、実際のところはロランド様を殺すためです」

「ベリー、が?」

「ええ、うんと子供でしたから。ふふ、でも、お二人にはすぐに気付かれていたみたいです。……肉体拡張を覚えてから少しずつわたしの体も良くなってきてましたから、わたしが熱心にやっている理由がわかっていても言い出せなかっただけで」


懐かしむようにベリーは笑う。


「お嬢さまが無事お生まれになって、ねえさまはとても幸せそうでした。ねえさまもわたしと同じで、あまりお体の強い方ではありませんでしたから、産後は少し心配でしたがそれも乗り切り。……それを見届けてわたしが家を出ようと準備をしているころですね、ねえさまと一緒にお料理をしたのです」

「お料理?」

「……はい。ねえさまは、ふふ、お嬢さまとそっくりで、そういうことになるととっても不器用で、思い出すとおかしくなります」


――どうしてあなたにばっかりそういう器用なところが行くのかしら。不公平だわ。

――ねえさまはわたしに持ってないものを沢山持ってらっしゃいますから、釣り合いが取れますよ。

――ま、無い物ねだりね。……アルガン家にはお金はなくて、ロランドにはお金があった。それだけのことよ。


「巡り合わせ、なのだとねえさまは言いました。アルガン家にはお金がなくて、ねえさまは辱められて。けれどそのおかげでご当主様に出会えて、お嬢さまを授かれた。そして今のねえさまは幸せで、不器用な自分の代わりに器用な妹もいて――わたしのおいしい料理を毎日食べられて満足だって」


林檎は少しずつ形を変えて、女性の横顔になっていた。


「ねえさまが辱められたことが、何より悔しかったです。許せなかったです。……でも、ねえさまは、自分の幸せを願うなら、わたしがそんなことに囚われて罪を犯すより、巡り合わせを素直に感謝して幸せになってほしいと言いました。刃物の扱いが上手なら、人を刺すよりおいしい料理を作ってなさいと」


ハンカチの上に林檎とナイフを置いて、一息をつく。


「クリシェ様は、わたしのためにナイフを取ってくださったのですか?」

「……わかり、ません」


クリシェは静かに言った。


「ベリーを不快にさせる相手は、クリシェに取っても不快です。だから、その……でも、ベリーはそういうこと嫌がるって、思ったら、よくわからなくて、……いいことか悪いことか、わからなくなって」


たどたどしくクリシェは言葉を紡ぎ、「……ではやはり、わたしのことを思ってくださったのですよ」と言った。


「クリシェ様をとても、心配させてしまいました。わたしはいけませんね」

「ベリーは全然――」


林檎の欠片をクリシェの唇に押しつけて微笑む。


「ねえさまの言葉に納得しつつも、わたしはたまたま運が良かったからそう言えるだけだと思いました。……結局、二人目の子供と一緒に、ねえさまは亡くなってしまいましたから」


――姉妹って素敵よね、姉弟でもいいわ。自分に足りないものがあったって、こうしてすぐそばで見せてもらえるんだもの。

――セレネにも妹か弟、作ってあげたいの。ボーガンは男の子のほうがいい、って言ってるけれど、セレネもあのかわいがりようだもの、どっちだって良さそう。


――……あの子に寂しい思いをさせちゃうわ。代わりにお願いね、ベリー。あなたもそうだけれど、ちょっと頑張り屋さんすぎるから心配なの。


「お嬢さまはちょっと真面目すぎて、意地っ張りです。ねえさまはそういうお嬢さまが心配で、妹か弟を作ってあげたかったみたいです。そうしたら少しは気持ちが休まるだろうって。だから、がんばって……でも駄目でした」


ベリーは思い出すようにしながら目を伏せ告げる。


「そうして、お嬢さまをねえさまに任されて、ねえさまの代わりにと、わたしはなるべく明るく振る舞いました。でも、お嬢さまはどんどん思い詰めていくようになって、わたしはやっぱり、そういうのが苦手なのでしょう。どうしたらいいのかわかりませんでした。……でも、そんな折りにクリシェ様が来て下さいました」

「……クリシェ?」

「はい、クリシェ様です」


ベリーはそのままクリシェを引き寄せ、膝の上に寝かせる。

額を撫でた。


「クリシェ様がいらっしゃってから、セレネ様は見違えるように明るくなって、わたしも毎日ご一緒に、色々なことをさせて頂いて、とても楽しくて。……これが、ねえさまの言っていた巡り合わせなのだと思いました」

「……巡り合わせ」

「ロランド様を恨んでおります。でもそのおかげで、ねえさまはご当主様と巡り会って、お嬢さまと巡り会い、そしてクリシェ様と巡り会った。だから今はとても幸せで、もし過去に戻って違う今が選べたとしても、やはりわたしは……こうしてクリシェ様と巡り会えるこの今を願うでしょう」


いとおしむように額を撫でて、それから頬。

ベリーはどこまでも優しげに微笑んだ。


「クリシェ様はわたしよりずっと、器用です。きっと簡単に、色んな事ができるのでしょう。でも、そのお力はもっと楽しくて、幸せになれるようなことのために使って欲しいと思います」

「……楽しいこと?」

「はい。包丁で人を殺せばすっきりするのかもしれません。でもお料理を作る方がずっと楽しくて、幸せになれることでしょう?」

「……はい」

「わたしは少なくとも、そうねえさまに教わりました。そして、そのおかげで今はこうして幸せです。……クリシェ様にもそのような幸せが訪れて欲しいと思いますから、わたしはやっぱりクリシェ様にもそのようにお教えします。そういうことです」


クリシェはぼんやりとベリーを見つめ、視線を惑わせた。

迷うように、怯えるように、不安そうに。

やっとのことで視線を戻すと、クリシェはどこか辿々しく口を開いた。


「クリシェのこと、怒ったり、しないんですか……?」

「わたしのことを想って、クリシェ様が刃物を取ってくださったんです。そのことはとても嬉しく思っておりますよ。もしその結果、クリシェ様が誰かから怒られるようなことをしたとしても、わたしも同罪です。その時は、わたしも一緒に罪を償います」

「でも、ベリーは全然……」


唇を指で押さえた。

優しく撫でるように、けれどそれだけで言葉を封じるには十分だった。


「そういうものです。わたしはどこまでもクリシェ様とご一緒すると決めておりますから、気を付けてくださいませ。こう見えてしつこいですから」


ベリーはどこか楽しげに、くすりと笑って続け、


「でも、やっぱりご一緒するなら怒られるよりも、できればお料理したり、お茶を飲んだり、こうやって一緒にお休みしたりしたいです。もしクリシェ様がわたしを想ってくださるというのなら……わたしと出会えたことが、クリシェ様にとっても、良い巡り合わせであったと思ってもらえるならば、そうやって……」


そこで僅かに言葉を切ると、一瞬目を伏せ、静かに告げる。


「わたしと……これからもそうやって、ずっと一緒にいて頂けたらと思います」


ベリーの言葉に生じるのは、あやふやで、不確かなもの。

クリシェにはそれが何かはわからなかった。

ただ、それがなんであれ、彼女に返す答えは決まっているとクリシェは思う。


体を起こすと抱きつくように、クリシェは彼女の膝の上に乗る。

そして自分の気持ちを伝えるように唇を重ねて、幸せそうにクリシェは答えた。


「……クリシェも、ベリーとずっといたいです」


少しの間が空いて、ベリーはただただ、クリシェの白い頬を撫でた。

長い睫毛に包まれた、どこか濡れたような茶の瞳がクリシェの瞳を覗き込むようで、頬を撫でる手つきはどこまでも心地良く。

クリシェが言葉を発さぬ彼女へ小首を傾げると、彼女はその頬を両手で包み込み、


「……ん」


――それから静かに、ゆっくりと、唇を重ねて答えを返した。


優しく触れて、押しつけられ、名残惜しむように緩やかに離れる。

それはクリシェがいつもするよりも、随分と長いキスのように感じられた。


「あ……」


ベリーはぱっと気付いたように顔を離し、頬を真っ赤にして目を泳がせる。


少なくとも、ベリーがこうして唇にキスをするのは初めてであった。

クリシェはそのことに少し驚きながらも嬉しくなって、またキスを返す。

彼女を真似るように、丁寧に。


ベリーはますます頬を赤らめ、裏返りかけた声で告げる。


「……も、もう遅いですし、寝ましょうか」

「えへへ、はいっ、あ、林檎……」

「そ、そうですね。忘れてました、食べちゃわないといけませんね」

「クリシェ、ベリーにあーんしますね。はい、あーん」

「ぇと……は、はい、あーん」


ベランダの方から勢いよく戸が閉まる音が響いて、そちらを見る。

ベランダの扉は開いたままで、音は隣のセレネの部屋から響いたものであるらしかった。


クリシェは「セレネ?」と首を傾げ、ベリーは困ったように頬を掻き、笑った。








――翌日。


「……セレネ、大丈夫ですか?」

「誰のせいよ……」

「……?」


朝食を食べ身支度を終え、馬車に乗り込む手前――セレネはクリシェを睨みつつ、小さく鼻を啜る。

昨晩、長い時間夜風を浴びたため風邪を引いたのだ。


なんとなく。

そんな程度の予感であった。


同じくロランドに会ったらしいボーガンが気遣うようにベリーに声を掛けた時のことだ。

やはり、昔に何かがあったのだろう、とセレネはぼんやりと考えた。

不快な商人――ロランドは今日偶然、この屋敷への挨拶に来たという。

どうにも近くの宿に泊まっているらしいと、そんなことをボーガンが漏らしたときだ。


――ずっとベリーの様子を気にしていたクリシェがボーガンを見た。

いつもの無表情。

でも、なぜだかそれが妙に気になった。


クリシェは意外と機嫌が顔に出る。

市場を回っていたときには嬉しそうに頬を僅かに緩めていた。

帰ってきてからは、段々と無表情になっていった。

クリシェはどこかぎこちないベリーの様子をずっと気にしていたから、上機嫌でなくなるのは当然で、彼女を心配しているからだと見るのが普通だろう。

そう思いながらも、胸騒ぎがしたのだった。


必要とあらば、クリシェは人を殺すことに躊躇がない。

クリシェはベリーに懐いている。ともすれば危ういくらいに。

そんなベリーを悲しませるものは許さないだろう。

許さないならばどうするか。


まさかそんなことはしまい、などとは思えなかった。

戦場で誰より人を殺したクリシェの姿は目に焼き付いている。

クリシェの純粋さも知っている。


考えすぎではないか。

そうは思いつつも、半信半疑で、隣の部屋と繋がったベランダに立った。


ベランダで立っていた。


――夜の冷気で冷え込むベランダで立っていた。


ベリーが目覚め、二人が話し始めた後も、部屋に戻る訳にもいかず、二人の話に耳を澄ませながらもじっと立ち、辛抱強く。

ベリーがクリシェを説得するのを聞き届け部屋へと戻ったわけであるが、結果としてこれである。


強い魔力に包まれる彼女らのようなものは、常人に比べれば体は丈夫と言えるが、とはいえ風邪を引かないわけもない。

肌着に毛布を掛けただけという格好は問題であっただろう。

とはいえ単なる勘で、半信半疑。

わざわざ厚着をするのもどうかなどと考えてしまい、結果としてその格好で過ごすハメになったのはある意味仕方の無いこと。

冷えが厳しくなったところで取りに戻れば良かったのではないか、とも思うが、軍に身を置くセレネである。

交代要員もなく持ち場を離れることを愚行と断じる生真面目さがあり、それがあだになった。


嫌な予感は当たっていたため、無駄ではなかった――そう思いたいが、全部ベリーが解決してしまったために出番もなく、何やら損をしたような気持ちで一杯である。

不機嫌そうにセレネは鼻を啜る。


「馬車でお休みになっては? わたしがクリシェ様と馬に乗りますので」

「そこまで酷い風邪じゃないわよ。それにこういう時は狭いところに籠もっておくより外気に当たっておく方がいいの」


セレネは拗ねたような口ぶりで言って、ベリーは心配そうに眉尻を下げた。

それを見ていたガーレンが告げる。


「……とはいえ、式を控えておる。こじらせてはいかん。後ろの荷馬車に乗せてもらうといい」

「ええと、でも、ガーレン様。お気遣いは嬉しいのですけれど、それはあまり見た目が」

「幌を立てれば良い。将も兵も、軍人はその体が宝だ。そうボーガンにも教えられただろう?」

「……はい」


セレネは頬を染め、ベリーは馬車荷を軽く見て、手を叩く。


「ではそちらに三人で乗るといたしましょうか。行きは荷台も空いておりますし、風を通しておけばうつることはないでしょう。それに看病も出来ますから」

「うぅ……」


馬車には荷物などを乗せてはいるが、褒美として与えられる宝物などを運ぶため、荷は軽くスペースもあった。

三人が乗る程度ならば何も問題はない。





ベリーは兵士達とてきぱきと幌を立て、クリシェもそれを手伝い、クリシェの希望で大量に持って来ていた毛布を敷き詰めた。

クリシェはご機嫌そうに背中からセレネを抱いて、ベリーはそれを見ながらにこやかに笑う。


「……ありがとうございました、お嬢さま」

「礼を言われるようなことはしてないわよ」


話が終わってイチャイチャしだした二人に対して無性に腹が立ち、わざと聞こえるようにベランダのドアを閉じたのであるが、セレネは天邪鬼にもそう言った。

拗ねていたのもあるし、ベリーの話を聞いて思うところもあったからだ。


「わたしのお守りはもういいわ。……あなたはクリシェのお守りをしてなさい」


ベリーは目を見開いて、伏せた。


「……はい。差し出がましいことでした」

「感謝してるわよ」


セレネはベリーを見ずに続けた。


「……お母様のお願いは叶ったわね」

「え?」

「ほら……お馬鹿で脳天気で間の抜けた、手の掛かる妹が出来ちゃって。おかげであなたもわたしも、自分のことには手が回らなくなっちゃったもの。これも巡り合わせというやつかしら」

「ええ、きっと。わたしは、そう思います」


ベリーはクリシェの頭を撫でて、クリシェは頬を膨らませた。


「あの、クリシェはお馬鹿じゃないです」

「……そう思ってるのはあなただけよ」

「いひゃいっ」


セレネが後ろを見ずに頬をつねって、ベリーがくすくすと笑いながらもたしなめる。

そうして、旅は続いた。

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